さようなら、私の軽すぎた結婚~これが正しい魅了の使い方~
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あなたがこの世界に光なく生まれ落ちたあの日、そして母が亡くなったあの日に私は決めた。あなたを絶対に守るのだと。
「お父様。その結婚のお話をどうか私にくださらない?」
赤い露出の多いドレスは壁にかかっていれば下品だが、私にはよく似合う。そう思わないとこんなドレス着ていられない。でも、父はこういうのが好きなのだ。悪趣味極まりない。
煌びやかなパーティーでの突然の私の発言に貴族たちがどよめいた。
「また我儘王女か」
「陛下も寵愛していた妃の娘だからと甘い」
「しかし、今のまま盲目の王女が帝国に嫁ぐというのも考え物だ」
「帝国の新しい皇帝はヘビ獣人の血を引いていて他の皇子たちを皆殺しにした残虐な皇帝だろう。わざわざ望んで嫁ぐのか?」
「帝国はかなり大きな国だ。あの我儘でバカな王女なら贅沢ができると踏んでいるんじゃないか」
「なんにせよ、自分の娘が嫁ぐ様に命じられるよりもいい。なんといっても後宮に入るのだからな」
「あぁ、王女といえども踊り子の娘ならどうなってもいい」
「しかし……出発が迫っているのに相手の変更などできるものなのか?」
そんな貴族たちのさざなみのような声と数多の好奇の視線を無視して、私は父である国王の前に自信満々に進み出る。母譲りのこの国では珍しい黒髪をなびかせて。
「盲目の妹が行くよりも皇帝陛下は私の方がお気に召すはずです。私が妹のアリアドネとして行って寵愛されてみせましょう。私たちは似ていますし問題ないはずです。そうすれば我が国のためにもなりますわ」
このチャンスを逃してはいけない。
暴発させないよう慎重に魅了をかけながら父である国王に笑いかけた。母にそっくりだと喜ばれる笑い方で。
「可愛いエメラインよ、それでは帝国に嫁に行くはずだったお前の妹はどうする」
父である国王は厳めしい表情を柔らかく崩した。私の魅了がしっかりと効いている。計画の成功を確信しながらまた私は微笑んだ。
この大規模なパーティーで国王が宣言さえしてしまえば、宰相やらなにやらが文句を言っても発言は取り消せない。残念ながら私の持つ魅了は大して威力が強くない上に一度に一人か二人にかけるのが限度。だから、この場でなんとしてでも国王の口から私の望む言葉を言わせないと。
「盲目で役立たずな妹など、この王宮にも帝国にもふさわしくありません。そうですね、ゴールドバーク辺境伯のところなんていかがでしょう。緑も多くていいのではないですか」
「それはいいな。ゴールドバーク辺境伯は婚約者が決まらぬと言っておったな」
もう一押し。私は父が咎めないのをいいことにさらに近づいた。公の場で王女が「お父様」なんて呼びかけて国王の言葉を遮ってお願いをするなんてありえない。でも、私の魅了があれば許される。
「ゴールドバーク辺境伯だって王女を娶れるのですからいいのではないですか。あの子はドレスにお金もかかりませんし、こんなに煌びやかな王都にも未練はないでしょう。だって見えないのですから。ねぇ?」
ゴールドバーク辺境伯のことはすでに調べてある。帝国側の国境とは最も離れた領地を治める貴族で、かよわい女の子が好き。今のところ隣国との関係は良好で戦争の心配なし。見た目がゴリラみたいにいかついから結婚相手がいないだけで実直な御仁。きっと盲目の妹を大切にしてくれる。
わざわざ遠い領地から出てきていたゴールドバーク辺境伯は、私の視線を受けて嫌そうではあるが胸に手を当てた。
「そうか。では……アリアドネ王女はゴールドバーク辺境伯と結婚させよう。エメライン王女にグリフィス帝国へ嫁いでもらう」
やっぱりこいつは私の可愛い妹のアリアドネの名前さえ覚えていなかった。私がそう仕向けたからだけど。隣で側近に耳打ちされているのを見るとムカつくわね。
あんたが無理矢理連れて来て妃の一人にした異国の踊り子の娘でしょうが。私も含めて。
貴族たちから拍手が沸き起こる。国内の貴族しか出席しないパーティーが直近であって良かったわ。
どうせエメライン王女の我儘だと捉えているに違いないが、このアスター王国としては帝国に王女を嫁がせないといけないわけで。どちらが行ってもかまわないだろう。
私の知らないところで勝手に妹の帝国への嫁入りは決められていて、妹の姿絵はすでにあちらに送られてしまっている。でも、妹と私は性格とスタイル以外は似ているし姿絵は盛って描かれるから大丈夫だろう。この発表でもう覆らないし、帝国に行ってしまえばこっちのものだ。あとは盲目の演技がやや難しいくらい。
こいつらは周辺国の動向を見ながら、どうでもいい王女を嫁入りさせようとしたのだろう。周辺国だって急に言われてもめぼしい王女の婚約なんてほとんど整っていたわけなのだから。
妹のアリアドネを見ると小刻みに震えている。私はそれを見て笑う。妹の婚約をかすめ取って笑うバカな姉王女に見えるだろう。
私たちの母は異国の踊り子だった。王宮に呼ばれて踊った時に父である国王に見初められてしまい、脅され無理矢理召し上げられて離宮に閉じ込められた。
父とも呼びたくないあの国王は母をいたく気に入っていたらしく、母が妹を生んで亡くなるまで他の妃のところへほとんど行っていなかったようだ。それもあって私たちはよくいじめられた。他の妃や異母兄弟姉妹が差し向けた使用人なんかに。父はそれに対して何もしようとしない。
私に不思議な力があると気付いたのはまだ妹が生まれる前。
母と自分の食事に嫌がらせで虫が入っていて使用人に文句を言った。その時に側にあった壺が割れたのだ。触れてもかすめてもいないのに。その場は誤魔化しきれたが、後から母に言われた。
「その力があるということを絶対に知られてはいけないわ」
母の生まれた国では稀に力を持つ子供が生まれるのだという。癒しの力や未来予知が多いものの私の持つ力は意外にも魅了だった。魅了が暴発すると心霊現象のように壺が割れたり、物が派手に落ちたりするのだ。母の親戚にそういう人がいたらしく私の意味不明な力が何かはすぐに判明した。
力があると知られた子は大変攫われやすかったそうだ。そんな珍しい力は酷使されるに決まっているから母は私に忠告した。
でも、母は妹を生んで死んでしまったのだ。しかも妹は生まれた時から目が見えなかった。私は魅了をばれないように駆使しながら今日まで生き延びてきた。私の魅了は対峙して目を見て集中していないと効かない。感情が乱れていたら魅了は暴発しやすい。
「お父様。あの子の嫁入りはいつにしますか? なんなら辺境伯が帰るときに一緒に連れて行ってもらったらいいのではないでしょうか?」
早く。一刻も早く妹をこんなこところから引き離したい。誰かが口を挟む前に。
