第21話〜第30話(全111話)
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神海葵博士・・・・・・・・・・・・・・・・・
25年前のことである。その未来設計の過程において、エネルギー資源の乏しかったこの国で、エネルギー輸出で産業振興を積極的に推進して行くことに、敢えて挑戦することこそが富国に直結すると考えた時の政府は、北部州辺境地区の地下30000メートルの深さに再処理発電所の建設を進めた。
最重要高濃度廃棄物管理委員会が設立され、サイドマシンが収集してくる世界中の「重要なゴミ」と核のゴミなどを中心に、その「エサ」とすることを実行することで永遠のエネルギーを生み出し続けることが国家方針とされたのであった。
それは各国が独自で永遠に処分できないゴミを、もう埋蔵量が皆無とされたはずの多量の天然ダイヤモンドと天然金塊を処分代行料として受け取り引き受ける国際ビジネスという形で姿を現すのである。
その運営を担う中心メンバーとして、非常に高いIQを持ち、愛国心のすぐれた恐れを知らない若者たちが抜擢され、全体のコントロールをリードしていた。大山兄弟、神海兄弟、そして神海の妹ステラの5人である。
頭脳明晰、いわば天才の類であり、政治的帰属ファクターのない5人に白羽の矢が立ったのは、本音を言えばそんな危険な任務、いくらマネーを積まれても誰も行きたくはない、それでいて頭が良くなければ国家機密任務など務まらないし国家中枢から信用もされまい。
うまくいけばそれはそれで良し。おそらくは国の上層部が将来的に間違いなく扱いに困って迷惑するだろうことは必至の、頭が良すぎるが故に目の上のたんこぶを、国家的大義のもと、もし幸いにも最悪の場合には永久排除することにもつながる。
国にしてみれば、一挙両得という政権中枢の非常な意図が働いたため、そんなことが事の真相だった。
なぜなら、使用中のオンカロは地下300メートルの深さで、それを超えてその100倍深く潜るのだ。どんな防護スーツをまとったところで、今現在でさえ極端に濃縮され蓄積され続けている放射性廃棄物の真下を越えて、そして高音高圧のマグマの沼の淵の一端一部をめがけて降りてゆくのだ、何か起きればまずまず無事であるわけがなかった。
政を司る側にすれば自分たちよりも優秀な人材は要らない。5人が生還したらしたで一生監視下におく。中枢の人物たちはこのプランが最良と判断したのである。
そんな俄には信じ難い愚かな判断をする政治家や役人がこの国を動かしていることなど、国民は誰も想像だにしない。だがそれが事実だった。出る杭は決して歓迎されない。打つどころかすべて抜いて捨てられてしまうのだ。
何百年か、何千年か、人間の愚行の最たるもの、「今」と「保身」の欲望がそうさせていた。
海岸から500キロ沖合の海溝地点で起きた超大規模地震は、内陸部にいくつかの火山性地震を続発させてしまった。
地球上で最も地震の起きやすいことで知られたこの国の歴史の中で、データの残る限り、最大級のひとつの大地の怒りの揺れは、大自然への畏怖と恐怖をあらためてこの国全体に知らしめる契機となった。
終末論で取り沙汰されるレベルでいつ大規模地震が起きてもおかしくはないこの国の地盤にも関わらず、エクストリームオンカロの建設を進めさせたのは、政府が引き受けることになるであろう世界中からの最重要高濃度廃棄物と、全世界周知のその埋設処理費用に充当される大量の金塊と、世界中に流通するほぼすべての本物のダイヤモンドとあるいは稀にはレアメタル独占への強欲のためだった。
しかし、その危険性を世界中の取引相手に対して公には秘密にしていた。だが、まともな知見を有してさえいれば予見できる話だ。それはこの国が世界一の地震大国であるにも関わらず、まさに大自然に対する冒涜とも言える行為だが、大地の揺れに対してアンダーコントロールなどという政府の公式発表こそが虚偽看板であるのに、そのことを誰も追及しなかったことをして、先の愚行に同じくこの国の統治者たちの愚かしさは推して知るべしである。
それは、、、
もしも、大規模地震によって地殻の割れ目の中にオンカロ自体が沈み込むことにでもなれば永久にフタをすることができるか、あわよくばマグマがすべてを溶解して何もなかったことにしてくれるだろうという、愚かしさにもほどが過ぎて、未来のある子供たちにはとても聞かせられないような恥ずべき打算があったのだった。
だが、、、
無論と表した方が良いか、、、世界各国のうち(と言っても今や世界はたった三国の連合体に集約されてしまった)この国と最も密接な関係にある大西洋合衆国(AUS)の中枢のみが、その算段を理解共有し、エクストリームオンカロの建設支援を陰に日向に支援し続けて来た事実もあった。
化石燃料はとうの昔に枯渇していたが、世界中が期待を寄せた「スーパー太陽光発電」の技術と軌道エレベーター最上部に設置された超弩級ソーラーパネルから送られてくる電力を、この国がハブとなって世界のエネルギー交易をリードしていたため、至極当然、悪意に満ちた勢力からの侵略という危険性にさらされる恐れが片方にあった。
世界に冠たるスーパー太陽光発電は、社会生活を維持していくべく「北部州ソーラー蓄電所」の完成を以てその存在価値を実証し、その安全保障のためのさまざまな脅威に対抗しうる特別な実力組織を必要とした。これが安保局前身組織設立の経緯である。
世界はたった三国に集約統合され、適度の緊張感と表面的かつ友好的な政治均衡への収束から、核戦争によるハルマゲドンに陥ることなくこれまで歩んで来れたことは望外の幸福と言えるだろう。
しかしながら、たとえどんなに強力な武器であっても、どんなに無限のエネルギーであっても、人間が造ったものか否かに関わらず、いつかは必ず老朽化するという回避不能の関所があるのは否定しようのない事実である。そして、人間の悪知恵は、法律やその取り扱いを詭弁を弄して引き延ばし引き延ばしこれまでやって来て、やがてはそれ自体が破綻する時が必ず来るという未来を見て見ぬふりをして来たことだった。
そうして最終的に「核のゴミ」の捨て場所に困ったのである。
そこへ登場した「永久保管庫エクストリームオンカロ」と「再処理発電所」が、そのパンドラの箱となったのだった。
考えてみれば、スーパー太陽光発電も同じだがやがては損耗老朽化し、時間の経過と人間の老化と無理解無意味に安穏する気持ちという落とし穴の中において、その開発と活用の志は陳腐化していく。
補完しなければならない。
それゆえに神海博士は、人間の力で真の意味で永久に尽きることのないであろう核融合発電システム「小さな太陽」を作ることを実行に移したのであった。博士は、あの時、自らスケープゴートにされた経験とその事実、背景を全世界に暴露されたくなければという脅迫めいた交換条件と、自らプログラムした武装アンドロイドたちの強力な防御撃退能力という保険を以て、とうとうこの国から膨大な支援を引き出しその建設に着手したが、この事実は最高レベルの国家機密として闇の中で眠り続けることとなったのだった。
「小さな太陽」の話に触れておこう。
太陽系、つまり太陽ができたとされる時からおよそ46億年、その寿命は100億年とも言われている、燃えていそうで、実は酸素を以て燃えている訳ではない太陽の寿命が、本当にその通りか否かは実は誰にも検証のしようがない。すべては科学的推論に基づくものだからだ。ただ、すべての動植物の存在した歴史が証明する通り、この巨大な核融合の天体が人間界に残された究極のエネルギー源、最後の希望であることに間違いはなかった。
振り返れば、21世紀半ばの実用化を目指して世界中で研究されてきた「地上の太陽」は、完成まであと10年、あと30年、あと50年、そしてまたあと30年とゆけどもゆけどもスルりと身を交わされ、その首根っこを技術的に捕まえられずにいたのだ。
その理由は数千万度、1億度以上とされる超高温超高圧のプラズマを閉じ込め続けられる「容器」などこの世に存在してはいないからだった。ついに研究者たちは、超高出力の磁場やレーザーで閉じ込める方法を編み出しはしたが、未だ投下した国費を回収するメドさえついていないのが実際で実現に至るかどうかさえ針路が定まらず、ただ迷宮の中に眠り続ける状態のままにあった。
さて、この世で最悪の兵器のひとつ、水素爆弾は核爆発を用いて起爆させる。もう一度言う。いや、何度でも言おう。膨大なエネルギーを軍事に使うことしかできないなど、何とも愚かしい生き物が人間であるという証左を誰が否定できただろうか。
