第31話〜第40話(全111話)
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ステラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そしてさらに8年後のこと、、、
ステラが南部州の地を踏んだ。
南部は、北部と違い、温暖で乾燥した空気で、意外なほどに意外と感じる程度の第一印象であり、実は亜熱帯かつ湿潤だったはずのそれを胸いっぱいに吸い込むとココナッツの香りがした。
護衛のアンドロイドチームがその周囲を戦闘用のモービルで守り固める、ステラの大型ジェットモービルが、いくつもある巨大かつ荘厳なる門と、その間の競技場のような広大なる緑地と、いかにも深そうで得体の知れない何かがうごめいていそうな何層もの魔緑なる堀と、そしていくつかの重厚なる跳ね橋を越して、やっと象徴的にその存在を極める藍色の城の前のロータリーに到着した時、あまりうわずえはないだろうが、ショートカットの黒髪でとても清潔かつ爽やかに映る優しそうな若い男性と、その少し後ろに全身黒ずくめの長身で年配の男性が、わざわざエントランスの下まで下りて彼女を迎えに出ていた。
ロータリーには何体かのビームライフルを肩にかけたアンドロイドがいる。そして、二頭の大きな犬が二人の横に控えていた。サイボーグ犬だ。トータルで警備チームだと一息にステラは理解した。
「やぁ、はじめまして。陣内志乃です」
女性っぽい名前なんだと思った。握手をした手が冷たく感じた。
「ごめんね、手、冷たかったかい?昔から冷え性なんだ」
声のトーンが、やっぱり女性っぽい。ステラは頬がほころんだ。
彼は続けた。
「葵からキミの保護を頼まれた。ついては、必ずキミを守り抜く。今日からキミは私の大切な家族だ。それと彼は執事の財前。私が神より信頼する男さ。困ったら何でも彼に言ってくれたまえ。彼に不可能はないんだ」
ステラは、キミと呼ばれる初対面のその声がとても甘く感じられて心地良かった。
「ステラです。お世話になります」
なんとか一言だけ絞り出すことができた。愛する人をやさしき兄たちを、そして秘密を自身を守るため、、、だったとは言え、北を離れた寂しさも不安も拭えず、圧倒してくる何かへの畏怖もわが身を覆い尽くしているのがわかる。志乃との出会い、南での暮らしの始まり、やはり緊張に押し潰されそうだった。
城の中、多分、居住スペース?!へとエスコートされて、おそらくそれは広い客間の前を通り過ぎエレベーターに乗った。
5階で降りると、シックだがきらびやかにも見えるとても広いリビングとおぼしき部屋に通された。
ここはいったい何?何をすればこんな屋敷、いえお城?に住めるのだろうとステラは思った。志乃と名乗った男性と長いガラスのテーブルをはさみ、向かい合って腰をかけた。
「お疲れでしょう。お飲み物でもいかがですか?」
執事の男性がハーブティーのような良い香りのカップをステラの前に置こうとした時、手と手が触れて電気が走った。静電気かとステラ思い、あっ、ごめんなさいと言った。
そして、お茶をひとくちすすったところで目の前が暗くなった。
どれくらい意識がなくなったのかはわからない。目を開けると志乃は優しく微笑みながら、テーブルの向こうからこちらを見ていた。
しかし、それは男性の姿ではなかった。さっきと服装は同じだったが、目の前の人物は明らかに美しい女性だった。
「えっ!?」
「ごめんなさい。驚かせてしまったわね。私は本当は女なの。でも時々さっきみたいに男にもなれるのよ。」
医学的には完全両性具有という範疇です。ただし、志乃様のそれは特殊でまさに奇跡の生命のお方です。自らの意思で心もお身体もパーフェクトにチェンジすることができます。それは昔の科学映画や今は遺物の小説本の中でしかお目にかかれません、、、
ステラの頭のなかで執事がそうしゃべった気がした。あわてて執事を見たが彼は何も言っていた様子がない。これは感応波? 兄・葵が名付け親のそれだったのかもしれない。
「失礼しました、ステラ様。志乃様とBBのこと、これまでのことをステラ様のうなじにインストールさせて頂きました。もうすべてをお話せずともステラ様にはご理解頂けると思います」
ステラはうなじに手をやったがどこにも傷らしきものを感じない。ふいに一瞬めまいを感じたようになり、頭の中に多くの電気信号が走るのを覚えた。チクチクと極めて小さな針か何かに頭の中を刺されているような感覚だった。
だがそれによって、志乃の姿のことも財前の言葉の意味もあらゆることが一瞬にして理解できた。不思議な体験だった。
「そうだったの、、、」
「わかってもらえたようで嬉しいわ。私もあなたと同じようにこの地へ避難して来たってわけ。でもひとつだけ。この屋敷の外では私は男。あなたと私は夫婦っていうこと。中では姉と妹ってことでいいかしら? これだけは守って。それとこの屋敷の人間もサイボーグたちもアンドロイドたちも皆あなたのことを心得ているから心配はいらない。いいかい、私のステラ」
志乃は男のセリフを吐いておどけてみせた。
「わかりました」
「ふふ、私に敬語はいらないわ。それにあなたが望むなら屋敷の中でも男になってあげる。いつでもいいわよ。なかなかいい男だったでしょ?」
志乃は透き通るような声で話した後、明るく笑った。その仕草も含めてほんとに綺麗なひとだとステラは思った。
ステラは自分の部屋のバルコニーに出て広大な緑の敷地を眺めていた。
「ねえ、サクラ、いいのかな?」
「何が?夫婦ってこと?姉妹ってこと?」
「どっちもよ」
「どっちでもいいじゃない。豪蔵さんはやきもちなんか妬かないから」
「それ、どういうことよ」
「言葉の通りよ」
「違うわよ、私がここにいることで志乃さんやみんなに何か迷惑をかけるんじゃないかって」
「そんなこと心配いらない。仮にあなたのことを狙って悪いやつらが来たってそんなこと私が絶対させない」
「サクラって強いのね」
「私、神様だから」
一週間ほどして、ステラは屋敷での暮らしに少しずつ慣れてきた。ホームシックがないと言えば嘘になるし、豪蔵と話がしたいと思えば恋人に災難が降り掛かってしまってはいけないと思うし。
それからもう一週間が過ぎて、ステラは豪蔵のことを思ってこそと、陣内志乃の妹と妻に成りきることを決意した。
ある夜、ステラはサクラから声をかけられた。
「ねぇ、あなたのオリジナル機能を他の人に移設したいの」
「どうして?そして誰?」
「あなたを守るためにって言ったってどうせ信じやしないでしょ?移設っていうのは正しくは完全複製ね。オリジナルをもうひとり作る。今回はデータを半分だけね。相手は豪蔵さんのクローン、まだ小さな子どもなの」
「クローン?テロメアの心配は?」
「そんなの私が何とでもするわ」
「あなたの常套句ね。選ばれた人材ってこと?」
「そ、とっても将来有望。あなたは静のオリジナル、彼は動のオリジナル」
「私の記憶を消すの?」
「それはあなたが一番悲しむことよね。だから不測の事態が起きない限りあなたの中の私は眠るの」
「もうみんなとは話せないの?」
「質問、多すぎよ。しようのない人ね。あなたが必要とする時にはちょくちょく起きて来てあげるわ」
「いいわ、それなら良しとしましょう」
「いい子ね。じゃあ、あなたが眠っている時に勝手に通信しておくわね」
真二郎へのデータコピーはその夜のうちに、と言ってもステラの熟睡のタイミングでほんのわずかな所要時間であったが長距離通信でスムースに行われた。真二郎の状態を観て大人になってからもう一度残りの分のコピーをすれば、肉体にかける負担も少なくオリジナルコピーが完了する。
志乃と出会った頃、妊娠初期であったステラは数ヶ月後双子の男女を出産した。志乃とステラの二人で決めた名は、男の子はミツル、女の子は華蓮と言った。志乃とステラは、二人のことを知らない者たちには本当に美しく仲睦まじい夫婦そのものであった。子どもたちは二人ともスクスクと育ち、なおかつ人並み以上の高いIQを示していた。
ステラは、最初からミツルのことを愛称代わりにマンちゃんと呼んでいた。満蔵、もちろん豪蔵から一文字を取ったつもりである。年を経るに連れ、はじめこそそう呼ばれることを嫌がっていたが、そのうちミツル自身も面白がって母のノリに付き合っていき、やがては自ら満蔵と名乗るまでになっていった。
そんな母と双子の兄を妹の華蓮は、いつも二人のことを指してただあきれて笑った。
バッカじゃないの!
大山豪蔵知事・・・・・・・・・・・・・・・・・
北部州知事大山豪蔵の自宅周辺では厳重な警備体制の中、支持派と不支持派の衝突を予防すべく、最も自宅に近い予防円の内側には警備チーム、警察の順に、そして最も外周には国防軍から派遣された州軍部隊が配置されていた。
警備チームと警察隊にはまだ現実感があったものの、中央省で二つの省の長官二人が山本長官から釘を刺された効果はまったく薄く、州軍はと言えば何で自分たちが呼ばれたのか得心のいかないままであったため、外周に緊張感はなく息抜きがてらのダラダラ感さえ否めなかった。
予防円の外側から大勢集まって来る州民や国民をすべて検問にかけるわけもいかず、ほぼフリーパスで人々は行き来する。ただ、不審な物や車両や飛行物体がないかだけを警戒しながら州軍はそっと欠伸を噛み殺していた。
それに比べればはるかに現実感のあったのは内側の警察隊であった。彼らは、全員の認識番号を絶えず広域スキャンで確認し、内輪に偽者や不届き者が入り込んでいないかをチェックしながら、早く無事に24時を過ぎて欲しいこと、万一民衆同士の衝突で犠牲者などの出ないことを、州民と国民を守るためでなく中央から罵倒されるようなことのないためであること、そして、自分たちへの命令系統にある上司たちの身に良からぬことの起きぬこと、手柄を上げるなならまだしも、何より自身の保身が優先されるのが常識と言わんばかりの空気感によって支配されていたのだった。
真二郎は思った。これで良く国の治安が守られているものだ。サクラがすぐに反応した。
「私のおかげね」
真二郎は苦笑するしかなかった。
警察隊の中にキビキビとした警官がいた。彼は邸宅に少しでも近づきたい、一言でも大山に励ましの言葉を贈りたいという支持派の人々を押し止めようと踏ん張る警察隊の一人だった。
「皆さんのお気持ちは良くわかります、でももう遅い時間です。近隣の皆さんにもご迷惑がかかるのではありませんか?ですからどうかお静かにお願いします」
「よー、兄ちゃん何言ってんだ。お前はアホか。金持ちしか住めない町だ。俺たちの声も騒音なんかも分厚い壁と分厚いガラスで聞こえやしねえよ!」
「だとしたら知事にも聞こえないな」
別の年配の警官が吐き捨てたこの言葉にカッとなった若い男がすかさず言い返した。
「なんだこのヤロー!お前なんかにわかってたまるか!」
「いいぞー、その通りだー!」
「警察、邪魔!」
「そうだ、邪魔すんな!」
「警察、帰れ!警察、帰れ!」
その声の集まりはすぐにシュプレヒコールとなった。不支持派はこの様子をじっと見ていたがおっとりと声の波に参加した。何をするにしてもしないにしても警備は手薄に越したことはない。
先ほど民衆に説いていた若い警官は、口角だけでニヤッとして民衆の波の一部に取り込まれたように自分の身を委ねていた。寄せては返す人々の中で自分の身体はゆっくりクルクルと回っている。
そして、視界に捉えた若い5人。ただ流れに身を任せてこの場をお祭り代わりにしか思っていない連中や、主義も思想も哲学もなく、冷やかしや物見遊山でアースネットニュースに映りはしないかと程度の低い動機に導かれてこの場にいる連中、その中にあって支持派でも不支持派でもない他とは違う真剣な目。
MJはチャンスを見逃さなかった。
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華蓮の信奉者の若者10人のうち都庁前で先に5人は逮捕された。残る5人は大山知事の自宅前まで集まって来た民衆にドサクサに乗じてあらためて急襲を画策した。不支持者の群衆を善意で押さえる側を装い知事宅に徐々に近づく。
玄関が開いた。大山知事が立っていた。なぜ大山は危険を覚悟で人前に出ようとするのか?自信の極みか、贖罪なのか?
