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人獣見聞録-猿の転生 Ⅲ ・Side-B:23世紀より愛をこめて  作者: 蓑谷 春泥
第1章 ヒューマン・ロスト
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第2話 公共伏魔殿

 初春と言えどまだ肌寒く、桜も蕾から出ることを躊躇うような四月の空を、(そそぎ)は教室の窓から眺めた。感傷に浸るつもりはなく、窓の反射を利用して、さりげなく教室全体を観察するためであった。

教室は入学式を終えた生徒たちで賑わっている。中高一貫の私立校というだけあって、既に関係値の出来上がっている人間も多いようだ。一人でいるのは自分と同じ高校からの入学組か、柄の悪い連中である。

 雪はライムイエローの髪を目で探した。理事会に圧力をかけるのは、国家権力を笠に着た治安維持局にとって、造作もないことである。間が悪く式のタイミングでは出会わなかったが、標的とは同じクラスに配属されているはずだった。(にのまえ)(のまえ)……、第一の改造人間、その疑いのある少女……。

「正確には元・第一号だ」

 雪は昨日局長の言葉の続きを思い出す。

「仮に彼女が被検体だったとしても、既に力を失っている公算が高い。先の事故、旧エデン製薬が絡んでいたとして……、なんらかの理由で不都合な存在となった彼女を排除するため、彼女を拉致し再手術を施して力を奪ったのではないか、というのが我々の想定したシナリオだ。……とはいえ、一号の能力は世界を破滅させかねない凶悪なものだ。少しでも力を取り戻す可能性があるのなら、迷わず殺せ」

『背中になにか衝突(ぶつか)る音がした』。雪は現在に意識を引き戻された。数日ぶりの「予知」だった。雪に与えられた改人としての固有能力……、数秒先の未来を、五感で先行体験する力だ。彼は自然な動作で振り返る。音がした方向に制服の裾が揺れて、雪の差し出した腕の中に倒れ込んできた。雪は危うげなく、予知通り転倒した女の子を抱きとめた。

「大丈夫……」

 言いかけた言葉は、呑みこんだ息の中に消えた。

 目の前に広がっていたのは天使の翼のような柔らかな髪だった。薄紫の繊細な瞳は驚きに見張られ、プラチナブロンドの長い睫毛の間からこちらを覗いている。一瞬彼は任務のことも忘れ、その少女の姿に見入った。

「……あの」

 腕の中で彼女が身動(みじろ)ぎする。彼ははっとして慌てて彼女を解放した。「えっと、ごめんね」少女は少し困ったようにはにかんで、彼の脇を通り過ぎた。

 ごめんね、か。雪は耳に残った少女の言葉を反芻して考えた。感謝より謝罪が先に出てくるタイプなんだな。

 それから少し遅れて、今の少女が自身の標的(ターゲット)であったことに気付いた。


「あれが『12人』の最上位?」

校庭の隅から遠巻きに標的を眺めつつ、雪は首を傾げた。邂逅から二週間、日に日に彼の戸惑いは大きくなるばかりだった。

 (にのまえ)はどう見ても一般人だった。というより、普通の人間よりも鈍いように彼の眼には映った。彼女は一日に一回は危ういミスをやらかした。階段を踏みはずし、赤信号に飛び出しかけ、理科室で天井を焦がした。ドジっ子というほとんど死語になりかけた21世紀の言葉が、彼の頭をちらついて悩ませた。

「というよりか、不幸体質だね。あれは」

 教室で昼食を食べていると、訳知り顔で祁答院(けとういん)伊舎那(いざな)が答えた。入学初日に馴れ馴れしく話しかけてきていつの間にか雪の隣に収まってしまった調子の良い男だった。一年生にして生徒会長を務めている妙な男で、長身の爽やかなルックスと、パーマをあてたグレーと薄紫の髪が特徴的だった。

「不幸体質?」

 雪は聞き返した。祁答院が肯き返す。「雪君は知らないかな。内部生の間ではけっこう有名だよ。彼女、見ての通りしょっちゅう何かに巻き込まれてるから」

「んな非科学的な……」

 雪が言うのと、教室の壁掛け時計が一のすぐ後ろに落ちてくるのが同時だった。ほら見ろといった表情で祁答院が目配せした。「だから皆彼女に近寄らない」

「しかしあれでよく、今日まで生きてこれたな」

 背伸びしながら時計をもとの位置に戻す一を見ながら、雪は言った。祁答院はもはや興味を失ったように雪の弁当から唐揚げを掠め取っていた。

 翌週、休日のショッピングモールをぶらつきながら雪は、捜査に嫌気がさし始めている自分に気付いた。言うまでもなく標的の尾行のためだったが、買い出しついでに(まみえ)もついてきていた。

