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人獣見聞録-猿の転生 Ⅲ ・Side-B:23世紀より愛をこめて  作者: 蓑谷 春泥
第1章 ヒューマン・ロスト
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第3話 放棄

「お早う、(にのまえ)さん」

 (そそぎ)は、縁石に躓いて赤信号の車道へと飛び出しかけていた(にのまえ)の腕を、自然に捕まえて声をかけた。

「そこの縁石、誰かが悪戯で引っ掛かりやすくしていたみたいだね。気を付けて」

 雪はぽかんとする一を置いて、青に変わった横断歩道を進んでいった。少し先の方で小さく舌打ちする音が聞こえた。視線を向けると、柄の悪い不良たちが何人かたむろしていた。声をかけるのもおかしいので、雪はそのまま素通りした。


「保健室ってどこ?」

 朝礼の予鈴が鳴り出す前に、雪は祁答院(けとういん)を捕まえて訊ねた。

「中等部との連絡通路のとこ……。なに、腹痛(はらいた)?」

「いや、日直の仕事」

 雪は端的に答えつつ、窓の外から聞こえてくるエンジン音に顔をしかめた。校庭では箒のような形状の、新式の浮遊バイクを乗り回す不良たちが騒いでいる。

「噂には聞いていたけど、この辺の高校はどこもああなのか? この高校、そこそこ名門のはずだろ。ボンボンの家系にしちゃ素行が悪い」

 祁答院は肩をすくめて答える。

「近頃はどうもね。先の世界戦争から20余年……。いつまた戦争が起こるか分からないこの第二次冷戦下の緊張感、先の見えない能力主義社会、強まる権威主義……。こういう時代には得てして若者は非行に走るものさ。それに加えて今の教育格差……。僕らの上の世代あたりから、『天才の世紀』が始まったわけだけど……、肝心の学習プログラムに適合しなかった連中は、ああやって取り残されていくんだよ」

「後天的に天才を作る画期的教授法、の弊害か……。脳の構造上、適合しないタイプの人間が5%はいると聞いてたけど。……彼らに頭はいないのか」

「いるよ。二年の五頭(ごず)(みのり)馬飼(うまかい)(おびと)通称牛頭(ごず)馬頭(めず)一派。二年にしてこの学校の不良共をまとめあげてる、関東でも指折りの不良さ」

「ふうん」

 雪はさして興味の無いような素振で相槌を打ち、教室を後にした。


 保健室のドアをノックすると、中から若い女性の声が聞こえてきた。自動式のドアがするりと横に開いて、ツンとした消毒液の香りが鼻腔をくすぐった。雪は名簿を脇に抱えたまま入口でしばし立ち止まった。

「あら……、やっと来たのね、雪くん」

 くるりと丸椅子を回してこちらに振り返った彼女が言った。雪は僅かに目を見張って言った。「苦竹先生」

 葎は軽く微笑むと手招きして雪を招じ入れた。入口のドアが音もなく閉まる。

「もう一人の捜査員……って、苦竹先生だったんですね」

「ええ。あなたの補助と潜入の手引きのために、三ヶ月程早く潜入していたわ。もっともメインで動くのはあなただから……、私は力添えをするだけよ」

 葎は雪の差し出した名簿を受け取りながら続けた。

「それにしても随分待ったわよ。あなた、全然保健室に顔を出さないんだもの。まあ、怪我もしないし当然か」

「にしても、よく入り込めましたね」

「理事長が公安の息の掛かった人間なのよ。……進捗はどう?」

 (にのまえ)のことだと分かった。

「白に近いグレーといったところですね。妙な集団に目を付けられてますが、当人は普通の人間です。少し浮世離れした所はありますが……」

「そう……。引き続き監視をよろしくね。ところで、あなたに追加任務を持って来たわ」

「追加任務?」

 雪は眉を上げた。葎は肯いて資料を渡す。薄型のマイクロチップに入ったデータだ。雪は腕時計の隙間にそれをはめ込み、投射する。いくつかの地図と人相の悪い男たちのデータが浮かび上がった。

「違法賭博……、裏カジノの情報ですか。規模は大したものですが……、こんなものそれこそ公安に任せておけばいいでしょう。いや、僕らも公安の一部ですけど」

「そうもいかないのよ。この一件には11(ごう) ……、改造人間(モンキーズ)の一人が関与してる疑いがあるわ」

 雪は眉を上げた。「僕と同じ、12人の怒れる(トゥエルヴ・モンキーズ)の一人……。在野に紛れた連中の一人ですか」

「ええ。残間(ざんま)(あい)、30歳……。性別は男、能力の設計図(コンセプト)は不明。闇カジノのオーナーとして裏社会の権力を掌握しつつあるわ……。現在調査進行中だけど、もう少し準備が整ったら、あなたに出向いてもらうそうよ。それまでにデータを読み込んでおくこと」

