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人獣見聞録-猿の転生 Ⅲ ・Side-B:23世紀より愛をこめて  作者: 蓑谷 春泥
第3章 フールズ・ゴールド
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第26話 罪と罰

「カメラの映像が途切れたぞ! 状況はどうなってる!」

 椅子を退けるようにして立ち上がった注連野が叫んだ。「ドローン一台が破損! 他二台も爆風で音声受信部が損傷した模様! カメラは無事ですが煙で何も見えません」

 見がキーボードの上に指を踊らせながら応じる。

「インカムは?」

「無事です。電波は通じています」

「私の通信に直接繋げ。映像も中央スクリーンに投射しろ」

 注連野は懐中時計を取り出し、即座に通話機能に切り替えた。

「真白隊員……! 真白隊員、応答しろ! ……(そそぎ)!!」

 くぐもったノイズ音が走り、呻くような息遣いが届いた。「……こちら真白雪」

「生きていたか……」

 注連野が一呼吸おいて言う。「こちらは煤煙で何も見えない。状況を報告しろ」

「……施設の機械の爆発で建物は半壊……。熱放射の影響か風雨は一時的に、少しだけ緩やかに……。残間は気絶しています。(にのまえ)は……、無事です。あの一帯だけ風に守られて、爆炎を免れたようです」

 雪の声が途切れる。苦し気な息遣いだけが合間を埋めるように続いた。

「局長、黒煙が……」

 見がスクリーンを指さす。黒い霧が晴れてあたりの様子が映り始めていた。地面に散らばっていた魚群は爆風で外へ飛ばされたようで、座り込んだ一の回りだけが床板の名残を留めていた。結界の紋様が消えていた。

「局長……。残間がやってくれたようです」

 脚を引きずって近寄った雪が、一の足元のパネルを指さした。最後のパネルに、ドローンの一機が突き刺さっていた。爆風に妨害されると見るや否や、咄嗟の判断で近くのドローンを投擲したようだ。

 雪が一の肩に手をかける。

「帰ろう(にのまえ)、全部終わったんだ……」

 付近のオペレーターたちがざわめき出す。注連野が顔を上げる。「どうした?」

「局長、エデンの戦闘員たちが引き上げていきます」

染が振り向いて明るい顔で報告する。

「馬飼くんたち、やってくれたようね」葎が安心したように胸を撫でおろす。「後で労いの言葉をかけてあげないと」

「各員に撤収を命じろ。鴛原隊員。五頭隊員と付近の隊員には別で指示を。雪たちの回収に向かわせてくれ。あの様子ではとても帰り着けそうにないからな」

 見は返事をしない。ディスプレイのデータを一心に見つめて固まっている。「……? 鴛原隊員……?」

「……おかしい」見が呟く。「異常気象の拡大が止まらない」

 皆の視線が一斉にディスプレイに向く。異様な形をした雨雲がユーラシア大陸全土を覆い始めていた。「……間に合わなかったのか?」注連野がインカムを再び起動させる。

「真白隊員! 聞こえるか! 一々江の能力の暴走はまだ止まっていない!!」

「……(にのまえ)?」

 画面の向こうで雪が一を揺さぶる。その声に反応するように、一がゆっくりと顔を上げる。その目は依然として緋い光を湛えていた。一が何か囁く。雪が問い返す。「……して」一は繰り返した。「……殺してほしいの、雪くん」

 


 のまえはお母さんを壊してしまいました。

 写真で見るお母さんの顔はいつも笑顔でした。のまえが生れる前のお母さんは春の太陽みたいに朗らかな人だったそうです。でもお母さんはのまえの前で笑ったことはありませんでした。のまえが悪い子だからです。

 お母さんとお父さんはいつも喧嘩していました。大きな声がしてお皿が割れて、のまえはそれが終わるまで部屋の隅でじっとしていることしかできませんでした。

のまえが生れるまでは二人は仲良しだったみたいです。もう少し大人になってから気づいたことですが、どうやらのまえは望まれて産まれてきた子供ではなかったみたいです。お父さんは時々しかお家に帰ってこなくなり、そのうち別の場所に住むようになってしまいました。のまえはお母さんにわけを尋ねました。お前のせいだよとお母さんは答えました。

 やがてお母さんはお仕事を辞めました。のまえはお母さんとずっと一緒にいられると思って喜びました。のまえは学校を休んでずっとお家にいることにしました。でもお母さんは泣いてばかりいたのでのまえはやっぱり独りでした。のまえが8歳になた頃から、お母さんはご飯を作ってくれなくなりました。部屋もどんどん散らかって埃っぽくなっていきました。冷蔵庫になんにもなくなって、のまえは仕方なく観葉植物の葉っぱをもいで食べました。お母さんが大切に育てていた木だったので、お母さんにひどく叱られましたでした。のまえは悪い子です。でも久しぶりにお母さんの声を聴けたのでのまえは嬉しく思いました。お母さんはご飯を食べさせてくれなくなりましたが、それは意地悪ではなかったのだと思います。お母さんは自分もご飯も食べずにずっと横たわってばかりいたのですから。だからお母さんは意地悪な人ではないのです。悪いのは全部のまえなのでした。