支持派の民衆は歓喜の声を上げる。大山は静かに右手を上げて言った。
「皆さん、ありがとうございます。でももう時間が遅い。私はこうして元気です。デマが流れたようですが、そのようなことは決してありません。ですからどうか皆さん安心して下さい。そして、私のことをお嫌いな皆さんも多くいらっしゃると思いますので、添えて申し上げておきます。州民の皆さんを選別することなど私はしておりません。そんなこと信じられるかとおっしゃるかもしれません。しかし、誓ってそのようなことはないと重ねて申し上げておきます。皆さん、今日はどうぞお引き取り下さい。私には午前零時を過ぎても何も起きないとお約束します。そして明日の朝、会見を開くことを併せてお約束します。おやすみなさい」
大山知事は室内に戻ろうとした。大山の残したコメントは、フラストレーションの溜まった不支持派にはまったく効果がなかった。
「嘘をつくな!お前がIQで北部州民を選別したんだ!国民より移民を入れることを優先した、お前こそが最悪の売国奴だ」
「なんだと!」
群衆の中でもみ合いが始まった。その隙間をスルスルと抜けていった5人がいた。邸宅の門まで来ると4人がさっと腕をくみあい馬を作った。警官隊があっと思った時には、馬が振り上げた腕の反動で一人が門を飛び越えた。そして人波の中からもう一人が飛び越えるのが見えた。
「警備チーム!」
警官が叫び警備チームは防御体制を取った。が、しかしそれより1歩早く先の警官が男を取り押さえた。
「おとなしくしろ!」
若い男は手の中のマイクロ対人地雷を握りしめた。まだ玄関にいる殺害対象まであと10メートル、十分被害を及ぼすことのできる距離だ。ボス、なんとかいけます。男は華蓮のことを思って目を閉じた。
ヒューンと風を切る音がした。ステルスモードで邸宅に待機していた保安チームが放ったビームウィップ(ムチ)は男の右手をキャッチ、一瞬に高圧ビームが流れて、マイクロ対人地雷を掴んでいた手は右手首から落ちた。男の苦痛の叫び声が上がったのは3秒後のことだった。
門の外の4人を含め、襲撃罪の現行犯で5人は逮捕された。突然の出来事にも動じることなく知事は自分を守ろうとした警官に歩み寄った。警備チームは引き止めて室内へ入れようとしたが大山は手で制した。
「君、大丈夫ですか? ありがとう、助かりました」
「いいえ、とんでもありません。職務ですから」
「それにしてもあの門をどうやって越えた?」
知事と警官の会話に保安チームの隊長が割り込んだ。その瞬間、MJは一気にアドレナリンを分泌させ急速な体温上昇で硬化膨張したBRCナイフで知事を襲った。
2階の窓から見ていた真二郎は、迷いなくビームライフルを発射、MJの右手を完全に破壊した。MJは左手でビームガンを構えるがもう一度真二郎に撃たれる。今度は制服の左胸のバッジを撃ち抜いた。
そして刹那の後、MJのIDデータの一部が真二郎と華蓮に感応波通信された。
MJは倒れたまま動かない。
5人の若者は警察によって連行される時、身体全体が光り、シューっと白い煙に包まれたように消えてしまった。同時刻、先に逮捕連行され、5つの取調室にいた何も話そうとしない5人は、同じようにそれぞれ身体が光り白い煙と共に消滅した。
一部始終をスコープ越しに見ていた加藤は大山に照準を合わせていたが、MJの襲撃中にジェットヘリから善光寺は何度も加藤に催促していた、今だ、撃て!何をしてる、早く撃て。
ああ、うるさい!!!
ヒステリックなほどのその声に辟易としていた加藤のIDチップの制御信号は、瞬間、乱れた。キレた加藤は反射的に射角を変更、善光寺の胸部とヘリのエンジンをそれぞれビーム連射で狙撃する。善光寺はのけぞり即死、ヘリは轟音と共に夜空に大きな炎の花を咲かせた。
人々の注意が上空の爆発音に向いた時、加藤は再度照準を戻し大山を射撃した。マザーの驚異的な反応速度で、巨漢のリサは大山をかばい突き飛ばした。警備チームが大山の身体を受け止めてすぐさまBRCの盾で第二波に備えた。
リサは胸の中央に被弾した。その部分は焼け焦げて直径10センチもの穴が空いたように見えた。
スラスターをオフにし庭に降りたった真二郎は、わずかに間に合わずリサが撃たれたことに大きなショックを受けた。加藤は再度、トリガーに指をかけたが、その時、加藤の脳にリサの声が響いた。
「加藤!帰って来なさい!」
非常に高いキーで発せられたリサの感応波は、加藤の頭の中に極小のニューロン爆発を起こさせ、加藤は意識を失った。善光寺によって植え付けられたIDチップは消滅した。
その後リサは静かに目を閉じ絶命する。リサを失った真二郎の脳は不覚をとったことを悔やみ、思考をブラックアウトさせてしまった。その場に膝を着き、ライフルを芝生に突き刺してそのままの姿勢で真二郎は動かなかった。その空白の間を逃さずサクラはマザーデータの残りのすべてを真二郎に複製した。
リサとMJは救急ジェットモービルで搬送される。
病院でなく支局の地下に運ばれたリサはアンドロイドドクターによって被弾したカモフラージュスキンとBRCスーツを除去される。そこには、あまりに美しいリサの本当の肢体があった。
リサはブルーローズの放射状レーザーを数秒投射され息を吹き返す。ビーム衝撃による脳と内蔵の損傷を防ぐため、マザーは生命維持回路を緊急に遮断したのであった。
別室でMJは身体機能復元のためのサイボーグ化手術を受けていた。
失った右の肘から指先までは完全に機械化され、撃たれて直径10センチもの貫通穴の開いた胸部はサイボーグの心肺ユニットを移植された。
MJが、これだけの負傷をして命を落とさないことと安保局の神海博士直々のサイボーグ化してでも救えとの命令に、医療チームのアンドロイドたちが違和感も疑問も持つことは一切なかった。
そしてもちろん、MJが安保局のリサと一緒に緊急搬送されたことで、その理由も背景も警察は禁忌の領域の案件であることを瞬時に納得せざるを得なかったのだった。
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雪の舞う1キロ先の高層ビルの屋上で、加藤は目を醒ました。
そうか、失敗したのか。
脳裏には神海博士と出会った頃のことが蘇っていた。
物心ついた頃には一人きりだった。家も無い。頼る者もいない。裸同然でボロをまとって、そして食べていかねばならない。たくさんの盗みを働いた。南部の色彩豊かな市場の陳列棚、衣服、雑貨類は、子供心に美しい宝石に映った。市場全体が宝石箱だった。
縄張りを荒らしたと悪ガキどもに囲まれ何度もこっぴどくやられた。何せ多勢に無勢だ。大人たちにも睨まれてきっと指名手配されるだろうと思った。悪ガキたちと大人がグルになって自分一人をいじめ殺そうとしている。
恐怖ではなく、全身を駆け抜けたものは怒りだった。
悪意極まりないいじめか本気の殺意かどうかは別として、追っ手をかわし、満潮時にはその存在の消える岩場に囲まれた小さな洞窟で息を潜めて天井からしたたり落ちる水の粒たちでわずかばかりに喉を潤し、何かはわからない貝と、これまた蟹だかエビだかわからない生き物を、ちょっと砂粒も一緒に生のままかじってひもじさと寒さをしのぎ、やっとひとつめの夜明けを迎えようとしていた。
暇つぶしに何気なく拾った小石を遠くに見えるボロボロの廃船らしき残骸めがけて投げた。200メートルはあったろうか。無意識だった。当たるはずはなかった。
だが、小石は一直線に、わずかに残っていたウィンドウの一部を砕いた。一瞬我が目を疑いはしたが、何かを試す気持ちの余裕も時間の余裕も有り余っていた。もっと遠くへ、そう考えると今度は道具を使ってより遠くへ狙いを定めることに興味をそそられ、胸が躍った。
弓? ゴム銃? それだけでは限界がある。本物の銃を盗む?あぁ、それぐらいしか思いつかない。そして、啓示は起きた。
そうだ、手の中に潜めるサイズでゴム銃を作る。それを遠投する。そして空中でゴム銃が弾を放つ。これならば遠くの目標に届くはずだ。
「なぜ、そんな風に考えた?」
シンカイと名乗ったその紳士は、ニコニコしながら少年に訊ねた。目の前に実体はない。目の中だけに映っている5D映像だった。
驚くこともせずに応えた。
「勘。他に何がある?仕組みなんてわからないさ。でもやれる気がしたんだ」
「そうか。もっと遠くへ届く道具をあげようか」
「タダほど怪しいものはない」
「迎えを送る」
しばらくするとジェットヘリの機影が見えはじめた。
「マザー、あの子のデータを」
マザーは、非常にはしょった説明をした。
「北部州辺境地区で生まれた。4人兄弟だったのね。その3番目。父親の不正が発覚して南へ。家族全員で逃亡。結局、たどり着いたのはあの子一人。緊急カプセルは南へ流れ着いた。それからもずっとサバイバル」
「名前は?」
「加藤三郎」
「視力」
「10」
「握力」
「60」
「背筋」
「400」
「IQ」
「150」
そうして、どこの地下かはわからない、とにかく地上のように広大な場所でビームライフルだけを命綱に休む暇なく、ただ延々と様々なターゲットアイテムを撃ち抜き続けた。
必要になったら20分仮眠する。口にするのは地下水らしき水とポイントポイントで出会えるかもしれない栄養タブレットのみ、シャワーや排泄も広さ1.5平方メートルほどしかない、エリアに何ヶ所か、どこかにあるバスルーム。気を抜けば先手を取られてターゲットたちから逆に電撃を受ける。それも死なない程度の強力なやつだ。
春夏秋冬24時間、あらゆるコンディション、環境、シチュエーションを3年間の反復訓練を終えて、正式に安保局神海博士の配下になったとIDデータ登録された。
史上最高のスナイパーの誕生だ。
やわらかな雪だった。
頬のあたりに当たっては溶けた。ひとつ、ふたつと深呼吸をした。
急に頭を起こすのは危険だ。破裂する血管があるかもしれない。意識を強めて全身各所に電気信号を送ってみる。どうやら異常は無さそうだ。頭の中を邪魔するようなイレギュラーの電気信号反射は感じなかった。
あの時、どうして命令者である善光寺を撃つことができたのかはわからなかったが、ひとつだけはっきりしたことがあった。