「了解です」

 雪は神妙に肯いた。「それからもう一つ」葎が指を立てる。

「三枚目のファイルを確認しておいて。一ちゃんの追加資料が入ってるわ」



(にのまえ)(おなじ)……、一々江の母親か」

 放課後、校舎裏の片隅にうずくまりながら、雪は中空に浮かべたファイルをスライドさせた。遠くから一定のリズムで放たれる矢の音が空気を震わせる。学園の弓道場が近くにあった。

「旧姓は(にゃく)王子(おうじ)。10年前に離婚しており、現在は海外で芸能事務所を運営している。元舞台女優か……」

 にのまえもちょっと人目を引くような美人だ。母親譲りと言うことだろう。雪は画像をスワイプさせた。古い記事の画像が目に飛び込んで、指が止まる。

 育児放棄……、とある新聞の芸能欄に並んだ四文字が紙面に踊る。

「——近年映画業界にも活動の手を広げている女優、一(おなじ)(旧姓・若王子)が、ネグレクトの疑いで児童相談所の介入を受けていたことが先月15日、明らかとなった。保護された8歳の少女はやせ細り、衰弱した様子で、真冬の冷気の中暖房も付けず毛布にくるまって震えていたという……」

 また記事には円満だった結婚生活が、出産後から徐々に悪化し、最近では夫婦喧嘩で通報沙汰にまで発展したいたと報じられている。踊理の精神状態は不安定で、いくつかの出演予定だった舞台を降板させられていたらしいと記事には記載されていた。

「一の家庭環境ね。こんな情報を何の参考にしろと言うんだか……」

 雪は自販機で買ったレモネードを飲み干すと、人より強い握力でぎゅっと空き缶を握りつぶした。そのまま右手を掲げて、数メートル離れた屑籠へ缶を投げ込んだ。

「良い腕だ」

 背後からかかった声に、雪は顔を上げた。華やかな音を立てて籠の中へ納まった缶の方を見て、雑草のような髪色の筋肉質な中年の男が手を叩く。雪はそっとファイルを閉じて彼を見上げた。

「えーっと、何とか先生……」

(あと)(ぼし)(ちゅう)先生だ。担任の名前くらい覚えろ」

 彼はそういって無骨な掌で雪の頭をわしゃわしゃと撫でた。雪は軽く声を上げながらも、彼の気さくな態度に好意的な笑みを浮かべた。今年赴任してきた教師らしいが、人柄の良さで学年の皆に好かれていた。雪もまたフランクな父親のような彼の接し方は嫌いではなかった。

「良い腕前だな、真白(ましら)。どうだ、うちの弓道部に入らないか?」

 彼は熱心な目で雪を勧誘した。そういえば跡星はまだインターハイが存在していた頃、三年連続で全国制覇を遂げた優秀な選手だったと祁答院が言っていた。

「空き缶を投げ入れただけですよ。誘うならどっちかといえば野球部でしょ。それかバスケット」

「そうか? 的を狙って当てるのは一緒だぞ」

 彼はポケットから出した丸めた煙草の空箱を、サイドスローで投擲した。

 風の抵抗を受けて軌道を変えながら、空き箱は見事に屑籠の中に吸い込まれていった。

「おお」

 思わず雪は手を叩いた。「すごいコントロールですね。燃えるゴミの箱ではなかったですけど」

「しまった」

 跡星は小走りに空き缶の籠の方へ駆け寄っていった。「……そういや、(にのまえ)を見なかったか?」

 燃えるゴミに空き箱を入れ直しながら跡星が尋ねた。

「さあ。この時間なら花壇じゃないですか」

 彼女の行動を把握しているのも不自然か、と思い直し、雪は付け加えた。

「さっき如雨露を持って歩いてる姿を見かけたんです。たしか彼女、美化委員でしたよね。……どうかしたんですか?」

「いや、さっき教室に行ったら、あいつの机と椅子が無くなっててな。気にかかったものだから。花壇か……、校舎の反対側だしな。明日にでも聞くか」

 弓道場に入っていった跡星の背中を見つつ、雪は何か胸騒ぎがして立ち上がった。駐車場を抜けてピロティの下をくぐると、遠巻きに、不良たちがスプレーで壁を彩っているのが見えた。

「そろそろ行かねえとヤバいんじゃねえか?」

 しゃがみ込んでいた一人が時計を見ながら言った。

「何が?」

 別の一人が聞き返す。時計から目を上げた一人が彼の肩を小突いた。

「忘れてんじゃねえ、これから西棟の大教室で総会だろ。遅れてみろ、牛頭馬頭(ごずめず)さんにどやされんぜ」


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