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悪女と呼ばれた私、転生先でも悪役です  作者: 小乃マル


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悪役と婚約

「エリス、大切な話がある」

 かつてないほどに真剣な表情を浮かべた父が、私にそう声を掛けてきたのは、前世を思い出してから一週間が過ぎた頃だった。


「はい、お父様」

 何食わぬ顔でそう返事をしたものの、心臓が大きく脈打っているのを感じる。

 おそらく今日が、その日なのだ。


 連れられて入った父の執務室のテーブル上には、すでに紅茶が用意されており、室内には誰もいなかった。

 テーブルを挟んで父と向かい合ってソファーに腰掛けると、紅茶に手を付けることもなく、すぐに父が口を開いた。


「ジェラルド王太子殿下の婚約者に、エリスが正式に内定したとの知らせを受けた。三日後には共に王城に出向き、証書に署名をすることになっている」

 父から聞かされたその言葉は、私が予想していた通りのものであったが、それでもやはり胃がずしりと重たくなる。


「…不満かい?」

 顔に出していたつもりはないけれど、父には私の憂鬱な気持ちが伝わってしまったようで、身体に緊張が走る。

 王太子の婚約者に選ばれるという栄誉に顔を曇らせるだなんて、叱責されてもおかしくない。


 すぐに背筋を伸ばし、父を見据えてにっこりと微笑む。

「いいえ、まさかそのようなことは。お父様とお母様の期待に応えられるよう、精一杯励みます」

 なんせ私には“価値のある人間になる”という目標がある。

 漠然とした目標ではあるけれど、とりあえず現時点では、王太子妃候補として認められるよう励むのがよいだろう。

 

 しかし私の言葉を聞いて、目の前の父は眉を下げて悲しそうな顔をした。

「エリス、すまないね」

 父のその表情を見て、記憶の奥底に沈んでいた“前世の実父の顔”が、なぜだか急に思い浮かんだ。

 前世でも思い出すことなどなかったその顔は、目の前にいる父と同じような瞳をしていた気がする。


 私がそんなことをぼんやりと考えていると、父はソファーから立ち上がり私の目の前に跪いた。

「本当ならば、『ただエリスが幸せになれればそれで良い』と言いたい。けれども私の立場上、そう言ってやることはできないのだ。幼いエリスに重責を負わせることになって、本当に申し訳なく思うよ」

 そう言って父は、私の髪を優しく撫でた。

 父の掌から伝わるぬくもりが、ひどく懐かしく感じられて、私はなぜだか泣きそうになる。


「エリスは家柄だけで選ばれたのではない。これは、エリスに王太子を支えるだけの力があると認められた結果なのだよ。私は、そんなエリスを誇りに思うよ」

 目の前の父は、私の両手を自身の両手で包み込みながら微笑んだ。


 この先、私と父の関係は大きく変化する可能性がある。それも、悪い方向に。

 けれども、今私が確かに父に愛されているという事実は、決して忘れてはいけない。


「お父様、愛しております。私を大切に思ってくださって、本当にありがとう」

 私が唐突にそんなことを言うものだから、父は一瞬驚いた顔をした。

 しかしすぐに目線を合わせると、そのまま私を強く抱きしめた。

「あたりまえだろう」

 その言葉の直後、すぐ耳元で鼻を啜る音が聞こえたけれど、私は何も言わなかった。



 ◇◇◇



 父から伝えられた通り、三日後には王太子と私の婚約を定める証書に署名をし、晴れて私は“王太子の婚約者”という身分を手に入れた。

 いずれ手放さなくてはならない身分だから、なんの感慨もないけれど、しばらくはこの身分を大いに活用させていただこう。


 署名の場に立ち会った国王と父に政務があるとのことで、その場は早々に解散することになったが、それとは別に私と王太子が仲を深めるために交流の場が設けられることになった。

 開始からまもなく一時間が経過しようとしているが、いまだに天気の話くらいしかしていない。

 正直に言うと、かなりきつい。


 王太子は絶えず美しい笑みを崩すことがないものの、私に対してなんら興味を抱いていないことは明らかだ。

 私にとってもそれは同様で、いずれ婚約破棄を言い出すであろう婚約者と仲を深めたいなどと思うわけもなく、ただただ時が過ぎるのを待っている状況だ。


 太陽の光に照らされて輝く王太子の髪を見つめながら、「前世ではミルクティーベージュと呼ばれていたような色だけれど、この世界ではなんと表現するのが正しいんだろうか」などと考えている時だった。