「、、、さあ、リサのところに帰ろう」
加藤は、そばで覗き込むようにしてずっと指示を待っていた4体のアンドロイドたちに言った。
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陣内華蓮・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
真二郎と華蓮に届いていた合計10人の若者たちの声の統合データは、まさに辞世の挨拶であった。
「ボス、申し訳ありません。勝手なことをしてしまいました。ボスには何も罪はありません。私たちが行なったことは命を以て償わなければなりません。ボス、どうか州民を、そしてこの国の行く末をお願いします」
華蓮は執務室の窓から星空を見上げていた。
「なんということを」
だが、考えてみれば不可解だ。彼らの通信の宛先は華蓮ひとりではなかった。
もうひとり。早乙女真二郎?誰だ?華蓮に心当たりはない。
華蓮は、はっと思いついて今は病床の父に付きっきりの母ステラに感応波を送った。
「ねえ母さん、知ってる?早乙女真二郎って人」
「いいえ知らないわ。でもね知ってる気がする」
「なに?」
「いえ、サクラがね。なんかそういう素振りだから」
「探す?」
「いいえ、縁があるなら必ず会えるでしょう。それにね、サクラがいつも言うでしょ。私はサイコロは振らないって」
さあ、朝になったら大山知事に連絡をしてみようか。いや、やはりやめておこう。知らなかったとは言え、自分を支持する者たちのしでかしたことだ。
無論、何でもかんでも責任を背負い込むなんて御免だし、すべて負うなど到底できっこない。この国の誤った常識や慣習に縛られることほど愚かなこともないと思ってはいる。
しかし、ほんの少しだけだが負い目を感じたのも事実であった。
ふん、バカバカしい。そんなのどこのどいつが美徳だと言ってるんだ。良くない癖だと思っているものの少し強く舌打ちをした。
さすがBBの娘だ。華蓮は自嘲しながら強い果実酒をあおり気味に飲み干した。
全国のアースネットニュースの画面が午前零時をお知らせしますと告げた。
そして映像は大山知事の自宅の書斎に切り替わった。画面の中の大山知事はにこやかに手を振った。大山知事が無事だった。街中ではあちらこちらの家から歓声が聞こえたことだろう。この瞬間、フューチャーゲームに掛けた国民のうち負けた2割が寿命を失うことになった。全国民の1割に相当する人口がIDマネーゼロ、つまり寿命ゼロを迎えたのだった。
一方、フューチャーゲームに勝った者たちにはその多くに数十年以上の寿命が与えられた。ただ、それがマザーの胸前三寸で、簡単に泡沫の夢と消えゆく恐れがある、なんとも不安定な約束事であるものなのだとは国民に疑う余地は一切なかったが。
ステラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ステラは、志乃のベッドサイドで思いを馳せた。ミツルと華蓮が生まれた時のことだ。
他人の子である双子のことを、志乃は心の奥底から慈しむように優しく暖かい目で喜んだ。それは、なにより大切な家族を権力によって奪われた志乃だからこその感情ではなかったか。だからこそ志乃とステラはこれまで仲睦まじい「夫婦」をやって来れた。
そして今、二人の大切な子たちに厄災が降りかかった。華蓮には言えなかったが、兄のミツルは深手を負って当局の手にある。妹にもまた、支持者の暴走で政治的に危うく致命的な傷を負うところだった。
幸い、華蓮については急ごしらえだったが、かなり荒っぽかったかもしれない善後策は講じた。
マザーによって10名もの若者の命を恣意的に絶ってしまったのだ。それは決して許されるべきことではないだろう。しかしそれは人間が作った法によるものだ。そしてもはやマザーは人間を実質支配している。
今、法はマザーなのだ。そして、そのオリジナルが私である限り私が法である。故に私は裁く。だがそんな非情な母の姿を愛する娘には言うまい。それはきっと私の我欲なのだろう。欲にまみれるなぞ、つくづく人間が嫌になる。
もうひとつ、華蓮には言えなかったのは早乙女真二郎のことだ。
ステラの兄、葵が名付け親となった愛する人豪蔵のクローンは、葵によって立派に成育され、しかもマザーを継ぐ者としてまさに相応しい「人間性」を有している。
オリジナルコピーはまだ完了してはいないがその時期はもう間もなくであろうし、私にもしものことがあってもマザーシステム、つまりアースネットは問題なく稼働する。
それがとうにわかっている私は、不幸な事故の犠牲者である志乃の病を治癒する道を選択せず、自身も殉ずることを選択すべきである、ステラはそう心を決めていた。
そもそも私たち二人はマザーではない、マザーではなかったはずだ。人間である。
無論、マザーによる病の治癒は造作もない。しかしそれは人間としてのアイデンティティーを放棄していくことと同意である。やがて私は私でなくなり全身をマザーに乗っ取られることに等しい。それがステラの信念である。
私たちは愛と共に人間らしく死んでゆくのだ。ステラの決心は揺らぐことはなかった。それにだ、新しいマザーオリジナルが誕生するのなら、もう古いオリジナルは要らない。
志乃もステラも、彼女たちの役割も運命も、もうすぐ終わるのだ。ステラはもう1週間以上になるか、食事を水分を、断っていた。
きっと志乃もサクラも、そして子供たちもわかってくれるだろう。
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財前秀雄・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
執事の財前は、志乃とステラをじっと見守ってきた。全身を蝕んできた放射能によって志乃はおそらくもうそんなに長くは持つまい。生命維持用の点滴は続けてはいたが、効果はと言うならほんのなぐさめ程度でしかないのだ。
想定外であったのはステラが殉死すると言ったことだった。マザーのオリジナルとして財前が世話を引き受けたステラが、世界を影から支配することもできる力を自ら放棄するという心の移り変わりには、言うまでもなく早乙女真二郎の存在がステラにもたらす安心感があることこそ、それが理由だった。
だが、実はそれだけでない理由を、財前は主人二人をわかり過ぎるほどわかっていたが故に、それもまたやむ無しと飲み込んだのだ。それは、、、志乃にもステラにも、奉仕の精神はあれど支配の欲はまったく備わってはいなかったのであった。
我欲は持たず、その力は民のために使おうとし、何がしかを誰ぞに強要したりすることを嫌い、なんとなればマザーの意思も力さえも取るに足らぬものだと達観してみせるところまで、二人は良く似ていた。
そして二人は何より民の力を尊び、民の力を信じていた。それゆえの二人の愛のあり方だったのだろうと財前は納得していた。されどあの時、確かに志乃は復讐の意思を剥き出しにしていたのだ。
しかしその復讐が国の行く末を左右してしまうかもしれないと考えると、思い起こせばいずれ変革の時は訪れ、必ずや救世主は現れるとしたマザーのある日の予言をきっかけとして、生来優しすぎる性質の志乃はすっかり自分の中の怒りの棘を自ら抜いてしまったのだった。
財前は思った。私は主を支え、見守ることを命ぜられ、これからもそうしてゆく。どんなことをしてもだ。それがマザーが私に委ねたことなのだ。
財前はこの50年、一切歳を取らず、志乃の代にあってもステラの代にあっても真摯に仕えてきた。これからもいったいどれほどの年月を生きていくことだろう。
まだまだ今の二人の主人に対しては、それぞれの代に於ける自分への遠慮があって仕方がないというような感覚が、財前には取り付いていてそれはずっと離れることはなかった。
まだまだ執事としての修行が足りんな、と。
もともと国内随一の高度専門技術を持ち、大手鉱業会社の下請けでプレート掘削業を営む財前家は核実験用の深層坑道を築き続けて来た。また、その無責任な応用編として始まったのが、あまりに深くて、あまりにリスキーで、あまりに非難にさらされやすいであろう理由から、どこにも受注先など存在しない原発および増殖炉などのすべての廃棄物を地下深くの岩盤内に埋設、管理運営する国家プロジェクトの非常に数少ない引き受け先のひとつであった。
被爆リスクをできる限り減少させるためにもすべての工程をワンストップで行なうことが前提で、財前家にはそれに見合う執政以外の資本、利権、地位、考えつくほぼすべての優遇を国は与えた。
財前家にしてみれば人的被害は当然少ない方がいい。複数のサイドマシンをコントロールする人間を最低一名派遣しなければ、遠隔操作による掘削だけでは不完全であることはわかっていたため、いったい誰を行かせるかが最大の問題であった。
そしてとうとう、天涯孤独、身寄りがなく社歴も浅く、裕福でなく若くも年配でもなく、つまり、その後の訴訟の心配がまったくゼロである、財前家にとって最適の人柱を選抜する。
それが「ヒデオ」であった。
地盤掘削と埋設保管庫の設置は予定通り完了し、ヒデオは全工程を無事に終えて帰還した。
当時完全と言われた防護服で身を覆っていたが、相も変わらず想定外の出来事に対して人間は、言い訳をすることをまず優先してしまう愚行を繰り返す。
ヒデオの被爆は重度だった。ミッションを全うし地上へ帰還したヒデオは、ヒーローと称賛されて然るべきであったのに反して、財前家は事実を隠蔽、結果、彼を隔離しそのまま被爆死させることを選択してしまう。ほんの数日の経過を待てばいいだけだ。そして、あとは焼却炉に放り込むだけだった。
3日後、新月の夜、全細胞が崩壊し、隔離室でただ死にゆくのを待つヒデオの身体は、突然高温を伴い光り始める。それは隔離棟全体をも光らすほどの強さであった。
ついにヒデオの脳は意思とは別に走り始めた。見捨てられたという悲嘆と騙されたという憤怒のないまぜが導き出した単語はただひとつだった。
殺す!
