第27話 ネバー・レットミー・ゴー
「苦竹先生、一体何が……」雪が時計に向かって叫ぶ。
「おい、一、しっかりしろ!」
「……のまえを殺してほしいの、雪くん。雪くんが良い」
「なんでっ、そんな……」
「彼女の考えは、あながち間違ってないわ」
葎の声が腕時計越しに伝わる。「我々は遅すぎたのよ。エデンとのリンクは完全に途切れている。でも力の過剰供給に精神のコントロールが追いつかなくなり、意識を取り戻してなお能力を止めることができなくなっている。彼女もそれを理解しているわ」
「……止める手立ては無いのか?」通信の向こうで、注連野の問う声が聞こえる。
「オフにできなくなった機械を止めるのと同じ要領よ。本体のプラグを電源から引き抜き、強制終了させる。つまり、」葎がきっぱりと明言する。「殺すしかないわ」
「馬鹿な!!」雪があえぐように否定する。「局長……、他に手があるはずです。僕に命令をください。教えてください、僕は……」雪は泣きそうな顔になって繰り返す。「僕はどうすればいいんですか……?」
数秒の沈黙が続く。注連野がぽつりと告げた。「殺せ、真白隊員」
「局長!」
「これは命令だ。……最初からそうだったはずだ、君に与えられた任務は彼女の暗殺。本分を思い出せ。君は何も考えず従っていればいい」
「なんで……、どうして僕にそんなことさせるんだよ! 彼女が何をしたって言うんだ? ……僕の何がいけなかったんだ? 僕たちは生きてちゃいけないのかよ!!」
「それは違う、雪……。私は君を……」
「何が違うって言うんだ!!」
雪は風の中に叫ぶ。「あんたは僕を捨てたじゃないか! 世界から置き去りにされた子供にできるのは……、自分たちを守ることだけなんだ!!」
叩きつけられた時計が床の上に跳ねる。ひび割れた文字盤が銃の横に落ちて、細く注連野の声を伝えた。「……雪……! 応答しろ! 既に他の隊員を向かわせてる。どのみち彼女は……」
「雪くん……」
のまえが紅と水色の目で雪を見つめた。雪はその美しい両の眼を見つめ返し、彼女を抱きしめた。「僕は君を殺さない。殺したくないよ。たとえ君にだって殺させやしない」
「でも……」一は彼の背中を赤子のように掴んで言った。「のまえ……、もうどうしていいか分かんないよ。のまえは悪い子なの。罰を受けなきゃならないの。もう誰も傷つけたくない。もう誰にも、傷つけられたくない……! 苦しいよ……。死んじゃいたいよ。雪くん……」
「良いんだよ、のまえ」雪は彼女を抱き寄せる力を強くして答えた。「自分を責めなくていいんだ。君は悪くない。ただこの世界が……、そういう風にできているだけなんだ。君に罰も赦しもいらない」
雪は身体を離して、彼女の両肩を掴み、涙に濡れたその瞳を見据えた。「もう誰にも傷つけさせないから。たとえ現実が変えられなくても……、視える未来に希望がなくても……、僕が君の生きる意味になる。僕はそれを『僕』の意味にする。だから……、君と一緒に生きさせてくれないか」
「雪、くん」彼女は睫毛を揺らした。雫が落ちて膝を濡らした。瞬きを終えた時、彼女の瞳にはもう一人の彼女が宿っていた。「……君は本当に優しいね」
「ニノマエ……」
「でも、世界の全てが優しいわけじゃない。この場を治めなければ……、彼らは納得してはくれないだろう。皆大人だからね」
ニノマエはすっと指を伸ばした。風に運ばれて、どこからともなく切れた鎖が転がってきて、雪の腕と脚に絡みついた。ニノマエは足元に転がった銃を掴んだ。「何を……」雪は虚を突かれたような顔をした。そしてそこから先に待ち受ける未来を視て身をよじった。
「なに、ただ一々江という存在を、本来の形に戻すだけだよ」ニノマエは銃口を己のこめかみに突きつけて言った。「もう弾は出ないから、スタンガンとして……。脳に直接電流を流す。ショック療法……、古いけれど、私なら多分上手くやれる」
「待て、危険すぎる……。もう君は能力を制御できないんだ」
「オフにはできないけれど……、ささやかな確率を操作をするくらいなら、今の私にもできる。能力を司っているのは私だ。私という人格が消えれば……、この力も消えるかもしれない。そうすればこの天変地異も止まるはずだ。のまえの死の欲動を昇華させつつ、誰も傷つかないで済む方法……。私達にはもうこれしか、残されていないんだよ」
「駄目だ、それじゃ君が犠牲になるじゃないか! 言ったはずだ。君も一々江であることには変わりないって……」雪はどうにか鎖をちぎろうとする。しかし既に限界を越えて稼働していた筋肉は虚しく収縮を繰り返すばかりだった。ニノマエは微笑む。
「心配いらないよ、雪くん。私は本来生まれるはずのなかった人格だ……。ただあるべき形に戻るだけ。それに上手くいけば……、私の感情や記憶も……、形を変えてのまえの中に残り続けるかもしれない」
「……っ、僕に、できることは…………無いのか?」雪は口惜しそうに唇を噛む。己の無力さを、未熟さを噛み締めるように、強く。
「傍にいてくれるだけで、十分だよ。……ありがとう、嬉しかったよ、君が私を一々江として認めてくれて」
彼の瞳に自分の姿を映す。
「私はのまえの偽物だと思っていたけれど……、君が私を本物にしてくれた。君のそういう所が……」ニノマエは言いかけて、ふと笑った。「……いや、これは私から言うべき言葉じゃないな」
「っ、ニノマエ……」
雪の言葉は夕立に流されて消えていく。不意に風が凪ぐ。彼女はまた朗らかに微笑んで、引き金に指をかけた。「さよならは言わないよ」
真っ白な部屋の中に小さな閃光が走り、そして消えた。