「陛下。今そのようなことを決めなくとも」
「まぁ、お兄様。嫁入りは大事なことですわ。慣れるなら早い方がよろしいのではなくて?」
異母兄が口を挟んでくるが、邪魔はさせない。兄だなんて一度も思ったことはないけれど敢えて「お兄様」と呼ぶ。嫌味で。そうすると魅了をかけていない異母兄は顔を顰めた。
「そうだな。ではアリアドネ王女は辺境伯とともにあちらの領地に向かうように」
「荷物は後で送ればいいですもの」
「エメラインの言う通りだ」
無駄に蓄えた顎ヒゲを撫でながら国王がそう発言したことで無視された形になった異母兄はこちらを睨んでくるが、私の仕事はやり終えた。疲れた。
「では、私も帝国に行く準備を進めます」
「グリフィス帝国の新しい皇帝も美しいそなたを気に入るだろう」
「えぇ、必ずやお父様のお役に立ってみせます」
心にもないことを口にして、さらに魅了を使うと疲れる。大仕事を終えた私はもうこんなバカげたパーティーに用はない。
どうせ我儘でバカな王女と思われているのだ。国王が召し上げて離宮に入れた踊り子の娘で貴族の後ろ盾もないから、妹も私も他の貴族たちから相手にされない。バカにされるだけ。
子供の頃は魅了をよく暴発させてしまったから、その都度物を投げて誤魔化すしかなかった。そうしたらウワサはすぐに回って私は我儘な王女エメラインになってしまっていた。使用人に癇癪を起こして物を投げるワガママ王女だそうだ。それは別にどうでもいいのだが、妹が生まれた後はその評判で困った。
出自と私の評判でもれなく妹まで嫌われ、私にとって妹が大事だと悟られれば盲目の妹に集中して攻撃が向くだろう。だから、私は妹を貶めた。妹は私にとって大事な存在ではないと示した。私が率先して妹を貶めていると他はいじめなかったし、妹に同情して良くする使用人もでてきた。
「お姉さま」
パーティー会場から出ようと歩いていると、妹がおずおずと声をかけてきた。隣には介助する侍女がついている。この侍女は妹に良くしてくれるのよね。同い年くらいの妹がこの子にもいたけど病で亡くなったのだったか。有難いわ。
「何かしら」
いかにも自分の予定を邪魔されて不満だという顔で私は腰に手を当てる。
「あの、辺境伯様は明日には発つと」
「あぁ、それじゃあなたも明日には発つのね。せいせいするわ、その陰気臭い顔を見なくて良くなるなら」
人目があるからこんなことしか言えない。出自は仕方なくとも人格も含めてバカにされるのは私だけでいい。ほら、近くにいた貴族が妹を気の毒そうに見ている。みんな、自分より可哀想な人って好きよね。優しくすれば優越感とおかしな正義感に浸れるから。
「お姉さま。あの……お元気で」
「私は元気に決まってるでしょ。巨大なあの帝国に嫁ぐのよ? 後宮で一番の女になってみせるわ。田舎に行くあなたと違ってね。さっさと荷造りでもしたらどう? 私は手伝わないわよ」
明日か。早い。国境を守る辺境伯がそれほど長く領地を空けないためか。妹を帝国に行かせないように私が慌てて仕組んだにも関わらず、あまりにも早い別れ。上から下までねっとりと妹を見て、最後かもしれないその姿を目に焼き付ける。ふんと鼻を鳴らして彼女に背を向けた。
可愛い妹をいくら帝国の皇帝でもヘビ男に嫁がせるわけないでしょ。正真正銘のヘビ男よりも外見ゴリラで中身まともな人間の方が絶対にマシよ。
グリフィス帝国の新しい皇帝ジークフリートはヘビ獣人の血を引いており、前皇帝陛下が亡くなった途端にヘビを操って前皇帝のたくさんの妃・異母兄弟姉妹全員をヘビに食わせたらしい。皇帝陛下が亡くなるまではずっと大人しくしていて、誰も彼がそんな能力を持っていたとは気付かなかったんだとか。彼の母親もヘビ獣人の血が微かに入っているというだけでそんな能力はなかったようだ。先祖返りというやつかしら。私だって母には魅了の能力はないのだし。
ある程度内政が落ち着いた今、皇帝ジークフリートは近隣諸国に花嫁を求めたわけだ。同盟のためなのか退屈しのぎなのか知らないが、後宮に女たちをひしめかせるために。
帝国が花嫁を求める書簡を送っている国は十にのぼる。
女たちがひしめく恐ろしい後宮で妹のアリアドネが生きていけるわけがない。皇帝に気に入られなかったらきっとヘビの餌にされる。私ならヘビをなんとか魅了して逃げられるだろうけれど、妹は無理だ。絶対に女たちから虐められて優しいあの子は病んでしまう。
それなら私が行けばいい。でも、妹をここに残していくわけにはいかない。何度嫌がらせで毒を盛られ魅了で回避してきたか。私がいなくなったら妹は死ぬ。
それならここからとにかく離れた場所でゴリラに託すしかないでしょ。私が入れ替わって帝国に嫁いだと皇帝に知られたら戦争になるかもしれない。異母兄弟姉妹が殺されようとどうでもいいんだけど……妹がいる場所は帝国からも遠い方がいい。遠ければその分時間を稼いで逃げられるから。
妹の見送りには行かなかった。遠くから眺めて終わり。あとは私が帝国に行って妹の振りをして……妹があちらでの生活が慣れてきた頃に私が帝国で生きているかは分からない。
妹を守るために生きてきたようなものだ。自分の人生なんて考えたこともない。悪意の渦巻く王宮で妹とともに生き延びるのが精一杯だった。
佇んでいた窓のそばで鳥が勢いよく飛び立つ。その鳥を追って視線を空に向けた。空を見るのはいつ以来だろう。こんなに狭かっただろうか、この国の空は。
グリフィス帝国の後宮入りする日はすぐにやって来た。
妹があのゴリラのところへ行って、もうここに何の未練もない。生きるために媚を売っていただけなのだ。出て行けるのはせいせいする。
脅して母を囲い込んで逃げられなくした父なんて大嫌い。それに父を軽蔑するだけで、私たち姉妹をいじめてきた他の妃たちや異母兄弟姉妹たちはもっと嫌い。一番悪いのは権力に物を言わせて母を無理矢理召し上げた父なのに。文句といじめなら父にやればいい。
国王と渋々参加させられたという体の異母兄弟姉妹たちに見送られてグリフィス帝国に旅立つ。
馬車に何日も揺られ、お尻の痛みが慢性的になって痺れてきた頃にやっと帝国に到着した。身一つで来るように言われているので持って来たのは旅に必要な服くらいで、使用人は連れていけない。言うまでもなく私に付いてくるような使用人はいないので、帝国に到着すると国から一緒に来た彼らは帰って行った。
アスター王国も含めた十の国はそれぞれ王女、あるいは年頃の王女がいなければ公爵令嬢あたりを送ってきていた。帝国は強大な国だから断ったら戦争になると危惧したのだろう。なにせ異母兄弟姉妹・前皇帝の妃を皆殺しにした皇帝だ。
到着してすぐに謁見の間に集められ、他の妃となる女性たちを視線の定まらない風を装ってちらちらと見た。
