第20話 告げ口心臓
「残間様、戦闘行為は粛清の対象です。警告に従わなければ、強制的に排除させていただきます」
部屋の外から、余目の部下たちが雪崩れ込んでくる音が聞こえた。こちらの部下とエデン入り乱れての攻防、しかし暗闇での戦闘は両者の動きを鈍らせた。下手に攻撃すれば味方を傷つける恐れがある。唯一機敏に動いたのは残間ただ独りだった。
味方の負傷を恐れて及び腰になる……、雑魚の発想だ。残間は次々と立ちはだかる者の背中や胸部を押さえつけながら、暗闇を駆けた。残間の手に触れられた者たちが、呻き声を上げて続々と倒れいていく。敵味方関係なく、全ての心臓を止める。この闇で全員の位置取りを視認できるのは、「告げ口心臓」の力を持つ俺だけだ。
残間は視界に浮かぶ無数の心電図を追って掌を伸ばした。コンセプト「告げ口心臓」……、博士の与えた能力のうちいくつかを彼は分類し、独自に名前を付けていた。一定範囲内の脈拍を感知・視覚化し分析する能力「恋愛曲線」、相手に触れ動悸を同期させることで心臓を自在に止める能力「ハート・ロッカー」、自身の心拍数を上昇させ、疑似的にドーピング効果を得る「人工心臓」。残間はこの瞬間、その能力をフルに稼働していた。すなわちこの暗黒の空間において、彼こそが正真正銘の支配者であった。
怒号と銃声がひとしきり飛び交ったのち、部屋の中に完璧な静寂が訪れた。残間は平らになった全ての心電図を、机の上に座って眺めた。
やはり、俺こそが支配者だ。
残間は思う。心の臓、人間の核心、己に与えられた力はそれを掌握するものだった。自分の前では誰も嘘を隠すことはできなかった。残間は全ての偽りを見抜くことができ、その命を好きに弄ぶことができた。まさに人間を支配するために与えられた能力。彼は今まさに確信した。エデンも伏魔殿も、自分の前では無力な凡人の集まりにすぎないと。
「……と、そういえばデイジーのガキが本当に伏魔殿の捜査員か、確かめてなかったな」
まあいい。奴の時計を奪って調べれば分かることだ。当人の死体から指紋や虹彩を採取すれば、開錠も時間の問題だろう。
残間はブレーカーの栓を捻り、明かりを灯した。さて、少年の死体は……。
右頬に
衝撃が走った。
視界が回転し、冷たい床の感触が背中を打つ。まだ生暖かい死体と目が合う。気づけば遺骸の山の上に転がされていた。
眩暈がする。毒を受けた上にドーピングで暴れ回ったツケか……、重い一撃に耐えられるほどの余力は残っていなかった。残間は視界の端に立つ少年を睨みつけた。「恋愛曲線」は再び脈打ち始めた彼の心臓の波形を描いている。
「……どういうことだ」彼は無理矢理半身を起こして問うた。
「チープ・トリックだよ」
少年は青い顔で懐に手を入れ、こちらに何かを放ってよこした。残間が受け取る。緑色の弾力のある球だった。「テニスボール……か?」
「困ったことに、最近観た安っぽいサスペンス映画の影響でね、どうも近頃チープな仕掛けばかり思い浮かぶ。氷やピアノ線を見ると反射的に凶器としての使い方を連想するし、テニスボールがあれば脇に挟んで脈を止めることを思いついてしまうんだ。まあよくある陳腐なトリックだよね」
「こんなもんどこから出してきやがった?」
「一ヶ月くらい前にショッピングモールで拾ったんだ。不埒な悪戯で、階段の上から少女を転倒させるために使われていたんだが……、それを鞄の中に入れたままだった」
「何だそりゃ」少年の返答に、残間は舌打ちで答えた。「……結局は悪運の強さか」
「あんたは悪運に賭けるべきだったんだ」少年は言った。「たしかに僕は勝利宣言したけど、実際にはあんたの敗北は確定していなかった。全ての毒の組み合わせは試していなかったし、複合毒が当たって僕が先に死ぬ可能性も残されていた。それくらいのこと、僕の嘘を見抜けるあんたなら分かっていたはず。あんたは力を得たことによって、知略と運で戦うはずのギャンブルを、暴力で解決できる茶番に変えてしまった。ギャンブラーの性やディーラーとしての矜持を捨てていなければ、自分の手札を曝すことも無く、能力を隠し通すことができたろう」
少年はそこで言葉を途切らせ、急に咳き込んだ。掌の隙間に血が滲むのを、残間は見逃さなかった。
「……なら、いつ気付いた? 俺に心臓操作の能力があること」
少年は苦しそうに目を細め、残間を見下ろしたまま答えた。
「ゲームの中で、嘘を見抜く能力があることまでは分かっていた。あんたは口数が多い割に、質問を深堀してこなかったからな。それに、そこからの反応が的確だった。正確にこちらの嘘を見抜いている証拠だと思った」
少年の目が倒れている余目の方に向く。それからアタッシュケースを見て素早く視線をこちらに戻した。