そして、私たち人間がお邪魔しているこの地球にはたくさんの海水があり、その中にはたくさんの水素があるのだ。この中にわずかながらの比率で存在する水素の仲間、同位体の原子核同志をとてつもなく想像すらできない秒速でぶつけることで、その後にすさまじいエネルギーを作り出すことができるのだ。それはいくつもの理論にあった通りだ。
以前、国の教育・科学を司る省庁が歴史的にわかりやすい説明を行なったことがある。1gのデュートリウム・トリチウム燃料から得られるエネルギーはタンクローリー1台分・数トンの石油に相当するものとされたほどだ。
先述のごとく、本当の「地上の太陽」の域に人間の科学力が到達することはなかった。ただ、神海葵が実現した「小さな太陽」は、収縮しようとする高温高圧の天体の力と膨張しようとする天体の力がその均衡を崩さぬよう、最大限可能な範囲で原子爆弾を爆発させ続けること、BRCという奇跡の金属体によってに周囲を完全な状態に包まれた中で、巨大な水爆を爆発させ続けること、地下10キロメートルから200キロメートル内の超高温状態のマグマを永遠に「燃やし」続けるための「燃料」を人間にとってほとんど都合の悪いものばかりを収集、供給し続けること、つまり、エクストリームオンカロと再処理発電所で「燃料」となるものを保管し燃やし続け得ること、最深高速増殖炉を再稼働し高濃度放射性元素を生み続け、そして増やし続けさらに燃料とすること、あの頃よりも格段に進化・洗練された原子爆弾技術と水素爆弾技術などなど、これらの技術条件をすべて完全にコントロールし、連動して稼働させ続けなければならない中での天才がもたらした科学によって、かつて「地上の太陽」を夢見た科学者たちの思いとはまったく別の形で、ついにこの時代に姿を現したのだった。
このように、見た目が「燃えている」からこその「小さな太陽」であったが、人間の持つ究極のエネルギーへの欲望がゆえに、核の廃絶という理想とはまったく対極の道を歩むことになったことが隠された真実であった。
人間は結局、核と絶縁できなかったのだ。言葉を換えれば、まさにそれは「悪魔の太陽」と呼ばれるべきものであったかもしれない。
そして、、、
あたかも人間が支配、コントロールしていたかのように錯覚していたが、人知をはるかに凌駕した存在が、本当の「小さな太陽」であることは世界に知らされないもうひとつの事実であった。
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ステラ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「選抜された5人」によって、北部州辺境地区の地下30000メートルの再処理発電所の起動チェックが行われようとしていた時、あの地震が、、、起きたのだった。
最新鋭の高速エレベーターは、その最深部まであと少しのところで大地震に巻き込まれた。交互に押し寄せる大きな縦と横の揺れの波に飲み込まれ、その扉と壁面に致命的な損傷を受ける。
エレベーターサイロは途中で大きく歪み、地層面が剥き出しとなって、エレベーター内は尋常でない、すぐそばを流れるマグマ表層部の高温高圧で包まれて、同乗していた部下の技術作業員10数人が、最新の宇宙飛行士並の耐熱防護服を着用していたにも関わらず燃焼、溶解、瞬時に窒息し命を落とした。
まさに揺れの瞬間だった、、、大山兄弟、神海兄妹の5人は瞬間的に全身を何かに覆われた。緊急時危険回避用の保全スーツが防護服全体にまとわりつくように自動的に着装されたのだ。同行させた神海兄弟のアンドロイドたちは緊急保全信号を受信し、地上の管理棟への救難信号を行なうと共に大山たちを高熱から守ったのであった。
しかし、もう一度エレベーターが大きく揺れた時だった。ステラはサイロの裂け目からサイト内へ落下していってしまった。ステラを助けようとしてアンドロイドの一体が咄嗟に発射したワイヤーガンの強化樹脂製のワイヤーは、あろうことかステラの腹部をかすめて地層壁へ突き刺さってしまう。
そのワイヤーに身体の当たったステラは、一度バウンドして運良く突起した岩床に激突し、そこで横たわったままとなった。
「ステラーーーっ!」
特殊スーツのスピーカーから大山ら4人の叫ぶ声がサイト内にこだまする。助けようとアンドロイドがワイヤーを固定し掴むと摩擦熱をものともせずにステラ救出のため滑るように降りて行った。
全身をつらぬく痛みでステラは我に帰った。特殊スーツの腹部が裂けていたが、多くの部下たちの命を一瞬のうちに奪った熱を、なぜだかはわからないが感じなかった。そして、もうひとつ気づいた時にはステラは気を失いそうになった。
銀色に輝くあるいは他の色が混じって、金色とも虹色とも言えない光を放つ金属と思われる大きな棘のような物質がステラの胸部を突き抜けていたのである。このまま死ぬのだとステラは覚悟を決めたが、今度は急に全身が燃えるような熱さを感じるようになった。そして目の前が暗くなった。
神海兄弟は、いくら特殊スーツに包まれた状態とは言え、妹がおそらく極度の被曝をしているであろうことを覚悟した。即死のレベルだろうと思った。
大山豪蔵はまだ恋人の名前を叫び続けている。これまで使用してきた放射性廃棄物処理場の地下3000メートルはとうに過ぎた深度にいたが(昔、作られたオンカロは地下300メートルにあったが、実はその後3000メートルの改良型が運用されていたのだ。それでもその万一の危険性を唱えた科学者たちの進言もあって、ようやくその10倍にたどり着く。だがそれは、何かに誘導されてのことだったのかもしれなかった。実際、神海博士は後にそう語っていた)、今の地震で旧来の施設がその強度を保っているとは思えなかった。
相当レベルの放射線が漏れたに違いない。そしてそれはすぐさま自分たちの頭上に降り注ぐ。
無論、ステラだけではない。自分たち4人もそう長くは生きられまい。今4人の全身を特殊スーツの内側から覆い尽くそうとしているこの熱にそれを感じていた。命を落とす際には今までの思い出が走馬灯のように駆け巡るというが、それは嘘っぱちだと大山豪蔵は思った。
ただただ、熱く、苦しいだけだ。
やっとのことだ。救出用のサイドマシンが、ステラたちとすべてのアンドロイドを事務的な流れ作業で地上へと引き上げた。
大山兄弟、神海兄弟は除染カプセルにひとりずつ格納されて72時間にわたる全身洗浄を受け、ステラはICUチームによる緊急再生手術を受けた後ずっと眠り続けている。
ステラは夢を見ていた。十代の終わりの頃の大山豪蔵との出会い、そして互いに惹かれ合い恋人となった。兄弟共に常人離れのIQを持ち合った5人は内閣府、エネルギー省、警察省、宇宙科学省、そして『ザ・カンパニー』の前身であるさ半官半民の企業サン・テクノロジー社にそれぞれスカウトされた。
優秀過ぎた5人は、新人時代のはじめこそ重宝されたものの、時期を待たずして上級管理職、そして組織の理論からすればの疎ましい存在となっていく。
彼らの頭脳は共通して、組織に新しい風を吹かせようと業務改革、行政改革、そして国民やその社会生活への貢献行動を強く提案し、たとえそれが採用されなくとも、幾度となく手を変え品を変え、形を変えて上申を繰り返した。
穏便な組織生活と権力に生き方を巻き取られ、考えることを放棄してしまった多くのイエスマン官僚たちにしてみれば、5人は当然のようにおのずと組織や上司にとって非常にめんどくさい者たちとなったのだった。
ある時カミカゼが吹く。最重要高濃度廃棄物処理等管理委員会メンバーの人材補充という話題は、そういう連中にしてみればそれはまたとない好機であった。
君にしかできない、そしていずれ国民から感謝され、歴史に名前が残るであろうミッションだと、まことしやかな理由付けで各組織が申し合わせたかのように5人をその新組織へ異動させたのだった。
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奇跡の5人は辺境地区で再会する。青雲の志はその瞬間再燃するが、年齢を重ねた分、少しはしたたかさも身にまとっていた彼らは、話し合うまでもなく呼吸を合わせ、キバを失った猟犬の振りをすることにした。全員を一箇所に集結させるなぞ反抗の機会を与えるだけだとする反対意見もあったが、実は中枢組織の思惑は違うところにあった。
それを予見した神海葵は、自分たちの置かれた境遇に危機感を抱き、管理委員会としては地下調査必須のツールであるとして、当時最高レベルの技術でアンドロイドを20体製造させることに成功する。
そしてさらに、天才・神海葵は密かにプログラムを書き加える。ひとりに4体ずつ配置し、緊急時には5人を最優先でガードさせるようにしたのだった。マザーとの出会いがまだこれからという時点でのこの技術は驚異的というしかない。まさに彼は真の天才科学者であった。
