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悪女と呼ばれた私、転生先でも悪役です  作者: 小乃マル


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悪役と芽生え

「スピアーズ公爵の甥とは、上手くいっているか?」

 一週間ぶりに会うジェラルド殿下は、私と顔を合わせてすぐにそう尋ねた。

 ラルフを我が家に迎え入れて以来、ずっと心配してくれていたのだろうかと、私はちょっぴりこそばゆい気持ちになる。

「はい、おかげさまで。()とは、上手くやっております」

 私がそう言い直すと、ジェラルド殿下の肩の力が抜けるのが見て取れた。


「すまない。そうだな、もう弟なのだな」

 そう言う殿下は、心なしか嬉しそうだ。

「彼がエリスに害をなすことがあれば、すぐに私に教えてほしい。厳正に対処するから」

 冗談めかして発せられた殿下のその言葉を聞いて、ふいに前世で「おまえを守るから付き合ってほしい」と言われた時のことを思い出す。

 その時は「一体何から守るんだよ。火事か? 地震か?」と思ったものだけれど、それに比べて王太子の言葉は非常に良い。

 どうするかが明確な上に、それを成しえるだけの力を有しているところが。


 私がそのようにどうでもいい思い出に浸っていると、ジェラルド殿下が手で軽く指示を出して室内から人を立ち退かせた。

 私と殿下を二人きりにするということは、私達への信頼の表れでもあるのだが、殿下がそれを指示した意図がわからない。

 不思議に思ってジェラルド殿下の顔を見つめると、彼は僅かに頬を染めた後、軽く咳払いをして声を潜めた。


「しかしスピアーズ公爵は、その子を跡取りとして育てるのだろう? 大丈夫なのか?」

「と、言いますと?」

 真面目な表情で告げられたその言葉がどういう意味なのかを問うと、ジェラルド殿下は気まずそうな顔をした。


「…生みの親は娼婦だと聞いている」


 ジェラルド殿下のその言葉に、私は静かに息を呑む。

 伯父から十分な金銭も与えられず、頼れる人間もいない。そんな彼女が生計を立てるために最後に行きついたのが娼館であるということは、極々限られた人間しか知らない。

 前世の日本よりも、性を売る職業の人間に対する風当たりが強いこの世界で、彼女の前職を伏せるのが最善だと判断されるのは、仕方がないことだった。


 ジェラルド殿下がスピアーズ家を本気で心配してくれていることはわかっているし、“彼女の前職をなるべく伏せたい”という我々の思いを尊重して人払いをしてくれたことにも感謝している。

 けれども、だ。

「ジェラルド様、その言葉ですよ」

 彼に悪意がないからこそ、その言葉はこの上なく残酷なものなのだ。

 

「以前、殿下は『平等な社会を作りたい、差異は差異だ』とおっしゃっていたでしょう? 仮にラルフの生みの親が八百屋を営んでいたとして、殿下は『八百屋の子で大丈夫か?』とお聞きになりましたか?」

 私のその言葉に、ジェラルド殿下ははっとした表情を見せる。


「庶民の職業と言っても、その中にもさらに階級があるのです。殿下がおっしゃったように、おそらく“娼婦”はその中でも最下層に位置する職業の一つでしょう」

 これに関しては、前世でも似たようなものだった。

 「職業に貴賎はない」というけれど、“光と陰”は存在していたし、さらに言えば、“陰”の中にも“薄っすらと明るい陰”から“何も見えない真っ暗闇”までの階級が存在していた。


「しかしだからと言って、彼女達が他者よりも劣っていると見なすのは、いかがなものかと」

 娼婦として働く人間が、なぜその職を選んだのか。自ら望んでその職に就いている者も、他にどうすることもできずに仕方がなく働いている者もいるだろう。そこで働く人間が、皆誇りを持って働いているとは言い切れない。

 けれどもそれは、何も知らない人間が彼女達のことを貶めても良い理由にはならない。


 そしてジェラルド殿下は、自身が無意識に彼女達を見下していることに気がつかなければならない。

 なぜなら、彼は“平等な社会を作ること”を目標としているから。

 庶民の中でも優劣が存在している状況で、そしてその優劣を当然のものとして受け入れている状況で、身分制度を撤廃しただけでは平等な社会など訪れるはずがないのだ。


「…すまなかった。やがて国のトップに立つことになる私が、口にすべき言葉ではなかった」

 私が言わんとしたことが伝わったのだろう。ジェラルド殿下はそう言うと、両手で自身の顔を覆って俯いた。

「エリスの言葉に、私は気づかされてばかりだ」

 力なく発せられたその言葉に、私は苦笑する。殿下は、私を買い被りすぎだ。


 人は、知らないことに関しては、想像すらできない。

 ジェラルド殿下がそのように思うのは、前世の私が殿下の想像もつかないような世界で生きていたからだ。

 崩壊しかかった家庭で育ち、碌に学校にも通わず、人生を諦めながら生きていたからだ。

 この世界の娼婦が置かれた立場に思いを致せるのも、周囲に似たような境遇の人間がいる世界で生きていたからという、ただそれだけの理由なのだ。


「私の婚約者がエリスで、私はとても嬉しいよ」

 いつの間にか私の真横に移動していたジェラルド殿下は、そう言って私の髪に口づけを落とした。

 そのまま至近距離で瞳を覗き込まれて、私は息が詰まる。

 ジェラルド殿下のその言葉が本心であることがわかるから、どうしたらいいのかがわからなくなってしまう。


「…そう言っていただけて、光栄です」

 なんとか声を絞り出し、「これからもお役に立てるよう、精進いたしますね」と続けると、ジェラルド殿下は静かに笑った。

 その表情を見て、私は鼓動が早くなるのを感じる。


 政略結婚の相手でしかない私のことを心配してくれるところ。

 私の意思を尊重してくれるところ。

 自身の過ちを認められるところ。

 好意を素直に伝えられるところ。


 それらのジェラルド殿下の美点が、私にはとても眩しく感じられる。

 とてもとても眩しくて、そして少し悲しい。

 …何も知らず、ただただ彼のことを好きになれたなら、どれほどよかっただろうか。

 いつの間にかそんなことを考えていた自分に、私は心底驚いた。


 沈黙と共に気恥ずかしさが漂うこの空気を破ったのは、ジェラルド殿下だった。

「さあ、紅茶が冷めてしまっている。新しいものと取り換えてもらわねば」

 殿下はそう言うと、室内に人を呼び戻した。

 最初の頃は殺伐とした雰囲気だったこの“交流の場”も、今では和やかな空気に満ちており、実は私はこの場を毎週の楽しみにしている。

 そしておそらく殿下も、この場を「良い息抜きだ」と思ってくれている。


 いずれ私は、ジェラルド殿下から婚約破棄を言い渡される運命にある。

 そのとき彼がどのような言葉で私を非難するのか、そしてどのような表情をヒロインに向けるのか、私はすでに知ってしまっている。

 必要以上に傷つきたくないのなら、深入りしないのが身のためだ。


 そう自分に言い聞かせるものの、できるだけ長くこの関係が続けばいいなと、そんな風に思ってしまった。

明日は8:00と16:00の2回更新です。

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