ここに移動してくるまでに知り合いらしい女性同士がコソコソ喋るのを聞いた。その会話によると、ジークフリート皇帝は白髪に赤目で非常に美麗な見た目であるらしい。ほんの少し手の甲や頬に鱗があるんだとか。他の女性たちがやや浮足立っているのはそのためのようだ。美麗な外見であればヘビの鱗があっても皆殺しにしていても頬を染められるものなのか。もしくは、そういう頭の足りない王女や令嬢をわざと集めてあるのか。
皇帝はヘビ男だと思っていたのに。アリアドネがゴリラ男よりヘビ男がタイプだったらどうしよう。いや、でも後宮の女の争いは怖いから私の選択は間違っていないはず。私はここでアリアドネとしてなりきって生きる。私の気が済むまで。
考え事にふけって他の女性たちのように視線を上げていなかったから気付くのが遅れた。誰かの悲鳴を飲み込むような声が広い謁見の間に鈍く響く。あ、一人気絶して冷たそうな床に倒れた。
ズルズルと這うような音。冷たい恐怖の空気が謁見の間に満ち溢れた。私はやや遅れてその空気の意味を悟った。
皇帝が現れるはずの扉から姿を見せたのが、馬車よりも大きな白いヘビだったからだ。しかも目は血を吸ったように赤い。私は音を辿って視線を彷徨わせる振りをしながら白いヘビを観察した。あれなら異母兄弟姉妹たち全員を彼自身が食べて飲み込んだかもしれないわね。
「ジークフリートだ。俺の姿が気に入らないなら帰ってくれて構わない」
白いヘビがズルズルと這ってから口を開けて喋った。ヘビの姿で喋るのか。
「人の形にもなれるが基本はこの姿だ」
あ、もう一人気絶した。あの二人は脱落扱いかしら。
盲目を装ってキョロキョロしていると、白いヘビはじっとこちらを見てきた。目を合わせないように慎重に顔と視線を動かす。なんだ、やっぱり本当にヘビ男だった。
「帰りたくなったら使用人に告げるといい。この後は後宮に案内させる」
それだけ言って皇帝だという白いヘビはすぐに這って戻って姿を消した。彼、いやヘビが去って扉が閉まって静寂の後、気絶しなかった女性同士でヒソヒソ話が始まる。
「まさか本当にヘビだなんて!」
「送られてきたあの姿絵は何だったの?」
姿絵って何? 私は見ていない。嫌がらせで誰か隠したのか。
「あんなのと結婚なんて無理よ」
「もしかして大臣たちが勝手に妃を募ったんじゃないかしら」
「乗り気じゃなさそうだったものね」
そもそもどうやってヘビと子作りするんだろうなんて破廉恥なことを考えたが、すぐにやめた。あ、人型になれるのか。いや、やめようこんな考え事。
皇帝が乗り気かどうかは分からない。だって私はヘビの表情を読めないし。さっきの発言で乗り気ではないとは断定できない。分かっているのは初対面で気絶しても食い殺されないということだけ。
「あなたはどう思いますの?」
ずっと黙って突っ立っている私を不審に思ったらしいある女性が問いかけてくる。しかし、私は盲目設定だ。「あなた」と言われただけでは反応できない。他の方々は私を指していると分かっているので黙り込む。黙り込んだ空気をおかしく思った様子に見えるよう、私はキョロキョロと見回した。
「アスター王国のアリアドネ王女殿下ではありませんの」
すごいな、他国の王女様やご令嬢って。王妃の娘でもないめったに出てこないアリアドネの名前知ってるなんてどれだけ勉強、いや情報を持っているんだ。
自分の名前を出されてビクリとおおげさに体を震わせて私は反応しておく。
「アリアドネ王女? 聞いたことがありませんわ」
「異国の踊り子の娘で盲目の王女です」
すごいな、金髪美人の女性。妃情報をすべて網羅しているのか。私なんてかろうじて一人か二人しか他国の王族なんて覚えていないのに。だって生きるために必要なかったもの。
「あ、あの。私をお呼びですか?」
自信なさそうにか細い声を上げる。アリアドネは他人、しかも他国の人と会話する機会などなかったからこの人たちに身元がバレることはない。あのパーティーには魅了を使ってわざわざ参加したのだ。その他のパーティーなんて出ても馬鹿にされることしかないからわざわざ参加するメリットがない。
「見えてないなら……聞いても意味がないわ」
「あの姿が見えないのは羨ましいわ」
「ねぇ、それならあの王女殿下に押し付けてしまえば」
「おやめなさいよ、私たちは国のために嫁いできたのよ」
「そうね、すぐに国に帰ったところで……」
ヒソヒソしているが、この謁見の間には声がよく響くため全部聞こえている。
「先ほどの皇帝陛下は大きなヘビのお姿だったの」
「は、はい」
最初にアリアドネの名前を出した金髪美人がわざわざ説明してくれる。いい人である。
「それを見て私たちは動揺してしまって」
「あぁ、だから先ほど皇帝陛下が『姿が気に入らないなら』とおっしゃったのですね」
私は敢えて神妙に頷く。ごめんなさい、実は全部見えてましたけどごめんなさい。
「これを聞いてもあなたはここに残るの?」
「私は役立たずの王女ですから……国には帰れません」
納得したような雰囲気が彼女たちの間に流れる。
「み、皆さまはどうされるのですか?」
思い切って聞いてみた。皆殺し皇帝に溺愛している王女を嫁がせる王などいるのだろうか。つまり、ここにいるのは……皆訳アリかもしれない。
「私はしばらくしたら帰るわ。ヘビと添い遂げるなんて無理よ」
あれ、訳アリじゃない人いた。これが正真正銘の我儘王女なのか、ただのおバカなのか。
「私は国のためにここに嫁いできたので帰れませんわ」
「私も国に帰ったところで……」
何人かそういう人たちがいた。きっと私と同じで訳アリだな。国王がメイドに手を付けて生まれた王女がいるかもしれないし、自国で相当やらかした方もいるかもしれない。
それにしても。
これは私が言うことでもないが。皆、早々に気を抜きすぎではないか。それかヘビの姿を見て興奮しすぎではなかろうか。
謁見の間には私達以外誰もいない、ように見える。でも、どこかでこの会話を聞かれていたらどう判断されるのだろうか。ヘビの餌になるかもしれないのに。
帝国は大国で、私たちの国は帝国に比べたら弱小国だ。自国からではなく弱小国から集めた妃たち。帝国内では誰も相手がいなかったのかもしれないが、弱小国の妃なんて簡単に彼は殺せるだろう。ここに到着してから丁重に扱われたから油断しているのか。
ヒソヒソ話している王女たちと視線を合わせないようにしながら私はふぅと息を吐いた。
グリフィス帝国の後宮は前皇帝の全盛期には百人もの妃がいたという。だだっ広い後宮はよく掃除が行き届いていて、新しくはないが独特の鈍い輝きを放っていた。今の私は盲目設定なので帝国の城や後宮を見てうかつに感嘆できない。
使用人の助けを借りながら後宮の中に入り部屋に案内される。
皆、後宮の入り口から近い部屋を順番に割り当てられたようだ。緊迫の初日はこれで終わりそれから一カ月は平和であった。一カ月間、皇帝は一切後宮に来なかったから。