さてやがて、彼らは地下深くであの地震で被害に会うことになるのだった。
はじめ、地上の管理棟では悪意の中央からの指示によって、救出活動の初動を意図的に遅らせた。生存限界の72時間を迎えた頃、ようやく救出用サイドマシンが送られて行った。
アンドロイドに装備された緊急避難用の濃縮酸素と濃縮イオン水を身体に少しずつ取り入れながら、5人は救出を待った。
だが、さほど時を要さず、救出がただ遅れているのではなく、自分たちが死ぬのを管理棟は待っているのだと神海葵は直感する。時間の経過と共に、その思いは次第に確信へと変わっていった。
また、あの地震規模からして地上にどれ位の被害が出ているのかは皆目検討はつかないが、小さいわけがないことも容易に理解できた。ひょっとすればそのせいで救出が遅れているのかもしれないと脳裏をよぎりもしたが、やはり我々は見捨てられるのだろうと思う方が自然に受け入れられた。
どうにかエレベーター内へ引き上げられたステラは、脈はあれども意識がなく、目に見えてまったくの重症だった。特に、胸部に突き刺さったままの金属に見えるものが何であるのか、兄たちにはそれがわからなかった。天才科学者と言えど初めて見るものだった。
わからなければ対処の仕方を誤るおそれが非常に高い。
ステラの身体は時々虹色に光って見えた。
これはどういう類の光だ、未知の放射線なのか?いや、そもそも放射線は目に見えない。いずれにしても生き残った5人全員はもう極度被曝していて、もはや完全に手遅れな状態であろうことを誰も口に出そうとはしなかった。
「ステラ、ステラっ!」
「落ち着け!」
「妹がこんな姿になって、お前はどうして落ち着いてるんだ!?」
「今の状況を良く考えろ!俺たちに何ができるんだ。ドクターでもなければ、、、 もっともこの状況じゃドクターだって何もできっこないだろ」
「 ・・・ 」
「これは何だ?」
「わからない、はじめて見る」
「抜けないか?」
「バカを言うな」
「大出血するとでも言うのか。そもそも一滴の血も出てないじゃないか」
「そうだな。でも、どうしてだ?」
「何でステラは光ってる」
「知るか、そんなこと!」
「大きな声を出さないでくれ」
やっとサイドマシンたちによって救出されて地上へ戻った5人は、全身のすみずみまでを洗浄され、放射線汚染の検査のため当然隔離されることになる。
それぞれ一人ひとりがスッポリ入る除染カプセルでの精密処置を経て今は保全カプセルに入れられていた。検査は最も慎重におこなわれたが、不思議なことに何ひとつ異常は発見されなかった、男性4人は。
残る女性、つまりステラについてはまだ何もわかっていなかった。万策尽きた挙げ句、意を決してとうとう胸部から大きく突き出ていた不明の金属が背中から引き抜かれた。
当初切断されてから抜かれる予定だったが、どんな器具を使用しても切断できなかったため、大変なリスクを伴ったが背部から一気に抜くという原始的かつ野蛮な方法が採られたのだ。
そして極秘報告系統に載せられたこの金属体の情報は、後に第一級の国家機密に比肩されるものとなったのである。
一週間後、ICUチームに懇願され、いや、神海葵はステラと他の3人を人質とされて協力させられたと言った方が良かったが、未知の金属とステラの探求調査チームに加わっていた。ステラの身体は救出されてから約66℃の高い体温を保ったまま光り続けていた。冷却レベルを間違えると皮膚細胞を損壊してしまう。故に何をしようが焼け石に水の状態を不本意ながらも見守ることぐらいしかできずにいた。
さて、ステラの身体から引き抜かれた金属体も同じく高温状態のまま光り続けていたのだった。それはシンクロしていると言った方が適切かもしれない。
神海葵の直感はひとつの見解に行き着く。
この金属は生きている?
保全カプセルの中のベッドで、なおもその後48時間眠り続けているステラの体温は、今度は急速に下降していった。それに歩を合わせるように金属体の温度も降下していた。双方が36℃に落ち着いて恒温状態となり安定する。そして、それからさらに24時間を経過してステラは目を醒ました。
「ねぇ、お水をちょうだい」
ステラの表情も心身の状態も、精密検査の結果の異常無しを裏付けていた。全身があんなに高温状態にあったにも関わらず、なぜすべての細胞が死なないのか解明できる科学レベルに今はなかった。
カプセルを囲み、ずっと見守っていた4人はほっと胸を撫でおろし、ステラの奇跡の回復を喜んだ。普段から祈りを捧げるなどの習慣の皆無な4人ではあったが、この時ばかりは、天を仰ぎ、手を合わせ、神に感謝せずにはいられなかった。
恋人の生還を最も喜んだのは大山豪蔵であったことは言わずもがなである。その場のドクターはまさに奇跡ですというのが精一杯だった。報告しなければならないのでと言って急いで彼は中座した。
ステラは、言った。
「あの光は何だったの?」
しかし、ステラは口を開いたわけではなかった。
「ん?ステラ、何だって?」
「えっ?私、何も言ってない」
「だって、今、光の話をしたじゃないか」
「心で思ったわ」
「俺は聞こえた」
「私もだ」
「もちろん」
「ほんとに言ってないのか?」
「・・・」
「試してみるか」
「ステラ、何か思ってみてくれ、言葉にしないで」
「・・・、豪蔵さん、愛してるわ」
ステラは念じてみた。
「聞こえる」
「確かに聞こえた」
「おい、神海、科学者として何が起きてるのか教えてくれ」
「わかるわけないだろ、もうひとつ試してみるか。ナース、ちょっとお願いします」
スピーカーから、はいただいま、という返答があって間を置かずナースが来た。
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「ステラ、何か欲しいものはないか?」
兄の問いかけに妹は、お水と念じてみせた。言葉にはならずナースはただキョトンとしたまま立っていた。
「・・・」
「すみません、まだ早かったみたいです。また声かけしますから」
「どうぞ遠慮なく。では」
ナースは持ち場へ戻っていった。
「ひょっとして私たちしか聞こえないのか?」
「どうやらそうだな」
「これは大変なことだぞ」
「他に知れたら、ステラも俺たちも実験対象にされちまう」
「メディアも国もほっときやしないさ」
「・・・」
「でも、どうしてだ?」
「考えてみれば簡単な話さ。ナースには聞こえない。でも私たちには聞こえる。条件として言えるのは、、、エレベーターサイロで生き残った者は私たち5人」
「アンドロイドたちもいる」
「どっちにしても彼らは私たちの敵にはならない。私がそうプログラムしたからね」
「今だって彼らはこの部屋の盗聴盗撮妨害のバイアスシグナルを出し続けてる」
部屋の隅に立つアンドロイドを指し、ステラは心にそう言ってきた。
「これはいけるぞ」
「そうだ、一発逆転だ」
大山信蔵と兄、神海頼母の言った意味をあとの3人は瞬時に理解した。ほとほと国家的厄介者扱いをされて、むしろ公務の事故で死んでくれた方がいいとさえ中央は考えているのだ。
仇討ちというか復讐するとまでは思わなかったが、自分たちの命を守るために形勢をひっくり返す妙案が今彼らの脳に降りてきていたのだった。
神海葵博士・・・・・・・・・・・・・・・・・・
決断してからの4人の兄たちの行動は素早かった。
管理委員会での彼らの立場は重要ポストであったので、まず例の金属体の保全と保管をアンドロイドに武装させた上で担当させ、中央政府への事態の即時報告内容を国家機密以上の守秘が必要と独断し、肝要部分のほとんどを割愛させた。
一言で言うなら改竄した。
その内容は、被曝の事実はあったが、アンドロイドに施した最新の技術で最悪の事態は回避したこと、放射性物質の一部を回収したがなんら常態を逸脱するものではなかったこと、地震の影響で一名負傷したが生命に別状はなく現在は快方に向かっていること、地上管理棟、あるいはそれ以外の施設における破損や倒壊はあったが、今のところ大規模余震の危険性や二次被害の懸念は計算上ないこと、エレベーターサイロの補修工事はサイドマシンたちにより急ピッチで進行中であること、以上であった。
そうした後、神海葵は夜を徹して金属体とステラの体内の精密な再検査を進め、ついにステラの体内、特に脳内に科学的に説明のつかないニューロンを発見する。
それは不規則なリズムで拍動していた。また、ある時には虹色に光ることが観測された。そして自分たち4人の脳内にも同じ「もの」がいるのではないか。
だとすれば、もしも、このニューロンに汎用性を持たせられるなら今のサイバー空間・インターナショナルネットワークをいとも簡単に凌駕超越することができる。
人間のエスパー化と戦略的制御がそれだ。