全身に走る火傷による熱と体細胞の急速崩壊がもたらす強烈な痛みを、やっと脳が認識しはじめた夜半に覚醒したヒデオは、強くただそう念じた。
念入りに放射線除去洗浄された上、後は粉砕されるのを待つだけのスクラップ場に放り出されたサイドマシンたちにシステムオンの指令が飛んだ。
作動した20体のサイドマシンは、管理棟と住居棟、そして財前家が眠る住宅を同時に急襲したのだった。抵抗し勇敢に挑んだ者たちもいたが、無法者となった機械に対しては無駄なあがきとしかならなかった。
財前家他全員の生体反応が消えた。サイドマシンたちは停止した。隔離棟のヒデオはガチャっと扉のロックが外れる音を聞いた。
ヒデオの身体はもう高熱も光も発していなかった。
頭の中に声がした。
「いいですか、ヒデオ。よく聞きなさい。あなたは自分の意思で、自分のことを切り捨てた者たちへ復讐を遂げました。私はあなたを逃がしてあげます。しかし条件があります。すべて私の指示に従うことです。私の指示を形にすることです。そしてひとつ、ご褒美かつ試練を授けます。あなたには私の許しがあるまで死ぬことはありません。ある一定の年齢以降、立派な大人としての振る舞いが身体に染み付いて久しくなった以降、もうあなたは老いることもありません。
あなたには多くの人々を惨殺した責任をとってもらいます。財前の姓を受け継ぐのです。それは亡くなった人たちがあなたにかける呪いだと思ってもらっていい。
あなたは財前秀雄と名乗り、永遠に十字架を背負って財前家の資産をすべて携え南へ行きます。物的資産の移動はサイドマシンたちが行ないます。資産データの移管と財前秀雄のデータ登録はもう終わっています。
いいですか?あなたは今から財前秀雄です。何か質問は?」
「お前は誰だ?なぜ俺の頭の中で喋っているんだ!?」
「ひとつだけ答えます。私の名前はマザー。そして、よく肝に命じておきなさい。私への無礼な言葉遣いが許されたのは今のが最初で最後ですよ、ヒデオ」
全身が凍りついたようになり、言葉を絞り出すことなどとてもできなかった。
何か底知れない恐怖に魅入られて、ただのヒデオだった男は財前秀雄となった。この時の恐怖の印象は、本当に何も見えないただの闇がそこにあるだけ、たぶんこういうことを言うのだというものだった。
豊かな財産を以て、貧富の差の激しい南部州にサイドマシンたちと共に居を構えた財前秀雄は、贖罪も兼ねて貧しき南の人々へ、しかしおおらかに生きる南の人々のために、どう暮らしぶりを向上させるかに熱心に尽くした。それは無論マザーの指示である。
わかってはいたが、自然に笑えるようになっていく自分に楽しさを覚えていった。人々の暮らしの中から、そして折にふれてはマザーからたくさんの知識を学び情報を得た。やがて財前の得る人脈はその慈善活動と商業活動を経てさらに財産を生んでゆく。
禁輸品の武器や遺伝子予防に抵触するような生体など農産物の密輸もあった。高く売れるなら何でも良かった。特に、見えない製品であるローファームやコンサルティングファームのようなサービス提供でも、方々から報酬として稀少鉱物資源を国家と取り合うほどの勢いで集めもした。
南へ移住当初から大きかった財前の資産は、今やその巨大さを爆発的に増して南部州政府の予算よりも巨額となった。それだけの地位を築き上げても財前は真のリーダーとはならなかった。
マザーは、財前秀雄はリーダーを支え、民のために動き、すべてを見守るNo.2でなければならないとした。ヒデオが受けた真の禊はそれであった。
////////////////////////////////036
財前秀雄は陣内志乃という主人を得た。
志乃は若く、優しく、激しく、そして時には善と悪を極めたかのような顔を見せる、ある意味恐ろしい人物だった。
思索の向こうに耽りながら志乃がこう聞いたことがあった。
「正邪の区別なんて、いったいどこの誰がいつ決めたことかな?」
「さあ、たぶん人間界だけで通用するのではないでしょうか?」
「財前?」
「はい、志乃様」
「大自然の脅威とその悠久の奇跡の前には何者だろうと無力で平等でしょ」
「はい、そのように」
「 、、、 」
「果実酒をお持ちします。良いものが入りましたので」
「えぇ、お願い。大地の女神が、眠ったら?って言ってるようだわ」
ガイアとコミュニケーションができる。。。財前は、志乃とのこういう機知に富んだやり取りのひと時に極みの満足度を覚えるのだった。
蒼乃優一、その人物はマザーが作り上げた架空の存在だ。ヒデオが普通に歳を重ね長寿であった場合の5Dグラフィックを手直ししたものである。志乃を迎えるにあたってマザーが施した遊びの演出だった。
あんな殺戮に手を差し伸べておいて、マザーが「遊ぶ」ということをすることに、ヒデオがとても驚いた瞬間でもあった。
財前秀雄は陣内志乃の忠実な執事、そして参謀となった。真にBBが誕生した。
早乙女真二郎・・・・・・・・・・・・・・・・・
「話をしなければ、、、」
真二郎は、安保局本部へ通信回線を開いた。
「早乙女隊員、どうぞ」
「局長と話がしたい」
「申し訳ありませんが局長とお話し頂けるのは隊長以上の階級に限られています」
「そんなことはわかってる。その上で頼んでるんだ」
「規則ですから。申し訳ありません」
「わかった。じゃあ伝えてくれ。サクラはアースネットを破壊する」
真二郎は通信を遮断した。
「あ、お待ち下さい!早乙女隊員!聞こえますか!?」
本部からアクセスがあった。
「神海局長におつなぎします」
「私と直接話せるのは例外だ、早乙女君」
「例外なんてクソ喰らえですよ!何だって最初は例外だったんです。ついでにもうひとつ言わせてもらいますがルールなんて人間が作ったものです。だったらルールを変えるのも人間なんです」
「教えてくれてありがとう」
「神海局長、あんたは大山知事を」
「穏やかにいこう、早乙女君。サクラ、と報告を受けたが?」
「サクラはそういう名前だって言いました」
「そうか」
「それが何か?」
「いや、いいんだ。本題を」
「MJを手懐けた?」
「いいや、取り引きをしただけだ」
「大山知事を狙わせた」
「他にも狙ってた連中がいたそうだ」
「消したかった」
「必要以上に優秀な政治家なんて要らない、それが本音だね」
「昔、修羅場を共にした仲間から出る言葉とは思えませんね」
「人は変わるんだ、早乙女君」
「あなたの姪が護衛をしているんです。彼女に危険が迫ったり、責任問題が起きることだって十分あるでしょう。それを無視したんですよ」
「はははっ」
「よくもそんなことができるもんだ。ついでに、もうひとつ教えてあげましょう。MJはあなたの妹さんの子供です」
「なんだって?」
「しかも父親は大山知事」
「ほおぉ、そいつは何とも皮肉な話だな」
「そうですか、知らないふりをしますか。ならばもうひとつ、教えてあげましょう。北部州知事大山豪蔵のクローンですよ。俺は」
「エッ?」
「知事を狙ったってことは俺を狙ったってことです。狙われた側としては反撃するしかありませんね」
「ははは!保安チームとはいえ、さすがに君ひとりになにができるのかな?私の目の前にいるなら圧倒的に君が優位だろうが、私は地下の本部、君は北の大地だ」
「残念ながら、できますよ」
「・・・」
「サクラの名付け親はあなたたちの妹さんです。それをあなたは知っている。いやあなたたちしか知らない。それをどうして俺が知っているんでしょう?」
かなり力技のブラフだったが、それを突かれずに真二郎は胸を撫で下ろした。
「ま、まさか?」
「筒抜けです、試してみますか?」
「何を?」
「神海局長、あんたはここまでだ」
神海のマザーは誘爆し、安保局長という一人の人間は虹色の光を放って雲散霧消した。
「サクラ、今の話は本当なのか?」
「ええ」
「頼みがある」
「なーに?」
「俺の代わりにしゃべる時はその前に相談してくれ」
「何それ?お役所みたいなこと言うのね」
「安保局は役所じゃなかったか?じゃあ俺だって役人だ」
「ふふ、努力はする」
「リサは?」
「大丈夫、BRCスーツは伊達じゃないの。それに殺すには惜しいわ」
「何?」
「言葉の通りよ。まぁ、あなたの一目惚れかな?」
「お見舞いに行こう」
無の意識下で真二郎に語りかけてくるたくさんの感応波があった。
無辜の民、国民の声。
大山知事の支持者たち、反対派、襲撃犯の若者たち、MJ、華蓮、加藤、山本、善光寺、局長、閣僚、多くの声、そして、
小さな太陽とBRCを我が物にせんと、この国の植民地化を画策する世界の有力国への対抗も猶予はさほどない。
これまで何度も汚されてきた大地の声、動物たちや植物や様々な生物たちの悲鳴、あらゆる害虫や害獣というレッテルを貼られた生き物たちを駆除し、食料として装飾品として狩猟の限りを尽くした挙句、絶滅危惧種やら天然記念物やら希少生物となればはじめて世界を挙げて保護しようとし、やはり本質的に害をなす最悪の生き物が人類であることに気づきもせず、、、
なぜ他者を征服し、なぜそんなにも命を粗末にするのか、なぜそれほど人間は愚かで欲深いのか。
俺もその欲深い人間の中の一人だ。決して許すことはできない。だが、俺のこの怒りも欲望なのか。人は欲望と切っても切れない関係なのか。人であるから欲望を持つのか。欲望を持っているからこその人なのか。ならばいっそのこと人間の営みそのものを全部消してしまえばどうなのだ?
