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人獣見聞録-猿の転生 Ⅲ ・Side-B:23世紀より愛をこめて  作者: 蓑谷 春泥
第2章 ラス・ヴェガスをぶっつぶせ!
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第17話 19回目の神経衰弱(ナーバス・ブレイクダウン)

 雪はじっと盤面に視線を注ぐ残間の表情を眺めた。先攻の初手は何の情報も無い純粋に運の勝負。迷う必要は無い。案の定残間は直ぐに考えるのを止めてタンブラーを選択した。

 蓋をテーブルに置く。雪からも見えるタンブラーの中身はたっぷりと注がれた濃い葡萄色の液体だった。

「ふん、これが赤ワインならな」軽口を叩きながら、残間がショット・グラスに毒液を注ぐ。雪はその様子をじっと観察する。

 残間がちらりとこちらを見た。

「……そういえば、どうしてお前が怪しいと睨んだか、説明していなかったな」

 雪が彼の目に視線を移した隙に、残間はクッと毒を飲み干してみせた。「……あー、不味(まじ)いな」残間が小さく呻く。こちらの気を逸らして観察を鈍らせる作戦だったらしい。もう一つのタンブラーの蓋を開けながら、残間が続ける。

「……お前の行動に違和感を覚えたのはポーカーのあたりからだ。客のチップの増減は規約にも記されている通りこちら側で把握できるシステムになっている。普通ギャンブルの金の動きはじわじわと減り続けていくか、大きく増減するかだ。しかしお前は小一時間ほどゲームに興じているにもかかわらずチップの賭け率があまりにも無造作で、その割に大損していない。時々思い出したように敗けを挟んではいたが、収支がマイナスにならない程度の規模で、しかも全体としては少しずつ儲けが増えている傾向にあった」

「こういう場所は初めてなものでね。どのくらい賭けるのが相場なのか、見様見真似でやっていたまでだよ」

 残間がショットに次ぐ薄緑のカクテルを眺めながら、雪は平然と答えた。

「その割には負け越しがあまりにも少なすぎ、勝敗のバラつき方にも僅かな傾向性が見てとれた。作為的な無作為というべきかな。存外人間はランダムを装うのが難しいものなのさ」

 残間はまたショットを飲み干すと、今度は平然とした顔でグラスを戻した。タンブラーの蓋を締め、元とは違う空いているスペースに戻す。二つの毒液の色味と配置場所を覚え、雪は自身のターンに移る。

 雪は手前のタンブラーを選択した。蓋を開けると、白銀色のカクテルが揺らめいている。微かに泡立ちがあり、表面に気泡が溜まっている。

 ショット・グラスに注ぎ、一息に飲み干す。鼻腔を突く洗剤のような薬品臭と、もったりとしたくちどけ、舌を焼くような強烈な苦みが雪を襲った。

 そうか、情報は何も見た目だけではないのだ。

 雪は相手に何も悟られぬよう無表情を維持したまま、グラスを置いた。今のところ身体に変化はないが、人体が受け付けぬ異物を飲みこんだ感覚は有った。

 実際に手に取って毒を味わうのと、傍からそれをただ眺めるのとでは、得られる情報の量は段違いだ。選択者と手番を待つプレイヤーの間の情報差……、これも本家と違うこのゲームの特徴と捉えて良いだろう。

「……それで、実際に僕とポーカーに興じてみて、何か分かったのか?」

 相手に会話の隙を引き出そうと、雪は質問を返した。

「まずはお前のカード捌きだな。それなりに準備してきた風ではあったが、別段熟練者の手つきではなかった」

 残間は油断なくこちらを観察しながら答える。

 二杯目のカクテルはエメラルド・グリーンだった。先ほど残間が引いた毒にも似ていたが、ライトに反射する艶の質感が違った。注いだショットを持ってみると、さっきの毒より少し重い。鼻の曲がる様な匂いに顔を顰めかけたが、飲んでみると意外に爽やかな味だった。

「複雑な表情だな。ん? 案外美味かったか?」

 残間がこちらに水を向けてくる。雪は微笑んで答える。

「どうかな。だがその発想が出てくるあたり、あんたが飲んだ毒は悪くない味だったようだな」

「お前の顔を見て予想したまでさ」

 焦った様子もなく残間が躱す。相手を牽制しつつ、雪は考える。今のエメラルドの水、飲んだ後の感じからして、危険な液体ではないようだった。無毒あるいは弱毒性の「セーフ」の枠もある、ということだろうか?

 次のターンに回った。

「……で、話の続きだが、お前の玄人らしくない所が逆に気にかかった。玄人が長考しそうなところで妙に思い切りよく札を切ってきたし、逆に特に悩んでもいなさそうな場面で考えるふりをしているのも不自然だった。一方で素人の割には離れした落ち着きがあたし、時折先の展開を見通したような鮮やかな立ち回りを見せることもあった。妙に実力がちぐはぐな気がしたのさ」

 残間は琥珀色の少し粘り気のあるカクテルを飲み干すと、また隣のタンブラーを開いた。表情に一切変化は見えなかったが、そこに見えた、気泡の浮いた白銀の毒は、雪が引いた毒と同じものに見えた。

 僕がさっき置いたのはちょうど逆側だ。視界の端でペアの位置を確認する。白銀のカクテルを呷った残間は、わずかに口元の筋肉を引き結んだ。苦かったのか。となると先の毒とは別物ということになるが……。

 いや、ブラフだ。敢えてこちらに見えるように反応を示したのが良い証拠。雪は確信を持って自手に回ろうとした。

「待て、シャッフルだ」

 タンブラーを戻した残間が口を挟む。

「残間様よりシャッフルの発動が宣言されました」

 余目が卓に近づき、体が陰にならないように注意しながら、鮮やかな手つきでタンブラーを並び替えていく。まだ卓には52個全部のタンブラーが残っている。目当ての2つの位置を追い切るのは容易ではなかった。

 余目が元の位置に戻るのを確認して、雪は自ターンを開始した。肉体改造に伴って動体視力も強化されている。なんとか狙いの2個の位置だけは見逃さなかったつもりだが……。

 使うべきか、能力を?

