第5話 牛頭馬頭(ごずめず)
「柤岡ァ!!」
「テメエ殺っちまうぞ、コラ!!」
不良たちは一斉に教壇へ飛び掛かった。
椅子を蹴倒し、机を押しのけ、二百人余りの剛腕が雪の体に掴みかかる。
冬木の枝を折る様な乾いた音がして、その手と手がひしゃげる。雪に触れようとした指という指が各々(めいめい)に曲がれないはずの方向へ曲がっていた。若者たちは自分の手指に走った衝撃に気付かず、一呼吸遅れて叫び声を上げる。
雪の腕が動く。不良たちの利き手を奪った一撃が、襲い掛かる敵の群れに次々と放たれる。ある者は頬を打ち抜かれ、ある者は臓腑に打突を喰らい、ある者は前歯を弾き飛ばされた。
教室は阿鼻叫喚の地獄と化した。事態の深刻さを理解した不良たちはロッカーを開き、手に手に金属バットや釘バットを持って立ち向かう。
「常々思っていたんだが、不良って『不良品』を連想させる嫌な表現だよね」
振り抜かれるバットの打撃をひらひらと躱しながら、雪が口に出す。「そういうレッテルを貼られると、ますます立ち直りづらくなるじゃない? 互いのためにならない」
机を足場に跳びあがった雪の回し蹴りが、周囲の五、六人の頭を打ち抜く。着地の瞬間を狙った敵の一撃を椅子でいなし、そのまま肩を砕いた。
「くそがァ!! 何で当たらねえんだ!!」
叫びも虚しく、ちぎっては投げちぎっては投げという形で次々と挑戦者たちが吹き飛ばされていく。壁に打ち据えられた者もいれば窓を突き破って二階から転落した者もいた。教室に持ち込んだ箒型のエアバイクのエンジンをふかした男は、その突進の勢いのまま裏拳を喰らって空中に三回転した。
あまりの一方的な展開に、怖気づいた生き残りの雑兵が悲鳴を上げ、廊下に向かって走りだした。「教室を走るなっ」雪の投擲した超高速のチョークが、逃亡者のこめかみに当たって弾け白い煙と化した。
ドアの前に崩れ落ちた学生を見て残った数人の不良たちは尻を突いて手を挙げた。「悪かった! 降参だ!」
その体が吹き飛んで教室のロッカーに激突する。逃げる生徒の足を掴んで振り回し机を破壊する勢いで叩きつける。雪の追撃の手は緩まなかった。
一か八か窓から逃げようと身を乗り出した生徒の頭を、牛頭馬頭の片割れが掴んだ。
「おい、テメエら、誰が勝手に降参して良いって言った?」
凄まじい握力に生徒は涙を浮かべて彼を見上げた。
「う、馬飼さん……。あんな化け物俺たちには無理です!!」
「根性無しが!」
馬飼が引きずり降ろした生徒の体に、雪の投げつけた椅子がぶつかる。間一髪後ろに飛び退っていた馬飼は雪を睨んだ。生徒がうっと呻き声を当てて気絶する。
「避けたか。素人にしてはやるね」
最後の雑兵の首を締め落としながら、雪が感情を欠いた声で言った。
気絶した学生が膝から崩れ落ちる。雪の前後をバットを携えた牛頭馬頭の2人が注意深く囲む。
「五頭、気付いてるかよ。こいつあの人数相手に一撃も喰らってねえぜ」
「……ああ。どころかこちらの味方は、ほぼ全員一撃で伸されてる」
じりじりと雪の周りを歩きながら、五頭が彼を睨みつける。「お前、何者だ?」
「君たちは名乗るほどの相手じゃない。これから喰われる人間に明かすほど、安い仕事はしてなくてね」
「やっぱ堅気の人間じゃねえみてえだな。本物の裏社会の住人か。……ここまで一方的に蹂躙されたのは『あの人』以来だぜ」
「筋者に目を付けられるようなことはしていないはずだ。俺たちに何の恨みがある?」
五頭がバットを握りしめながら尋ねる。
「それはこちらの台詞だね。君たちこそなぜ彼女を突け狙う?」「彼女?」「一々江だよ」
雪が苛立ったように答える。
「さんざ付け回してきたんだろう。学生の嫌がらせにしちゃ度が過ぎてるし、不良の戯れとしては回りくどい」