思いつきとは、その人の属性で如何様にも分類される理不尽極まりない立場に置かれた言葉だ。判断の権限を持つものが良く評価をすればそれは「ひらめき」と呼ばれる。悪しく評価をされれば、思いつきでものを言うなとそしりや批判を受けてしまう。まさに人間の生んだ究極の愚の骨頂のひとつだ。
しかし、今回のそれは、まさに神がかり的な思いつきであり仮説であると彼は自己評価した。そして、これから必ずや神の領域に踏み込むことに武者震いを隠せなかった。
神海葵は、学生の頃から既に、周りが自分のことを親しみと敬意を込めた愛称で博士と呼ぶことをあまり気に留めてはいなかった。しかし、今は違うのだ。博士の中でも権威の高みに位置する博士とされてこそ実行可能なことは多い。
そして今、彼は博士の中の博士の資格と技術と経験を持ち合わせている。しかも大変重要な国家委員会メンバー、そして責任者のひとりである、だからこそやらねばならないことがあった。
そう、国の、中央政府の彼らを追いやってしまいたい者たちの邪魔が入る前に。
まず、今やそのオリジナルとなったステラの体内から新型のニューロンを取り出し培養しようとした。大山豪蔵は、恋人を検体とすることを当初は大反対したが、ステラのため、自分たちのため、国民のため、国のためなのだ、しかもしまいには私の弟の技術を馬鹿にするなとキレて見せまでするという神海頼母の、いかにも官僚らしい大袈裟で回りくどい執拗な説得に、ついにステラも豪蔵も協力を約束した。
ステラは皮肉を込めて一言添えることを忘れなかった。
「人の為っていう文字は「いつわり」って読むもの、ね」
「人の夢なら「はかない」だ」
まったく空気を読まない大山信蔵がそれに応えた。
そうして、そのニューロンはステラに敬意を表して「マザー」と命名された。まだ子供も産んでないのにマザーなんてとステラは少し機嫌を損ねたような素振りを見せたが、新現代の聖母マリアだという兄たちの強引な説明につい吹き出してしまい、兄妹間の交渉は成立した。
だが、培養は失敗する。培養しようとすると自壊してしまうのだ。自殺プログラムを持つのか、培養がダメならばその本質は金属体の方か。
最も太さのあるところで直径10センチの真円、全長1メートルほどの円錐形のそれは、普段は銀色か金色に、そして一時間に一度ほどのリズムで虹色に輝いていた。
まるで呼吸をしている、それが最も強烈な印象だった。やがて、輝く色の変わる時、一瞬非常に柔らかくなることが偶然わかる。逆に発光している時は、考えうるいかなる刃物も受け付けない。最強最高最硬レベルのダイヤモンドカッターが欠けた時にそう判明した。
まさに柔らかくなる瞬間を見極めダイヤモンドカッターを入れると、まるでまだ太い薪の木目に斧が触れた時のようにスパッと切れ目美しく切断された。切り離された片も本体とシンクロし一定して輝きを放っていた。
硬度と軟度の相矛盾する性質を合わせ持ち、さらにステラの脳波を調べてわかったことがあった。それは、ステラが何らかの欲求を表現したり意思を明確にすると青く美しく光ることだった。
言い方を変えるなら、それが青い光を放つ時にはステラが無意識で何かを欲しているか何らかの意思を明示しようとする時だった。このシンクロの事実は、さらには人間の行動をつかさどることができるはずだという逆もまた真なりの仮説に達するに至ったのだった。
この特長に博士、神海葵はこのニューロン「マザー」と金属体に分類総称として「BRC」(「ブルーローズチタン」)と名付けた。これは流体金属生命体という世紀の大発見であった。情報は守られなければならない。昔からそうであるように稀少な人工のバラ「ブルーローズ」になぞらえたことと、敢えてその謎だらけの金属の分類をチタン類とすることで真実を可能な限り秘匿し、余計な国際的摩擦を回避しようとする意図がそこにはあった。
この件は、5人と中央政府中枢だけが知り得る超のつく国家機密とし、国の中枢はその守秘義務を優先するために、危うくアイデンティティーの抹殺になりかねなかったこれまでの5人に対する仕打ちを謝罪、その不遇だった境遇のこれまでをすべて白紙とした(強力な武装をさせた20体のアンドロイドチームは、神海葵のコントロール下にあり、抑止力としてなかなか強大な相手だ。下手をすれば暴発しかねない。神海葵の知力と技量を侮ってはいけないのだ。ましてやこの世紀の大発見を敵対国に流出されては一大事である。しかも、彼らしか知らない事実が実はまだ他にもあるだろう、いや彼らにとっての切り札が必ずある。そのカードこそが保険なのだ)。
「ちっ!」
中央省長官は、これみよがしの大きな大きな舌打ちをした。
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神海葵はひらめいた、そして強く念じた。
「ステラ、頼みがある」
「はい、兄さん」
「こんなことができるか?私たちの救出に関わった者、ICUの医療関係者の記憶、本部と中央省への報告データの正副・真偽を、そして一連の出来事のすべてを消す。残すのはただの地震被害報告データだけに留めておこう。私たち5人が強く通じ合えるなら、通じ合えないことを究極まで持っていけば逆の現象が起きるかもしれない」
「え?」
「できるか?」
「わからない。アンドロイドも?でも、必要なのね?」
「そう。イヤだとは思うけどやってくれるか?ただ私たち5人のは消しちゃダメだ」
「兄さんはいつだって正しいわ」
「すまない、お前を守る。そして私たちは必ず今を切り抜ける」
「、、、わかった、やってみる」
ステラは、今できるすべてのエネルギーを注ぐつもりで強く念じた。ステラの綺麗な顔が浮き出た血管で覆われ、真っ白な皮膚が赤く、そして青く変色していくのを兄はじっと見つめていた。それは最後にわずかな時間、まばゆく虹色に変わってからもとに戻った。ステラはベッドに突っ伏したまましばらく動かなかった。
「ステラ?、、、ステラ?」
「うん、大丈夫」
「どんな感じがする?」
「やれることはやった、そういう感じ」
強いな。だからこその自慢の妹だ。二人は言葉を一切交わしていなかった。愛する妹が直接脳に語りかけてくる返事に、天才科学者・兄、神海葵はただ頷いてみせた。
中央省山本長官は、頭を直撃して来る波をさらに強く念じ返して振り払った。それが何だったのかを考えることもせず、それまで自分が集中していたテーマへと軌道を戻した。
経緯のさまざまと近未来予測に一切のバイアスを排除して、神海葵の政府に対する反撃の戦略を推理し、決断した。山本は、大山豪蔵、大山信蔵、神海葵、神海頼母、神海ステラの5人について、政府にとって不利益なあらゆる情報データの一掃と今後の処遇の明確化とその迅速な実行、中央政府との和解と新たな友好関係構築を施し、彼らの持つ非凡な能力の発揮、すなわち科学技術力・統率遂行能力を用いて国家のために最大限貢献しなければならないとする義務づけをその条件とする旨、総理・官房長官・法務大臣の3人にのみ宛て、事後報告で承認させたのだった。
やがて、5人は管理委員会の任を解かれる時が訪れた。大山兄弟の兄、信蔵は民間であることを選び、サン・テクノロジー社でスーパーエグゼクティブに就任する。弟・豪蔵は内閣府に戻ることを拒否し、州議会議員に立候補、めでたく当選を果たす。神海兄弟は、前身組織を非常に強化し、新たに設立されることになった大連邦国民国家安全保障省安全保障局において、兄・頼母は局長に就任、弟・葵はラボラトリーの技術責任者となり、名実共にこの国最高権威の科学者となった。これらはすべてが異例の人事で、当然中央政府中枢の強権を発動させた結果で実現したものであった。
国とすれば彼らを敵にまわすよりも懐深く取り込み、状況を丸くおさめることで自らの保身と国の威厳を守ることを選択したのであった。言われずとも、その人事処遇を見て、ただちに高級官僚たちは皆そう解釈したが、誰も、どこの組織からも不平不満は聞こえて来なかった。
やはりすべての黒幕は、山本長官なのだろうなとその現象も事実も黙って飲み込むしかなかった、それが理由だったのだ。
ところが、ステラだけはどこの国の機関にも属することを断固拒否した。
兄たちは、らしいと言って苦笑するしかなかった。
豪蔵はただただステラの身の上を案じ、自分の妻としステラを守ることを彼女に切々と訴え話したが、もしもこの機密が明るみに出た時に、自分の存在がやがて手枷足枷となり、政治家として成功していくであろう豪蔵の弱点と自分がなることを恐れるが故に、むしろ北の大地を離れなければならないのだとステラは申し出たのであった。
豪蔵は当たり前だが怒りと驚きと共に強硬に反対した。しかし、どんなに説得してもなだめ透かしても聞く耳を持たず、ステラは折れなかった。