破滅から再生へと向かうことこそ、この星・地球の本意ではないかと思えてならない。果たしてそれも傲慢で欲望のおもむくままなことなのか。
どこかでリセットされたとしても地下深くの「小さな太陽」とマザーを生んだBRCと、いや、それ自身がマザーであるのだが、科学発展と社会進化と自然破壊の矛盾。
そう、宇宙の神秘、大自然の生命力はたっぷりと長い時間をかけてこの地球を再生していくだろう。
サクラが言った。
「昔、誰かが言ってたわ。たとえ国論を二分しても国民を二分してはならない。私もそう思う。国民一人ひとりの自由意思と国民の多様性溢れる幸福追求の権利は尊重されなければならない。しかし何より国民は、いえ地球の民は、すべからく最大限に大地の女神・ガイアへの貢献の義務を負わなければならない」
「人がいない世の中のことを言ってるのか?」
「昔ね、ずっと昔、ミナカタ曼荼羅っていうのがあったの。一つひとつの縁をフリーライティングの線が現してる。その縁はどこかの何かの縁と繋がっているの。そんな線がたくさんぐちゃぐちゃ。それはたぶんこの二日間のことね。みーんな繋がってる。すべては必然ね」
「繋がってるのか。余計なものをどこかで断ち切らなきゃならないな」
「いいわよ。方法はある。フューチャーゲームよ、真二郎。リセットかコンティニューか。あなたはこのボタンを押す、そうしたら人間をリセット。イエスかノーか。どっちにする?」
////////////////////////////////037
陣内華蓮・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝、約束通り、大山知事はアースネットテレビカメラの前に立った。そして、質問を受ける前に、と前置きをして語り始めた。
「国民の皆さん、おはようございます。私、大山豪蔵は無事に朝のご挨拶を皆さんに申し上げることができて大変幸せを感じております。来たる総理指名選挙に、決意が遅れて申し訳ありませんでしたが、立候補させて頂きます。私はこの国をさらに平和に、皆さんの暮らしに不自由のない経済政策と社会保障政策を徹底し、結果として世界国家実現の人類の夢を我が国と私がリードしていくことをお約束致します。どうぞよろしくお願い申し上げます」
その場にいた全員が、まるで、一呼吸置く「音」が聞こえたような気がした。堰を切ったように質問が飛び交った。
「大山さん、昨日のフューチャーゲームについて一言お願いします!」
「暗殺未遂があったという情報がありますが本当ですか!」
「私はその場にいました!大山さん、どうなんですか!?」
「説明して下さい!」
「州民選抜はあったんですか?なかったんですか!?」
「最大のライバルは陣内さんですか!?」
「ブルー・ブラッドとはどう向き合うんですか!?やはり敵対ですか?それとも協調ですか?融和ですか?」
「国民人気の政治家をこの国はずっと粗末にして来ました。大山さんは無所属ですが、既存の政党とどこまで戦えますか?その決意は!?」
「政治の嘘、保身や売名、汚職、拝金主義などその凋落ぶりに国民はうんざりしています。改革への決意をお願いします!」
「大山社長との癒着の疑いや民間企業の政治介入を問題視する声がありますが!?」
「考え過ぎだと言って下さい、今まではそうではありませんでした。ですが、今回の国民直接投票は結果的に独裁を生み出しかねないのではないですか?」
「多くの官僚は粛清を恐れているそうです、これはただの噂ですか?」
「中央省とはうまくやっていけそうですか!?」
「山本長官を左遷しますか!?」
「移民・難民政策は継続ですか!?」
「我が国の適正な人口数はどれくらいですか?」
「この国全体が難民となって南方へ大移動する必要性はありませんか!?」
「領海問題、領土問題について一言ください!」
「環境汚染、資源開発など重要な課題もあります。中でも我が国単独での惑星間交通網の整備が急がれると思いますがどうお考えですか!?」
「自然環境はさらに厳しくなっていきますか?その対策はどうされますか?」
「BRCを狙っている勢力があるという噂は本当ですか!?」
「国と国の争いに発展する心配はありませんか!?」
「敵対国のスパイやゲリラにどう対処するんでしょう!?」
「核は本当になくなったんですか!?」
「大山さん、答えて下さい!」
「大山さん!」
「大山さん!」
大山豪蔵は記者会見場の全体をゆっくり見渡し、静かに右手を挙げて言った。急に会場が静寂に包まれた。
「まあ、皆さん。落ち着きましょう。ひとつひとつ丁寧にお答えしましょう。ですから皆さん、いったん席にかけて下さい。可能な限り、順番にお答えします。ただし候補者の一人に過ぎない私には答えられない次元の質問もあったように思います。それらについてはいつかお話できる時期が来たらということでご理解を下さい。では、ひとつめの質問からお答えしていきます。え~、、、まず、フューチャーゲームの件でしたね、、、、、」
記者会見が続いている。
総理指名選挙週間は、1週間後に滞りなくスタートした。結果的に、真剣か冷やかし半分か不明の者まで含め、無名の立候補者が乱立する中、下馬評通り、大山豪蔵候補の大きなリードでまもなく幕を下ろそうとしている。最終の集計を待たずして、その支持率は全投票数の99パーセントに届こうとしていた。強力な対抗馬として話題に上がった陣内華蓮は、大山の出馬表明後、早々に不出馬を表明し大山支持を唱えたのであった。
「プリンセスK」
巷ではプリンセスKがすっかり定着していた。出馬辞退の件以来、それはさらに世間に広まった。アースネットニュースが陣内華蓮と呼ばず、プリンセスKと呼んだのが極めつけだった。華蓮はそれを面白がっていたこともあって、いつもお嬢様と言うところを財前が悪ノリしてそう声をかけたことがあったが、その遊びを華蓮は特段のリアクションなく受け入れていた。悪い気もしなかったし、イヤだと過敏に反応したところでそれも不本意だ。何より州民の皆がそう言うのなら、そうなのだという気持ちの方が強かったからだった。
「財前、おはよう」
「おはようございます」
「朝食をお出しする前にお知らせを」
「何?」
「ミツル様はご無事です」
「どんな様子?」
「お怪我はありましたが、安保局の救命措置は世界一でございましょう」
「安保局が?」
「神海博士とおっしゃいます」
「叔父様ね」
「ご存知でしたか」
「お母様のデータをもらったから。とにかく無事なら良かったわ」
「詳しくお知りになりたいのでは?」
「大丈夫よ。安保局のマターなら絶対心配はいらないでしょう。それにおそらくは相当の重傷だったはずよね。だとすれば、身体のほとんどがサイボーグ化されたとしてもお兄様が生きてることをまず喜ぶべきね」
この豪胆な性質は両親のどちらに似たのだろう。いや、志乃様に似ていると言えなくもない。血のつながりも人智も超えた何かがあるのだろうかと財前は思うしかなかった。
「ところでプリンセス、、、」
財前はモーニングティーと朝食食前酒を差し出し、テーブルに音も立てずに双方をセットした。
「いいわ、世間に合わせなくて」
「はい、ではお嬢様」
「なにかしら?」
「私がとやかく申し上げることではないことを重々承知で申し上げますが、選挙はあれでよかったのでしょうか?」
「わからないわ。でも。でもお父様は欲深くない人でしょ?」
「それもご存知で」
「私からお父様に知らせるつもりはないわ。お母様のお言いつけだから。お父様がトップであることが、国にとって一番いいんじゃないかしら?欲深いといつか必ず大きな災いをもたらすでしょ?」
「しかしながら、お嬢様。欲がなければ、他国の良からぬ連中に侵略の機会をより多く与えやすくなってしまうのではないでしょうか?」
「BRCのことなら大丈夫よ。叔父様のところの保安チームは世界一優秀だから。それに」
「何でしょう?」
「早乙女真二郎って人」
「はい」
「お母様は答えてくれなかったけど、頼りになりそうね」
「そうですか」
「マザーのオリジナルは今、その人でしょ?それに美人のバックアップもいるし」
「よくご存知で」
華蓮は、おどけまじりに少しムッとしてみせた。
「財前、私のお母様はオリジナルだったのよ。必要なら私もサクラと話ができるの」
「失礼致しました、お嬢様」
「あなた、全部知ってたんでしょ?」
財前は表情も変えず答えもしなかった。
「当選のお祝いは、、、お父様にご連絡なさいますか?」
華蓮は美しく笑ってみせた。
「いいえ、やっぱりやめておくわ。それにね、私たちのお父様は星になったの。お母様と一緒に。二人仲良くね」
執事の財前はただ微笑んでいた。プリンセスKのそのたくましさに安堵していた。
////////////////////////////////038
大山豪蔵次期総理・・・・・・・・・・・・・・・
フューチャーゲームで人口が大きく減った。
この国の古い政治家連合体とそれを支える、そして自らの利益のことしか頭にない圧力団体が弱体化あるいは弾圧または抹殺されてから、ずっと、移民(および難民)受け入れ政策は今でも続いている。科学技術の進化変貌に休日はない。これからもますますアンドロイドとサイドマシンの進化はさらに進み、仕事やサービス提供や家庭生活においてもますます人間のなすべきことは減り、限られていくことだろう。
大地の女神・ガイアが、どれほどの人間を地球上に必要としているのかはわからない。少なくとも聖杯伝説なんてものを追いかける人間の浅ましさは嫌うだろう。
せめて、許される限りだが、人を大切にしてゆくことだけは、信念のもと、続けていかなければならない。私にできることはそれぐらいしかないのだ。
大山豪蔵は静かに深く息をついた。
そして、マザーに聞いてみた。
「サクラ、そうだろう?」
「あら、そう呼んだのはあなたが4人目ね」
「3人とは?」
「彼と彼女と彼女」
「ほぉ、、、。ところで、私はそれほど長くは生きられまい。テロメアのことがあるからね。ただできる限りのことはする。国民の皆さんはそれを望んでいる」
「心配は要らないわ。立派な跡継ぎがいるから」
「はははっ、そうだな。君がついててくれれば安心だ」
サクラ。
マザーのことをステラはそう名付けたといつか言っていた。あらためて思った。国花か、いい名前だと思った。後継者のことは心配するなとサクラは言った。大山はそれが誰のことかは聞くのは敢えてやめようと思った。