「こっちにも色々と事情があってな。個人的な恨みがあるわけじゃない。不運な犠牲者だと思え」
淡々と五頭が答える。
「そう」雪は目を閉じる。「じゃ、今日犠牲になるのは君たちの方だ」
倒れ伏した生徒たちを跳び越え、牛頭馬頭が同時に踏み出した。五頭が上、馬飼が下を狙ってバットを振り抜く。避ける隙間のない、打ち合わせ無しの息の合ったコンビプレーだ。
「悪いね」
鈍い音がしてバットが止まる。牛頭馬頭の顔が驚きに歪む。馬飼の放った釘バットは足の下に踏みつけられ床にめり込んで停止し、五頭が打ち据えた金属バットは片手で受け止められていた。
「お前っ、本当に人間か……?」
「どうかな。まあ流石に少し痛かったよ。そのくらいの人間らしさは残ってるみたいだ」
背後から飛び掛かってきた馬飼の顎を掴んで、雪が椅子の上に背負い投げる。座席と床に二重に打ち付けられた馬飼が喘いで肘をついた。
「凄いな、まだ意識あるんだ」雪は初めて意外そうな表情を見せた。が、即座に次の一撃で沈黙させた。「根性あったね。……あんたは何発耐えられるかな」
五頭はバットを投げ捨てると、叫び声を上げて素手で殴りかかった。雪の体が素早く動き、五頭の拳が空を切る間に六発の連打を浴びせた。
椅子を散らしながら弾き飛ばされた五頭は、明滅する意識の裏で最後の声を聴いた。
「……あんたも大した反射神経だ。数発、衝撃をいなされるとはね。でも他人に机を投げる人間は、自分の頭の心配もしなくちゃ」
五頭が最後に感じたのは、自分の頭に降りそそぐ机の冷たい感触だった。
〇
「……で、報告は以上か?」
机の上に置かれた砂時計から銀色の砂が滑り落ちていく。直立した雪を、顔の前で手を組んだ注連野が威圧的な瞳で見つめる。雪は改めて繰り返した。
「はい。一々江は『12人の怒れる男』の一人ではありませんでした。怪しいと思われていた点に関しては全て報告書の通り、説明可能です。件のバイク事故の件に関しては鴛原隊員に追跡調査を任せていますが、地勢的な偶然であったと考えるのがよろしいかと……」
「……そうか。相分かった。それにしても珍しいな、君が一般人に手を出すとは」
「申し訳ありません。彼らのあれ以上の介入は任務の障害となると判断し、独断で排除させていただきました」
「任務の障害、ね」局長が頬杖をつく。「苦竹隊員から聞いていた話と少し違うようだけど。まあ良い、彼らのような若者には、良いお灸になったかもしれないね。正直あれらには手を焼いていたんだ。この地域の、十代の荒くれ者たちを率いていた集団だ。子供らしく暴れていてくれれば、一般警察や裏社会の連中が適当にあしらってくれるんだが、近年は急に統率がとれてきて、巧妙に立ち回るようになってきていた。水面下で勢力を拡大される前に、潰せて良かった」
注連野はあまり嬉しくもなさそうに言うと、砂粒の落ち切った時計を返して続けた。「とはいえ、君には準備出来次第、また転校してもらうよ。少々騒ぎを大きくし過ぎた。教室のことは彼らの内紛という形で処理させてもらうけど、当人たちが君のことを覚えていては具合悪い。あの人数では記憶処理も少々手間だしね。いっそ君が飼い慣らしてくれると良いんだけど」
「始末書ならいくらでも書きます」
雪は彼女の目を見ずに答えた。「そういう問題じゃない」注連野が溜息をついた。
「転校先が決まるまでの間、君は教室には顔を出すな。保健室で苦竹隊員の補助作業に専念したまえ」
それから彼女は真剣な面持ちで雪を見た。
「真白隊員、君は我々の剣だ。柄を握るのは私。剣が自らを振るうことがあってはならない。君はただその刃を尖らせることを怠らず、命令通り力を行使すればいい。余計なことは考えるな」