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口中一杯に拡がったチェリーボム

 いつからだろう? 土曜日の夜に金が下ろせなくなったのは。そんなことはいままでなかったはず。それともおれがずっと勘違いしていたってのか? 確かに二十年前くらいは祝日などには金が下ろせず、大型連休前に金を下ろし忘れていてエラい目に遭ったことはあるが、ここ最近はいつだって金が下ろせたという気がするのだが、それはすべておれの作り出した妄想だったと?

 まったく。思いどおりにならないことばっかりだ。フィリピンパブに借りを作ってしまった。今夜、おれは五万を握りしめて、もう一度あの店に行かなくてはならない。素面で……。いったいなんの冗談なんだ。まったく。

 まったく冗談みたいな夜だった。チェリー、エンジェル、エミリー、エメラルド、マイカ。セクシーな気分にはまったくならないが、大いに笑わせてもらった。彼女らのあからさまな下品さが苦手だったおれだが、いつの間にかポジティヴに対応できるようになっていたおれがいた。おれの成長は留まることを知らない。

 だが悲しいこともあったんだ。何年か前におしぼりで男性器を作る方法をレクチャーしてくれたマリアさんがつい最近亡くなってしまったと聞いた。彼女は見事な男根をおしぼりで作り上げた。滑らかなラインと力強いフォルム。初めて見たとき、本気でおれは感動したものだ。おれも幾度となく挑戦してみたが、彼女のように見事なものを作ることはついに叶わなかった。彼女は秘術の真髄を継承することなくこの世を去った。異国の地で若くして死を迎える。仕方のないことだが、せめて母国で……なんて思ってしまうのはおれの勝手な感傷の干渉だ。

 知っている人間がひとり、またひとり、櫛の歯が欠けるように少しずついなくなってゆく。それが長く生きるということであって、おれもいよいよそういったフェーズに入ったということだ。そしておれも。近い未来、遠くない未来、いつか必ず、ここを去る時がくる。その時を待ちわびてもいるし、できるだけ引き延ばしたくもある。苦笑いの矛盾を抱えながら、今日もまたこうして文章を書いているのだった。


 この世でなにかを成そう、そういった野心を抱えていたこともあった。生まれたからにはそう生きなければならないと、盲目的に信じていたのだった。

 だがいま、その野心は萎んだ。しなびきった野心を眺めて、いま思うのは、果たして存命中だったこいつは本物の野心だったのか? ということだ。どうもおれにはこいつが本気で野望を叶えようとしていたとは思えない。おれは最初から乗り気ではなかったのではないか。後付けの言い訳めいてみえるかもしれないが、どうもそんな感じがする。

 おれがいま、こういった文章を書く情熱。それと同等の熱量でもって事に当たったことがいままでにあっただろうか。考えるまでもない。おれは生まれて初めての情熱を持って生きている。日々が燃えている。やる気じゅうぶん。実を伴わない生臭い憧れとはまたひと味違った、おれの器にぴたり収まる野心。

 おれはおれを、おれの限界まで導こうとしている。おれとの対戦を熱望している。熱病に浮かされたように文章を書き続けている。おれはおしぼりで見事な男性器を作ることはできないが、文章に魔力を与えることはできる。いつかおれの文章で、おれを本気で感動させてみたいものだ。マリアさんのおしぼり芸のように。その片鱗はちゃんと見せている。


 摩天楼の少年の青いシャツが風でなびいている。夏のフェンスに腰掛けて、少年は待っているのだった。かみなり雲の訪れを。すべてを引き裂く稲妻を。暗い緑色を帯びた分厚い雲が渦を巻き、空気がいつもより重くなる。ちりちりと産毛が逆立つ。どろどろどろ、重低音が近づいてくる。蝉時雨がピタリと止んだ。大粒の滴がひとつ鼻を打った。遠くの方から埃っぽい匂いの風が吹いてくる。摩天楼の少年はそんな瞬間を待ちわびているのだった。


 もうハーコー全身小説家を名乗るのはやめた。馬鹿らしくなった。もちろん最初から馬鹿らしいことなどわかっていたのだけど、果たしてその馬鹿らしさが伝わっているのだろうか。そんなことを考えてみたら、もっと馬鹿らしくなった。おれの思いつきの馬鹿げた遊び心に巻き込まれてくれるのは、いつだっておれだけなのだった。大抵の人間はどこがどう遊びなのかも、わかってくれやしないのだった。

 マジな話、摩天楼の少年だけなのだ。おれの冗談で笑ってくれるのは。おれはいつだって冗談を言っている。一時もユーモアを忘れたことがない。ユーモアを手放してしまったら、生きてゆくことなどできない。文章を書き続けることなどできるわけがない。

 おれは冗談で、錆び付いたドアを強引にこじ開けようとしている。冗談のわからないやつは、クソ真面目な顔をしてぬるい冗談のようなことを言ったり書いたりする。つまらない。おれは安心感を与えることはできないが、不安定なスリルを提供することができる。おもしろい。しかし、ほとんどの人間はつまらない冗談がお好きなようだ。おれにはわかりかねる。まったくわかりかねる。納得しかねるし、腹に据えかねる。

 と、またいつものような愚痴を書いてみたって、なにも変わらない。そんなことは百も承知だ。しかし無駄なことだとは思わない。おれの書く文章に無駄などはない。無駄しかないとも言えるが。両方本当だ。そしておそらく両方が間違っている。こんなふうに書かれている文章にはすべてが内包しているべきなんだ。曖昧な部分、正邪混じり合った部分に、積極的に指を差し入れる。愛撫する。汁がしたたる。愛おしいんだ。境界線上のその場所が。臨界点を突破する寸前のその刺激が。オルガスムス一歩手前、解放される前の真っ白な場所、あるいは暗く濁った場所。それがたまらないんだ。


 それに引き換え賢者タイム人間のつまらなさといったらどうだろう。わかりきったことをぐだぐだと。情熱の欠片も持たず、表層部分しか露出させず、大前提だけを語って、それで総括してやったって気になっちまう。勝ち誇った顔をしちまいやがる。なんなんだいったい。いったいなんだってんだよ、ええ?

 恥を知りやがれ、そう思うね。でも、それってあなたの感情でしょう? 馬鹿野郎、おれの感情以上に貴いものがどこにあると言うんだ。いいかげんロボットのなり損ないには引っ込んでいてほしい。精神世界のいなかっぺは口を慎め。夢の中で電気羊でも犯していればいいんだ。AIとイメージプレイでもしていろよ。空虚な穴に欲望をねじ込むだけねじ込むんだよ、ほら、早くしろよ! 次のお客さんがお待ちかねなんだよ!

 電脳ジェネレーションはちっともクールじゃなかった。むしろ肥え太った豚だった。そう言っては豚に失礼か。一塊の肉塊だったってことだ。クソを垂れ流すだけ垂れ流して涼しい顔だ。まったく反吐が出る。

 人間はハッキリと退化している。少なくとも精神性においては。加えてユーモアに関しても。魔力なんて存在そのものがなかったことにされてしまった。インチキだらけのスピリチュアルは大盛況のようだが。それもぜんぶ言葉の上でだけの話だ。言葉を悪用しているだけだ。パワーストーン、パワースポット、そもそもてめえ自身にパワーがなければ何も意味がない。というか、本当の意味でのパワースポットは都会だろう。おれなどは都会に二、三時間いるだけで頭が痛くなってしまう。凄まじいパワーだよ。おれでも太刀打ちできやしない。嫌いだけど好きさ、東京。

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