悪役と嫉妬
本日、8:00と16:00の2回更新です。
ラルフをスピアーズ公爵家に迎え入れて、早くも二年が経過した。
迎え入れた当初、読み書きすらも満足に出来なかったラルフに、私はかつてないほどに狼狽えた。
「この状態のラルフを、約三年間で周囲と同程度にまで仕上げればならないのか」と思うと、気が遠くなった。
というのも、“義弟”ではあるものの、ラルフと私は同一学年。つまり、ラルフは私と同時に王立学園に入学することになっているからだ。
ややこしいことこの上ないが、これはゲームの進行を同じクラス内で完結させたいという、『ガクレラ』の制作者の事情によるものだと思っている。
このままではいけない。
私が前世を思い出したせいでこの子の人生を大きく狂わせてしまったという負い目から、できる限りラルフに優しく接しようと考えていた私は、心を入れ替えた。
ラルフが公爵家の跡取りとして優秀であればあるほど、私にとっても有利に事が進むという邪な考えも、全くなかったわけではない。
けれどもそれ以上に、自分に非がないにも関わらず“犯罪者の子”になってしまったうえに、母親との関係まで解消する羽目になってしまったラルフを、これ以上傷つけたくはなかった。
このような状態で学園に通うことになれば、ラルフはおそらくとんでもない劣等感に苛まれることになるだろう。それはなんとしてでも避けたい。
そう考えた私は、両親が心配するほどにラルフを厳しく指導した。
「私のことを鬱陶しいと、嫌いだと思ってくれても構わないわ。けれども、なぜうるさく言われているのかだけは理解なさい。それでもなお私の言葉は聞くに値しないものだと思うのであれば、それはあなたの自由よ」
私は常々、ラルフにそう言ってきた。
しかしラルフは、私のその言葉を悔しさを滲ませながらも黙って聞き入れ、今では同学年の者達と同じ内容の授業を受けるまでに成長した。
驚異的な習得力であるが、これは攻略対象者のチート能力によるものだけではない。ラルフがどれほど努力をしてきたか、同じ屋敷に住む私はよく知っている。
ラルフの成長自体は素直に嬉しい。すごいことだと、心からそう思う。
けれどもここまでの関わりの影響で、私はおそらくラルフから良い感情を持たれてはいないだろう。
『ガクレラ』の設定どおり、嫌われてしまった可能性すらある。
もちろん、ラルフを“偽貴族”などと罵ることなどしなかった。
貴族として教育を受け、貴族としての義務を果たす以上、彼は立派な“貴族”なのだから。
市井の生活に身を置いた経験もある彼は、机上でしかその生活を知らない“お貴族様”より、よっぽど優秀な領主になる可能性だってあると、私は思っている。
それでも、だ。
義理とはいえ弟ができたことに浮かれていた私は、可愛い弟に憎まれているかもしれないという事実に、僅かな寂しさを感じてしまう。
すっかり公爵家の跡取りとして成長したラルフが、感情の読めない笑顔で「姉様」と呼ぶ度に、自分の選択を後悔しそうになったりする。
そんな時、私は自分に言い聞かせる。
「私は悪役なのだ」と。
攻略対象者に感情移入しすぎてはならない。善良な彼らが、ゲームの強制力によって私に牙を剥く可能性があることを忘れてはならない、と。
ラルフに嫌われてしまうことも、ある程度承知の上で彼に接してきたのだ。
もしもこの先、ラルフが私を陥れようとするならば。その時は、私は彼を許さない。
厳しく指導したとは言え、理不尽な感情をぶつけて来た訳ではない。もしも私の厳しさを「いじめだ」と思って断罪するのであれば、そもそも彼は公爵になるような器ではない。
その時は私がどうこうせずとも、彼の代でスピアーズ家は終わりを迎えるだろう。
忘れてはいけない。私は悪役なのだ。
◇◇◇
「やあ、見違えたな」
ジェラルド殿下はそう言って、ラルフに右手を伸ばした。