「『12人の怒れる男』にしては地味な能力だ。まだ底を見せていないと踏んだ。嘘を見抜く力が能力の一部だとすれば、基になっている能力自体は精神感応の類か、心臓に干渉する能力、でなければ並外れた推論能力くらいだろうと絞り込んだ。そこからはあんたが戦闘に移ってくれたおかげで、かなり情報を得ることができたよ。暗闇で動けている割に敵味方の区別がついていないことから、精神感応の線は消えた。残る候補で怪しいのは一つ。心臓に干渉できるなら脈拍か心音を感知できてもおかしくはない。近くに倒れた敵の心臓が止まっていたことで確信を……」
言いかけて少年は口を閉じ、眩暈を感じたようにふらついた。膝に手をついてどうにか体を支える。脂汗が額に滲んでいた。内側から這い出てくる痛みと格闘しているような顔だ。
「へっ……、粋がっても限界は隠せてないな。毒を大量に飲んだのはお前も同じ、いや、ダメージで言えば俺以上だ。流石にガタが来てるんだろ? 解毒剤を目で探しているのが良い証拠だ」
少年は顔を上げてぎこちなく口角を上げてみせた。
「どうかな。あんたにとどめを刺す体力くらいは残ってるぜ」
「ふん」残間は釣られたように笑った。「嘘つきめ」
残間が飛び掛かるのと銃声が響いたのが同時だった。緋く染まった脇腹を抑えて、残間が再び床にもんどりうつ。
少年は息をつきながら熱弾の放たれた方向を振り向いた。屍の陰からむくりと身を起こした余目が、銃口を下げたところだった。
「やれやれ、ゲームマスターの務めは果たしましたよ」
「……生きていたのか」
少年は床で喘いでいる残間をちらりと見て、それからまた余目に視線を戻した。「どうやって残間の目を誤魔化した」
「単純な話です。私も彼と同系統の能力を持っていただけのこと。もっとも、自分の心臓の拍動をコントロールできる程度の贋作にすぎませんがね。だからこそ、オリジナル……彼の『告げ口心臓』の全容を把握したかった」
「どいつもこいつも改造人間か。肉体改造がブームなのか?」
少年はため息とも苦痛の吐息ともつかぬ呻き声を漏らした。
「……ところで、あんたゲームマスターの務めを果たしたと言ったが、一つ忘れてるよ。僕に解毒剤を渡してくれ」
「ああ、そうでしたね」
余目はポケットから水晶のような透明な液体の入った試験管を取り出した。「勝者には解毒剤を明け渡す約束でした」
少年が苦し気に手を伸ばす。余目は冷たく目を細めて、その指をするりと開いた。少年の目が見開かれる。乾いたコンクリートの床にガラス瓶が爆ぜ、骸から伸びる血と汗の中に混じり合った。「……すぐに渡すとは言いませんでしたよ。真白雪さん」
雪は今度こそはっきりと溜息をついて余目を見返した。「……気付いてたのか」
「ゲーム中に報告がありましてね。優秀な上司が付いているもので」
余目は耳元のインカムをとんとんと指で叩いて見せた。それから真っ直ぐに銃口を向け、雪の肩を撃ち抜いた。衝撃で雪は骸の山の上に倒れ、そのまま気絶した。
男二人を担いでいくのは大変だな。余目はやれやれと頭を掻きながら、もう一人の方に目を向けようとした。それからふと扉が開け放たれてるのに気付いた。残間が消えていた。
〇
「……どいつもこいつも、お喋りで助かる」
残間はカジノに続く階段を這いながら、血染めの口角を吊り上げて笑った。
「言葉は人を騙すためにあるんだよ。自分の言葉に……、夢中になるなんてのは……、ハァ、弱者のすること……」
「私も、お喋りは嫌い」
残間の視界を、不意に厚底のパンプスが遮った。見上げた残間の頬に、レースの手袋が落ちてくる。間を開けずして、冷たい掌の感触がした。「嘘つきはもっと嫌い」
残間の肉体を言いようのない怖気が走った。肌が粟立ち、得体の知れない何かが全身を支配していくのが分かった。
「あんた……」視界に水色の影が映る。残間は地べたに頬をこすりつけ、飛びかける意識の中で叫んだ。「あんた、エデンの……」
爪先で倒れた残間の額を小突き、意識の無いことを確かめると、少女は残間の首根っこを掴んで持ち上げた。
「あらあら、殺しちゃったんですか?」
階下から白い髪の少年を担いだ女が、声をかけた。少女は階段を見下ろして、首を振る。
「奴隷にしただけ。……そっちは?」
「ご命令通り、生け捕りにしておきましたよ、先輩」
余目は肩に載せた雪を見せて言った。「そう」返事は素っ気なかったが、少女の瞳に微かに安堵の念がよぎるのを余目は見た。
「ずいぶんとこの少年にご執心なようですが……、何者なんですか、彼。『12人』の生き残り……ってだけじゃないですよね」
「……」
少女は無言で余目を見下ろした。そのまま階段を降りて近くまで来ると、そっと手を伸ばして雪の頬に触れた。残間を捕らえた時とは違う、柔らかな手つきだった。
「彼は……」少女は雪の額に掛かった髪を撫でて答えた。「雪は、私の……」
不意に頭上から柏手の音が飛んでくる。「ハァイ、そこまで」
二人は弾かれたように段上を見上げた。場違いな黒の学生服が、闇の中に溶け込んでいる。地上へと続く扉の前に立ち塞がった男が、にこにこと不気味な笑顔で手を広げた。
「それではエデンのお二人さん、雪くんを渡してもらいましょーか」