休日ながら学園からほど近い駅前のモールには、制服姿の学生もちらほらと散見された。部活帰りなのか私服センスが無いのか、などと失礼な二択を考えながらも、無精で自らも制服を選択していることは棚に上げていた。

 ともあれ、自身の珍しい感情に気が付いた彼は、我ながら少しく愕然とした。「仕事」はもはや彼の生活の一部として馴染んでいた。好んで手を汚しているわけでは無いが、かといってもはやそこに痛痒すら覚えないほどには日常だった。

「珍しいね、君がそんなことを言うなんて」

 猫耳だか犬耳だか分からないカチューシャを掛けながら、見が言った。「(むぐら)先生に似合いそうじゃないか?」彼の真剣な問いかけを無視して玩具を棚に戻しながら、雪が返す。

「……彼女(にのまえ)、見ていてハラハラするんですよ。僕は予知があるから特に……。数秒後に彼女の身に何が起きるか分かるんです、彼女の鈍感さには嫌気がさしますよ」

 見はカチューシャを名残惜しそうに見つめている。仕方なく雪はツッコミを入れる。「……苦竹先生も25、6ですよ。さすがにきついですって」

「いや、(むぐら)先生なら何を付けても可愛い」

 見が熱っぽく言うので雪は溜息をついてカチューシャを手に取った。商品に残った残留思念……記録の残滓を遡る。「……これ、先輩の前にここの店長が着けてましたよ」

「サイコメトリーはずるいよ」見がしゅんとした顔で言う。こうしてみるとほとんど女の子にしか見えない。「店長の親爺に恨みは無いが……、葎先生の御髪(みぐし)に頂くのはやめておこう」

雪は同じフロアのペットショップに入っていく一に視線を向ける。かなり距離があるが、改造人間の視力には問題にならない。

見はふざけたデザインのサングラスに手を伸ばして続ける。

「しかし彼女……、一々江ちゃんと言ったかな。僕にはそんな鈍いようには見えないけど」

「まさか。勘が良ければあそこまでトラブルに巻き込まれてないですよ。いっそ不幸体質って説明に納得したいくらいだ」

「ふむ。存外それが一号の能力なのかもしれないけどね。ちょうど確率操作のような……。改造人間なら、それだけの事故やトラブルでも無傷というのも説明がつく。……しかしそうとすれば、君は彼女を始末しないといけないわけだ。辛い立場だね」

「別に辛くは……」

 雪の言葉を、見は外したサングラスの蔓で塞ぐ。

「僕からすれば、君は自分に言い聞かせているように聞こえるよ。任務の心苦しさを、彼女への苛立ちとして誤魔化そうとしてる。未来が分かっているなら、君が守ってあげたらいいじゃない。学園に潜入してるのは君だけじゃないんだし、無理しなくてもさ」

「しかし、対象との過度な接触は……」雪は不服そうにサングラスを退けた。「っていうか、商品を口に付けないでください」

「買えば問題ないのだよ。(そまり)後輩に売りつけてやろう。雪君の唇が触れたものと知ったら卒倒するよ」

「後輩隊員で遊ばないでください」

 雪は自分の財布を出して彼を止めた。


 (にのまえ)が別のフロアに移動したので、雪は見と別れ後を追った。ドッグ・フードを抱えた(にのまえ)は、二フロア分続いている眺めのエスカレーターの、上の方にいた。もうそれなりに暖かい気候だというのに、変わらずマフラーを巻いているので見つけやすい。後ろに人が居なかったので、ばれないように一階分の距離をとって、雪もそれに乗った。

 階段にあいつが居ると肝が冷えるな、と雪は思った。この高さを転げ落ちたらさすがに危ないぞ。……そういえばそんなタイトルの漫画があったな。ぼんやり考えているうちに雪の脳に、『数秒後に転げ落ちてくる一の姿が見えた』。

「言わんこっちゃない」

 雪は溜息をついた。一の足場は次の階に到達しようとしている。その前にころころとテニスボールが転がって来た。スポーツ用品店でも近くにあったか……、ともかく、あれを踏むんだな。雪は予想した。

先ほど脳に届いた未来の映像が、頭をよぎる。結構な音だったな。自分に衝突するということは、一階分の段を転落してくることになる。もし改造人間なら、無傷で済むだろう。これではっきりするわけだ。好都合ではないか。

……しかし。一瞬の間に雪は逡巡する。もしそれが我々の思い過ごしで、彼女が普通の人間だったとしたら……、彼女はかなりの怪我を負うはずだ。だが、対象に接触するのは……。

