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人獣見聞録-猿の転生 Ⅲ ・Side-B:23世紀より愛をこめて  作者: 蓑谷 春泥
第1章 ヒューマン・ロスト
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第1話 白衣の彼女・美少女な彼

「数値は安定してるわね」

 被検体の検査結果の資料を繰りながら、苦竹(にがたけ)(あおい)が言った。白衣の裾から伸びた白く細い手が、真白雪の生体データをなぞる。雪は細々とした計器の並ぶ部屋に響く規則正しい秒針のリズムを聞きながら、ぼんやりとその端正な横顔を眺めた。瑞々しく若い肌に知性的で涼し気な目元、緩いウェーブのかかったダークブラウンのミディアムヘアをかき上げる仕草が、少し色っぽい。

 濃い紫の瞳が、ぱちりと雪の視線を捉える。雪は目を逸らし、壁に張り巡らされたよく分からない機械を見ているふりをした。

「このところ任務続きだったけど、よく眠れてる?」

「なるべく睡眠時間は確保するようにしてます。リズムも安定してる」

「それは結構。夢は?」

「相変わらず……」

 首を横に振って雪が答える。「予知夢の兆候は無し」葵は呟きながらメモをとる。

「食事はきちんと摂りなさいね。前見たく補給食ばかりじゃダメよ」

「改善してますよ。アパートの近くに朝から開いてる定食屋があって、そこにお世話になってました。瀬戸の海を一望する感じの良いテラスがあって、天気のいい日はそこで朝食を摂ったものです」

 良い街でしたよ。遠い目で語る雪の顔を見て、葵は少し気の毒そうな表情をした。

「申し訳ないわね、せっかくお気に入りの場所が出来たところで、また呼び寄せてしまって」

「いえ、仕事ですから。東京の方が住み慣れてますし、知り合いも多い」

「そう? なら良かったけど。こちらとしても、気軽にメンテナンスに来てもらえるのはありがたいわ。前線での過激な任務に従事する、あなたたちをケアをすることが、私の仕事だからね。それに次の任務は、負荷も大きいだろうし……」

「負荷?」葵の言葉に、雪は鋭い目で聞き返した。「相手が、同じ歳頃の学生だからですか」

雪は「仕事」をする時の目つきになって言った。

「今さら躊躇いませんよ。十一の時からこの仕事を続けてるんです。……相手が誰だろうと同じですよ」

 無表情に答える雪の言葉には、先程まで見せていた年相応の素朴な響きは認められなかった。それはまるで疲れ切った大人のような無機質な口調だった。

 雪は壁に投射された秒針のシルエットに目を移すと、やおら鞄を抱えて腰を上げた。

「……時間なので、もう行きますね。次の任務の件で、局長に呼ばれているので」

 それからまた少年の顔に戻って言った。「また来ます、苦竹先生」


 扉を抜けると、廊下の角から出てきた人影が呼び止めた。「やあ、(そそぎ)くん」

 雪は足を止めてその大人びた女性的な声のする方を振り向いた。黒のメッシュとインナーカラーの入った青の長髪が、黒のカーディガンを羽織った制服の背中で揺れている。パツンと切られた前髪は銀色がかった水色のヘアピンで止められ、同じく透明感のある空色の瞳がこちらを見ている。息を呑むほどの美少女……もとい美少年だ。

(まみえ)先輩……。昨日ぶりですね」雪が応じる。

「インカム越しだけどね。雪くんが実働だと仕事が楽で助かるよ。(そまり)も担当したがってた」

「ああ、袈裟(けさ)(まる)ですか」雪が後輩の名前を挙げる。「まあ僕が言うのもなんですが、あいつもまだ中学生ですし……、あまりオペレーター業務も増やせないでしょう。上が渋るし……、あと、あの子と組むと僕がやりづらい」

