第10話 天使禁猟区
本の山の下から唸り声がした。雄叫びを上げながら跡星が連なり重なった本棚を持ち上げる。
「しぶといな」
雪は汗を拭って言った。荒々しく重りを跳ねのけた跡星が荒く息をついて微笑む。
「お前と同じだけの頑丈さなんだ、この程度で伸びるか」
そうは言ってもそれなりの疲弊は窺えた。何より、——雪は敵の右手に視線を走らせた。衝撃で小銃が破損している。
跡星はちらりと銃を目視し、使い物にならないと判断したのか舌打ちした。それから疲労を押し隠すかのように不敵に笑ってすぐ横の窓ガラスを銃把で砕いた。「補習授業だ」
窓ガラスを割ると跡星は窓枠にひらりと上がって身を乗り出し、校舎の外壁を這う鉄パイプを掴んでするすると上階へとよじ登った。
屋上か……。雪は移動の際に狙い撃ちされるリスクを鑑みて躊躇った。だがここで奴を逃がしては元も子もない。雪は予知で安全を確認した上で同じように屋上へ這い上がった。
本部を出た時の快晴が嘘のように空は荒れていた。雨がしとしとと降り出し、風が吹き荒れていた。この天候なら奴の投擲も少しは乱れるか? 雪はすぐに頭を振った。甘い期待は危険だ。
「来たか。青空教室……、とはいかないな。残念だ」
跡星は屋上の入り口から反対側のフェンスの近くに立って空を見上げていた。風に乗ってヘリの音が聞こえている。雪は距離を屋上の扉に背を向けて中央に進み出た。
「律儀に僕が登ってくるまで待っていたのか。決着は正々堂々と……とでも言うつもりか?」
「そう買いかぶるな。もし移動中のお前を狙おうとしていれば、それを察知して図書室から出てこないだろうと踏んだまでだ。そのリスクよりもこの遮蔽物のないフィールドを使用する利を選んだまでのこと」
「俺の能力を知っているのか?」
雪は聞き返した。跡星が肯く。
「詳細は分からないが、出来ることは大雑把に理解した。俺の魔弾は百発百中だ。たとえ『12人』でも躱すことは不可能。それをお前は何発か掠り傷に抑えてみせた。反射でどうこうなる攻撃じゃない。お前は恐ろしく勘が良く、次の手を予測する能力に秀でている……。そう、例えば予知みたいな……」言ってから跡星は打ち消した。「いや、それは無いか」
「?」
何故か正解の解答を捨てた跡星に疑問を抱きつつ、雪はポケットに手を滑らせた。内に入れたままになったペーパーナイフが触れる。
「そういうお前はどうだ? 俺の能力の正体は掴めたのか?」
雪は少し考え、口を開いた。
「磁力……といったところかな」
「正解だ。マグネットで気付いたか」
雪は肯いた。「任意の二対象にそれぞれS極とN極の磁力を付与する能力……。連発の投擲が来ないことを考えると、一度に磁力を付与できるのは二つが限度かな。一度磁力でマーキングしたら他の対象に磁力を移さない限りそのまま。煙の中から命中されられたのはそのためだ」
雪は注意深く横に歩きながらじりじりと距離を詰めた。「追尾や吸い付きや軌道変更はそれで説明がつく。時代遅れの実弾を使っている理由もだ。電子銃の弾はエネルギーで実体を持たないから、対象の範囲を措定する上で都合悪いんだろう」
「良く見抜いた……。良い観察眼だ。正確に言えば磁力を付与できるのは、視認した対象と体に触れた対象二つずつ。電子銃は弾に触れられないから、その辺がネックだな」
「一つ分からないことがある」
雪は少しずつ間合いに近づきながら質問を投げる。吹き続けている強風にシャツがばたばたと震える。
「能力の規模からしてお前は『12人』ではなさそうだ。だがただの外骨格持ちが狂花帯の能力を使えるのはおかしい。どういう仕掛けだ?」
「ふん……、可愛い生徒の質問だ、答えてやろう」
跡星は肩の血に銃口を付けて掲げた。「俺は輸血によって継承したんだ。12人の怒れる男・第四號、海土路佐助殿の力の一部をな」
雪の驚いた表情を眺め、跡星は愉快そうに口角を上げた。「『贋作』。俺たちのような12人から派生して狂花帯を得た者のことを、博士はそう呼んでいる」
「これは恐れ入ったな、第四號の力の欠片とは」雪は雨に濡れた屋上の床を踏みしめて言った。「だが所詮はコピー……、12人には勝てない」
雨粒を弾き飛ばし、一気に距離を詰める。相手は極度の中・遠距離タイプ……。近接戦闘なら圧倒的にこちらに分がある。
跡星がにやりと笑い、手にしたカードたちを空中に払い投げた。鋼鉄製のトランプが弧を描き雪に襲い掛かる。連弾……!? 雪は警戒してブレーキを掛ける。
いや、この軌道……、殆どは目隠し、ただの投擲……。磁力の込められた「魔弾」は一枚だけ!
雪は側転してカードたちを躱しながら必中の一枚を目で探した。その雪の頭に強い衝撃が走る。
姿勢を崩した彼の目の上を、重たい銃身が跳ねる。トランプは全て陽動……、銃本体を弾として投擲……!