私は人生初の平和な時間を過ごして平和ボケしそうだった。うっかりアリアドネの演技を忘れそうになって苦労したくらいだ。
食事に毒や虫は入らないし、皇帝はちゃんと全員にそれぞれ使用人をつけてくれているし、嫌がらせをしてくる異母兄弟姉妹もいない。
本は使用人が読み聞かせしてくれて、散歩の時は介助して一緒に歩いてくれる。ただ、庭にはヘビが多いので踏んで怒らせないように注意しないといけないがそれ以外は最高の待遇だ。
初日に気絶した二人は早々に国に帰されたようで、残った八人の妃で集まってお茶会などしていた。
事態が動いたのは一カ月を過ぎた頃。
皇帝が妃たちの元に通い始めたのだ。国力順に通っているようで私は五番目だった。
皇帝が三番目の妃のところに通う頃には妃同士の和やかなお茶会はなくなり、後宮の雰囲気はギスギスし始めた。これぞ後宮のイメージしていた空気感だ。
そして今日、皇帝は私のところにやって来るらしい。
風呂上りに着る意味があるのかというほど透け透けの服を着せられ、リラックス効果のある香を焚かれ、寝ないで待つように言われた。
妹はそろそろ辺境に慣れただろうか。足の指で床をなぞりながら考える。私の力が魅了じゃなくて未来予知だったら良かったのに。そうしたら妹の様子を覗くことができたかもしれない。
ぼんやりしていると、部屋にズルズルと這う音が聞こえた。ヘビの姿でいらっしゃるらしい。すでに通った四人の妃は殺されていないようだから、今日殺されることはないだろう……おそらく。
「お前がアリアドネ王女か」
「はい」
立ち上がって挨拶しようとしたが止められた。落ち着いたいい声である。視線を下げていて、しかも暗いので浮かび上がる白い胴体くらいしか見えない。
「目が見えないそうだな」
「はい。生まれつきです」
「俺が怖いか」
「見えないので何とも。陛下のお姿を想像したいので触ってもよろしいでしょうか」
「許す」
落ち着いた声に思わずそんなことを言ってしまった。怒られなかったので、立ち上がって空中に手を伸ばして空を掴む。もちろん演技だ。そのまま空を何度か掴むと、皇帝は這って体を寄せてきた。恐る恐るといった体で触れると、冷たい滑らかな鱗の感触がする。撫でていると、皇帝は頭を私の頬に寄せた。冷たさに驚いて体が震えると、皇帝はゆっくり離れた。
「申し訳ありません。冷たさに驚いてしまい」
「いい。今日は何もしない。もう眠るといい」
「……そうなのですか?」
「あぁ、ほぼ初対面だからな」
じっくりお互いを知ってから殺すタイプなのか。それとも人間の女に興味がないのか。
「陛下はどちらでお休みになりますか」
あの大きさのヘビなら寝台に乗ると壊れるだろう。
「ここでいい。寝台は落ち着かない」
「あ、はい」
「お前は香りで何かを判別するのか」
「香りもですが音とか……今日は香の匂いであまり」
「そうか。不自由なことはないか」
「ありません。とても良くしていただいております」
「そうか」
それきり白いヘビの姿の皇帝は黙ってしまった。いいのだろうかと悩みながらも手探りで寝台に戻って横になる。
どうしよう、寝ぼけている時に話しかけられてうっかり演技を忘れたら。今日は一睡もできないかもしれない。
横になってしばらくすると、皇帝が動く気配がした。思わず目を閉じる。シューシューという音が近づいてきたが寝たふりを続けていると、やがて皇帝は部屋から出て行ってしまった。本当に何もなかった。
翌朝、山ほどの贈り物が皇帝から届いた。なぜだ、一夜どころか数時間しか過ごしていないのに。しかも何もなかった。
「アリアドネ様! 素晴らしいです! 皇帝は他の妃には贈り物をしていないのですよ!」
いつも世話してくれる使用人が非常に興奮している。
「これをご覧くださ……あ、えっとお渡ししてご説明しますね!」
興奮のあまり私の目が見えないことを忘れていた様子の使用人は、山になっている物の中から持ってきて一つずつ私に握らせて説明してくれる。
「アリアドネ様の美しい目の色に合わせたのでしょう。アメジストのネックレスです」
他には金貨やブレスレットなどの装飾品。ルビーの付いた指輪もあった。使用人の説明を聞きながらふと質問した。
「陛下はいつもヘビのお姿なの?」
「執務の際は人のお姿です」
「あなたから見て陛下はどんな方なの?」
「陛下は弱い者に優しい素晴らしい方です」
「そう……ウワサとは全然違うのね」
「……前皇帝陛下は後宮の維持のために税金を上げ、それで民の生活が大変苦しくなったのです。皇帝陛下はそれを止めてくださいました」
「そうなの」
後宮にいると、皇帝がどんな政治を行っているかなんて分からない。でも、使用人たちはヘビの姿の皇帝に特別恐怖している様子がない。獣人に慣れているわけではないだろうし……嫁ぐのと仕えるのはまた別なのだろうか。
ウワサなんてあてにならないことは身をもってよく知っている。皇帝が異母兄弟姉妹・前皇帝の妃を皆殺しにしているのは事実かもしれないけれどそこには理由があるようだ。
私の我儘王女のウワサだって物を投げたり割ったりしたけど魅了を隠すためで本当じゃないのだし。見えるものがすべてではない。
昨日の皇帝は私を気遣って優しかった。
でも、もしかして皇帝は私のことを盲目の弱い王女だと思っているから優しかったのかも。それならアリアドネがここに来ても良かった。素直で優しいあの子ならウワサとは全く違う皇帝に寵愛されただろう。
「陛下のお色のものは何かないかしら」
「今手にされているルビーの指輪が陛下の目の色でございます!」
ルビーの付いた指輪を手にしている時に使用人に問うと、弾んだ声を出された。
「じゃあ、これに鎖をつけて首からかけられるようにしてほしいの」
「指にされないのですか?」
使用人の疑問に曖昧に笑った。確証がなかったからだ。盗まれるかも、なんて口にしたら自意識過剰のようで言えなかった。でも、なんとなくあの目のようなこの石は身に着けていたかった。
残念ながら私の勘は当たった。
まずはネズミの死体が部屋の前に置かれた。言葉は悪いが、マジか!である。あれほど他の妃たちがヘビは無理と言っていてもここは後宮なのだと思い知らされた。というか、どの国でも嫌がらせには同じようなパターンでもあるのか。小さい頃にもこれはよくやられた。虫の死体だったけど。
踏む前に気付いて「おかしな臭いが……」と演技をして使用人が片付けてくれた。この件の犯人は分からなかったが、今度は清々しいことに散歩中にすれ違った妃にあからさまに服の裾を踏まれた。
「あら、ごめんなさい。地味すぎて見えなかったわ」
「視力が落ちておられるのですか。私と同じですね? 医者にかかった方がよろしいのでは?」