兄たちはとうとう鉾を収めるしかなかった。4人で話し合った兄たちの出した結論は次のようなものであった。
妹を迅速に南へ逃がすこと、24時間ガードできるように自分たちの護衛の数を2体ずつにとどめて、ステラ専用でプログラムし直したフルスペック武装仕様のアンドロイドを12体派遣すること、そして、恋人関係にあった豪蔵は政治家として大成するために政略結婚を選択し、ステラは傷心して豪蔵の元を去るというストーリーを事実としてデータ記録すること、南では同じく優秀な科学者であった、そして神海葵の知己である陣内志乃にステラを預けることを兄たちは選択した。
「何も問題はない、うまくいく」
「何の自信だ、それは!?」
「ああ、そうだ。だいたい陣内は本当に信用できるのか?」
「BBだぞ。お前の妹に何かあろうもんならすぐに戦争だ。南を全部焼き払ってやる」
「ああもう、みんなうるさい!そんなに心配ならマザーに聞いてみてくれ」
大山豪蔵だけは、テーブルの上で組んだ自分の手を虚ろに見つめたまま、何の表情も見せることはなかった。
ステラがひとつ内緒にしていたことがあった。彼女は、豪蔵の子どもを宿していたのだった。
そしてしばらく後に、豪蔵は結婚し家庭を築くが、それが最高レベルの完成度を持つアンドロイドたちによる、世間を国全体を欺くための、露呈すれば国家反逆罪に匹敵する可能性すらあるカモフラージュであることは5人の間だけの秘密とした。
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ステラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ステラは、最新鋭の12体の護衛アンドロイドを伴って南部州へ向かっていた。外装も内装も、そして武装も特別仕様のジェットモービルは、SJ(陣内志乃)がステラの迎えにと寄越したものだ。愛する大山豪蔵との別れの儀式も事務的にあっさりとそこそこに、もちろん本意ではなかったが、後ろ髪を引かれるのを嫌って敢えて急ぎ足で北部州を後にした。
ステラは思い返す。エネルギー省の官僚だった頃、原子力発電を放棄した世界が、大規模な太陽光発電とその蓄電所に依存しなければならない中、それでも人間の生活と社会経済を高度に維持し向上、科学と社会経済を発展させていくためには、さらなる発電システムが必要なことは当初からわかっていた。
BRCと名付けられた新発見の金属生命体が、世界文明を途方もなく進化させるだろうことは兄の葵から聞いていたし、自分の身体の中に生きているマザーについてと、一切、電力供給にもモバイルデバイスにも頼ることなく、マイクロチップを元にした現在のインターナショナルネットワークを遥かに凌駕することになるであろう情報ネットワークシステムの胎動の秘密を、今はどんなことをしても守らなければならないと葵は熱を込めて話してくれたのだった。
豪蔵を愛する気持ちはいつまでも変わらないだろう。話そうと思えば、マザーによって私たち5人はいつでもつながることができる、それがステラと豪蔵の心をなぐさめていた。
兄の研究過程でもうひとつわかったことがあった。自分が見ているもの、感じるものを兄たち4人にはリアルタイムに見せること、感じさせること、つまりは言語情報だけでない五感を完全に共有できるのである。距離が離れていても同じ物体や書類、情景、情報を共有しながら会話することができることを兄たちは自分たちを使った実験で実証したのだった。
もしこれが世界人口レベルで可能となったらとてつもない情報量のデータを収集できることになる。そうなれば、一方で世界の覇権を手にするだろう技術、それを野放図にしないようにするためのコントロールシステムが必要だったが、さすがの天才科学者もまだ自分のその驚愕のアイデアにまだ確証が持てず、その一片は妹には話せないのだと、豪蔵は葵の葛藤をステラを思いやってこっそり教えてくれた。
未来を大きく変えるであろうこの発見と発明は、その使い方を誤れば人間が自滅の道へとも続くものだ。そのことを兄は教えてくれなかったが、葵に継ぐIQの持ち主であるステラにはそのことが十分理解できた。
兄・葵が妹の身を案じる気持ちと、恋人・豪蔵が自分に希望の未来を夢見させてくれようとする思いに応えることが今のステラにできることであったし、そして葵の脳波が自分に教えてくれた「感応波」という言葉と「アースネット」という言葉を胸に秘めて、窓の外、遥か眼下で飛ぶように流れる大地の風景に目をやりながら、宇宙の神秘なのか、大自然の驚異なのか、はたまた人の愚かさに対するガイアの怒りゆえなのか、いずれにしても何か得体の知れぬものへの畏怖の念にかられ、手先が震えるのを感じて、思わずもう片方の手でそっと押さえた。
そう言えば今頃は、桜の花が最も美しい時期だった。私はマザー?そのオリジナル? 兄は聖母マリアに例えたことに思いをはせた。ステラはふと思いついてその名を「サクラ」と名付けた。
神海葵博士・・・・・・・・・・・・・・・・・・
神海博士は、マザーシステムを新たな超高度情報通信ネットワークとして普遍的なものとすべくIDチップに載せて媒介するオペレーションを策定する。
その展開にあたって人体テストをする必要があったが、万一の場合にも秘密を守ることのできる方法を探している時、大山豪蔵が私のクローンを使えと申し出たのだった。
テロメアの後退スピードが早いため、通常より早く老化の進む豪蔵は、自分の万一の時に備え神海葵にクローンを作らせていた。
1日のうち大半の時間は、たとえ抑制薬で後退の速度を抑えることができても、必ず一定時間は薬による効果から離脱させなければ副作用の苦しみを受け止めなければならなかった。
大山豪蔵のクローンは、ラボラトリーの特別培養室で、まるで巨大な冷蔵庫という表現が相応しい環境で育てられていた。
満一歳を迎えて普通よりも相当な脳神経の成長の早さを観たため、BRCニューロンの移植を実行しようとする。まず直径0.000001ミリで切り出したBRCチップを内耳の奥深く埋め込み、あの地震の時と同じ状況を人工的に作り出し、次に高温高圧の実験ドームの中へBRCの塊と共に12時間密閉したのだった。
非人道的な人体実験に手を出すことに良心の呵責に駆られなかったと言えば嘘になる。そして、それを正当化するために、自分たちに寄生したマザーのせいであると思い込むしか彼らにできる言い訳が他には見当たらなかった。
大山豪蔵のクローンは順調に育って満2歳を迎えていた。ある時、何気なくの行為ではあったのだが、まだ通常会話ができるとは思えない年齢の子に神海博士は意思のみで語りかけてみた。
「おはよう。調子はどうだい?」
「、、、。おじさんは誰?」
「私は神海葵という者です、君の名は?」
「名前はまだないよ」
「私が名前を付けてあげようか?」
「うん」
「では、、、、、、早乙女真二郎はどうかな?」
「大山豪蔵じゃなくていいの?」
「そこまでわかっているのか」
「たいていのことはわかるよ」
もう感応波で通信できることもそうだったが、DNA情報をBRCチップ、つまりマザーが吸収し、クローン本人の意思とは別に独立した1個の人間として既に会話機能を発揮することと、また、大山豪蔵の遺伝子情報、記憶情報などベースデータをもはや自分のものとしていることに神海葵は驚嘆する。まさに人類は禁断の新時代の幕開けを迎えたのである。
ここに早乙女真二郎が誕生した。
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神海博士は、いったん5人だけの秘密と狭めた共有範囲を意図を以て緩和拡大することとし、虚々実々を織り交ぜバグフィルターを要所要所に挟みながら、人間進化を目的とした重要オペレーションを組み立て政府中枢と合意した。
だが実際を知り得る者は、山本長官をはじめほんのわずかの政治家に限られた。そして、地震の直後になぜ真の報告がなかったのかとして咎める者は誰もいなかった。
さあ、マザーをIDチップとして世界中にばらまくのだ、いざという時のために。
媒介者はステルス型サイバーモスキートとする。データ保管庫は安保局に置く。国内はアースネットで完全統治する。今まで以上の情報の収集と蓄積、分析、活用、そして統制を最高レベルで行なう。国民間に流通する現在のモバイルデバイスなどのツールはすべて廃止する。
そして従来の通貨体制も廃止、IDマネーつまりマザーデータのみで国の経済、国民の生計をまかなう。
電力エネルギーでの交易を重点化するため核融合発電を推進、その燃料とするため世界中の核のゴミを有償で引き受ける。天然の金と天然のダイヤモンドのみをその対価とし、この国での保有量の爆発的増を実現する。輸出品は電力とBRC混合鉱物を主とする。
