第12話 ニノマエ
室内に重たい空気が滞留する。
「もちろん、必ずしも戦争に発展するとは限らないわ」
葎が取り成すように説明する。
「雪君たちが子供を持つことを厭うつもりもない。けれど、事態は私達が想定していたよりも、遥かに複雑で遥かに悪い方向に進みかねないということなの。特にエデンが舵をとる限りはね」
「『12人』を全員見つけ出して始末する……、あるいは仲間に引き入れる、というだけでは済まない所まで来てしまった、というわけですか。特にエデンが贋作を複製する技術を発見したのだとすれば、いよいよ能力者の全回収は困難になります」
雪は拳を包むように掌を添えて言った。見は何かをじっと考え込むように黙り込んでいる。
「我々にも出来ることはあるわ。伏魔殿でこれから作られるかもしれない贋作が社会に貢献する働きを見せれば、世間の風当たりも少しは和らぐかもしれない。あるいは狂花帯を持った人間の存在に、少しずつ拒絶反応を示さなくなっていくかも。いずれにせよやることは変わらない、エデンを壊滅させ、可能な限りの能力者を国家の庇護下に置くことよ」
まあ最後のは局長の言葉なんだけど、と葎は付け加えた。
最初の報告事項が終わったと見なしたらしく、葎は宙の幻燈を霧散させた。
「さて、もう一つ大事なことは一ちゃんの処遇についてよ」
雪が顔を上げて緊張した面持ちになった。「局長はなんて?」
「結論から言うと、暗殺命令は一時保留、一ちゃんの扱いを保護対象に切り替え、伏魔殿で面倒を見ることになったわ。引き続き監視と警護には雪君が当たってもらう。転校の件は水に流すそうよ」
「伏魔殿で……ということは、一の身柄を拘束するということですか?」
「そうしたいところだけど、法的な措置が難しいラインなの。治安維持局の捜査や執行権は非合法すれすれの立ち位置ではあるけど、それは治安維持局が公安や官僚組織に根を張って、パワーバランスを保つことで成り立っているの。一ちゃんのお父さんは外交官で、我々が干渉するには難しい立ち位置にあるの。治安維持局が彼女を軟禁状態にするのは、むしろ事故に見せかけることができるような暗殺よりずっと困難なのよ。少なくとももう少し時間がかかるわね」
「では、どのように……」
机の上で落ち着きなく手を組み合わせながら、雪が続きを促す。
「ひとまず彼女を来客扱いとして、一時的に留め置くことにするわ。本人は説得済みで、海外のお父さんにも適当に説明を付けておくと約束してくれた。学校はこちらの施設を使って映像学習に切り替えてもらうなりして、事態が落ち着くまでは自宅登校として登録を切り替える。制度的に珍しくもないケースだから、学園側に上手く手続きさせるのもそう困難ではない。後、なるべく控えるように忠告はしているけど、外出の自由は彼女にあるから、その時は雪君に警護をお願いするわね。もっとも、私も彼女が能力を使いこなして、自警できるように支援していくつもりだけど」
「葎先生」
見がやっと話しに戻って来て、手を挙げた。「一ちゃんの能力、解析結果出たんですか?」
「ええ。それに昨晩からいくつか簡単な実験や検査に付き合ってもらって、ある程度のデータは揃って来たわ」
葎が定点観測された、ヘリに直撃する雷の映像を写す。「昨晩雪君が観測した事象は、どれも確率上起こり得るけれど、現実ではまずお目にかかることのないような稀有な現象ばかりだったわ」
雪が肯く。8桁の暗証番号が当たる、雷が飛んでいるヘリに直撃し、そのヘリの墜落した先に敵がいる、高性能爆弾の一斉不発、等々……、数え上げればきりがない。
「これらはいずれも一ちゃんの能力が引き起こしたもの……。彼女の能力は確率操作能力、言い換えれば『起こることならなんでも起こせる』能力よ」
「起こることならなんでも起こせる能力……」雪と見が神妙に、声を揃えて復唱する。それから二人の頭に疑問符が浮かぶ。
「あら、いまいち伝わらなかったかしら」
葎が咳ばらいをして言いなおす。
「俗っぽい言葉で言えば、『奇跡を起こす』能力よ」
「奇跡……」
雪が少し腑に落ちたような顔で繰り返す。葎が満足げに肯く。
「そう。といっても、血を葡萄酒に変えるみたいな、物理的に不可能なことは実現出来ないわよ。彼女はあくまで、事象の発生する僅かな確率を極限まで引き上げているだけ。確率0%の事象には干渉出来ないというわけよ」
「逆に言えば、普通なら0.1%の確率で起こはずの出来事を、100%の確率で起こすことはできる、ということですよね。能力は何となく分かってきましたが、彼女はその力をコントロール出来てるんですか?」雪が口を挟む。「昨日の彼女の様子はいつもと違っていました。それも何か関係が?」
「良い質問ね」葎が微笑む。壁際につかつかと歩いていくと、スイッチを押してドアを開錠した。センサーが反応して入り口が開く。
