悪役と外出
季節は巡り、私が前世を思い出してから五回目の春を迎えた。
「エリス。私は君と“デート”というものがしてみたい」
王立学園への入学が目の前に迫った中、ジェラルド殿下からいきなりそう提案された。
「…ジェラルド様のおっしゃる“デート”とは、具体的にどういったものでしょうか?」
私としては、週に一度開催されている親睦会だって“デート”と呼べる代物だと思っている。むしろ、私はこの親睦会を、この上なく楽しいデートだと認識している。
しかし、ジェラルド様にとってはそうではないらしい。
「私は、エリスと共に外出がしたい。護衛も最低限にした、視察とは違った外出だ」
彼が考える“デート”の「やはり」と言うべきその内容に、私は内心で舌打ちをする。
前世の夫も、私と外出するのが好きだった。
けれどもそれは、私と共に楽しむことが目的ではない。彼はただ、“若くて美しい女性”を連れて歩くことを目的としていた。
だから彼は私の服装や髪形にも細かく注文を付けてきたし、私が少しでも口答えしようものなら不機嫌になっていた。
まあ、彼のアクセサリーになることも結婚の内容に含まれているのは理解していたし、それに関して文句を言うつもりは全くない。
彼だけでなく、結婚までに付き合った男性も、だいたい似たような感じだったことを思うと、そういうものなのかもしれない。
そんなことを思い出して、なんとなくげんなりした気持ちになる。
本当ならば断りたいところだけれど、綻んだような笑顔を浮かべるジェラルド様をがっかりさせるのは忍びない。
「わかりました。服装や髪形に、何か指定はありますでしょうか?」
私がそう聞くと、ジェラルド様は不思議そうな顔をした。
「指定? そうだな…。歩くことになるだろうから、足に負担のない靴にするのがいいかもしれないな」
困惑が混じるジェラルド様の言葉を聞きながら、「そういえばヒールでテーマパークに連れて行かれたことがあったな」と、前世でのどうでもいい記憶を思い出していた。
◇◇◇
「エリス、よく似合っている」
デート当日。「デートとはそういうものらしい」という、誰に聞かされたのかわからない知識によって、スピアーズ家の屋敷まで迎えに来てくれたジェラルド様は、私を見るなりそう言った。
その頬は僅かに色づいており、口端は親しい者のみがわかる程度に上がっている。
予想通りの反応だ。
悪役としてキツイ顔つきではあるものの、美しい容姿をしているのは自覚しているし、そんな私は濃紺のワンピースを身に着けている。ジェラルド様の瞳と同じ色だ。
正直なところ、黒髪紫目の私が紺色の服を着ると、全体的にものすごく暗い色味になる。
前世で「この格好で結婚式に参列した」と公言しようものなら、顔も知らない人間から「葬式かよ」って言われてしまう程度には暗い。
どう考えても、初デートの服装にはそぐわないと思う。
けれども私は、それをわかった上でこの服を選んだ。ジェラルド様が喜んでくれるだろうと思って。
そして今、目の前の彼の予想通りの反応に安心する。
「ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです」
前世において、“悪女”と呼ばれていた私に言い寄ってくる男はクソみたいなやつばかりだったし、結果として歴代彼氏もクソみたいなやつばかりだった。
けれども今、そんなクソみたいなやつらにアクセサリーとして扱われていた経験が、ジェラルド様を喜ばせる役に立っている。
今世での婚約者との“初お出かけデート”において、ほんのちょっぴりでもあいつらに感謝している自分に気がついて、複雑な気持ちになる。
でもまあ、それも過去の記憶だ。
私が伸ばした手を流れるように取り、優雅な仕草で馬車までエスコートするジェラルド様の姿は絵本に出てくる王子様のようで、そんな彼の仕草を見られただけでも、デートの誘いを受けた甲斐があったなと考えていた時だった。
ぴたりと歩みを止めたジェラルド様が、思い詰めたような表情でこちらに振り返った。
「一つ、聞いてもいいだろうか?」
「はい。なんでしょう、ジェラルド様」
「その服は、エリスが自分の意思で選んだものなのか?」
「…もちろんです」
城下に訪れるのにふさわしい服装になるよう、侍女達に相談はしたし、候補となる服も挙げてはもらった。
けれども、何十着とある衣装の中から最終的にこのワンピースを選んだのは私だ。
質問の意図は読み取れないけれども、ジェラルド様の中から先程までの喜びの感情がなくなっている気がする。
「何か、お気に召さない点がありましたでしょうか?」
初見の反応はよかったのに、何が不満なのか。
ワンピースの丈か、ディティールか。はたまた髪型なのか、靴なのか。ひょっとすると、ペアルック的なものを望んでいたのだろうか。
「不都合な点がありましたら、すぐに着替えてまりいますが」
私がそう言うと、ジェラルド様は悲しげに笑った。
「私が言いたいのは、その服は君が本当に着たいと思って選んだものなのか、ということだ」
「どういった意味でしょうか?」
「無理に私の色に合わせる必要はない」
ジェラルド様のその言葉に、私の浅い考えが見透かされたような気がして、思わず俯いてしまった。
しかしジェラルド様は、私に言い聞かせるような柔らかな口調で続ける。
「もちろん、公の場ではドレスコードもあるし、私の婚約者と言う立場を考えた服装をしてもらわなければならないこともある。だがそれ以外では、私が喜ぶだろう服を身に着ける必要はない」
しかし、そんなことを言われても困ってしまう。
相手を喜ばせることができるかで考える以外に、デート時の服装をどうやって選べと言うのか。
「…似合っていませんか?」
もちろん、ジェラルド様がそういう意味で言っているのではないことはわかっている。けれども他に、言葉が浮かばなかったのだ。
「違う。よく似合っているし、エリスが私の色を身に着けようと思ってくれたことは素直に嬉しい。だが、私は“本当に着たい服”を身に着けたエリスと出掛けたい」
「とてつもなく流行遅れの、野暮ったい格好であったとしても?」
「構わない。王太子の婚約者として、あまりにも品位を疑われる格好でなければ、なんでも」
悪戯っぽく笑ったジェラルド様は、「まあ、その辺りの判断については心配していないがな」と付け加えた。
よく考えれば、ジェラルド様の言葉はもっともだ。プライベートで出かけるのだから、自分の好きな格好をすれば良い。当たり前のことだ。
けれどもなぜか、目の奥が熱くなるのを感じる。
「…着替えて来ても良いでしょうか?」
「もちろん」
ジェラルド様は、そう言って満足げな表情を浮かべた。
侍女に付き添われて部屋に向かう途中、一度ジェラルド様の方を振り向くと、そのまま彼とぱちりと目が合った。
ジェラルド様がずっとこちらを見ていたことに気づいた私は、顔に熱が集まるのを感じる。おそらく、赤くなってもいるだろう。
「どうしたんだ?」
「…ジェラルド様の色を纏いたいという気持ちも、私の本心ですからね?」
今着ているワンピースも、媚びを売るために嫌々ながらに選んだ訳ではないということが伝わるよう、勇気を出してそう言うと、ジェラルド様は右手で口元を覆った。
「ああ、わかっている。ありがとう」
彼のその真っ直ぐな言葉に、今度こそ私は部屋へと向かう。
アクセサリーとして扱われていた前世の私が、ほんの少しだけ浮かばれたような気がした。