 後輩への憎れ口を(まみえ)は苦笑しながら受け止めた。旧家の令嬢、もとい子息らしい上品な笑いだった。

彼はふと思い出したように手元の白いA4サイズの封筒を手渡した。

「これを渡しに来たんだった。新しい高校の入学書類だよ。もう手続きは済ませてあるけど、入学式まであと二日しかないから、諸々の準備を済ませといてね」

「了解です」雪は封筒の口から資料を覗き込みつつ答えた。「……入学式か」

「どうかした?」侘し気な表情の雪に見が尋ねる。「いえ」

 雪は封筒を鞄に押し込みながら答えた。「ただ、高校ってどんな所かなと思って。見さんはどんなでした?」

「どうだったかな。僕一年で飛び級して卒業しちゃったからねえ」

「ああ、そういやそうでしたね。……じゃあ何で制服着てるんです? ご丁寧にネームプレートまで付けて」

 「(おし)(はら)見」と印字された銀のプレートが彼の胸には掛かっていた。

「一年で捨てるの勿体ないじゃん。まだ年齢的には高3だし」

「セーラー服なのは」

「かっこ可愛いだろ?」

 見がふふんと鼻を鳴らして答えた。

「……と、君は注連野(しめの)局長とミーティングがあるんだったね。急がなきゃだ」

「ええ。まだ2分ありますけど」

 雪は一礼してそう答えた。

 黒檀の重厚なドアをノックすると、中から応じる声が聞こえた。ドアノブを捻る。

「……定刻通りか。相変わらず時間に忠実だな」

「ご存知の通り、体内時計がすこぶる正確なもので」

 雪は少し冷たい視線を返しながら答えた。「かけたまえ」局長が椅子を示す。デスクの目の前には応接室のようなガラス製の机と、それを挟んで一組のソファが並んでいた。

 座り心地の悪いソファに雪が腰を下ろすと、局長も自席を離れて対面に座った。まだ三十そこらのはずだが、組織の束ね役らしい威厳がある。溶け込むように薄紅色のメッシュの入った水色の髪は少し疲れたようにほつれ、心なしか色褪せて見える。髪に隠れていない方の、吊り目がちな桜色の眼の下にはぼんやりとくまが浮かんでいた。雪はその顔を黙って眺めた。

 局長が鎖の付いた懐中時計型の携帯コンピュータをテーブルに乗せ、薄緑のガラスをなぞる。液晶画面のように電子ファイルが浮かび上がる。彼女はタッチパネルのようにそれを操作して、数枚の資料を広げた。一枚の顔写真を中心に放射状にデータが並ぶ。

「……これが今回の標的(ターゲット)ですか」

 雪は静かに目標の顔に視線を注いだ。自分と同じ年頃の、いたいけな少女だ。肩まで伸びたクリーム色の長い髪をハーフアップツインに束ねている。額を隠すざっくり切った前髪の右側に白っぽい髪留めを添えている。薄紫の瞳は困ったように垂れ下がり、遠くを見つめるようなぼんやりした表情を浮かべている。望遠レンズで隠しとったのか、薄手のマフラーに顔を埋め交差点を独り歩く、どこか寂し気な姿が映し出されていた。

「年齢は君と同じ15歳。この春から更科高校の高等部に内部進学することになっている」

(にのまえ)(のまえ)。変わった名前ですね、当て字だし。両親は離婚して、現在は外交官の父親の家で暮らしている。庭付きの広い一軒家で、室内で大型犬も飼ってる。……暮らし向きは良さそうですね」

「ああ。もっとも父親は海外出張が多い役職らしく、ほとんど一人暮らし同然のようだ。三親等まで洗ったがエデン製薬との繋がりは無かった」

「なら何が問題なんです?」

 雪はソファに深く腰掛け直して尋ねた。

「ある調査対象を追っているうちに偶然行き着いたのだがね……、きっかけは三年前に都内で起こった、とあるバイク事故だ。かなりの被害だったようで、証拠品のバイクは大破しナンバーも識別できないほど。運転手は逃走し行方知らずと来てる。爆音を聞きつけた付近の住民の通報で警察が駆け付けたが、バイクの轍は横断歩道の真ん中で途切れ、どうも人身事故のようだったが、被害者が見当たらなかった。付近にそれらしい報告もなく、公道に迷い出た動物との接触ということで片付けられた。ところが数日後、現場付近で奇妙な捜査報告があった」

 彼女はさらに続ける。

「心身薄弱状態の少女が保護されたんだ。初めは事件性を疑った警察だったが、外傷もなく着衣にも乱れが無かったことと、薬物やアルコールの反応も検出されなかったことから、事件性無しとして程なくして彼女は解放された。当然数日前のバイク事故の事が彼らの頭をよぎっただろうが、事件から数日後のことであるし、怪我もない様子から関連性は見出されなかったらしい。しかし彼女は奇妙な発言を残している」

 彼女は一呼吸おいてまた続けた。

「自身の名前や住所ははっきりと答えられた彼女だったが、唯一日時だけに混乱が見られたんだ。彼女が答えた日時はちょうどバイク事故の起った日時と合致していた。こちらで彼女の学校の出席記録を調べてみたが、ちょうど事故から彼女が発見されるまでの間、彼女は無断で学校を休んでいる。まるで神隠しみたいな話だろう?」

「この23世紀に神隠しですか。で……その少女というのが、(にのまえ)(のまえ)だったと」

「そういうことだ」

 彼女は肯いた。

「そこまでは分かりましたが……、それとエデン製薬とがどう関係してるんです?」

「君もよく知っているだろう、『12人の怒れる(トゥエルヴ・モンキーズ)』のことは。あれは三年前から散り散りになっていて、その後の足取りが不明な者も多い。中でも被検体第一号と第二号は、既に消息不明だ。二号に関しては南極大陸への移動記録が残っているが……」

「と、いうことは……」

 固唾を呑む。局長が肯いた。

「ああ。彼女は序列最上位……、被検体第一号の疑いがある」


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