悪役と幸福
「…まだ起きていたのか?」
まもなく日付が変わろうかという時刻、ようやく私室に戻って来たジェラルド様が、ソファーに腰掛ける私を見て目を見開いた。
「ええ、明日が楽しみで寝付けなくて」
そう言いながら、私は手元の案内状に目を落とす。
我が国初の“平民向け国立学校”の設立記念式典について書かれたそれには、代表者としてレオ君とエラさんの名前が記載されていた。
宣言通り十六歳になってすぐに結婚したレオ君は、卒業後にエラさんと二人で平民向けの私設学校を開校した。
「特待生制度には、もちろん感謝しています。けれども、僕は平民であっても皆が教育を受けられるようにしていきたいんです」
レオ君が瞳を輝かせながらそう語っていたことを、今でもはっきりと覚えている。
ジェラルド様自身が動くのではなく、“受け取る側”だった人間がそのように考えるに至ったということで、特待生制度を始めとする施策は、成功したと言えるのではないだろうか。
もちろん、だからと言って運営を二人に丸投げしたわけでもなく、ジェラルド様は私設学校にかなり肩入れをしていた。開校後瞬く間に話題となるのは、当然の成り行きだったと言えよう。
そのうち、あまりの人気から、私設学校を公的な機関にすべきだという意見が多数挙がり、数もずいぶんと増やされた。
そして遂にはその有用性が認められ、国立学校として国が運営する運びとなったのである。
「レオと顔を合わすのは、卒業以来か?」
「はい。明日はアンドリュー殿下も式典に参加されると聞いています。みんなに会えるのが楽しみです」
平民を対象とした国立学校の設立というのは、この世界では類を見ない取り組みらしく、結果として明日の設立記念式典には各国の要人が多く招かれている。
参加者の中には、隣国の第二王子であるアンドリュー殿下の名前も記載されていた。
一年生の終わり頃から祖国に一時帰国していたアンドリュー殿下は、我が国に戻って来るなり「周囲の声に惑わされていた自分が馬鹿みたいだよ」と語った。
その時の殿下のさっぱりとした表情から、彼とお兄さんの関係が良い方向に変化したのだということが一目でわかった。
それ以来、彼は自国の王太子の片腕として精力的に公務に励んでいる。おそらく、もう二度と「自分さえいなければ」などと考えることはないだろう。
私の言葉を聞いて、ジェラルド様は僅かに眉を寄せる。
「あいつは、王太子妃であるエリスに対して、いつまでああなのだ」
ジェラルド様の呟きに、学生時代と変わらないアンドリュー殿下の態度を思い出し、私は苦笑いするしかない。
「それだけ心を許してくださっているということですよ」
そうは言ったものの、ジェラルド様はどこか不服そうだった。
当然のことながら、明日の式典には、スピアーズ公爵家の次期当主としてラルフも参加することになっている。
懐かしい顔ぶれが揃う明日の式典が楽しみであると同時に、その場にマイがいないことだけが残念だ。
「マイを連れていけないことだけが残念です」
いくら彼女が私の専属侍女とはいえ、そのような場に連れて行くことはできない。
「まあ、そうだな。だが、会おうと思えばいつでも会えるさ。エリスが誘えば、皆喜んでやって来ると思うが?」
ジェラルド様はそう言うと、私の髪を撫でた。
その手つきが優しくて、まるで宝物を愛でるかのようで、ふいに涙が込み上げる。
「…どうした?」
「幸せだなと思って。幸せすぎて、泣けてきました」
愛する人が隣にいること、そしてその人が愛を返してくれること。前世の私には考えられないような穏やかな幸せが、ここにはある。
前世で“悪女”と呼ばれた私は、転生して“悪役”になった。
しかし今の私は、“悪女”でも“悪役”でもない、“幸せなエリス”だ。
どんな人間だって幸せになれる可能性はあるのだと、私はこの世界で身をもって知った。
涙ぐむ私に、ジェラルド様が優しく語り掛ける。
「さあ、そろそろ眠ろう。エリスも、もう一人の身体ではないのだから」
ジェラルド様はそう言って、膨らみ始めた私のお腹に手を当てるのだった。
◇◇◇
夢を見た。
真っ白な世界に、ぽつんと佇んでいる夢だった。
目の前には、一人の男性が立っていた。
ぴしっと伸びた背筋が印象的な、白髪交じりの初老の男性。
彼が片山なのだということは、一目見た瞬間にわかった。
「太田さんでしょ? 久しぶりだね」
片山はそう言うと、目尻を下げて笑った。
「よくわかったね。私、転生したんだよ」
そう言ってその場でくるりと回ると、彼は「そうみたいだね」と、当然のように受け入れた。
「なんか、ごめんね。勝手に死んじゃってさ」
「本当に。びっくりさせないでよ」
「いや、だってさ。まさか刺されるなんて思わないじゃん」
「僕だって、まさか太田さんが刺されるなんて思ってなかったよ」
そう言うと片山は、私の胸元をちらりと見て、「痛かったよね?」と顔を顰めた。
その顔があまりにも私の知っている片山のまんまで、私は思わず笑ってしまった。
「金成って、どうなったの?」
「捕まったよ。きちんと裁かれたから、安心して」
「…片山が、頑張ってくれたの?」
「まあね。太田さんのおかげで、弁護士も続けられてるよ」
「ならよかった」
目の前で微笑む片山の瞳が潤んでいることには、気づかないふりをした。
「これって現実? それとも、私の妄想?」
「どうだろうね。僕の妄想って可能性もあるけどね」
「片山の妄想で私が異世界に転生してるの、面白過ぎない?」
「確かに」
そう言って私達は、ひとしきり笑った。
夢で片山に出会えるなんて、そんな虫のいい話があるはずがない。
普通に考えれば、こんなものは私の願望が見せた、都合の良いただの夢だ。
けれどもなぜか、この片山は本物なのだと、強く思った。
本当は、伝えたいことがたくさんある。
片山についても、聞きたいことがたくさんある。
けれどもきっと、多くを語る必要はないのだろう。
「ねえ、片山」
意を決して発したその言葉が、真っ白い空間に響き渡る。
なんとなく、これが彼に伝えられる最後の言葉になるのだろうなと、そんな風に思った。
「片山の記憶に残る自分の顔がとびきり素敵であるように」なんて、考える余裕もなかった。
けれども、私の顔には自然と満面の笑みが浮かんでいた。
「私さ、今めちゃくちゃ幸せだよ」
まあ、前世もそれほど悪くなかったけどね。片山みたいな人間もいてくれたし。
照れ臭いから言わないけどさ。
そんな私の言葉を聞いて、片山は優しい顔で「そっか」と呟いたのだった。
これにて作品完結です。
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
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