「ひえ……」
いきなり開いた扉に驚いて、戸口の前に佇んでいた一が跳ねる。葎が手で彼女を指し示す。
「その質問が来ると思って、ご本人をお呼びしていました」
一は葎に手招きされるがままに、不安そうな様子でしずしずと部屋に入って来た。まだあまりよく状況を飲みこめていない様子だ。「先生、彼女にはどこまで?」雪が気を遣って尋ねる。
「一通り、治安維持局とエデンの関係については話したわ。彼女が今置かれている状況もね」
葎は緊張している様子の一の肩を抱いて言う。
「私としては、一ちゃんには力を使いこなせるようになってほしいわ。能力の制御ができれば治安維持局も警戒を緩められるし、エデンから身を守ることもできる」
そうなれば、彼女を殺さなくて済む。葎の言わんとしていることを雪は暗に理解した。
「それで、今はどの程度コントロールできてるの?」
見が一の方を見て訊ねた。一が助けを求めるような目でこちらを見てきたので、雪は大丈夫だと言う風にフォローを入れる。「ここの職員の鴛原見先輩。僕の同僚だよ」
見が人好きのする美少女フェイスで笑いかける。一も少し警戒心を緩めたのか、ぺこりと頭を下げる。「のまえです」
「一さん、また『替わって』もらえるかしら?」
一が雪を頼るように見る。まだ話は見えないが、ひとまず葎の言うとおりにするよう雪は肯いた。「大丈夫、苦竹先生は味方だよ」
一はゆっくり肯いた。「じゃあ……」瞳を閉じ、一呼吸置いて瞼を開く。
空気が張り詰める。雪は唾を呑んだ。一の左目は昨夜の屋上の時のように紅く色づいていた。緋色の視線が室内をくるりと見渡し、再びこちらを見つめた。「……やあ、昨日ぶりだね、雪くん」
一が口を開く。しかし先程までとは打って変わった落ち着いた態度だ。口振りや仕草まで変わったように思える。
「……君は、一なのか?」
雪が尋ねる。「そうとも言えるね」一が首肯して続けた。「私は一々江の抑圧された本能や欲望を擬人化した、一つの人格のようなものだ」
「つまり二重人格ってこと?」
「まあ、そんなところかな」見の言葉に、もうひとりの一が肯いた。
「二重人格と少し違う所があるとすれば、私達は表裏一体ということだ。雪くんは既に知っているかもしれないが、私は家庭環境のせいで、幼い頃から自己を過剰に抑え込んで生きていてね。彼女が本来持つはずだった明るさや自信、自己愛……、そういった側面が乖離した姿が私なんだよ。だから私たちは二人揃って本来の一々江なんだ。単なる二つ目の人格じゃない。まあ……、少し言動は『別人』の影響を受けているかもしれないけどね」
「『別人』……?」雪の記憶に思い当る情報があった。「第一号……、事故で接触したという例の『12人』のことか?」
「その通りよ」
葎が横から肯く。
「もう一人の一ちゃん——ややこしいから『ニノマエちゃん』と『のまえちゃん』で呼び分けるわね——の口調や気質には、記録に残っている第一号の子の面影があるわ。臓器移植などで以前の持ち主の性格が影響する……なんて眉唾な事例、あなたも聞いたことがあるでしょう。狂花帯の複製が原因なのか第一号の能力の影響なのかは分からないけど、能力を使用する際、のまえちゃんは第一号に似たニノマエちゃんと入れ替わるみたいなの」
「その事故の話、僕も資料で読みましたが……」見が手を挙げる。
「結局、真相は何なんです? 最初の仮説では、のまえちゃんは『12人』の第一号その人で、バイク事故を装ったエデンによって攫われ、力を奪われたのではないか……、ということでしたが」
「私も鮮明に覚えているわけでは無いけど……」
ニノマエが記憶を探るように顔を傾ける。
「……なにしろ私が人格としてはっきりと存在するようになったのがその時からなんだ。潜在的に、のまえの意識の裏に沈殿してはいたものの、その時点ではまだ単なる無意識の淀みのようなものにすぎなかった。……ニノマエ(わたし)が私としてはっきり自己の感覚を得た最初の記憶は、この左眼の灼けるような痛みからだ」
ニノマエが、己の紅く光る左眼を指す。
「転倒したバイクからオイルが漏れ出ていて、そこから出火していた。運転手が転がったアタッシュケースとその中身を拾い集めているのが見えた。私は何も分からないまま全身と左眼の痛みに耐えて伏していた。ぼんやりと直前の、バイクに衝突した時ののまえの記憶があった。向こうの信号無視だ。よほど急いでいたらしい。普段から人気のない道路だったし、誰もいないと思ったんだろう。でもそこはのまえが犬の散歩でよく通る道だったんだ。その日はたまたまデイジーの……、飼い犬の機嫌が悪くて、なかなか外へ出たがらなかった。天気も良かったし、折角外出の支度をしていたしで、そのまま家に戻るのもなんだったから、のまえは一人で歩くことにした。そこへあのバイクが突っこんできた、というわけさ」