言い返すと面白くなさそうに踵を返す妃の一人。使用人は自分のことのように怒ってくれたが、正直あのくらいならそよ風程度で可愛いものだ。感情的にさえならないので魅了が暴発することもない。
嫌がらせを放置しているととうとう食事に毒が入った。一口食べて懐かしい感覚を思い出して吐き出す。自分が一番でないことが気に食わないのか、それとも後宮生活がストレスなのか。よくやるものだ。
「アリアドネ様!」
「毒が入っているわ。匂いで気付かなくって」
「す、すぐに医師と警備を!」
「あぁ、毒なら大丈夫よ。慣れているから」
ここに来たのがアリアドネでなくて本当に良かった。皇帝に寵愛されてもこんな思いはさせたくない。毒を入れたのは食事担当の下女ですぐに刑が執行された。黒幕が絶対に妃の中にいたはずだが尻尾を出さなかったようだ。
みんな、異国のヘビ男に嫁いできてまでよくやるなぁと感心してしまう。きっとあの下女をお金で買収して、とかいろいろ手順があるのに。
「毒を盛られたと聞いた」
その夜になぜか皇帝がやって来た。もちろんヘビの姿で。事前の連絡がなかったため使用人が大慌てだった。
「慣れているので大丈夫です」
「慣れているとは?」
「姉と一緒によく盛られていました。懐かしい味がしました」
するりと皇帝は私の頬に頭を寄せた。父みたいに、妃やその子供がいじめられたり嫌がらせされたりしても知らんぷりしておけばいいのに。皇帝が私の元に来たことで明日からさらに嫌がらせが悪化しそうだ。
「俺のこの姿を怖がらない妃はお前だけだ」
「皆さん、見える方ですから」
それが贈り物をする判断基準なのだろうか。
私も実は見えている。いざとなれば魅了して逃げればいいと考えているから怖くないだけ。それにもっと怖いことはいくらでもある。妹が王宮にいた時よりも不幸になることとか。
「どうして、急にいらっしゃったのですか?」
そろそろ八人の妃たち全員のところを回りきっただろう。それなら一番目に戻って欲しい。あ、一人国に帰る希望を出したそうだから七人か。
「お前が毒を盛られたと聞いたからだ」
「陛下がいらっしゃると、明日からまた私は嫌がらせをされるでしょう。考えたらすぐ分かりそうなのになぜいらっしゃったのですか」
「……俺は来ない方が良かったか」
「いいえ。あのくらいの嫌がらせは何ともありません。姉と乗り越えてきましたから」
視線を合わせないようにヘビの頭をそっと撫でる。相変わらず彼は冷たい。
「俺はいじめられたら誰かに側にいて欲しかった。お前は違うのか」
思わずふふっと笑う。面白い人、いや面白いヘビだ。この人の言う通りなのだろうが、私はあまりに長く一人で戦いすぎてよく分からなくなっている。
いや、むしろ構わないで欲しい。中途半端に同情されたって迷惑だから。側にいてくれるかもしれない、助けてくれるかも知れないと期待して叩き落とされるなんて嫌だ。
「なぜ笑う」
「後宮に女を集めておいてそんなことをおっしゃるからです」
「まさか全員集まるとは思わなかった。同盟のためにと大臣の言うことを聞くのではなかった」
前皇帝に比べれば十人の妃なんて非常に少ない。
「自国から妃を募らなかったのですか?」
「もちろん募ったが、来ても俺を見て皆嫌がっただけだ」
「使用人たちは怖がらないのに令嬢は陛下を怖がっているのですか」
「一生ヘビと添い遂げるのは嫌なのではないか」
「そういうものですか」
「お前は本当に俺を恐れていない」
「だって、見えませんから」
「嫌がらせした者たちを全員殺そうか」
「別にいいですよ。可愛いじゃないですか、陛下の関心を引きたいがためにやっているのです。これが後宮です」
妹があちらで安全に過ごしているならば、私のことはもうどうなってもいいかなとは思っていた。後宮の妃が帰されてさらに補充されるのかと思えば、新しい妃は来ない。つまり、私が殺されようがいなくなろうが妹が無理矢理この後宮に連れてこられることもない。
その日も皇帝は私を先に寝かせて夜中に帰り、翌朝またどっさり贈り物が届いた。一体私のどの行動があのヘビ男の琴線に触れているのか。
こんな贈り物をしてきて面倒だと思う反面、嬉しさは心の片隅にあった。私は皇帝と視線を合わせて魅了したわけではない。それでも、皇帝はこうやって贈り物をしてくれる。誰かを魅了することでしかこうやって恩恵をもらったことがなかったから、同情なのかなんなのか分からないが贈り物は嬉しかった。これは皇帝の純粋な気持ちだから。
一週間後、妃の一人が国に帰されたと知った。妃の中で最も大人しそうに見えた人だったが私に毒を盛る指示をした犯人だったそうだ。
それもあって嫌がらせはしばらく止んだが、ほとぼりが冷めた頃に再開した。しかし、今度は嫌がらせの犯人はすぐに見つかって指示したという妃は国に帰されてしまった。
皇帝はなぜか私のところにのみやって来るようになり、相変わらず何もしないで私が眠った振りをするとズルズル這って帰って行く。
「アリアドネ様は陛下に寵愛されていらっしゃいます」
「そうなの?」
使用人が嬉しそうに言うが、皇帝には本当に何もされていない。頭を寄せてくるくらいだ。
嫌がらせがあっても皇帝が何か指示しているのか、すぐに犯人が捕まってしまう。まるで見ていたかのようにすぐに捕まるのだ。
そしてまた何人かの妃が国に帰され、残った妃はとうとう三人になってしまった。
三人になった妃たちで久しぶりにお茶会を行った。初日に私を認識した金髪美人も残っている。もう一人は鮮やかな水色髪の女性だ。うっかり髪を褒めそうになって目が見えないのだからと慌てて口を閉じる。
「陛下はアリアドネ様のところによく通われていらっしゃいますね」
「不自由がないか気にしてくださっているだけです」
「それにしても数日おきに通われていらっしゃるではないですか」
二人ともヘビ男に乗り気で嫁いできたのか? 帝国の情報を母国に送るため? 非常に険のある会話だ。それとも後宮生活でストレスが溜まっているのだろうか。私は三食付きでアリアドネの振りをしながら平和に楽しくやっていきたいだけなのだが。皇帝は来ても何もしないのだから。でもここでそれを言ってしまうのも違うし……。
和やかではないムードでお茶を飲んでいると、突然テーブルに矢が刺さった。
「きゃあ!」
「賊でも侵入したの!?」
水色髪が悲鳴とともに慌てて立ち上がる。金髪美人も立ち上がったので、私もキョロキョロしながらその場で立ち上がった。
すぐに警備が来るだろうと余裕で目の見えない振りをしていると、逃げようとしていた水色髪にドンと押されてその場に倒れ込んだ。
「アリアドネ様!」
いつも付いてくれている使用人の声がする。
上半身を起こすといつの間にか目の前に顔を隠した男が立っていた。白昼堂々こんなことが起きるなんて、普通夜じゃない?
