悪役と王子
「ねえ、エリス。放課後、一緒にお茶でもどう?」
声のする方向に目を向けると、満面の笑みを浮かべるアンドリュー殿下がいた。
入学式の日から、なぜか私にちょっかいをかけてくるようになった彼は、いつの間にか私を「エリス」と呼ぶようになり、親し気に接してくるようになった。
自己紹介も碌に済んでいないのに、脈絡もなく「何よりも大切なのは命だ」と言ってくるような人間など、どう考えても要注意人物だろうに。ひょっとすると「おもしれー女」認定されたのかもしれない。
「…本日は先約がありますので」
「先約ってジェラルドと会うんでしょ? 私が一緒でも良いんじゃない?」
そんなことを言ってくるアンドリュー王子に、私はわざと聞かせるように大きく溜息をつく。
「良い訳がないでしょう。婚約者同士の交流の場ですよ?」
「何がいけないのかわからないな。私がいると、きっともっと楽しくなるよ」
そう言いながら私に伸ばされたアンドリュー殿下の右手が、後ろから伸びてきた別の手にぱしりとはじかれる。
「おまえはいつも、いい加減にしろ」
振り向くとそこには、険しい顔をしたジェラルド様が立っていた。
「そんな怖い顔しないでよ。嫉妬深い男は嫌われるよ?」
「…うるさい」
そう言って顔を顰めるジェラルド様は、普段よりも少しだけ幼く見える。
「本当に、仲が良いですね」
私の言葉を聞いて、眉間の皺を深めるジェラルド様とは対照的に、アンドリュー殿下の口元は弧を描く。
幼い頃からの友人同士だという二人は、顔を合わせるたびにこのような言い合いをしており、そんな年相応の振る舞いをするジェラルド様の姿に、私はこっそりと癒されている。
しかし、私のそんな思いとは裏腹に、ジェラルド様は心底嫌そうな様子で口を開く。
「こんなことなら、おまえとエリスを隣同士になどしなければよかった」
この国には不慣れであるアンドリュー殿下をサポートする相手として、私の名前を挙げたのはジェラルド様だと聞いている。
他国の王族を相手にするにあたって、“准王族”とでも言うべき私は丁度良い相手だったのだろう。
「いくら学園内とはいえ、もう少し王族らしい言動を心掛けたらどうだ?」
私の婚約者にちょっかいをかけるな、と続けられた言葉に、思わず胸が高鳴る。
けれども私は、アンドリュー殿下のこういった言動が、ジェラルド様の目の前でしか行われないことに気づいているし、さらに言えば、彼が私に“女性として”好意を抱いている訳でないことにも気づいている。
アンドリュー殿下の行動は、ジェラルド様に構ってもらいたいという、ただそれだけの理由からきているのだ。
もちろん最初は、彼の気安い態度に大いに戸惑った。
いくらアンドリュー殿下が私に恋愛感情を抱いていなくとも、彼の婚約者はそうは思わないかもしれない。『ガクレラ』内のエリスを見ていればわかるが、嫉妬に駆られた女性は、時に思いがけない行動に出ることもあるのだから。
しかし、遠回しに「婚約者の方に対して不誠実だ」と抗議した私に対して、アンドリュー殿下はけろりとした表情で口を開いた。
「ああ、気にする必要はないよ。私には婚約者はいないからね」
彼のその言葉に驚いたのは、言うまでもない。
庶民や下位貴族であれば、この年齢まで婚約者が決まっていないこともあるだろう。三年前まで庶民であり、その後公爵家の跡取りとなるために忙しい毎日を送っていたラルフも例外だ。
けれども、王族である彼がなぜ?
