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人獣見聞録-猿の転生 Ⅲ ・Side-B:23世紀より愛をこめて  作者: 蓑谷 春泥
第1章 ヒューマン・ロスト
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第8話 丑(うし)の眼

 牛頭馬頭の一件が終わったと思ったら、今度は強化人間軍団と来たか。雪は久々の休日を部屋のベッドの上で過ごしながら考えた。土日や祝日も(にのまえ)の尾行に費やしていたから、一日フリーになるのは久しぶりだ。と言って特にすることも無い。寝返りを打つ。自分の空っぽな人生が体の内側で音を立てているようで、情けなかった。

裏カジノの捜査もある……、こちらはもう少し先になるだろうが、なかなかハードなスケジュールになりそうだ。休める時に休んでおくのも、プロの務め……。雪は自分にそう言い聞かせて壁のスクリーンのスイッチを押した。

映画をぼんやりと眺めながらうつらうつらしていると、いつの間にか時刻は夕方を過ぎていた。

雪は欠伸をして栄養剤のボトルの蓋を開けた。苦竹先生に怒られるな、と思いつつざっと錠剤を口に放り込む。ぼりぼりとスナックでも食べるように咀嚼すると、プロテインを溶かしたミルクで流し込んだ。それから伸びをするとクローゼットから学生服を取り出した。

制服に着かえ、最後に学生帽を頭に載せると部屋を出た。ふと立ち止まり、気を緩めるなという見の忠告を思い出して、電子銃を制服の内ポケットに忍ばせた。

玄関に向かう長い廊下の途中で、寄宿舎に住まう少女と出会う。顔見知りの隊員だ。

「兄さん……。出掛けるんですか?」

「兄さんは勘弁してくれよ……。袈裟丸」

 (そまり)袈裟(けさ)(まる)は褐色の肌の上に伸びたピンクの髪を指に巻き付けて、照れたように言った。「兄さんは兄さんですから……」それから雪の服装を上から下まで眺めて首を傾げた。「何で制服なの?」

雪は制服の襟に軽く触れて答えた。「防弾使用だから」

 外はもう日が暮れかけて、まだ西の空は紅いのに、気の早い一番星が瞬き始めていた。

ぶらぶらと郊外を歩いていると、ついいつものルートに踏み込んでいた。遠くに響くヘリの音を聴きながらぼんやり歩いていると、気付けば学園の校門近くまで辿り着いていた。

少しのつもりが、思いのほか遠くまで来てしまったな。雪が引き返そうかと周りを見渡した時、見覚えのあるクリーム色のサイドポニーが目に入った。

(にのまえ)?」雪は目を細めた。遠目ではあったが、それは間違いなく一だった。日曜だというのに制服を着て校門をくぐっていく。

 制服は自分も同じか。雪は学生帽を目深にかぶって校門に近づいた。

 一は灯りの付いていない校舎に入るところだった。日曜日でも部活の顧問や仕事の消化で教員が出勤していることがあるが、職員室にも保健室にも光が無いところを見ると誰も居ないようだった。しかし校門や校舎の鍵が開いているということは、用務員か誰かが来ているのだろうか。

 何か不穏な気配を感じて、雪は後を追って校舎の戸を開いた。念のため予知してから入る。思った通り警報は鳴らない。休日夜間の警備システムが作動していないところを見ると、やはり先客がいるようだ。雪はもう少し先の音を捉えられないか試してみたが、試みは虚しく終わった。やはり狙って拾えるのは数秒先の音までだ。

 玄関の傘立ての脇に、弓と筒に入った矢が数本立てかけてある。弓道部の忘れ物らしい。東の方でがらがらと音がする。一が教室の戸を開けた音だ。見ると電気が付けられたところだった。教室のロックも外されているらしい。

 足音を忍ばせて駆け寄っていき、そっとドアから覗き込む。「雪くん」

 心臓が喉から飛び出そうになって、思わず妙な姿勢で飛び上がる。一がくすくすと笑って戸の影から出てきた。相変わらず勘が良い。尾行に気付いていたようだ。「またストーキングしてたの?」

「いや、今日は違う。ほんとにたまたま」

 今日「は」というのがなぁ、なんとなく情けなさを感じながら雪は答える。「散歩してたら、偶然一(にのまえ)の真っ暗な校舎に入っていくところが見えてさ。何してるんだ?」