襲撃者らしき男は数歩の距離に立っている。警備は間に合わないだろう。
やれやれ。もう潮時かな。アリアドネもあちらで慣れただろうし。私が今ここで死んでもきっとあの子は大丈夫だ。辺境伯は結婚式くらいやってくれただろうか。ゴリラが結婚式って想像できないし、いくら目が見えなくてもそのくらいはやってるわよね? 辺境伯の周辺を魅了して吹き込んでおけばよかった。
男が短刀を振り上げる。使用人が慌ててこちらに駆け寄って来るが、私は短刀を避けることをすでに諦めていた。
後宮に来て人生で初めて平和な時間を過ごした。でも、私の生きる目的はもうない。希望して国に帰って、途中で逃げ出して妹を見るために辺境まで行こうか。でも妹はあれほど貶めてきた姉には会いたくないはず。毒以外の命の危機に瀕して、自分がこんな諦めの思考を持っていたことに驚いた。私はずっと戦い続けてきたはずなのに。
なんと、駆けつけて間に合った使用人が私を庇うように抱きしめる。
初めて庇われる経験をしたために諦めの境地にいた私はうっかり動揺した。久しぶりに感情が大いに乱れ魅了が暴発する。
残っていた食器やつり下がったランプが次々に割れる。柱までミシリと音を立てた。そんな中で私は座り込んだまま使用人に抱き着かれ、思わず男と視線を合わせてしまった。
カランと男が短剣を取り落として両手を上げる。やっと警備隊が駆けつけてきて男を拘束した。その様子を使用人の背中をさすりながらぼんやりと見つめていた。諦めたはずなのに、うっかり私は生き延びてしまった。この使用人が、中途半端に優しくするから……どうでもいい私なんかを思い切り庇うから。
そして落ち着いた頃に私たち妃三人は皇帝の前に連れていかれた。
「男はお前に雇われたと言っている」
「違います!」
「証拠もあるようだが」
「わ、私ではありません! 誰かが私を陥れようと!」
「しかも逃げる時にアリアドネを押したようだな」
「ひっ! わざとではありません!」
水色髪の妃が皇帝に必死に弁明している。そりゃあそうだ、謁見の間なのに白いヘビである皇帝以外に足元にうようよとヘビがいるのだから。私の足にも先ほどから移動するヘビの鱗が当たっている。
「やれ」
皇帝の号令でヘビが飛び掛かったのはなぜか水色髪ではなく、金髪美人にだった。私は目を伏せて見ないようにしたが、女性の断末魔の悲鳴で体が震えてしまった。
「襲撃はその女の差し金だ。お前は罪を被せられたようだな」
水色髪は気絶したためその言葉を聞いていなかった。金髪美人は瞬く間にヘビに食われたようで服や装飾品しか残っていない。気絶した水色髪は謁見の間から早々に運び出されていた。
「さて。まさか珍しい魅了持ちだったとは」
盲目の演技ではなく魅了がバレている。あの状況で柱まで変形させたから魅了だとバレないと思ったのに。私は目を伏せたままぎゅっと自身の腕を掴んだ。
「しかもお前。目が見えるだろう」
あぁ、もう無理だ。騙しきれない。そんな風に思わせる声だった。私はそっと視線を上げて白いヘビの首あたりを見た。でも、もういいだろう。さきほど生きることを諦めたばかりだ。アリアドネはもう安全な場所にいる。
「俺は騙されたり、裏切られたりすることが嫌いだ」
「申し訳ございませんでした」
その場に私は跪いた。生きるのを諦めたといっても彼を騙したのは本当だから。
「非常にうまい演技であった。まるで盲目の人間が身内にいたかのように。お前は一体誰だ」
「アスター王国の王女エメラインです」
「名を知らんな」
「踊り子の娘ですから」
「顔を上げろ」
魅了していないと示すため視線を合わせないように顔を半端に上げると、ぐにゃりと皇帝の姿が変化して人間の姿になる。思わず目を見開いた。
「ヘビの姿では驚かなかったのに、この姿では驚くのか」
腰まである白髪に赤い目そして人間離れした抜けるように白い肌。初日に聞いた姿絵のままの人間の姿をした皇帝がそこにいた。
「アリアドネ王女との関係は?」
「彼女は私の妹です」
「なぜ妹の代わりにここに来た」
「帝国に嫁げば贅沢ができると思ったからです。妹からこの結婚話を奪いました」
彼の負の感情がアリアドネにいかないように。
皇帝は何も言わずに近付いてくる。手を伸ばして私が首にかけ服の中に隠していた鎖を引き抜いた。鎖と一緒に出てきたのは彼から贈られたルビーの指輪だ。首筋を一瞬彼の指がかすめたが人間の姿になっても驚くほど冷たい。
「妹がそれほど大事か」
今はこの人を騙しきらなければいけない。もし戦争になっても妹だけは逃げられるように。
「盲目の出来損ないなど大切な訳がありません」
「そのような茶番はいい。贅沢できるという割にこれしか身に着けていないとは、なんと謙虚な」
装飾品を着ける習慣などなかったのだ。ネックレスは肩が凝る。ブレスレットなんて邪魔でしかない。
「国王を魅了してこの結婚話を奪いました。妹とは似ていますので」
「お前の妹が嫁いだのは辺境伯か」
「あのような出来損ないのことなど知りません」
すでにそこまで調べられているのか。手の震えを気取られてはいけない。
「アスター王国は俺を謀った。ゴールドバーク辺境伯の領地にまず兵を向けよ」
やめて! どうしてそんなことを! 今すぐに私を殺してアスター王国の王都を攻めたらいいじゃない!