「そのバイクの運転手が、何を運んでいたか分かる?」
葎が尋ねる。ニノマエが額に指を当てる。
「たしか……、透明な硝子のケースだった。銀色の蓋の着いた、卒業証書の筒みたいな……。ちょうど理科室のホルマリン漬けが入っている容器のような、ね。乗り手が回収していた瓶の中身までは見えなかったが、私の目の前に一本それが落ちていて、割れて中の液体がアスファルトに流れていた。恐らく私はそれを浴びたんだと思う。左眼からそれが体内に入り込んだことを直感した。……その液体は直ぐに炎に巻かれて、蒸発してしまった。運転手はその壊れた瓶を回収すると、遠目に私の傷の具合を確認してそのまま逃げてしまった。助からないと思ったんじゃないかな。実際なんで生きているのか不思議な怪我だった。しかし、幸運にも、私は生き延びた。数日間は意識も朦朧として、近くの森の中を彷徨った。やがて傷が癒え、意識がはっきりしてきたところで、私の帰りを待ちわびたデイジーが、匂いを辿り探しにきてくれた。リードも付けずに走り回っていたデイジーを追いかけてきた巡査に、そのまま私は保護された。そのあたりでのまえの意識も戻った。のまえは私の行動をうっすらとしか覚えていないようだった。今でも私が主人格の時は、彼女は眠ったような状態になっていて、曖昧にしかその時のことを覚えていないみたいだ。私はのまえが主人格の時でも、はっきりと覚えてるけどね」
「恐らくはその事故の時彼女が摂取したのが、第一号の血液か何かだったのだと思うわ」
葎が科学者の顔つきになって会話を引きとる。
「一号の細胞を取り込んだことで狂花帯が複製され、贋作となって力の欠片を継承した。その衝撃や力の大きさから精神を守るために、一号の細胞を使役できる強い人格が強制的に形成された。そう私は睨んでいるわ。実際、昨日彼女を保護した後にいくつか実験に付き合ってもらったけど、能力を意識的に使用しようとすると、ニノマエさんの人格が発現することが分かったわ」
「確率操作能力……だったよね」
見が興味深そうに確認した。「ああ。あまり期待されても困るが……」ニノマエは少し考えて、机の上にあった小瓶を手に取った。観賞用の置き物で、樹脂製の透明なサイコロがたくさん入っている。ニノマエはじゃらじゃらと瓶を振ると、蓋を開けて無造作に中身を空けた。机の上に転がった10個のサイコロは、全て一の目を上にしていた。
「わお」見が小さく感嘆する。「サイコロは10個……。全て一の目が出る確率は6の10乗だから……、えっと……、およそ6千万分の1か。狙って出したとすれば大したものだね」
「うん。可能なことをやっているだけだから、たとえばサイコロに存在しない『七』の目を出すみたいなことは出来ないけど……、起こり得ることならなんでも起こせる」
「彼女の真骨頂はこんなものじゃないわよ」
葎がちらりとニノマエを見た。「えーっと、じゃあ……」ニノマエは雪の方を向いて、彼が座っている椅子を指さした。
「のわ!」
突然椅子の背もたれが外れて、雪は後ろにひっくり返った。地面に転んだ雪の顔の横に、ネジが転がる。
「大丈夫?」見が覗き込む。「今のは……」
「その椅子はたまたま不良品で、たまたま今このタイミングで壊れた、ということになるね」
ニノマエが手を差し伸べて答えた。「ごめんね。痛くなかった?」
「それは大丈夫だけど……」雪はニノマエの手をとって身を起こし、埃を払いながら立ち上がった。手近な別の椅子を引いてきて座る。
「しかし、昨日までは普通に座れていた椅子だぞ? 不良品だとは思わなかったけどな。まあ、たしかに可能性で言えば起こり得ることかもしれないけど……」
「ええ。おそらく彼女が能力を使っていなければ、椅子は壊れていなかったように思えるわね」
葎がほったらかしになっていたディスプレイを閉じながら、科学者らしい顔つきで説明した。
「能力を発動した時点で、椅子は不良品だったことになった。でももしこの椅子が不良品で壊れかけだったなら、能力を発動しなくてもここで壊れていたはずなのよ。そこがこの力のパラドキシカルな部分であり、彼女の能力の神髄でもあるわ。椅子が壊れたという現実がある以上、過去に遡って確認したとしても、その椅子が不良品だったという事実は動かない。直感に反するほどに限りなく低い確率の事象、しかし現にそれは動かしがたい事実として起こっている。過去が変わったわけではない。それを立証することはできない。それでも事実上、現実が書き換えられたとしか考えられない……」
「えー、ということは……、……頭がこんがらがってきましたよ。要はその、蓋然性のコントロールというのは……」
雪の言葉を、葎が引き受ける。「端的に言うとね、彼女の力は、疑似的な現実改変能力なのよ」