「あっ」

テニスボールに足をとられた一の身体が、小さな悲鳴とともに宙に浮く。思考とは裏腹に、雪の体は反射的に階段を駆けあがっていた。

二十数段を一足飛びに駆け抜けた雪の肉体が、彼女とエスカレーターの間に滑り込んだ。片足で手摺を捉えてバランスを保ちつつ、彼女をしっかりと抱きかかえていた。

あ、と思ったがもう遅かった。彼女にばっちりと顔を見られてしまった。というよりそれ以前に、つい助けてしまった。

 上昇するエスカレーターにフロアの上へ押し上げられ、雪は彼女を床の上に抱き起した。彼女は一瞬何が起ったか分からないという顔をしていたが、すぐに焦点の定まったような目で名前を呼んだ。「えっと、……真白(ましら)くん?」

「人違いです」

 そそくさとその場を立ち去ろうとした雪の袖を、一が掴む。

真白(ましら)(そそぎ)くん……だよね。同じクラスの」

 隠し通すのも苦しかった。雪は観念して振り返り台詞を読み上げるように答えた。

「……ああ、そういう君は同じクラスの(にのまえ)さんじゃないか。奇遇なこともあるものだねえ」

「……」

 一は不思議なものを見るように彼を見つめている。雪は視線を逸らした。

「すぐわかった。雪くん、最近どこにでもいる」

「……同じ学園の生徒なんだから、この辺で遭遇するのは当然さ」

 雪は少し素面に戻って答えた。まさか気付かれているとは思わなかった。ぼんやりしているようで、意外と周りが見えてる。しかし……、それならなぜこの程度の事故、避けられないんだ?

 一が軽く首を傾げる。無害な仕草が小動物的だ。小さな口が開く。「……ストーカー、とか」

「なっ、ス、はっ?」

雪は動揺して聞き返す。考えてみれば、そうとられてもおかしくない言動だった。いかん、しかし任務がバレるよりは不審者の方がマシか? いやさすがに駄目だ! 人として! 健全な青少年として!

慌てふためいている雪を見て、一は小さく笑った。「変な人……」

「いや、けっして怪しい者ではないです! 断じて変質者とかそういうあれでは……」

「そうじゃなくて」

 一は頭を振った。「雪くん、のまえのこと嫌ってるのに二回も助けてくれた。だから、不思議な人」

「……嫌い?」

 雪はぽかんとして口を開けた。一はこくりと肯いた。「別にいいよ」

 殺気を読まれていたことに気付いて、雪は固まった。たしかに殺意や敵意に敏感な奴はいる。油断していなかったと言えば嘘になるが、それは普段から暗殺や襲撃の危険に身を曝しているような特殊な環境に置かれた人間の性質だ。まさか彼女がそこまで気取(けど)るとは……。

 言葉を失っている雪の沈黙を肯定と捉えたのか、一は言葉とは裏腹にほんの僅かだけ残念そうな顔をすると、踵を返した。

 引き留めるのも不自然だ。遠ざかる一の姿を見つめながら、雪は考え込んだ。やはり彼女は何かの能力者なのだろうか?

 こつんと足に当たる感触に、彼は下を向いた。さっきのテニスボールが跳ね返っていたのだろう。床に転がっている。

……にしても、何でこんな所にテニスボールが?

 雪は辺りを見渡した。このフロアにスポーツショップは見当たらなかった。

 彼はおもむろにテニスボールを握りしめ、サイコメトリーを始める。テニスボールに残った記憶の本流を遡った。

「……そういうことか」

 物体に宿った記憶の残り香を捉えた彼は、そっと目を開いて呟いた。



「やあ、おまたせ」

 買い物袋を提げた見が雪の前に現れる。「オペレーターも大変だよ。こんな雑用もこなさにゃならんのだから。伏魔殿ももう少し人を雇うべきだよね」

「見さん、分かりましたよ」

 雪は真剣な表情で言った。「何が?」見が首を傾げる。

「『ころり転げた木の根っこ』、です」雪が彼の目を見て答えた。

「何だっけそれ、漫画?」見が記憶を探るように頭を捻った。「……分かった、藤子不二雄の短編だ。前に雪君に借りたやつだね。たしか、大事故に繋がりそうな日々の些細なアクシデントを積み重ねることで、殺したい相手が事故死する確率を底上げするっていう……。それがどうしたの?」

「不幸体質の真相ですよ」

 彼はテニスボールを鞄から出して言った。「一連の(にのまえ)の事故やアクシデント……、全部裏で手を回してた連中がいたんです」


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