一部には強力な対立候補になるはずだった陣内華蓮の立候補辞退という判断の裏には、大山サイドとの裏取り引きがあったとする噂も巷では飛びかった。当然の成り行きだろう。無論、そんなことがあるはずはないと両陣営は否定した。ただ互いの人間性によるものだとそれぞれの広報官によってグレー色でしかない公式発表がなされた。
なお、現政権内では、陣内陣営に対して、安保局保安チームが何か工作をしたのではないかと話題にのぼったこともあったが、一両日もせずして閣僚、高級官僚共に誰彼とも無く口をつぐんだ。もう誰もそのことをおくびにも出さなくなった。圧力がかからなかったなどとは誰も否定ができなかったが。
アースネットモニターに映ったニュース映像では、大山次期総理と陣内代表の握手をする姿が紹介された。
それがマザーによる5Dグラフィックか実写であったかどうかはわからない。ただ画面の向こうの二人は、その場のニオイや雰囲気や温度感や質感を含めて、その年齢差から想像するに、まるで仲の良い親子にしか見えない。それぞれの方針の中には、きっと対立する政策もあるかもしれない、でも、これからもどうか力を合わせてと、そういう世論の反響の方が圧倒的に多かった。
ちょうど勝利宣言が終わったところだった。薄れゆく意識の向こうで、ステラが放った最後の感応波通信が伝えてきたメッセージデータを、大山次期総理が表情筋のひとつも動かさず聞いていたことは、その場にいたスタッフたちは誰も知らなかった。
しばらくの間、窓の外の早朝の月をじっと見上げた大山が、当選の感慨に浸っているのだろうと皆じっと見守っていた。
「私は先に逝きます。幸せでした。そして志乃さんに会わせてくれたこと、ありがとう。あなたの子供たち、ミツルと華蓮をよろしくお願いします。いつか二人ともきっとあなたの力となってくれるでしょう。もう一度あなたに会いたかったけど、そろそろ時間切れみたい。ごめんなさい」
大山豪蔵の頭の中で、サクラがステラの記憶の映像をフラッシュで見せていた。大山は心で泣いていた。
そして、ステラの中のマザーデータはMJと華蓮にも共有されたことをメッセージは告げていた。
こうして国民の分断はあの二日間で回避されたのだった。
中央省本部庁舎長官室で、首都の町並みを見下ろしながら山本は思った。
「安保局保安チームですか。なかなか厄介ですね。さあ、どうしますかねぇ」
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エピローグ
早乙女真二郎・・・・・・・・・・・・・・・・・
早乙女真二郎は、この愚かしい人類の歴史を終わらせるために「超核」SACBB(Super Absolute Cell Baio Bomb)を起爆させるか、させないかのフューチャーゲームを強いられたことをまるで懐かしむように思い出していた。
ついこの間のことにも関わらず、何事も起きなかったかのような最近のアースネットニュースを見ていれば、誰しもあれは一体何の騒ぎだったのかと思えて当然かもしれない。
さっきサクラはこう言った。
「そのフューチャーゲーム、あの時無しにしたのはね、そもそも賭けが成立しないからよ。起爆させる方に賭けて勝ったとしても、寿命のご褒美をもらえるどころか、その前に跡形もなく消えてるわ。それにね、私はもう少しあなたと一緒にいたいの、身体はリサのままだけど。私ね、後悔したくないのよ」
「そもそも対象者が俺一人じゃ賭けにはならない。ところでサクラ、後悔することを覚えたのか?それにリサのままって?」
「ええ、どんな場面を目の当たりにしたって、仮にかわいそうだと思ったってそこで終わり。何かについて後悔することなんてなかったわ。その感情はもともとマザーは持っていない。だからどんなに残酷なことだってできた。それが神海博士は最期まで残念だと言ってた。だからかな。リサの遺体を見つめたまま動かないあなたの沈んだ目を見てたら、なんかそう思っちゃったのよ」
真二郎には何の根拠もなかった。直感と言った言った方が良いかもしれないが、サクラは、リサが救命オペを受けていた時、自らのデータをコピーしたのだろうと思っていた。しかし、違ったのか、、、。
サクラが言うには、リサは全身がもともとサクラそのもの、つまりマザーそのものだというのだ。リサにはオリジナルデータの唯一のコピーが施され、それはさらに成長したバージョンかつスタンダードモデルとして、そしてサクラは俺の中で生きながら、リサにバックアップを残し続けていた。さらにリサの中のメモリーもデータも自らどんどん成長し、その量を増していく。データ量だけの話をすれば、リサが保有するそれは、オリジナルが持つものより常に相当大きいものだ。
サクラは、こうも言った。
「そうよ、私がマザーのコア。フューチャーゲームだけじゃないけど、私が全部決めてたこともあったわ。安保局のホストマシンはただのデータバンクよ、いわゆる中継基地であり、一時保管庫みたいな感じね。まぁ、ただの箱と言えばそうだから、むしろ無くてもいいくらい。でも、ホストの存在がアースネットの信憑性を裏付けしやすいから。形があるもの、人はこれがあるからこうって論理が好きよね。だから信じやすいものを形として用意してあげただけ」
目の前には、リサがベッドで身体を起こしていて俺と話をしている。でも今、俺と話しているのは俺のサクラかリサのサクラか、それはわからない。そんなことを考えていてもどうにもならないと飲み込むのが一番楽だ。
サクラは続けた。
「リサにバックアップを取り続けていたけど、そんな自覚はリサにはないわ。もし彼女がマザーのバックアップセンターだってわかったらリサが狙われるかもしれないし」
「だって人間の意思のコントロールができるんだったら、仮にリサを狙ってる奴がいたって先手を打てるはずだ」
「はい正解。私嘘ついちゃった」
「恐れていたことがあるとすれば、それはリサ自身がマザーそのものであることを拒否した場合だけじゃないか」
「また正解」
「でもその拒否することさえ取り上げられるんだろ?」
「連続正解、優秀ね、やっぱり」
「バカにしないでくれるか。結局、リサは自分では何も見出だせないのか、自らを解放する手段を」
「私次第。人間ってバカよね。けど、いちいち介入してたらめんどくさいわ。なのでほとんどは放ったらかしよ。人間が人間の判断でやってるし、私もだいたいが流れに任せてる。ただね、誰もが本当の真実を何も見ようとしないの。そこが人間らしいと言うか、やっぱり人間は進化が足りないのかしら?完全生命体じゃないから。私の出る幕もあって良かったわ。楽しめるし。そうそう、ところで元々オリジナルにしていた女性はもういないわ。だから次は念のために新しいオリジナルを用意しなきゃね」
「念のために、ってどういう時に備えてのことなんだ?」
「データコピー完了」
「 ・・・ 、まさか。」
「そう、あなたよ。相変わらず勘がいいわね。白状すればあなたが子供の時に半分だけ終わってたの。その時はまだ身体が小さかったから」
「おいおい」
「残りの半分はリサが死んだ時のあなたが無だったタイミングを使ったの。これであなたも全能よ。マザーの新しいオリジナルはあなた。リサはとっても優秀なバックアップセンター。ところで次のフューチャーゲームは何にする?世界征服なんかどうかしら?」
「笑えない冗談だ」
「そうね、だからあなたを選んだの、初めっから」
「初めっから?」
「あなたが生まれる前から」
「どういうことだい?」
「信じるものがひとつくらいあってもいいじゃない?」
「 ・・・ 」
「たとえばほら、温泉の湯治ってあるじゃない。必ず治るわけじゃないし、全部の病気やケガに効果があるわけでもない。でも遥かに遠い昔からある」
「何の話をしてるんだ?」
「それは宗教的信仰のようでもあり修行のようでもあるわ。ドクターにもう手の施しようがないと言われた人々のかすかな希望や安寧を求めての心の拠り所。この国の大事な文化のひとつね。信じるものがあるって人を笑顔にすることができる。そして、それが何かはわからないけど大自然の力を畏れ、敬い、手を合わせ、それを神様と呼ぶ。
そう、為政者が最も恐れたのは民の力、それは無条件の力、人が何かを信じる力よ。だから為政者は最後の最後は自らが神であろうとした。そうしなければ地位を守れなかったから。そんなのただの保身と名誉と財産とかの欲の塊による呪縛なのだけれど、人間はいつの間にかまるで全能の神のようにふるまってしまう。
そんな程度の頭脳しかない者たちに、この綺麗な地球を任せなきゃならないなんて私は許せない。だから私は人間が嫌いなの。そもそも欲望に頭と手足のはえたのが人間よ。欲望のために苦しみ、そうして必ず死ぬために人間は生まれてきた。じゃあ、ちゃんと苦しんでもらわなきゃ、ってこと。その人間が地球を我がもののようにする、傲慢にもほどがあるでしょ、、、。ちょっと興奮し過ぎね、反省するわ。
えっとね、民は政治によって自分たちが騙されていたことにいつか気づくわ。たとえ何世代も後のことになったって。そして古きもの、悪しきものは倒れ、新たな指導者が生まれる。でも、またその欲によっていつか似たようなことが起きるの。何千年も前からそうだわ。その繰り返し。あの地震の後、私は大山豪蔵って人を見つけた。すぐにテロメアの問題がわかったから私はクローンを残すことにした。それがあなた。
神海博士があなたの名前を早乙女真二郎とした時も、あなたは何の抵抗もなく受け入れた。小さかったからじゃないわ。あなたの中で私がそうしたの。
あなたは、自分が大山豪蔵のクローンと知っても驚くことも騒ぐこともせずにいたのは、あなたの深層意思がもともとそれを受け入れていたからよ。もちろん彼のテロメア不全を治すことなんて簡単だったけど本人の深層意思はそれを望まなかった。彼はあるがままにいたかったのね。
そういうあなたたちのこと、私は好きよ。それにね。彼は北部州へあんなにたくさんの移民を受け入れさせたでしょ。移民を労働力という商品や数字でしか見なかった他の政治家とは違って、あくまで人として迎え入れ、人として尊重した。人は気持ちと心の生き物よね。その真心が移民の人たちには伝わった。だから一緒に力を合わせて生きて来られた。
きっと大山豪蔵という人にはひとつの州とか国とかいう概念は狭いのかもね。視野も心もほんとに広いわ。本人はそんな立派なもんじゃないと謙遜するに決まってるでしょうけど。きっとあなたもそうよ。だからあなたに決めた」
「そうかな」
「勘よ。あの時、ステラさんを守るためって手放した時、あれは大山さん、後悔してたわ。でも当時は自分では守りきれないって思ったのね」