「どうして王都から攻めないのですか? 帝国なら一日でアスター王国を落とせるでしょう?」
動揺を気取られないようにしながら、陛下に微笑みかける。そんな私を皇帝は無表情で見下ろしていた。
「俺は獲物をじわじわと追い詰めて楽しむタイプだ」
「陛下は自信がないのですか?」
「逆だ。圧倒的な自信があるからそうする。一瞬で殺すなどもったいない」
皇帝が口角を上げた。
どうしよう。彼の言葉は本当だ。彼を挑発しても意味がない。
少しの間私は考えた。妹のいる所が真っ先に攻められない方法を。そして答えが出た。それは私が今まで慣れ親しんで生き延びてきた方法だった。
「陛下。私が陛下を騙しました。私の首でどうか済ませてくださいませんか」
皇帝の足に情けなく縋りつく。彼の赤い目とかちりと視線が合った。なりふり構わず魅了をかけるが、感情が乱れてしまっていて陶器の割れる音がした。次々に物が落ち、割れて飛び散る音がする。
「どうか、妹だけは……助けて」
どうしよう、どうしよう。この赤い目を見ていると魅了がかかっている気がしない。落ち着いて。泣くな、私。しっかり魅了くらいかけられるでしょ。それしかできないんだから。こんな時に、役立たず。
私に今更泣く資格なんてないじゃないか。
まだ、あの子を守り切っていない。あの国で一番妹を守ってくれそうで、一番帝国から遠い端に嫁がせたのに。こんなところで、うっかり私が生き延びてしまったせいでそれが台無しになるわけには。
「どうか……」
震える声で魅了をかけながら口にした。惨殺されてもいい。謁見の間のヘビはいつの間にかいなくなっているが、食い殺されてもいい。
「残念だが、俺に魅了は効かない」
皇帝は足に絡ませた私の腕を引きはがした。
嘘。小さい頃はヘビにだってかかっていたからいけると思ったのに。というか、魅了がかからない人なんているの? 同時に何人もかけられないけれど、相手が一人ならかからなかったことはない。
引きはがされて床に手をつくと、磨き抜かれた床に自分の泣きそうな顔が映っている。その顔を見ていたくなくて、私はまた皇帝を睨むように見上げた。
皇帝はそんな情けない私を見ながら息を吐く。
「お前の百分の一でも俺に覚悟と勇気があったのならば、俺の弟は死ななかっただろうな」
どういう意味だろうか。意味が分からず私は何度も瞬きする。
「もう一度聞く。真実だけを答えろ。嘘をついた瞬間に殺す。お前は妹がそれほど大事か?」
「……大事です」
「どれほどだ」
「私の、命に代えても。この世で一番大切です」
ずっと言えなかった。もちろん本人にも言ったことがない。どこで誰が聞いているかも分からず、そして大切なものが自分のせいで傷つけられたら嫌だから。
皇帝はすぐには何も言わなかった。
魅了が暴発してさまざまなものが壊れ続ける音が耳に痛いのに、それよりも痛いのは彼の沈黙。
やがて腕を引っ張られて無理矢理立たされた。皇帝の冷たい手が頬を包む。美しい顔が近づくが、魅了が使えないならばときめきなどなく恐怖しかなかった。
「進軍は取り消す」
その言葉に力が抜けてその場にへたり込みそうになったが、腰に手を回されてそれは叶わなかった。
「……魅了の代償を知っているか」
「いいえ。聞いたこともありません」
「力には代償が伴う。必ず。それが世界の理だ」
彼は何が言いたいのだろうか。近すぎる距離で赤い目に見つめられ、泣かないように唇を引き結ぶ。
「魅了は精神に作用する力だ。暴発してもこれだけのエネルギーを持つ。魅了を使いすぎて行きつく先は失明だ」
「失明……」
「お前に代償がいかないならば、誰かがその代償を肩代わりしている。恐らくそれはお前の妹だ」
告げられた内容に呼吸が少しの間できなかった。やがて唇と手が震え始める。
「妹は……生まれつき目が見えなくて……代償なわけでは……」
「それだ。お前の力の代償を妹が生まれる前にすべて肩代わりした。お前は妹が生まれてからずっと守っていた。妹はお前を生まれる前に守った」
「そんな、こと」
そんなことがあるのだろうか。それなら、私が今までしてきたことは? 妹にとっては迷惑だった? 思わず視線を下げそうになるが、頬から顎に皇帝の手が移動して上を向かされる。
「後悔するな。ただのバランスだ。妹は了解したからこそ生まれてきた。お前が自分のやってきたことは何だったのかと嘆くのならばそれは俺への冒涜になる。それは許さない」
なぜ皇帝への冒涜になるのだろう。冷たい指が私の唇を撫で、その冷たさがじんじんと体中に伝わっていく。
「俺には持て余すほどの大きな力がある。ヘビの姿をとれるのもその一つ。その力のバランスを取ったのが俺の弟だ。弟は何もできないあまりにも弱弱しい存在だった。俺はバランスを知っていたから弟を守ろうとしたが、弟は殺された」
赤い目が私を射抜いている。冷たいのは彼から伝わる体温のせいなのか、這い上がってくる絶望なのかも分からなかった。
「お前の妹はアリアドネという名前だな。お前が妹を守る限り、神話の通り妹はお前のための道しるべだ」
皇帝の指が頬にまた移動して何かを拭う。知らないうちに私は涙を流していた。
「お前は目が見えたのに、なぜヘビの姿の俺を恐れなかった?」
自分が妹を守っているつもりだったのに、私が守られていた。さらに涙があふれた。磨き抜かれた床に私の涙がぽたりと落ちる。
「使用人の方々だって、陛下のあのお姿を恐れていないではないですか」
「あれは崇拝しているだけだろう。白いヘビはもともと帝国では神聖なもの。崇拝は恐怖に近い。あれらは俺のことを一人の人間や男としては見ていないだろうな」
以前も同じようなことを聞いた。
ぐいっと涙を拭われたが、一度だけでは意味がなく涙は次々に零れてくる。
「私は妹以外どうでも良かったから……」
「何度か共に過ごして、お前が盲目だと嘘をついていることは分かっていた」
「その時に処罰すればよかったではないですか……」
そうしてくれれば私は今こんなに絶望しなくてすんだのに。過去の自分の行いを正しかったと盲目的に信じて死ねたのに。
「お前のことはとっくに調べてあった。妹を守り続けたエメライン王女」
涙を流し続けている私を彼は抱き寄せる。指や手どころか彼の全身が冷たい。