ガードの崩れた雪の頸を狙い、跡星が床に刺さったカードを掴み投げつける。雪はポケットからペーパーナイフを抜いてカードを弾く。そのままナイフを跡星の顔目掛けて投げおろす。
「俺相手に投擲攻撃とはな!」宙で掴んだカードでナイフを上に弾きつつ、跡星が叫ぶ。銅色のペーパーナイフがくるくると空に舞う。その隙を見逃さず、雪は懐に飛び込み、乱打を浴びせかける。敵も強化改造された肉体を駆使して応戦する。激しい肉弾戦。しかし予知がある雪が跡星を攻守共に圧倒した。
「弾切れか?」
跡星の手からカードを払い落とし、彼を地面に組み伏せた雪が言った。跡星がほくそ笑む。「馬鹿が……、武器は手持ちだけだと誰が言った?」
雪の頭上にペーパーナイフが襲い来る。上空に磁力と共に弾き飛ばされたナイフは重力の加速をもってその鈍い刃を雪に叩きつけようとしていた。「そうか」雪は跡星の顔を持ち上げて振り返った。「気付かないと思ったか? 俺の能力は未来予知だ」
ペーパーナイフが盾となった跡星の耳に深々と突き刺さった。「ア……ッ!!!!」
声にならない叫びを上げて、跡星が倒れ伏す。嗄れた呻き声を屋上に響き渡らせた。
「終わりだよ、跡星先生。内耳の蝸牛を破壊した。いくらあんたでも平衡感覚を乱した状態で満足な投擲はできない。どうせ狂花帯をコピーするなら、僕の量子器官を選ぶべきだったな」
「ハァ……。……量子器官だと?」
耳からナイフを引き抜いて、跡星が雪の言葉をなぞる。「それに未来予知、だと……。ならお前が第五號……、『神曲』の真白雪? ありえない……。彼は未来にいるはずだ」
「⁉」
雪は動揺し足を止めた。「……隙を見せたな」跡星が横転して距離をとり胸を開く。胴体にいくつも巻き付けられた、緑色の光の点灯する四角い爆弾。そのスイッチを彼は握りしめていた。
「この際お前の正体などどうでも良い……。このまま校舎ごと粉にしてやるしてやるよ!!! 一諸共吹き飛べ! 改造人間!!」
「……! 待て……」
雪の制止よりも早く、跡星の指が動いた。
静寂。
雪は構えていた腕を下ろし、恐る恐る目を開いた。何ともない。校舎も跡星もそのままだ。
跡星が唖然とした顔でスイッチを押し直した。……爆弾は反応しない。「……不発?」跡星が目を剥く。「まさか、こんなタイミングで……、しかも五つ全て? 馬鹿な、そんな偶然あるわけ……」
それからはっとしたように屋上の入り口を見る。「まさか……」
扉が軋んだ音を立てて開く。雪の視線が跡星を追って扉へ向かった。
戸の隙間から、見慣れた金色の影が浮き上がる。
「一……?」
雪は呟く。マフラーを風になびかせた少女が戸の外に足を踏み出す。
「一か……! ここへ来ては駄目だ! こいつは危険……、……?」
叫びかけ、違和感に口をつぐむ。
「待て……。保健室には厳重なロックを掛けていたはずだ。どうやってここまで来た?」
「どうやって?」一は降りつける雨もかまわずつかつかと歩を進める。「ただ数字を押して、部屋を出ただけだよ」
「馬鹿な! 八桁の暗証番号だぞ……。4300万通りの組み合わせから、正解をランダムに引き当てるなんてできるわけが……」
跡星の体が動いた。雪の一瞬の隙を突き、握りしめたペーパーナイフを渾身の力で投げつける。最後の力を振り絞った精妙な一撃……、ナイフは風に乗って一の体に引き寄せられた。
風が、一の前髪を撫でる。露わになった彼女の左の瞳が、紅い光を放つのを雪は見た。
次の瞬間、風に飛ばされ運ばれてきた小さな岩の破片が、宙に舞うペーパーナイフに命中し弾き落とした。
「やはりか……!!」跡星が歯軋りをして腕時計を口元に近づける。
「こちら『魔弾』! 一々江の能力の発現を確認!! 間違いない、奴は第一號の『贋作』だ!! 空挺部隊は至急増援を投下せよ!!」
爆音が近づいてくる。見上げるとヘリが屋上に近づいてくるところだった。
「……こちら空挺部隊、風雨が強すぎる。着陸は困難。繰り返す、着陸は困難……」
時計から敵の増援らしき部隊の声が聞こえてくる。
「かまわん、不時着覚悟で降りてこい! 相手は一號の贋作……、第一位の力の片鱗を宿している!!」
「一……」雪は言葉を失いながら彼女に問いかけた。「君は……何者なんだ?」
「私は一々江だよ、雪君。君の知る一とは別の、ね」
紅く色づく左目を細めながら、雪の隣に立つ。
黒雲が黄色く光る。激しい横風に煽られながら、ヘリが無理矢理に屋上へ降り立とうと近づいてきた。「……外野がうるさいね。少し静かになってもらおうか」
一が手を振った。空が眩く光り、頭上に金色の光が瞬いた。
轟音が響く。稲妻に撃ち抜かれたヘリが煙を上げながら跡星の頭上へ落下してくる。
「冗談だろ……」跡星は畏怖に打たれたかのようにへたり込む。「落雷が命中するなんて……」目の前を包み込む巨大な鉄の塊を呆然と眺めた。
「跡星!!」
雪が叫ぶ。その叫びを、屋上に墜落したヘリの爆発音が掻き消した。
衝撃に体が震える。雪は墜落したヘリに駆け寄ろうと足を踏み出しかけた。直後、背後でどさりと倒れる音。
雪は降りむく。視線の先では、一々江が気絶し、先程までとは打って変わった無邪気な顔で寝息を立てていた。