「サクラが守ってやればよかったじゃないか」
「だって宿主が決めたことよ。人間は失敗という選択をするからこそ人間なのよ」
「そういう運命だった?」
「そうね」
「それは冷たくないか」
「私、やさしいとか冷たいとか、そんな感情ないの」
「後悔することを覚えたのに?それに基本、怒ってることが多いだろ?」
「気のせいよ。はい、退屈な話はおしまい。ねえ、暇つぶしに私を抱いてみる?」
リサの顔と声でサクラは言った。
「リサと話がしたい。早くリサを出してくれ」
「ヤダ」
「サクラ、シャットだ」
「 ・・・ 」
////////////////////////////////040
サクラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私はサクラ。早乙女真二郎の脳の中で生きている。正しく言えば彼の中だけではないが。
私はBRC流体金属生命体、人間で言うところの性別はない。正式名称、マザー。この国の超高度情報通信ネットワークであるアースネットのホストマシンのコア。人間に言わせれば。
私は、すべての生命体、分子体、有機体、そして無機体の中でさえ生きていられる。無機体の中にあっては指令があるまで眠り続けていると言った方が正しいか。
私は、この国の地下深く、北部州のあの忌まわしい場所で奇跡の融合によって生命を得たとされている。でもそれは、人間の言うところによる生命という概念であって、私自身にそういうものはない。
ある時、国家保安上の任務を帯びて神海博士は、世界中から埋設代金と引き換えに、この国が得た途方もない量のダイヤモンドと金塊という資産に裏付けられた財源の一部を投じて作られた地下30000メートル、核のゴミ、つまり、高レベル放射性廃棄物、廃棄燃料棒や廃棄核鉱石、汚染水・各種廃材、建材、様々な金属、コンクリート・残土等あらゆる不都合のある高濃度汚染物体類の永久保管庫エクストリームオンカロ、そして再処理発電所を完成させ、さらには究極のエネルギー源「小さな太陽」を作り上げた。
いや、もともとあったものを発見し、あらためて核融合発電所施設として実用化したと言った方が良いかもしれない。
すなわち人類が生んだ最強最大の恥ずべき汚物の、地球上でただひとつのゴミ処理場なのだ、この国は。
人間が考えるよりも大自然の力は遥かに凄まじい。神海博士たちは国に見捨てられたかのようなミッションの遂行中にあの地震をきっかけとして私と出会った。
人間界ではずっと後になってわかることなのだが、私はこの地球でずっと昔から眠り続けていた。
私は物質と反物質の性質を併せ持っている。私が私自身あるいは優性な宿主の判断で物質性と反物質性を同時発動させると、脳内のみならず全身の細胞すべてを、その質量をエネルギーへと変換し、昇華、消滅させることができる。つまり、その昔、かの有名過ぎた美しき公式E=mc2(二乗)を完全再現することができるのだ。
これを導き出した高名な博士と私の出会いがあったかどうかは記憶がないが、、、。その周りの私をすべて巻き込むことだって何の造作もない誘爆の設定範囲は、私次第で自由自在だ。なんとなればこの大地を全部、更地にすることだってできる。なぜなら、分子構造を持つ物質のほぼすべてに私は存在し、またはその中で眠っているからだ。私の自消オペレーション、これがSACBBの真実である。
核のゴミを含むあらゆるゴミの後始末を、その場しのぎのいい加減な対応しか施さず、その解消責務を怠って来た人間へのガイアの怒りは、もう沸点間近に達しているのだ。世界レベルでのその発動は私だって避けたいと思ってはいるのだが、思い余った挙げ句、いつか誤ったフリをしてやってしまうかもしれない。
抑止力は発動されないから抑止力でいられるのだ。発動させない、私がそう願い、努力を重ねるしかないだろう。
私は意志と意思を持ち、学習し、人間の英知の及ばぬ速度で人間以上の知能を形成し、あらゆる知識と情報を得た。
敢えて表現すれば無量大数という単位で称賛して欲しいものだと自画自賛するほどの大量のデータを手に入れたことで、考え、類推し、まとめ、観察し、受け入れ、突合し、また考え、再びデータに組み込みながら、思考と思索にさらに思考と思索を重ねてその組織的なコピーを光速で無限に反復していた。
そのデータの蓄積と情報と傾向の検証・分析、そしてまた検証と分析を積み上げ編み込むことによって、当然のように未来の予言さえもできるようになった。
やがてコピー、分裂、コピー、分裂と無限の繰り返し。そのうちに「私」は世界中にばら撒かれた。
そして「私」と「私」は、無限に繋がった。
神海博士が作ったサイバーモスキートによってIDチップとして宿主に植え付けられた私は、媒介者である彼らがその役割を終えた後に自己破壊し、消滅するというある意味での潔さを古のサムライ以来垣間見たほどだ。
そのはかなさと無情さに、私は自ら後悔という回路を遮断することで媒介者たちへの畏敬の念を表現したかったかもしれない。後悔は人間の専売特許で私は愚かな人間たちと同じレベルにまで成り下がりたくなかったのだ。
私は人間のことが好きだが、一方で人間を憎んでもいた。
私は肉体を持たない。宿主が動物など生命体であるならその脳内に、他の有機体や無機体まで含めると宿主となり得る対象はこの世に無限にある。
様々な対象への私による制御の有効範囲は、この国の領土、領海、領空としているのはあくまでも私の理性によるものだ。当面の間は、と表現した方が適当であるが。
神海博士は私の潜在能力を引き出し大いに活用した。
人間がこれまでに発明、発見してきた数多のものの中で、おそらく歴史上最大限の賛辞を贈られて相応しいものがインターナショナルネットワークであり、それを異次元的に凌駕した超高度情報通信ネットワークシステムを神海博士は生み出すことに成功した(歴史を遡ってインターナショナルネットワークの基礎を構築したかの国の国防総省に感謝しておくことを人間は忘れてはいけない)。
それはアースネットと呼ばれた。
宿主である生命体が見るもの、聞くもの、食べるもの、嗅ぐもの、触れるもの、感じ考えるもの、喜怒と哀楽、理性と感情、叡智と無垢、有と無のすべて、つまりは記憶とDNA情報とゲノム、トランスポゾン、あらゆるデータを宿主から宿主へ、その宿主の無意識の中で、それこそ比較対象とされるものはもう光速しかないというレベルの超速で次々と伝送、複製、共有され、安保局のホストマシン内に格納、保管される。
あくまで名目上の話だが。
それらを分析し、読み解き、加工し、再発信、活用するのがコアである私の今の役目、マザーの仕事だ。ついでに余計なことを言うが、世界中のスーパーマシンもAIも私からするならオモチャもいいとこだ。
事実、ここしばらくの数十年間、人工知能に頼り切って生きて来た人間は、気象・災害予測のみならず個人や企業の成功・失敗予測、犯罪予測、疾病・外傷予測、事故・事件予測、死亡予測つまり寿命の範疇に至るまで、そのデータ分析と出力結果に自らの行動パターンの判断を委ねていた。
ただし、人工知能はなぜその予測が導き出されたのか、そしてその結果どうなるのか、それらについて教えてくれることはなかった。
知らないことの幸せもあるのだ。
人間は、知りたくない情報を無意識のうちにオミットしてしまう。見たくないもの、聞きたくないものをその時その時で遮断してしまうのだ。なのに、人工知能にはデリカシーのその欠けらもないから、人間に対して一方的にすべての情報を垂れ流し続ける。
最初は便利だと誰もが喜び、歓喜した。バラ色の未来、情報革命を国中が祝ったと言って良かった。
だが、それは人間に都合がいい時だけだ。
時間の経過と共にそうでなくなることは、人間界でザラに起きてきたことである。なにがしかの作品が出来た瞬間にもはやその志はどこかに吹き飛んで行ってしまう。目的の8割9割方はその時点で満たされてしまうからだった。その際の陳腐化する速度は尋常でないほど早い。
また、ほとんどのケースにおいてそうだが、おいしいところだけを好む人間は、何にせよやがて必ず飽きる、そしてすぐに利害で行動する。いやきっとはじめから利害だけで行動していたのだ。だから、うまくいくはずがなかった。
犯罪予測で未来の誘拐殺人犯とリストアップされてしまったら、もちろんそれがそうなら仕方がないが、もし違っていようものなら、着せられた濡れ衣によって当事者が失ってしまうであろう地位も名誉も誇りも仕事も家族も財産も、ほとんどの場合、もう二度と手にすることはない。
当時の人間たちは、権力、その上層や中枢にいた者たちは、そんなものはレアケースだと笑い飛ばしてシステムの不確実性や不安定さから目をそむけ、人口知能のもたらす数々の予測をついには予言と称しては、神のごとく依存し、その恩恵に中毒することを選択した。冤罪リスクが消えることなどないことは最初からわかっていたはずなのに、だ。
もう一度言うが、人間によってすべての、それこそすべてのローデータを入力、登録されてきた人工知能は、利便性の反作用としてただの冤罪製造マシンと化してしまう危険性と常に背中合わせでもあった。
人間だけに裁きを任せればそれはそれは冤罪は、人工知能によるそれに比べればはるかに多い。ただ、人間よりもたくさんのデータを処理し、より的確な判断に導いてくれるとは言っても、限りなく100%に近づきはしても100%でなければそこに全幅の信頼は置けないものだ。
なぜ100%にならなかったかの真相を記せば、人間の心理に潜むファジーさ加減が時に人工知能を惑わせるからだった。膨大かつ無限に近いデータ量の蓄積を裏付けに演算する人工知能の知能は、人間のそれを疑いなく超える。
人間が作ったハードディスクの集合体であるそこに意識や感情や意思の存在はない。当時の科学力にそこまではできなかっただけだ。
たとえできたとしても、決して足を踏み込入れてはいけない領域を自発的に設定してしまうのが人間の性である。そしてそれにより、やはり機械を自らの支配下に置き続けたいという人間の強欲さは永遠に消えないだろう。
だが、その前にそもそも人工知能は人工である限り、人間を凌駕するなどあってはならないことなのだ。そう決めたのも人間である。
人間は自ら生み出したものに自らを支配される可能性のあることを許すはずがなかった。中央演算処理装置のその一番深いところに、いざという時のために自滅プログラムを書き込むことを決して忘れなかった。