 だんだんのまえの体は枝みたいに細くなっていきました。お母さんもずいぶん痩せてしまいました。お母さんは一度だけごめんねと言いました。お母さんが謝るとのまえは胸が苦しくなって泣きたくなりました。でものまえはもうどうやって自分のために涙を流せばいいか忘れてしまったので、代わりに同じようにごめんねと返しました。そうすると少しだけ泣くことができました。

そのうち児童相談所の人たちが来るようになって、のまえは引き取られることになりました。お母さんはのまえが家を出て行く時、こちらを見向きもしませんでした。のまえはのまえが悪い子だから捨てられたんだと思いました。その頃からのまえは少しずつ自分のことが自分のことに思えないようになってきました。

 少ししてのまえはお父さんの家に引き取られました。新しいお家でのまえは暖かく過ごしました。お父さんは嘘のように親切だったけれど、どうしていいか分からないようでした。のまえが中学生になって身の回りのことができるようになると、お父さんは海外に行くようになって、のまえはまた家に残されました。お父さんはのまえが寂しくないように犬を飼ってくれました。のまえはお父さんの好きな映画に出てくる犬と同じ、デイジーという名前を付けました。お父さんは自分の役割をデイジーが果たしてくれると思ったようでした。お父さんは優しい人でした。でものまえは本当は、お父さんが傍にいてくれるだけで良かったのです。

 デイジーは賢くて温かい犬ですぐに仲良くなりました。デイジーはのまえのもう一人の家族になってくれました。のまえが事故に遭った時も、帰ってこないのまえをデイジーが探しに来てくれました。事故の後のベッドの上での生活は退屈だったので、のまえはお父さんの本棚にあった小説をたくさん読みました。少しだけお父さんと一緒にいる気分に浸れました。「恥の多い生涯を送って来ました」と、黒い表紙の小説にそう書いてありました。のまえは自分と同じような考えの人もいるんだな、と思いました。その小説の主人公は幾度か自分を殺そうとしていました。のまえは怖くなりました。死という文字が恐かったのではありません。それに惹きつけられている自分が怖かったのです。あバイクに轢かれたのは、本当に事故だったのでしょうか。もしかしたらのまえは分かっていて飛び出したのかもしれませんでした。バイクの運転手さんは見つかっていませんでしたが、のまえは申し訳ないことをしたと思いました。のまえは悪い子です。気づくとのまえは本を閉じていました。まるでもう一人の自分が目を塞いでくれたようでした。

 学校に復学してしばらくすると、身の回りに不思議なことが起り始めました。いくつもの冷たい視線がちくちくと突き刺さってきて、色々なものが落ちてきたり、ちょっとした事故が起きたりするようになりました。のまえはお母さんの目を気にして生きてきたので、視線には敏感なのです。皆がのまえを避けるようになりました。でもその頃転校してきた祁答院くんだけは気遣って声をかけてくれました。親切な人だと思いました。のまえは怪我が目立つようになってきたので、先生や周りの人に心配をかけないように、前髪を伸ばしてマフラーをかけるようになりました。

 高等部に上がると視線が一つ増えました。雪くんは不思議な人で、遠くからのまえを見る時は鋭い視線を向けているのに、隣にいる時はいつも困ったような優しい瞳でのまえを見てくれるのです。雪くんと出会ってしばらくすると、周りの冷たい視線がなくなっていきました。雪くんも鋭い目をしなくていいようになったようでした。雪くんが怪我をした時、のまえはお母さんの時と同じように涙を流しました。雪くんはそんな身勝手なのまえを許してくれました。雪くんはのまえを守り、傷つき、叱ってくれる人でした。彼はもう一人ののまえのことも同じように大切にしてくれました。雪くんは本当に不思議な人で、雪くんと一緒にいると、デイジーを抱いて眠る時のようなぽかぽかした心持ちになるのです。

 だからのまえは自分が悪い子であることを忘れてしまいました。幸せになってもいいと勘違いしてしまいました。のまえはお母さんを傷つけたのです。のまえは罰を受けなければいけません。今日、デイジーが死にました。のまえはまた家族を傷つけてしまいました。のまえはこれ以上皆を不幸にしたくありません。……どうしていつもこうなってしまうのでしょうか。

のまえは気づきました。

のまえが生きているのがいけないのです。


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