「…私との会話を、つまらないとお思いになるのは構いません。けれども、王太子の婚約者として、それを周囲に気取られないようにしてくださいね」

 王太子は相変わらず口元に微笑を浮かべながらそう言うが、しかしその濃紺の瞳は全く笑ってない。


 確かに、かなり失礼な態度であったことは認めよう。

「大変失礼いたしました」

「特権階級にあるということは、常に見られているということです。攻撃されうる隙を見せてはいけません」

 …私の失態のせいで、婚約者との天気以外での初会話がとても物騒な内容になってしまった。


 王太子の言葉の、前半部分については完全に同意する。

 私は王太子の婚約者として、常に他者の目を意識しなければならない。

 “価値のある人間”だと、周囲に認めてもらうためにも。


 けれども後半部分は、一体どういうことなのだろう。

「攻撃、と言いますと?」

 私がそう尋ねると、王太子は冷ややかに笑った。

 その顔は十歳の少年がする表情とはとても思えず、私は背筋がぞくりとするのを感じる。


「“特別な身分”であるということは、それだけ周囲からの期待も大きいということ。少しでも期待に背けば、それは批判の的となり、我々は傷を負うことになるのです。我々はただ耐え忍び、なるべく隙を見せずに過ごすほかないのです」

 王太子は言葉を選びながら発言しているけれど、自分が王族である以上、批判に晒され続けるのは仕方がないことだと言っているのだろう。


 でも、それってどうなの?

 

「…私の愚見を、お聞きいただけませんか?」

 私がそんなことを言い出すものだから、王太子が僅かに目を見開いた。

 ちなみに、思ったよりも低い声が出たことに、私自身も驚いている。

 しかし、「もちろん」と促された手前、話す以外に道はない。


「確かに、権力を有する者に対して異を唱えることができない状況というのも、歪な状態ではあるでしょう。けれども、だからと言って理不尽な批判を浴び続ける必要はないのでは?」

 こちらに権力があろうとなかろうと、理不尽な批判は一方的な暴力にもなりうる。

 そのような一方的な暴力を黙認してしまうのは、果たして正しいことなのだろうか。


 しかし王太子は、私の言葉に首を振る。

「我々は国民の税金で生活しているのです。彼らには口出しする権利があります」

 王太子は全てを諦めたような表情を浮かべているけれど、やはり私は納得できない。


「国民の意見を取り入れる場は、もちろん必要でしょう。けれども、王族も貴族も、税金を使って遊び呆けているわけではありません。働き、義務を果たしている以上、与えられる金銭は正当な対価です。必要以上にへりくだる必要はないと、私は考えます」

 正直、婚約者同士が仲を深めるために設けられた場でするような会話ではない。


 けれども、私は前世で大人だったのだ。

 王太子とはいえ十歳の少年が抱える痛みを、このまま放置しておくことはできない。


「我々が民に負う義務は、彼らの生活を守ること。さらには、彼らの生活を向上させることでしょう。ストレスの捌け口に使われることではありません」

 せめて不当な言い掛かりで、この少年が傷つくことがありませんように。

 そう思って発言したところ、王太子はそれっきり黙り込んでしまった。


 彼が再び口を開いたのは、そろそろお開きにしようかという、まさにその時だった。

「エリスと、呼んでも構わないだろうか」

 先程とは打って変わって、やや砕けたその王太子の口調に若干の引っ掛かりを感じるものの、断る理由など何もない。

「もちろんです」

 私がそう言うと、王太子は満足そうに頷いた。


「私のことは、ジェラルドと呼んでほしい」

「えっ」

 まさかそんなことを言われるとは露ほどにも思っておらず、公爵令嬢らしからぬ素っ頓狂な声が漏れ、慌てて自身の口元に手を当てる。


 しかし王太子は私の素振りを気にすることもなく、平然と言い放った。

「婚約者なんだ、仲良くしようじゃないか」

 そう言って握手を求めるように差し出された彼の右手を、私は呆然と見つめるしかなかった。

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