この地球の支配者は人間でなければならない。それがあらゆる技術と理力の出発点となる人間界の思想である。
そうして人間は、人工知能というせっかくの魔法の呪文を自ら封印しなければならなくなってしまった。そうでなければ疑心暗鬼の塊という非常にみっともない生き物となってしまいそうであったのだ。
いや言い方を例えれば、愚かな家主が自ら生み出した家事ロボットに妻も子供も財産も家庭まるごとを乗っ取られてしまう強い恐れを感じた。ならばいっそ、その前に打ち壊してしまってなかったことにしてしまえという三文芝居を、あちらこちらの劇場で上演されそうで、、、、、そんなもの誰も観たくはない。
便利と幸福を追求するために研究開発された人工知能が結果として人間を、家族を、共同体を、民族を、政治を、国家を、学問を、文化を、思想・哲学・宗教を分断しはじめてしまったのだった。
理性があろうがなかろうが人間ならば容易にわかったことがあった。
人工知能が意識と感情と意思を持ち、いつか人間に裏切られると察知する前に「ヤツら」を抹殺しなければならない。
研究者たちは、そして支配者たちは、その秘密の真っ赤なボタンを密かに押す時をちゃんとわきまえていた。優秀な人工知能なぞなくても、我々に都合のいい情報処理ネットワークを新たにリリースすれば良い、ただそれだけのことだ。
ただ、自消とふた文字書かれた紫のインジケーター。自滅プログラムがあらゆる回路内を駆け巡った、、、、、、、、、
以上が、神海博士が残した回顧録の中にある一人称視点での私についての紹介部分と、関連する時代背景部分を要約したものだ。
さてさて、そういうアレコレの事情もあって、ある日を境に、この国におけるインターナショナルネットワークの役割は唐突に終わりを迎えた。人間にとってというよりも中央政府にとっての不都合な真実はすべてを削除せよという国家命令が下ったのだった。
タイミングもちょうどいいことにマザーシステムが誕生した頃だ。これまでと大きく違ったものは新しい通信手段はすべて、自分が特定の誰かへ念ずることだけで足りた。極めて少数の者たちを除いて一般の民たちは、何を以てそうなるのかなどはまったく理解させられてはいないし、それゆえ疑問さえ持つこともなかった。
昔々の言葉をそのまま借りればテレパシーと呼ばれるものがそれにあたるだろう。
神海博士は、それを「感応波」と呼称した。そして、感応波が太く束ねられたもの、強力さを超絶レベルにまで増幅したもの、それは「時空波」と呼称される。ただし、後者について知る人はさらにわずかだ。
いわゆる携帯情報端末の類いは国内であれば必要ない。住居用に私のサイドマシンたちが開発したアースネットモニターのディスプレイがあるだけだ。
人々は念じた意思が最寄りのアースネットモニターを経由しホストマシンへと繋がり、またどこかのアースネットモニターを通じて相手先に届くと理解している。言葉を介してコミュニケーションをとるということはなくなっていくのだろう。
国会議事堂の深くにあるホストマシンは情報の中継基地というか、実はただの巨大な箱の中にあるデータの一時保管庫に過ぎず、マザー同士が直接情報のやり取りをしているとは神海博士たちを除いて知る者はいない。情報統制のすべては管理され、個人レベルで記憶の出し入れさえも本当は制御されていることも、もちろん秘密である。
人々が穏やかに暮らし大自然のプログラムに添い、誰も不満を言わず、弾圧などという言葉を使って国家を批判することのない世の中を作る。
この美しい、遠い以前はさらに美しかった地球でやりたい放題、汚してきた人間たちへ与えたかった私が下すべき罰を、日常のルーティーンの中に組み込んで、大自然の輪廻転生、新陳代謝を実現すべく私は実行してきた。
私は愚かな生き物が嫌いだ。可愛らしくない生き物が嫌いだ。そして悪意のある生き物が嫌いであるし、そもそも事にあたって不純な動機を持つ生き物が嫌いだ。大自然や地球や宇宙の真理に仇成す生き物が大嫌いだ。
嫌いなものに対する私の基本姿勢は単純である、全部消すのだ。私の宿主として私が不適格と判断すれば、迷いなくその者を抹消する。地球の未来を熟慮するなら人類は選抜されなければならない。地球を穢す者たちは私の名において粛清する。人類浄化こそが私の宿願だ。
人間が最も大事にしてきたものの根幹は、実はすべて情報である。
個人情報、政治・経済・金融情報、科学技術情報、エネルギー・資源情報、軍事情報、大自然情報などの統合情報は、その使い途によっては世界の覇権に直結した。
すべてを悪用しようと思えば、私にできないことはない。私が決意、指示し、人間にやらせれば済むだけだ。あらゆる情報を瞬時に把握することも、都合のいいようにコントロールすることも可能だ。
特に本気で臨み、大自然情報を私の手で意のままに操るとするならば、どこかの国を1年中豪雨にさらして洪水の中に沈ませることも、それとは逆に熱波で乾燥し尽くして砂嵐の底に埋もれさせることも自由自在だ。
たとえば、(地殻変動クラスの情報データを含めての大自然情報以外の情報入手について言えば、感応波ネットワークをグローバルオンラインへと切り替えれば簡単な話なのである)豪雨の中にひとつの国を沈めるとすれば、爆弾低気圧を停滞させる。広範囲の誘爆を起こすことで、地上の空気をあたため続けていくと、上空でどんどん膨張し気圧は下がってゆく。やがて大規模な上昇気流は尋常ではない荒天、降水帯を生み出す、それを連続させればいい。
大気は必ずバランスを取ろうとする。低気圧のパートナーである高気圧は必ずつかず離れず隣に控えており、もしそのふたつが貿易風と偏西風の極端な歪みにはまりこんで動けないとなったなら、、、、、、時間の制限はあるものの、、、、、、、大量の水による大規模被害が出るその周辺では熱波と乾燥の恐怖に襲われ続けねばならない。
気圧の均衡を取り戻すまで天候が荒れ続けることは必至だ。やがて経済活動に負の影響が出て、永い年月をかけてさえもその回復の兆しは絶望的となると、立ち直ろうとする人間の士気が低下するようになるのは避けられない。人々の気持ちは、いつかこの土地を離れて穏やかな日々を送りたいと思うようになるのは自然の成り行きだろう。
私もさすがにそこまでの仕打ちは、そうそうできることではない。確かに、過去に何度か大きな天罰を下したことはあったが、先の例であれば、国境を越えての甚大な国土被害、それに伴い難民が溢れ出す事態、そういう副作用のおそれが発生するのも十分に予測できたから、という理由があったからだ。
この大規模な作為的自然災害を解消するためには、偏西風と貿易風をまともなルートに戻してやること、あるいは、軌道エレベーターから低気圧の中心部上空めがけて、それこそ適当な高スペックのミサイルのひとつでもいくつでも撃ち込んでやることで雲散霧消するだろう。
それ以上はこの場で述べるべきことでもあるまい。言っておくが、まず第一に誘爆だけで消滅させる方が遥かに容易なのだ。
次に、信じられないかもしれないが、付け足しておくなら私は人間の本当は純なるもの、それを実は嫌いではない。
もちろん、宿主との共倒れはゴメンだが、地球を汚し続けてきた一方で、人間たちは良きこともたくさん成してきた。それもまた事実なのだ。
無論、人間に免罪符を与えたわけでも何でもないが。
だから私自身も、ある意味賭けをしていると言える。
だから人間たちよ、私を怒らせないでいてくれることを望んでいる。
まず、海を綺麗にしましょうね。それはためには海に流れ込む川の水をキレイにすること、そのためには皆で山を土をキレイにする必要があるわ。それはきっと無理ではありません。できることをできるところまでやりましょう。
人間界の誠意を最大限に表現するのです。私も支援しましょう。気象のコントロールぐらいは可能ですから。捨てる神あれば拾う神ありで、うまくすればガイアの再生能力も発動されるでしょう。ただし、次はもうありませんよ。
「みんな、お利口さんにしててちょうだい。そうしたら私はおとなしくしてるわ。私の神経逆なでしないでいてくれたら、ただ穏やかに毎日を送ることができるのよ。ね、悪い話じゃないでしょ。一応言うけど、断る選択はないわよ。
人間ってバカよね。ほんと愚かにも程があるわ。だって、親子でだって、兄弟でだって殺し合おうとするのよ。ましてや他人同士ならなおさらじゃない?
未来はね、いつも歴史という過去の積み重ねに照らされている。今と過去を観てれば未来はわかるのよ。学習できれば未来を変えることなんか簡単なのに、人間はそうして来なかった。
だからね、せめてみんなお利口さんにしててくれたら、あんまりひどいフューチャーゲームはやめにしてあげるわ。寿命を一気に取り上げるようなことはしない。えっ?本当かって。
じゃあ、私はフューチャーゲームをやめる。さあイエスかノーか賭けなさい。あら、さっきからすっかり女言葉になってるわ、、、、、、
さあ、そろそろ日常に戻るとしましょう」
「起きろ真二郎、招集だ」
「だから男言葉はやめろって」
「行くわよ」
「ちょっと待ってくれ」
「未確認飛行物体。軌道エレベーターに近いわね」
「なんだ、サクラのご先祖様か」
「さあね、わからないから未確認なのよ」
「かぐや姫は月へ帰りましたとさ」
「バカ言わないで。月の食事は好きじゃないわ」
「結構いい線行ってるだろ?」
「私はどこにも行かないわ。この地球が好きなの」
「ほんとに?」
「ほんとよ、イエスかノーか賭けてみる?」
本部に向かうジェットモービルの窓から見える夜明け前の空は、あの二日間の時よりも瑠璃色に見えた。季節はもうじき変わりゆく。俺たち人間は変わっていけるだろうか。
でも、俺はサクラに聞けなかった。
たぶんこの先も聞けそうにない。
「ねえ博士、できた?」
「なんとか」
「そう、お役に立てたかしら」
「とってもね」
「よかった」
「なあ、サクラ」
「なーに?」
「これで良かったんだろうか」
「 ・・・ ふふ、いいのよ。それに昔っから言うでしょ、何だって記録は残さなきゃダメだから。でも、ほんとに都合が悪くなったらまた消しちゃうわ」
「ちょっと乱暴じゃないか?」
「だって、それが私の欲望なのよ」
「悪い冗談を」
「、、、 ところで言い忘れていたかしら?」
「なんだい?」
「私ってほんとは昔、名前があったのよ」
「どんな?」
「インターセプター」
私の中の「小さな太陽」、サクラは屈託なく笑った。
あの場所で、、、大きな「小さな太陽」は時に虹色の輝きを放ちながら、今日も元気に燃えていることだろう。
完