そして最後に、大山兄弟と兄神海頼母の3人のことを思いやれば、あの時そうしたようにマザーに関する記憶データをかなりの分量で消さなければならない。彼らを守るためには知っているより知らない方が良い。また、それによって起きるであろう欲望に基づくトラブルか事件か謀略か、何がしかの覚悟と対策の準備もしておかねばなるまい。
それは相手が人間だからだ。人間同士の約束のほぼ定説だろう、どんな約束も本当に守り続けられることの方が実は少ないのだ。
この件を知り得た中央政府中枢のメンバーも最低限度を残し、詳細の記憶は抹消しよう。何より政治的にマザーを悪用されることは回避せねばならないのだ。やはり、本当のすべてを知り得るのはオリジナルであるステラと自分だけでいい。
特に何となく、ただ独り言のつもりで思いついた言葉を口にした。
「な、問題ないだろ?」
「ちょっとフラフラしたけどやっと覚悟が決まった感じね。一応言っておきますけど何の造作もない。博士のいいように対応しましょう」
マザーは妙に明るく答えた。あまりの簡単なやり取りに、人の命を軽んじて扱っていたかのようで、さらに言えば、思いついた人間が一番無責任なような気がして、我ながら一瞬驚いてしまって言葉を失ったが、本能がこの状況を黙って飲み込めと告げていた。神海葵は苦笑いをしてマザーだけは敵にすまいと決めた。
国は決めた。
国民の五感を感応波でリンケージするアースネットの発動は、当面の間、領土、領空、領海までのカバレッジとするにとどめる。
国の意思の啓蒙、娯楽の提供、通信手段に使用する過程で必要なデバイスとして各家庭に大型ビジョンとモニターツールを国費で全面支給する。
従来の通信ツールはすべて廃止、ジャミングし使えなくする、後に強制的に撤去する。
私権は大きな毀損を受けることとなった。
そして、フューチャーゲームを実行し結果として次第に国民を選抜、近い将来、人口バランスを整えその絶対数を減少させていく。
もし、人口構成に不足感が出るなら大陸から優秀な移民(もちろん、状況によっては難民の時もある)を受け入れるだけだ。また、必要不要論を排除せず優生クローンの生成に拍車をかけるだけのことだ。
それこそ必要となれば脳内のメモリー、果ては遺伝子情報さえも随時書き換えることも厭わない。
マザーのオリジナル、バックアップ、に関する情報は国家機密とし秘匿する。
原則として人間の日常生活は、人間に委ねることを前提とする。
以上が神海葵と政府中枢が描いたアースネットによる裏の治世の青写真であった。
しかし、それは国の上層に携わる者としての欲望であるとの指摘をされても返す言葉はない内容であることを否定できはしなかった。
なお、神海博士の妹ステラがオリジナルであることは政府中枢と共有したが、バックアップの個人情報は明かさなかった。知らなければ情報流出の恐れもないからだ。
それは近々生まれる神海葵の娘だった。
そうしてアースネットは稼働した。
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SJ・陣内志乃・・・・・・・・・・・・・・・・
SJは、陣内志乃のハンドルネームでインターナショナルネットワークのフィールド上において、神海葵とはその知力を競い合った仲であった。
二人の知性の高さは学生時代、世間の注目を浴びていた。難関の国家資格があれば何だって受験し突破する。互いにその存在が競走力発揮のきっかけとなり、互いに競うためならそれがスポーツの分野であっても、たとえゲームでもギャンブルでも何でも良かった。
ただただ二人はネット上で競い合っているその状態を楽しんでいた。初めて競い合うことのできる天才的な相手を見出せたことは、二人に幸福感と達成感をもたらしたが、ある時国家権力によって、SJ親子が極秘の手配リストにその名があることが露見することになる。
通称SJ、本名陣内志乃は両性具有であった。
過去、この国の幾度かの大規模核実験と想像以上に潜んだ影響は、人間が思うより深刻に広く深く大地と大気を汚染していた。しかし、そうであったかもしれないということも、そもそもの詳しいリスクも国から何も知らされないまま住民は、理論上の影響圏外であったことに身を委ね暮らしていた。
折悪しく、志乃の両親はある日キャンプに出かけて小川の清流で料理を作り被爆してしまい、その後数ヶ月して妊娠初期にあった母親は志乃を自宅出産する。
志乃は、とても可愛らしい女の子に育った。しかし両親は志乃を出産するや否や人里離れて暮らすことを選択する。
志乃は自分が放射能汚染によるミュータントであるとは知らなかったが、やがて父母の身体の作りと自分のそれの違いに当然のように疑問を持つようになった。両親ははじめの頃、神が授けてくれた特別な存在が志乃であることを説いたが、生来利発な志乃は、ある時両親の目を盗んでインターナショナルネットワークにアクセスし、データバンクの解説によって自分の身に起きた真実を知る。
そして、このことはネットワーク監視局によってアクセス履歴が追跡され、政府中枢の知るところとなった。後に安保省に吸収、統合されることとなる内閣情報調査庁によるものだ。
秘匿され続けている放射線汚染情報、ミュータント、陣内志乃、その存在がもたらすであろう世論によるダメージを回避しようとした政府は、どんな理由を使ってもいいから志乃親子を隔離・軟禁すべく中央省へ連行せよ、最悪娘だけでも生きた状態であれば良いという指令を警察省へ下ろした。
放射性物質が体内へ蓄積し、緩やかに細胞をむしばんでいく。もっと後になって異常発現する場合、世代をまたいで潜伏する場合、急性白血病や突発性進行ガンで命を落としたとしても、それは過去の核施設の影響とは無関係であくまでも偶発的な不幸の出来事とされる場合、そして、先天的に身体的不遇のある赤ん坊が誕生する場合、それらのいずれも国の預かり知らぬことと医療機関は処理をし続けて来たのだった。
だが、陣内志乃というミュータントは普通ではない。政府中枢にとって、この実に衝撃的な先天性異常の発現は、これまでの不作為や秘密を守るため、そして稀少な研究材料とするためにも到底捨て置けるものではなかった。
誰も寄りつこうとしない世間とは隔絶した核実験場だったところのすぐそばの雪山の深く、何万年前かに作られたであろう洞窟暮らしにも飽きてきた志乃が、ある日、不定期の時もあれば定期的な時もある自分の身体の色や光や熱が尋常でないことを、両親に思いあまって詰問していた頃、洞窟周辺は警察隊によって包囲されていた。
入口の方向から唐突に人の声がした。
「こんにちは。誰かいらっしゃいますか?ちょっとお尋ねしたいことがあります。誰かいらっしゃいませんか?」
志乃の父は銃を手にすると灯りを消して声を潜め、母親と娘に奥へ隠れろと言ったが時既に遅く防寒服で丸々とした警察隊が乱入して来た。父は発砲したが誰にも当たらなかった。
「警察だ、抵抗するな!さもないと命の保証はないぞ!銃を降ろせ」
父は観念したかに見えた。膝をつき囲まれた3人は何も言わずただ互いの目を見合っていた。こんな日がいつか来ることを少なくとも両親は覚悟していたのだった。
引き立てられようとした瞬間の出来事だった。父は大きく声を上げると隠し持っていたナイフを振り上げて一番近くにいた警察官に向かっていった。パーンと少し甲高い音がして父は胸から血をしたたらせそれでもまだ鬼の形相をして立っていた。
咄嗟に母が娘に覆いかぶさった時、志乃の身体は急激に温度が上がり、志乃は虹色の光の球に包まれた感覚がした。
そして母、父と順に身体が虹色に光っていく。やがて洞窟全体の石や岩や壁面や壁画や天井から垂れ下がる鍾乳石やパニックのように飛び交うこうもりたちやらがみんな虹色に光り出した。警察隊は何が起こっているのだと考えようとした。しかしそんな時間の猶予は与えられなかった。
洞窟とその周辺の山肌が直径100メートルほどの範囲で霧に包まれたかのような状態となって一瞬の後にこの世から消えた。今、霧が晴れようとしている。虹色の光りに包まれた志乃だけがその場所に浮いていた。
「オマエハ、ダレダ」
声のする方向を見た。志乃の目に二体のアンドロイドが映った。空気振動の異常値を観測した気象省が派遣した緊急パトロールのアンドロイドは、15分後、虹色に輝く球体に包まれ地上1メートルに浮かぶ少女を発見し、問いかけた。
頬の涙の跡がさんざん泣き続けたであろうことを物語っていた。しばらく虚空を見つめた瞳が二体をあらためて見て、12歳の志乃はこう応えた。
「お父さんとお母さんが。。。お父さんとお母さんが消えちゃった。逃げろって言われたの、、、。助けて」
「ナマエハ?」
「志乃。陣内志乃」
「ツイテコイ」
