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悪女と呼ばれた私、転生先でも悪役です  作者: 小乃マル


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ある悪女の追憶②

 十数年振りに片山と再会したあの日以来、私達は定期的に外で会うようになった。

 もちろん、そこに色っぽい感情など微塵もない。


「夫の不倫相手からメッセージが届いてさ、参っちゃうよ」

 あの日、そんなことをちらっと話題にしたところ、片山は不愉快な表情を隠そうともしなかった。

「そんな怖い顔しないでよ。別に私も、夫に対して愛情なんてないんだから」

 咄嗟に放ったその言葉は私の本心だったけど、片山が怒ってくれたことはなんだか嬉しかった。


「…離婚したいって言ったら、力になってくれる?」

 気がつけば私は、そんなことを口走っていた。

 あまりにも突然だったので、片山は驚いていたけれど、私だって驚いた。

 誰かに期待して助けを求めるなんて発想が、まだ自分の中にあったことに。さらにはその相手が、大して親しくもない元同級生であることに。


 急にこんなことを言って、呆れられただろうか。

 世間知らずな馬鹿者だって、思われただろうか。

 そう思って片山を上目でちらりと見ると、彼は満面の笑みを浮かべていた。

「もちろんだよ。僕でよければ、喜んで」

 そう言う彼は心底嬉しそうで、その時のことを思い出すと、今でもむず痒い気持ちになる。


 ぼんやりとそんなことを思い出していると、目の前に座る片山が「うーん」と低く唸るのが聞こえた。

「旦那さんへの請求金額、本当にこれだけでいいの?」

 難しい顔をしながらパラパラと資料を見返す彼は、“元同級生”ではなく、“弁護士”の顔をしている。

「婚姻期間は短いけれど、その間の財産分与も求められるんだから。不貞行為の慰謝料としても、正直安すぎる額だよ?」


 しかし私は、ゆるゆると首を横に振る。

「いらないよ。揉めるのも嫌だし、さっさと離婚してしまいたいから。引っ越し費用さえ貰えれば、それで」

 私が提示した金額が不倫の慰謝料の額として安すぎることは、私も調べたから知っている。金成にとっては、なんの痛みも感じない金額だろう。

 けれども別に、それでよかった。私は金成を苦しめたいとも思っていないし、そもそも金成の不倫によって傷ついてもいない。金成と離婚できるのであれば、それ以外はどうでもいい。


「あ、でもそれじゃ困る? 弁護士費用、すぐに払ってほしい感じ?」

 今回の件に関して、片山への報酬は分割で支払うことになっている。片山から提案された方法だったけれど、ひょっとすると「払えるものなら早く払ってほしい」と思っているのかもしれない。

「なら、その分上乗せしといて」

 そう言った私に、片山は悲しそうな顔をする。


「そんなこと言ってないよ。太田さんへの仕打ちに対して、あまりにも安すぎると思ったんだよ」

「じゃ、全然大丈夫。別になんとも思ってないからさ」

 “若くて美しい女性”を好む金成と結婚した時点で、いつかは不倫相手が登場することくらい想定していた。“若さ”なんてものは、永遠に留めておくことができないのだから。


「ほんとにさ、全然傷ついてなんかないのよ。こうなることはわかってたんだから」

 その言葉は、私の本心だった。

 けれども、私の言葉に眉を顰めた片山は、何かを耐えているように見えた。


「…太田さん、それは良くないよ」

 僅かな沈黙の後に発せられたその言葉には、怒りが含まれているように感じた。もしかすると、“結婚”という行為をあまりにも軽く考えすぎていると、怒っているのかもしれない。