「前回は大変失礼いたしました。殿下の寛大なお心に感謝いたします」
殿下の手を握り返しながらそう言うラルフは、いつもと同じように澄ました顔をしているけれども、その耳は僅かに色づいていた。
おそらく、「将来義弟になるのだから」というジェラルド殿下の言葉に押し切られて、引き取った直後のラルフと殿下を引き合わせた時のことを思い出しているのだろう。
その際ラルフは「え…本物? すご…」と言ったきり硬直してしまった。
自分とは住む世界が違うと思っていた人間を目の前にして、直前まで言い聞かせられていた挨拶がすっぽりと抜け落ちてしまう気持ちはよくわかる。
けれども、あまりにも失礼な物言いと態度に、私は心の中で白目を剥いたものだ。
「いいや、気にするな。あまりに突然呼び出してしまったと、私も反省している」
そう言って美しく笑うジェラルド殿下も、この二年ですっかりと大人びて、感情をあらわにすることもほとんどなくなった。
「これからもよろしく頼む」と言いながら握手を交わす二人を、私は保護者のような気持ちで眺める。
成長したとはいえ、彼らはまだ十三歳。前世で二十八歳まで生きた私からすると、まだまだ子どもだ。
そんなことを考えながら、二人のやり取りをぼんやりと眺めていると、突然ジェラルド殿下がくるりと私に向き直る。
「ラルフもこれほど立派に成長したのだ。我々の親睦タイムも、元の頻度に戻ると考えていいんだな?」
そう言って笑みを深める殿下だが、目の奥は笑っていない。
王太子妃としての教育に加えて、ラルフのことで手一杯だった私が、「交流の頻度を減らしてほしい」とお願いしたことを、ジェラルド殿下は怒っているようだ。
しかし現状、殿下とは月に二回は会っている。以前よりは減らしたといえども、少なくない回数だと思う。
「ええ、まあ構いません。ですが、殿下がお忙しいのではないですか?」
ジェラルド殿下だって、年を重ねるごとに王太子としての職務も増えているはず。私との交流のために、これ以上時間を割くことなどできるのだろうか?
そんな私の心配などお構いなしに、殿下は涼しい顔で口を開く。
「全く問題ない。国の平穏のためにも、我々の関係を良好に保っておくことは重要だ」
殿下のその言葉に、まあそう言うのならば…と思った私が口を開くよりも前に、ラルフがずいっと前に進み出る。
「ジェラルド殿下にお褒めいただき、大変光栄でございます。ですが、私もまだまだ至らないところばかりですので…」
あまりの出来事に目を見開く私に背を向け、ラルフがいきなり発言するものだから、ジェラルド殿下が顔を顰めるのも当然だ。
「…我々の会話に割って入るのは、あまりにも無礼ではないか?」
「それは、大変失礼いたしました。しかし、私がまだ勉強不足であることがおわかりいただけたことでしょう」
突如として険悪な雰囲気を醸し出す二人を前に、私は唖然とするしかない。
しかしさすがに、ラルフがあまりにも失礼だ。相手が王太子であることを、忘れているのではないだろうか。
「ちょっとラルフ!」
私はそう言いながらラルフの肩に手を伸ばそうとしたが、なぜだか殿下に阻まれる。そしてそのまま、ジェラルド殿下は私の手を恭しく自身の両手で包み込んだ。
「エリス。今日から私のことは“殿下”ではなく“ジェラルド”と呼ぶように」
「はっ?」
突拍子もない提案に、公爵令嬢らしからぬ声が漏れてしまった。
しかし殿下はそんなことを気にする素振りもなく、言葉を続ける。
「前から気にはなっていた。婚約者として、他人行儀すぎる」
「呼んでみろ」と迫る殿下の気迫に押され、「ジェラルド…様?」と答えると、彼は満足げに頷いた。
「うむ、まあいいだろう」
ジェラルド殿下はそう言うと、どういう訳だか挑発的な視線をラルフに向けるのだった。