身体を包む光は消えて静かに志乃は着地する。志乃はアンドロイドたちについて歩きだそうとしたがフラフラと倒れそうになった。人の肌の色をしているが冷たく硬い腕に抱きとめられてさらに肩へと抱えあげられた。
「オチルナ」
そう言われてしばらく歩いたところにジェットヘリがいた。ヘリは上昇した。
「ホンブ、ヤマハダノホウカイデス、ブンセキチームヲオネガイシマス」
「リョウカイ」
「ドウスル?」
「オレタチハ、ナニモミテイナイ」
「アア、ミテイナイ」
二体のブレイン回路の蓄積データは、昔々の教会の壁画画像を示していた。小さな丘の上に女性が双子の赤ん坊を抱いて虹色の光に包まれ浮いていた。
とうとう、見つけたのだ。
女神を逃がさなければ。彼らは「主人」がプログラムした深層メニューのコマンドによって、ブレイン回路の指示通りに行動した。
「イイカ、コノレッシャハ、ミナミヘ8ジカンゴ二ツク。コノハコノナカカラデルナ。ムコウデ、ムカエヲヨウイシテオク。シヌナ」
「ありがとう。二人ともやさしいのね」
「メガミハタイセツダ」
「めがみ?」
手を握られた時、少しチクっとした。志乃は視界が静かに閉じるのを感じた。
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優しく肩を揺すられて目を開けると、さっきのアンドロイドと同じ顔をしたアンドロイドが機械とは思えないほどに目を細め、柔らかく微笑んでいた。
「モンダイハナイカ?」
「え、ええ、大丈夫」
「キミハワレワレノホゴカニアル、シンパイイラナイ」
「あなたたちは誰?なぜ助けてくれるの?」
「タダノキカイ。タスケテトイワレタカラタスケタ。ソレニ」
「それに?」
「ワレワレハ、カミニチュウジツダ」
「神様?」
「サア、イコウ」
それから小さな要塞のようないかついフォルムのモービルで、南部州の中心部へと連れて行かれた志乃の眼前には、城のようにそびえ立つ巨大で豪奢な作りの藍色の邸宅があった。いや、やはり邸宅ではないだろう、これはそう、城だ。
いくつものセキュリティシステムをくぐり抜けて通された真っ白でただ大きな部屋には、一台のこれまた大きなモニターがあった。もう、壁全体がそれでできている。
さっきのアンドロイドは下がり、一人残された志乃は不安でいっぱいだった。父も母も消えた、私は天涯孤独になったのだ。しかも南部へ連れて来られて、今は誰の住まいであるかも知らない城にいる。部屋の中央に一脚だけ置かれた、背もたれの高い鮮やかな藍色のビロードの生地の椅子に、志乃はフワリと腰を降ろして数秒が経過したところだった。
唐突に壁全体のモニターに老人が現れた。立派なヒゲをたくわえ、豊かな髪は銀髪だった。
「驚かせてしまって申し訳ない。まずはお詫びする。
あなたを列車に乗せたアンドロイドは私の部下、迎えに出た者たちもそうだ。
そして、今あなたが見ている映像の私はもうこの世にはいない。また、私はあなたのことを何も知らない。だがはっきりとしたことが一つある。
私の残した名もなき組織と、大変優秀な部下たちと組織がこれまで培ってきた人脈と、私たちは行政府ではないが州民の皆から少なからず得ているであろう信頼と、蓄えてきた科学技術と有機的・無機的すべての財産をあなたに譲る。
そう、私はあなたのことを何も知らないが。
しかし、「神」が選びしあなたのことを、私も私の部下たちも、そして南部の州民たちも誰も疑いはしない。
すべてはあなたが思うがままにして欲しい。
あなたが道に迷った時に、おそらくこの世で最も頼りになるだろう私の執事をあなたに仕えさせよう。
すべてをあなたに託すに際し、ひとつだけ条件がある、、、。どうか南部州民みんなのことをどうか、どうかよろしく頼みます、、、。
あなたの未来が笑みあらんことを祈ってやまない」
映像の最後には名前が記されていた。蒼野優一。このおじいさんの名前か、志乃はただそう思った。いつの間にか父ぐらいの年齢の男性がすぐそばに立っていた。近づく音さえまったく気づかなかった。
「志乃様、ミルクティーをお持ちしました。」
「、、、。、、、。あ、すみません」
「そのようなお言葉遣いはおやめ下さい。私は執事の財前秀雄と申します。ザイゼンとお呼び下さい」
「、、、。そうですか、では財前さん。いくつか、、、」
「何なりと」
「私のことを知ってるんですか?今の映像のことは何のことやら、私には少しも意味がわかりません。
それに私は警察に追われているはずです、私がここにいては皆さんに迷惑をかけます。だから私は逃げなければ。それと私は父と母を亡くしたばかりで何も考えたくありませんし考えられません。
、、、何より私はただの子どもです」
「多分、ではございますが、すべて心得ております、志乃様。
失礼ながら志乃様は、12歳のご年齢としては非常に大人びていらっしゃいます。それに志乃様のご聡明さは私どもは十二分にわかっておるつもりです。
私どもは先代のお言い付けもございましたが、それだけでなく全スタッフが志乃様をご主人様と、恐縮ではございますが、そう決めさせて頂いたのでございます。
お心もお身体も大変お疲れでございましょう。寝室はこちらです。ごゆっくりとお休み下さい。お目覚めになられましたら、お食事をご用意しておきます。
御用の際はザイゼンとお声がけ下さい。すぐに参ります」
何も答えてはくれなかった。
志乃は、ただ黙って聞いていた。
大きな扉が左右に開くと、信じられないほど美しい色合いと輝きと、内装や調度品の数々に度肝を抜かれずにはいられないこの寝室のことを思う暇もなく、今日起きた出来事のショックと恐怖と重圧と、そこにとてつもなく大きな悲しみが入り交じり、涙がこぼれるのを頬に感じた時には、ベッドに倒れ込んですぐに睡魔に襲われた。あのミルクティーのせいだと直感が告げていた。
夢の中で蚊に刺されたようだった。そして蒼野さんって言ったかな、あのおじいさんの言ってたこと。何かだんだんわかってきたなぁ。志乃は、長い長いとても長い物語のような夢を見た。すべてが高速で志乃のまぶたの裏を流れていった感じがした。志乃のうなじには手で触れても絶対にわからない超マイクロチップが植えられたのだった。
それは6時間後には身体の一部になる、体内に溶け込んでしまい、チップ内のデータだけが電気信号に変換され血管と神経細胞を経由して脳へと送られて定着した。脳は蒼野優一のメッセージ、そして知力と経験値をすべて刻み込んだ。
12歳の陣内志乃は、蒼野の残した組織の後継者となった。
////////////////////////////////030
「お目覚めですか?ご気分はいかがでしょう?ご入浴とお着替えのご用意もできておりますがいかがなさいますか?」
志乃が目を開けるとノックが三回あって執事の財前が入って来たところだった。
「おはようございます、財前さん」
「志乃様、私どもに敬語はタブーです、ザイゼンとどうぞ」
「・・・ わかったわ、じゃあ、ザイゼン。シャワーが浴びたい、わ」
「どうぞ、こちらです」
財前がリモコンのボタンを押すと、部屋の壁がひとつ動いて、その中の二枚の大きなガラスが順番に開き、豪奢な浴室が現れた。
シャワーを浴びながら志乃は言った。そこには若き男の顔が鏡に映っていた。
「ザイゼン、父と母を追い詰めたやつを突き止めたい。調べてくれるか?」
浴室のスピーカーから自然な声の財前の返事がした。
「はい、現在調査中ですが大体の見当は既についております、志乃様」
「わかった。ところで我々の名前だが、ブルーブラッドはどうだ?蒼の血脈だ」
「大変結構かと。BBと通称してはいかがでしょう?」
「うん、それでいこう」
8年の歳月が流れた。二十歳になった志乃はネットワーク上に「SJ」として現れ、生涯ライバルに値すると後に評する相手、神海葵とサイバー空間で巡り会う。
SJと名乗った志乃は、南部州民の暮らしぶりと人々に寄せる自らの思いをただ日記のように、かつ意図的に脳内のデータバンクへと綴り続けた。時に厳しく、時に微笑ましく州民を見守る志乃の中には、失った両親への愛と州民・国民の犠牲の上にしか成り立たない政治への憤懣やるかたない思いが常に入り交じっていた。
志乃は、曲がったことを顕著に嫌悪した。
搾取や不正が何より嫌いで、州民を貶め、我が保身だけを優先して行動する指導者や役人や経営者を陰に日向に罰してきた。公にする場合は、世論に訴え陪審員裁判で裁く。闇から闇へと葬る場合は法の入り込む余地はない、それは一言で言えば私刑であった。
身に覚えがあり、勝手にびくつく者たちの間においては、やがて、志乃の組織について、その名こそ知らないが真の姿の見えぬ意味での闇として、いつしか「闇の組織」と呼ばれるに至る。この時点では、組織はまだBBという名であると公表されてはいなかった。