「忘れ物、取りに来た」一が生徒IDを見せた。「教室に落ちてたって。机に置いておくから早く取りに来なさいって先生が連絡くれた」

「そうか。まあ貴重品はすぐに回収するに越したことない、よ、な……」

 言いつつ雪は妙な違和感に襲われ、尻すぼみに言葉を切った。「……(にのまえ)、IDが無くなったのに気付いたのっていつ?」

「え、昨日の夜かな。金曜の朝まではあった」

「それはおかしくないか?」

 雪は顎に手を添えて教室の真ん中まで歩いていった。一も不思議そうな顔で付いてくる。

「僕と一は金曜には保健室登校だったよな。教室には足を踏み入れていないわけだ。どうしてその日の朝までは手元にあった生徒手帳がこんな所に落ちてるんだ?」

 雪は金曜の帰り際、一の鞄とすれ違った人物の姿を思い起こした。「なあ(にのまえ)、お前に連絡した先生って……」

「おいおい、何で真白(ましら)まで来てるんだ?」

 雪は弾かれたように振り返った。入口に両手を掛け、もたれるように担任の跡星がこちらを見ている。「呼び出したのは、(にのまえ)だけだったはずなんだがな」

 雪は無言で一を引き寄せ、腕の後ろに下がらせた。睨みつける雪の視線に片眉を上げ、跡星が手を下ろして笑う。「どうしたんだ、そんな怖い顔して。学校に先生がいちゃおかしいか?」

「いえ、僕の後ろをとれる人間はそう居ないものですから」

 雪は重心を低く構えながら答える。裏の人間は皆背後には敏感だ。先に一に脅かされた時でさえ、大まかな気配は察知していた。最も警戒する背後の人影を気取れないことなど、そうそうありはしない。

「はは、まるで漫画の殺し屋みたいなことを言うなあ」跡星は上着のポケットに両手を突っ込みながら笑む。「先生も憧れたものだよ、あの凄腕の狙撃手(スナイパー)

 膨らんだ跡星の上着ポケットから、破裂音がして銃弾が飛び出す。一の心臓目掛けて一直線に飛び出した弾丸の音を予知して、雪は反射的に弾をはじき落とした。

「鉛玉!?」床にめり込んだ弾を見て雪は丸くした。いや、それよりも……、「銃撃!」

「大した反射神経だな! 治安維持局の改造人間が紛れ込んでいるとは聞いていたが、お前がそうだったのか?」

 ポケットから銃を抜き出して跡星が言う。雪も素早く電子銃を抜き出して構える。

「そうとなったら話は別だな、先にお前から片付けた方が良さそうだ」

 一との射線の上に立ちふさがった雪に跡星が言った。

「弾速は電子銃(こちら)が上だ。撃ち合えばそちらが不利だぞ」

「お前の腕次第だ」

 跡星が撃鉄を起こす。『ドアのガラスが割れる音』……、自身の弾丸が外れることを予知した雪は素早くポケットから左手を抜き出した。

 閃光弾を放り投げると同時に、一を抱きかかえて目と耳を塞ぐ。己の顔も制服を幕にして光を遮断する。

 爆裂的な音と光が炸裂する。と同時に、腕に鈍い痛みを感じる。銃弾だ。こちらが閃光弾を投げると同時に敵が発砲したのだろう、正確に雪の頭の高さを狙った軌道だった。

 ここは危ない……。雪は一を抱き上げると敵が閃光に麻痺している隙にもう片方のドアを蹴破って廊下へ踊り出た。

 走りながら銃を構える。廊下に並んだ消火器を次々に撃ち抜いていく。昔ながらの消火器だ、煙が上がって二人の姿を隠す。

 背後から再び発砲音がして、雪の背中を撃ち抜いた。雪は呻く。特殊防弾繊維が編み込まれた制服といえど、さすがにこの距離での直撃はきつかった。

痛いだけだ。雪は歯を食いしばって廊下を二秒で走り抜け、角を曲がる。中等部校舎の手前……、保健室。

雪は保健室に飛び込むと、当惑して震えている一を下ろして学ランを着せかけた。机の下に手を入れて探ると、事前に聞いていた通り電子銃のカートリッチが貼り付けてあった。ポケットに「替え弾」を突っ込んで素早く入口に戻り、脇に掛けられたカレンダーを外す。その裏に隠されたパネルに数字を入力し、数秒後に自動ロックがかかるように設定した。

「明け方まで内からも外からも開かないように設定した。訳あってここは簡易シェルターより安全だ。ここで待っていてくれ」

「待って、雪くん……」一が雪のワイシャツを掴む。「行かないで。置いてかないでよ。のまえを独りにしないで……」

「しないよ」

 雪は一の手をそっと握って、優しく声を掛けた。

「大丈夫、必ず戻ってくる。何も心配いらないよ」

 それから彼女の手をワイシャツからそっと外し、扉に手を掛けた。「突然色んなことがあって不安だろうけど、僕は君の味方だ。帰ってきたら、全部説明するから」

 手を伸ばしたまま頼りなさげな目でこちらを見る一の顔から視線を逸らし、雪は扉を閉めた。ガチャリとロックのかかる音がする。取っ手に手をかけて開かなくなったことを確認し、雪は階段に向かって駆けだした。

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