 彼みたいな考えをする人がいるということは知っている。けれども、部外者である片山に、そんなことで怒られる筋合いはない。


 しかし、むっとして言い返そうと口を開いた私に掛けられたのは、思いもよらない言葉だった。

「悲しい時は悲しいって、辛い時は辛いって、ちゃんと気づいてあげないと。君自身が、自分を大事にしてあげないと」

 片山はそう言うと、悲しげに笑った。そしてすぐに眼鏡を外し、目頭を押さえながらぎゅっと目を瞑った。


「…ごめん。僕が言うようなことでもなかったね。でもいつか、僕の言ったことの意味が伝わると嬉しいな」

 そんな風に言われて、私は曖昧に頷くことしかできなかった。



 ◇◇◇



「次回最終確認をして、本格的に動き出そう」

 片山に言われて時計を見ると、予定していた時間を少し過ぎていた。

「長いこと付き合わせちゃってごめんね。それと、弁護士費用も」

 私がそう言うと、片山はきょとんとした表情を浮かべた。


「弁護士費用、待たせることになっちゃうかも。私馬鹿だし、こんなだからさ。なかなかバイト先も見つからないかもだし」

 やっぱり慰謝料に上乗せしようか、と言う私を、片山は正面から真っ直ぐに見据えた。その瞳はどこまでも澄んでいて、「“曇りなき眼”って、こういう目のことをいうんだろうな」なんてことを考える。


「太田さんは、賢いよ。賢いし、優しい」

 …一瞬、何を言われたのかと思った。

 自分を表す言葉として、そんな言葉が出てきたことに驚愕する。


「何言ってんの? 弁護士のセンセーに言われても、嫌味にしか聞こえないんだけど」

 もちろん、片山がそんな嫌味を言う人間ではないことくらいわかっている。けれども、彼がそんなことを言い出す意味がわからない。


「中卒の、水商売しかしてこなかったような人間だよ? “賢い”の真逆にいるわ」

 そう言って笑ってみたけれど、片山は真面目な表情を崩さず、小さな子どもにでも言い聞かせるかのように、ゆっくりと言葉を発する。

「勉強が、学歴が、全てじゃない。太田さんは賢いよ。太田さんは僕に、僕の知らないことを教えてくれる」

 片山にそう言われて、私は内心で首を傾げる。


 正直、片山の言葉に心当たりはない。

 片山に何か教えた記憶もなければ、片山に教えられる“何か”が自分にあるとは思えない。

 けれども、片山のあまりに真剣な様子に、その言葉を否定することができなかった。


「…優しくもないけど?」

「優しいよ。他人の気持ちを思い遣れる人だと思う」

「独りでも生きていけそうって、よく言われる」

「しっかりしているからかな? けれども、もっと自分を大切にしてほしいなと思うよ。僕の彼女だったら、めちゃくちゃに甘やかしてあげたい」

「何それ、口説いてんの?」

 まだ人妻なんですけど、と揶揄うと、片山は真っ赤な顔をぶんぶん振った。


「ごめん、そんなつもりはなかったんだ。でも、そう聞こえたよね? 本当にごめん」

 慌てる片山を見て、私は大笑いする。久しぶりに、心の底から笑ったような気がする。

「わかってるよ。ごめん、揶揄った。見た目の通り、性格悪くてごめんね」

 笑いすぎて目の端に滲み出た涙を拭いながらそう言うと、片山は何か言いたげに口を開いて、そしてすぐにまた閉じた。


「何? まだなんか言いたいの?」

 私がそう問い詰めると、片山は「口説いてる訳じゃないんだけど」と前置きして、そして私の瞳を覗き込む。

「太田さんの顔も、僕は好きだよ。意志の強そうな目元が特に、凛としていて、かっこいいと思う。全然、性格悪そうなんかじゃないよ」

 片山のその言葉に、今度は私の頬が熱くなるのを感じる。


 片山に対して、恋愛感情は全くない。それは片山も、きっとそう。私達の間に、恋愛感情は芽生えない。

 けれども片山の言葉は、私の心の奥の塊を溶かしてくれるような、そんな力を持っていた。

 自分の存在そのものを肯定されることが、こんなに嬉しいものだとは思っていなかった。


「…ほんとなんなの」

 わざと不機嫌そうに返事をした私に、今度は片山が声を上げて笑った。

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