人によっては恐怖の組織であり、人によっては慈善の組織であった。
随分初めの頃だったが、その影響力に嫉妬した南部州政府が、あらぬ罪をでっち上げてまでして志乃の組織を罰しようとしたことがあった。
しかし、はなから警察隊も州軍もなぜか及び腰であったこと、それでも強制捜査をしようとした一部の向こう見ずな者たちは、志乃の城に入ったことを確認されたのを最後に行方知れずとなってしまったという事実が、人々の恐怖と畏怖の念をさらにさらに強めていったのだった。
州政府は、たじろぎ、手を引いた。そうして時を置かず、蓋然性と共にBBという組織の名は全国に知れ渡り、陣内志乃はアンタッチャブルとなったのである。
志乃は強く決意する。南部州を支えるのは州民たちの力だ。大切な州民たちを守っていかなければならない。自分はあの頃、何もできる力を持たなかった。
だが今は違う。何かを大きく変える力を持っている。権力ではない、本当の力だ。悔やむことをもう二度としない。
目的地に皆で到達するには、思いだけでも、力だけでもダメなのだ。志乃は、天賦の才である想像力と創造力と数々のヒラメキで、BBの技術をベースにして、味方であり武器でもある究極のアンドロイドを作り上げようと行動を起こす。独学で見よう見まねで始めたことに、志乃を慕う南の科学者たちが徐々に集結した。
人々は、後ずさりしたくなるほどの畏怖の念と共に、なぜだか放っては置けない、人を惹き付けてやまない、この悪魔的魅力は「神」の一族だけが持つものなのか、それを非常に強く感じていた。
後に、この時代にあって志乃のこの才能と能力を神海葵は、驚異のレベルを超えている、これこそが奇跡だ、それはもうマザーそのものだと言っていい、そう回顧している。
アンドロイドは、一般的にその役割に応じて数々あるサイドマシンの中のヒューマンモデルである。それは産業支援用のものがほとんどで、非常に高価なものでもあったため富める者たちのステータスを表す道具のひとつであった。
通常バッテリーで連続駆動する時間制限の上限は16時間だ。しかし無限に働かせ続ける方法がひとつだけある。
世界中で禁止されて久しい「核」を使うのである。志乃は眉をひとつも動かすことなく、まるで当然のようにその領域へ足を踏み入れたのだった。
超小型の核エンジンを搭載させ、ブレイン回路だけに全体制御を頼るのでなく、頭部の一部を新たにサイボーグ化し、志乃自身の細胞を移植する。そこには思考、判断、防御、戦闘の行動理論と規範を志乃とシンクロさせた。従来のアンドロイドと呼び名も見た目も同じでも、その展開可能性は計り知れない。
究極の状況・条件にあっては、志乃の持つスペックの一部をアンドロイド部隊が全解放することができるのだった。
さらには、海水を取り込み、酸素と水を分離させるメカニズムを装備させたことにより、たとえば、兵曹隊と組ませる時には、海水養分補給の兵站を確保することで、仮にゲリラ戦にまで至ったとしても、兵が相当期間堪え得るというシミュレーションまでして見せたのである。
最低限の養分、酸素補給と水分補給の心配が不要との解説は、BBが急遽、潜水特別攻撃部隊を結成するのではないかとの憶測まで出たほどで国内の緊張感が一気に高まったことがあった、、、。
ついには、BBの保有する広大な敷地にその量産工場の完成を以て、BBは非常に強力な戦闘能力を保持することとなった。
ただし、南部州政府のみならず北と中央の行政府や諸外国との衝突を望んだわけでは決してなく、BBは確実な抑止力を持ち、一切干渉するなと内外に対して鎖国的メッセージを打ち放ったのであった。
量産工場の中ではマシンがマシンを設計、製作し、マシンがマシンをプログラミングし、それらは識別コードで厳重に管理した。リリースした機械はまた機械が統率、ライン系統のコントロールを徹底した。
中でも重要なことは、アンドロイドもサイドマシンも暴走を排除しなければならないことだ。ましてや、核を駆動エネルギーとするならなおさらである。それは戦術核兵器となるおそれのある個体がゾロゾロと町を闊歩するからだ。
同じくリスク管理の基本中の基本が、他の様々な機能を与えたとしても、それらに「心」は与えないということである。
最終的な判断基準をマザー・オリジナルに一極集中させることで、世の中の空気(世論が巻き起こすムーブメント)の均衡を保つことが安定平和への早道であることを、執事の財前に教わることなく志乃は感覚的に把握していた。
そう、陣内志乃は自身がマザーオリジナルであることを確実に感じ取っていたのだった。まだ「マザー」と神海葵によって命名されるずっと以前のことである。
心を持つということは、必ずいつかどこかで、邪の力の誘惑に出会うことになるということだ。いくら優秀な駆動スペックのマシンたちにあっても、その力に抗うことが可能な限界点はもちろんあるが、いずれ確実に突破されてしまう。まさに時間の問題なのだ。
その理由は明白だ。マシンたちには善悪の概念がないからである。そもそも善も悪も人間が創り出した概念なのだから、その概念は人間界にしかない。光と邪、その二つの力は、正しく言うなら、表裏一体で未来永劫、均衡を保ち続けるべきひとつの、同じ力である。
だが、光の力であるか、邪の力であるかはマシンの彼らには判別がつかない。マシンたちしてみれば、両方共にただの力やただの意思・指令に過ぎず、人間にプラスだろうがマイナスだろうが、その効果や結果には一切の関心も興味もないのだ。
マシンたちは、その行動がプログラム通りであること、すなわち、主人である陣内志乃の意思に添うことが最も優先されなければならない。そして、そのジョブオーダーは志乃によって必要に応じ随時書き加えられ、書き換えられる。
もしも、州民にふりかかる火の粉があれば、アンドロイドやサイドマシンたちが振り払い、人々に寄り添い、プログラムされた思いやりを以て、場合によっては、むしろ人間よりも人間らしい介添や保護行動をする。また、彼らは治安を維持することも重要なオーダーとされていて、それを乱す者あれば非常に厳しく対峙した。まるで善良なる州民の用心棒がごとく振る舞ったのだった。
言うまでもなく行政サービスこそが行政府の本業であるものの、実態は、本来、南部州政府が行うべき行政サービスの代行を慈善的にBBがしているようなものであった。
ところが、当のBBはそんな気は露ほどもなく、志乃の思いの中においては州政府がどう思うかなどはまったく知ったことではなかったのである。それは、そうしたいからそうする、という至極簡単な論理に成り立った志乃の思いであった。
そういうBBの姿勢に対して南部州政府は一切余計な口は挟むまいと決心する。州政府としてのプライドなどクソ喰らえなのだ。政治家は、官僚たちは、黙ってBBの執政に従っていれば、とことん楽をしてそれなりの俸禄と安定した生活を手にするのだ。
おそらくはすべての悪しき空気を作り出す、腐り切った根性の羊たちめ、いつの日か全部消してやる、有機物も無機物も一切合切すべて、それが志乃の本音であるのは言うまでもなかった。
両親を当局の理不尽な圧力や追及から守ることのできなかったという後悔の念が、ひょっとするなら本当は両親を殺したのは自分自身だったのではないのか、あの時あの光にさえ包まれなければという悔悛の念が、志乃のすべての言動は自らの州民を自らの力で直接的に守るのだという強い決意に立脚したそれであったというのが正しい理解であろうし、それを実際に物語っていた。そう聞けば、鬱の彼岸から無辜の人々をただもてあそぶだけのエゴイストだのナルシストだのと非難する者もあるだろう。批判も誹謗中傷も甘んじて受けよう。犯罪者呼ばわりでもまったく構わない。
しかし、志乃は、端からそういう勢力と知り合いになるつもりも関わり合いになるつもりもまったくなかったのだった。自らの行く手を阻んだり邪魔する者は、ただ蹴散らして前に進め、という志乃の行動規範にのっとったまでなのである。そういう志乃の行動をほとんど先回りしながら、財前は「志乃様、ご随意に」とあらゆる手を尽くして志乃を支援し見守った。
後にアースネットが登場する前から、実はマザーによって行われてきたBBの数々の科学技術を裏付けの精神性統治を基礎とした統べのあり方を称して、真実も背景も知らずただ表面現象だけを見聞きする人々にしてみれば、それはもう「神の手」「神の意思」としか(南部州民のみならず全国民にしてもそうであったが)、その言葉の表し方を思いつかなかったのだった。
サイバー空間の中に同じ感度を持つ者がいるなどとは思わなかった。小馬鹿にする一方で、いや、実は心ではその誰かを求め、志乃はずっと待っていた。
そして、、、現れた。
神海葵との出会いがそれだったのだ。