何か理由があるのだろうが、出会ってすぐの彼に対してどこまで踏み込んだ質問をしていいのかもわからない。
結局その時は、曖昧な返事をして会話を終わらせてしまったのだった。
そんなことを思い出していると、いつの間にか輪にラルフが加わっていた。
三人でわちゃわちゃと戯れる姿は、前世の高校生とそう変わらないように見えて、私は思わず笑みを溢す。
「なぜ笑っているのです?」
アンドリュー殿下の私に対する態度に、半ば本気で腹を立てているように見えるラルフが、そう言いながら私に怪訝な視線を向ける。
私に弟扱いされることを嫌がるラルフに向かって、「三人が可愛い」などと言えば、機嫌を損ねてしまうかもしれない。
しかし誤魔化すのも得策ではないだろうと考えた私は、「素のジェラルド様も、素敵だなあと思って」と答える。
我ながら、嘘ではない良い返答だ。
しかし私の言葉を聞いて、三人が不自然に動きを止めた。
「エリス、それは…」
「弟君に同感だ。さすがにこの場でその発言はいけない」
気まずそうな表情を浮かべるラルフとアンドリュー殿下の傍らで、ジェラルド様が右手で顔を覆っている。
彼の赤くなった耳と、何かを耐えるように小刻みに震える肩を見て、ようやく自身の発言のまずさに思い至る。
…ひょっとして、遠回しに「普段は良くない」と言ったように捉えられてしまったのかもしれない。
こういった思い違いは今までにも何度か起こっており、私はそれらが自身の“悪役顔”のせいに違いないと思っている。
相手はジェラルド様やラルフなので、真意を説明すれば誤解は解けるものの、そのたびに「勘弁してくれ」と言われることを、私はいつも申し訳なく思っている。
「もちろん、普段の隙がないジェラルド様も素敵ですよ!」
慌てて告げたその言葉に、遂にはラルフまで顔を赤くする。
「学習しないやつだ」と、恥ずかしく思われているのかもしれない。
そんな二人の横で、アンドリュー殿下だけがにやにやとした笑顔を浮かべている。
「本当に、見てて飽きないよ」
そう言う彼の手は、いつの間にか私の肩に回されている。
これは、いけない。
そう思った私がさっと身体を引くと、アンドリュー殿下は驚いたような表情をした。
「アンドリュー殿下。さすがに距離が近すぎます」
王太子の婚約者として、その辺りのことを曖昧にして受け入れてはならない。
「殿下も、線引きはきちんとなさってください。今は婚約者が決まっていないとはいえ、このクラスの誰かがその座に就く可能性もあるのですから」
そう言う私の頭には、マイの顔が思い浮かんでいた。
しかしアンドリュー殿下は、めんどくさそうな雰囲気を隠そうともせず、「結婚には興味がないんだよねー」と言い放った。
その言葉を聞いて、「もしや、この軟派な雰囲気の通り、女性関係が爛れているのかもしれない」とまで考えた私の思考が、アンドリュー殿下にも伝わってしまったのだろう。
「すごく失礼なことを考えているよね? 私はただ、結婚する気がないだけだよ」
そう言うアンドリュー殿下は相変わらずへらへらとしているけれど、どことなく真意が掴めず、「やはり王族なんだな」と感心させられる。
「それは…特定の相手を作りたくないということですか?」
「結構酷いこと言うね。そんなに不実な人間に見える?」
「まだなんとも。行動だけ見ていると、誠実な人間とは言い難いかと」
「失礼だなあ」
そこで言葉を切ったアンドリュー殿下は、へらりとした表情を崩すことなく、こう言い放つ。
「私の血筋を残したくないんだよ。私の存在が、兄を苦しめているからね。こんな状態が次世代まで続くなんて、耐えられないよ」
…これは、私が聞いても良い発言なのだろうか。
『ガクレラ』をプレイしていた前世の記憶のおかげで、アンドリュー殿下とお兄さんの関係は知っている。
けれども、その情報は直接彼から聞かされたものではないのだ。不用意な発言は控えなければ。
「いろいろと、ありますものね」
「本当に。私さえいなければと、何度考えたことだろう」
無難な返事で会話を終わらせようとした私に対して、アンドリュー殿下がした爆弾発言に、私は吃驚した。
ここまでのことは、『ガクレラ』でも語られていなかった気がする。少なくとも、私は知らなかった。
けれども、これでなんとなく辻褄が合った。
『ガクレラ』の【アンドリュールート】において、刃を向けられたジェラルド殿下を庇ったのは、彼のこのような考えがあったからなのだ。
「自分などいなければ良いのに」というアンドリュー殿下の考えが、彼をあのような向こう見ずな行動に駆り立てたのだろう。
この思想は、危ない。
そうは思うものの、あまり迂闊なことは言えない。彼のこのような考えを改めさせるのも、ヒロインの役割なのかもしれないのだ。
私はヒロインではない。私は、悪役なのだ。
「…何よりも大切なのは、命なのですよ?」
せめてこれだけはと思ってそう呟くと、アンドリュー殿下は驚いた表情を見せた。
しかしそれはほんの一瞬のことで、「またそれかい?」と揶揄うような口調で呟いた彼は、いつもと同じように飄々とした雰囲気を纏っていた。
そんな彼の瞳の奥が、寂しげな色を湛えているように見えたのは、私の勘違いかもしれない。