 雪は逡巡した。未来予知や過去把持(サイコ・メトリー)を使えばペアを引き当てるチャンスは格段に増えるだろう。だが、正規でない方法による情報の取得は反則行為に当たるはずだった。見破られればタンブラー3杯の(ペナルティ)……。特に序盤では手痛い負債だ。

 いや、待て。

 雪は思考の道程で立ち止まる。先にも感じた違和感……、このゲーム、なぜ反則行為と禁止行為が分けられている?

 雪は記憶を辿る。いや、正確には禁止行為も反則の内だが……、暴力や意図的な遅延が則失格・敗北となるのに対して、イカサマの類は罰があるだけ……、しかもゲーム続行可能なレベルの罰だ。

 使え、ということか……。

 雪は余目をじっと睨む。そうだ、こいつはただのゲームマスターではない。エデン、奴らが残間の力をどれほど把握しているのかは不明だが、かつて残間が脱走したのが改造直後だったことを考えると、それは能力の発現前である可能性が高い。狂花帯の伸びしろは開発者本人でさえ未知数であると葎は言っていた。エデンが残間の今の力の詳細を把握しきれていない可能性は大いにある。奴に能力を引き出させて能力を確かめる……、まさに雪の狙いと同じことを、余目は考えていたのではないか。

 つまりこのゲームはイカサマ公認……! 反則ではあるが能力の使用が暗に想定・推奨されている。雪は考える。残間を狙った仕様とはいえ、これは自身にも当てはまった。能力を使用すれば有利に運ぶが、残間やエデンに自身の力の手掛かりを与えることになる。向こうが有利な状況で戦闘を仕掛けてこないのは、こちらの能力が不透明だからということも大きいだろう。特にエデンは跡星を通じて予知能力=真白雪の紐づけが為されている。能力を看破されればただちに治安維持局という身分まで特定される。リスクは大きい。

 雪は狙いを付けたタンブラーに手を伸ばした。触れることなく、その上で手を止める。

 リスクは大きい。しかし……、ゲームが能力の使用を前提として作られている以上、使わなければ大きな遅れをとる。

 もはやこれは単に毒を当てるだけのゲームではない。同時に相手の能力(イカサマ)を見抜き、有利に事を運ぶ影の戦いでもある。

 手の下のタンブラーが、数秒後見込み通りの味や匂いを運んでくれることを、雪は予知で把握した。雪はそれを手に取り、グラスに注いで飲んだ。

 しかしこの状況……、エデンにとっては旨味しか無いな。

 勝負の過程で両者の能力の手掛かりを集めることが出来る上、敗けた方から漁夫の利で機密情報を得ることも出来る。最悪どちらかが死ぬまで粘っても、12人の怒れる(トゥエルヴ・モンキーズ)の一人を労せずして葬り去れる。雪がゲームに参加していることは偶然だが……、結果的にエデンの利を増す形となってしまった。

 だが、勝てば良いだけの話だ。雪はもう一方のペアと思しきタンブラーの前に手を伸ばす。残間の力如何によっては、勝負を放棄してこの場を制圧することも選択肢に入る。そうなれば裏カジノとエデン、一挙に二つの敵勢力を捕虜にすることが出来るわけだ。

 雪の手がぴたりと止まる。……違う。予知が告げている。想定したペアのタンブラーの味ではなかった。相手の能力……、では多分ないだろう。正直少し記憶が怪しいという自覚はあった。

雪はそっと隣のタンブラーに手を逸らす。余目がちらりと注意するようにこちらを見たが、何も言わなかった。まだ手は触れていない。「お手付き」にはあたらないはずだ。

予知は隣のタンブラーをペアとして示していた。

雪は隣のタンブラーの蓋を開ける。見覚えのある琥珀色の液体が微かに波打つ。

「デイジー様、1ペア獲得になります」

 余目が宣告し、雪の選んだ二つのタンブラーを回収する。残間は特に動じた風もなく、前かがみの姿勢で顎の下に手を置いていた。「デイジー様、タンブラー再選択となります」

 雪は再びタンブラーを開け、中の毒気を放つ紫の液体をショットに移し飲んだ。過剰に発酵させたレモンのような味だった。喉越しが悪く胸がムカついたが、決して嘔吐には至らない不思議な感覚が胃の奥に居座った。

 無造作に次のタンブラーを選ぶ。最初のターンに引いたエメラルドの溶液だ。外れだが、ひとまず安全な毒を引いた。雪は表情に出さず安堵する。ショットに注いだ深緑の水を、息を止めて一息に呷る。

「!!!」

 空になったグラスが、手から滑り抜けて落下する。空いた手が反射的に口元を覆っている。残間が演技を疑うような目でこちらを見ているのに気付いたが、それに反応している余裕も無かった。

 臓腑が痙攣する。雪は躰を九の字に折り曲げ、激しく咳き込んだ。荒く息をつきながら、掌を覗き込んで雪は目を見張った。手の中に赤黒い血が零れ落ちていた。


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