「そしてヘビを使って妃たちを監視していた。まさかお前が今日死に急ぐとは思っていなかったが」
結局私は死ねなかった。生きていても意味がないと思いながらいやしくも誰かの優しさに縋り、魅了を使って生き残ってしまった。
「俺ができなかったことをなし得たお前を望むのは悪いことか?」
私の胸元で揺れていたルビーの指輪を皇帝は摘まんで目線の高さまで上げる。彼の赤い目とルビーの赤はまったく同じ色味だった。
「進軍は本当に取り消して下さるのですか」
「もともと進軍など嘘だ」
鼻をすする私に皇帝は顔を近付ける。
「最初に俺を騙したのはお前だ。だから、俺もお前を騙した」
何も言い返すことができずに唇を噛むと、皇帝は指で唇をなぞる。
「俺の姿を怖がらない妃が良かった。平気で一緒にいてくれるような偏見のない。でも、そんなお前は俺を騙していた」
「申し訳、ございません」
「調べさせたら非常に面白い。ワガママ王女かと思えばそうでもない。贅沢したいと口では言いながら俺の目の色のような装飾品一つしかつけていない」
「つけ慣れていないだけです」
「なぜ、わざわざこれを選んだ。他にもあったはずだ」
「一番小さかったからです」
「まさかお前は自分の気持ち一つ言えないのか。妹を守るばかりで」
皇帝がぐっと力を籠めると簡単に私の首にかかっていた細い鎖はプチンと切れた。そして指輪を摘まんだまま私の指に嵌める。何の抵抗もなく指輪は私の指におさまった。
「なぜ、俺の目のようなルビーの指輪のみを隠すように身につけている」
そんなこと分からない。それだけは持っていたかっただけだ。指にしていたら盗られたら嫌だった。そもそも贈ってきたのは皇帝だ。
もう一度、皇帝と視線を合わせる。指に嵌まっている石と同じ色の目が面白そうに細められた。
「ヘビ獣人は魅了を持っていて、俺の力の方が強いからお前の魅了は効かない」
「では、魅了して妃をいくらでも好きに決められたでしょう」
「それがどれほど虚しいことか。魅了持ちのお前は知っているだろう」
心当たりがありすぎて、視線を逸らす。
「騙されたと分かった時は頭に血が上ったが。この俺を騙してでも妹を守り切ったお前の生き方は美しい」
急に認めるような発言をしないでほしい。私でさえいまだに認められない自分の所業を。あげて落とされるくらいなら死んだ方がマシだ。
「陛下は騙されることが嫌いなのでしょう。処罰をしてください」
「処罰しろと言う女が、俺の目の色のような指輪を秘すように身につけている。これでうぬぼれるなと言われる方が無理だ」
認めるような発言をしないで欲しい。慣れていないから。さっきのように騙されていた方が本当にマシだ。
怖い。魅了なしでこんなことを言われるのは。真実か嘘か分からなくて大いに迷わないといけないから。魅了だったらすぐに嘘だと分かるのに。
「陛下と私はすでに書類上結婚しております。陛下の色を纏うのは当たり前のことです」
「それはアリアドネとしてか? それともエメラインとして?」
言葉に詰まった私を見て、皇帝は嬉しそうに指輪の嵌まった指を撫でた。
「お前はきっと神からの贈り物だ」
ヘビが神を語るのか。そういえばさっき神話を語っていた。
「エメラインよ。俺たちの結婚は軽すぎたと思わないか」
皇帝に自分の名前を呼ばれて体が震える。これはきっと、恐怖ではない。それでも怖い。丸呑みにされるとか、ヘビの餌にされるという恐怖ではない。エメラインとして求められるのが怖い。彼に囚われてしまったらいつ捨てられるか分からない不安できっと死んでしまう。
「結婚のやり直しをしたい」
「陛下は……後宮で愛を求めていらっしゃったのですか」
「そうだ。権力があってもそれは手に入らない。むしろ手に入りにくくなる」
「私では無理です」
「そうか? お前も俺を少なからず好きなのかと思っていた」
指をまた撫でられる。皇帝の体温は酷く冷たいのに、なぜか撫でられた箇所は熱を持った。怖い、怖い。もしも彼の言葉が嘘であったなら。あるいは未来で嘘になったのなら。魅了が効かないのだから平気で捨てられる。
「俺がお前を守ろう」
「やめて!」
思わず彼の手から指を引き抜いた。せっかく引っ込んだ涙がまた出る。
私の欲しい言葉ばかりを並べ立てて囲い込まないで欲しい。妹を守るために皇帝を騙した私を許さないで欲しい。美しい生き方なんて言わないで欲しい。
皇帝から距離を取ろうとしたが、腰に手を回されていて不可能だった。
「魅了ができないと不安か」
また手を掴まれる。皇帝はゆっくり私の手を持ちあげて、口付けた。
魅了抜きでこれほど私の欲しい言葉をくれた人はいない。彼が私の手を持ちあげているので、目線の高さにルビーの指輪が光る。
「俺たちはよく似ている。魅了なしで俺以外に誰がお前を愛す?」
「っ!」
薄々思っていたことを言い当てられて、全身が震えた。そんな私の耳元に皇帝は唇を寄せる。彼は息まで冷たい。
「他の誰がお前の痛みを分かってくれる? 誰がお前の涙を拭ってくれる? お前が無意識に魅了したからあの使用人はあの場でお前を庇ったかもしれない」
そうかもしれない。それか、私を盲目の妃だと思っていたからああいう行動に出てくれたのかもしれない。私がアリアドネとして振舞っていたから。
「俺ならお前の孤独と痛みのすべてを抱きしめられる。お前もそうだろう? 俺たちだけにしか見えない世界と言葉がある」
皇帝の唇が耳をかすめて、頬に触れ、唇に降ってきた。あまりの冷たさに震えたが、繰り返されるうちにだんだんと体温が移っていって慣れてしまった。
「だからこそお前は神から俺への贈り物だ。エメライン。そしてお前の妹がここにお前を導いたのだとしたらそれはとても美しいことだと思わないか」
涙と共にゆっくり頷いてしまった。私はその瞬間から皇帝に囚われた。
「アスター王国を攻めて、お前の異母兄弟姉妹をすべて殺してやろう。妹は必ず助けてやる。だからお前は安心して俺だけを愛すといい」
覚悟して後宮入りしたつもりだったが、私の結婚はなんと軽かったのだろう。
皇帝は人の姿をしているはずなのに私はヘビに絡みつかれて逃げられないような感覚だった。でも、きっとこれを後悔しないだろうと心の片隅で分かっていた。
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