愛してると言わせてみせます
「喜べ、エリス!クライフ公爵家のホランド公子がお前に会ってみたいそうだ!」
初めて自分のことで嬉しそうにする父を前にしながら、ジョルジュ家次女のエリスは表情を変えることはなかった。
エリスの三つ上の姉、ジョルジュ家長女のアリアは品行方正・才色兼備と非の打ち所がない女性であった。
アリアが名家と縁談を結べば下級貴族であるジョルジュ家の繁栄も見込めるため、両親は彼女を溺愛し、これ以上なく大切に育ててきた。
現に二年前に成人を迎えたアリアは多くの公子に言い寄られており、本来ならばジョルジュ家には手の届かない家との婚姻も結べる状態にある。
それに比べるとエリスは平凡だった。
容姿は十分に美しく、教養や礼儀作法も身につけている。
だがそのどれもがアリアと比べると霞んでしまい、それ故に両親はエリスには何も期待せず、少しの愛情も注がなかった。
それどころか優れた姉の出涸らしと呼び、まともに見向きすらしてこなかったのだ。
今更エリスが父親に対して何の感情を抱かないのも当然のことである。
「クライフ家の公子が、私なんかに……?」
「予定は三日後、二人きりで会いたいとのことだそうだ!よいか、くれぐれも失礼な真似はするなよ!」
エリスの返事を待たず、父親は既に縁談をまとめる前提で話を進める。
それもそのはず。
クライフ家といえば国内でも有数の有力貴族であり、その影響力は国中に及ぶ。
そんな名家とのつながりができればジョルジュ家の未来は明るく、エリスに何の期待もしていなかった両親にしてみれば、今回のことはまたとない好機であった。
ただその話を聞いたエリスは不思議に思っていた。
エリスはこれまでクライフ家の関係者と会ったことはほとんどない、あるとすれば多くの貴族が集まるパーティで二、三度同じ会場にいたくらい。
その時もジョルジュ家がクライフ家と話ができるはずもなく、向こうからは認識すらされていないはず。
だというのになぜ自分が選ばれたのか、その理由が少しもわからなかった。
とはいえここでそれを口にしようものなら面倒なことになるのは間違いない。
「はい、わかりました」
エリスは言いたいことを飲み込み、頭を下げながら静かにそれだけ答えた。
「ふふ、うまくいけばアリアとヴィニウス公子も……」
やっぱりか、とエリスは思った。
ヴィニウス・クライフ、クライフ家の長男であり次期当主。
過去最高と呼ばれる魔法の技術を始め、あらゆる分野において類い稀なる才を発揮しており、国中の貴族が彼との縁組みを進めようとしている。
エリスの両親もその例に漏れず、アリアが未だ婿入りしていないのもあわよくばヴィニウスと縁談を結べないかという、両親の思惑があってのことだった。
だがヴィニウスはそれらの申し入れに対し、顔を合わせることすらせずに全て断ってきている。
公的な場を除いて滅多に人前に姿を現さないこともあって、ヴィニウスは気難しいことでもよく知られており、一部からは結婚する気がないのではとすら噂されていた。
だがエリスとホランドが結ばれれば家のつながりも深くなり、自然とヴィニウスと顔も合わせる機会が増える。
それを利用してアリアとヴィニウスを結婚させる、それが両親の真の狙いなのだ。
「話は終わったようですので、失礼します」
貴族の娘として生まれた時点で、政略結婚の道具となることは理解している。
自分はこれまでもこれからも誰からも愛されることはない、そういう運命なのだ。
エリスは嬉しそうにする父親を横目に、そんな冷めた気持ちで部屋を後にした。
◆
そして三日後、迎えたお見合い当日。
「ようこそおいでくださいました、エリス様。それでは早速ご案内いたします、どうぞこちらへ」
クライフ家の本邸に一人で来るように呼ばれたエリスは、着くや否や使用人の案内で一室へと通された。
照明や絨毯はもちろん、この場のために用意されたテーブルや食器の一つ一つすらも一級品であり、否が応でもクライフ家の大きさを知らされる。
両親に今更どう思われようが構わないが、粗相をして目をつけられては大変なことになるかもしれない。
僅かばかりの緊張を覚えて口の中に溜まった唾を飲み込む、すると時を同じくして部屋のドアが開いた。
「この度はお招きいただきありがとうございます、ホランド公子。私はジョルジュ家──」
挨拶の途中でエリスは言葉を失った。
部屋に来たのはホランドではなく、長男のヴィニウスであったからだ。
「ヴィニウス公子……?」
「いかにも、私はクライフ家長男のヴィニウス。本日はわざわざご足労いただき誠に感謝いたします」
何故かお見合いの相手ではないはずのヴィニウスが部屋に現れ、そして用意された二つの椅子のうちの片方に座った。
事態が理解できないエリスは固まってしまったが、ヴィニウスに手で座るように促され、ひとまずその指示に従う。
「色々と困惑しているでしょうが、まずは非礼をお詫びしなければなりません」
するとヴィニウスは椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。
「私は貴女に嘘をついてここにお呼び立てしました。本日貴女をお呼びしたのはホランドではなく私です、彼には少し協力をしてもらったのです」
「ヴィニウス公子が、私を……?」
エリスはますます意味がわからず首を傾げることしかできなかった。
女性などより取り見取りであろうヴィニウスが、平々凡々の自分なんかとわざわざ会う理由など何も思いつかない。
「私は貴女に惹かれたのです。正確には貴女の目に」
「目、ですか?」
「パーティで貴女のことを何度かお見かけしたことがあります。その時貴女はいつも笑顔を浮かべていた、だがその瞳だけは違った。どこまでも底が深く果てがない、そんな感じがしたのです」
その時エリスの心臓が跳ねた。
演技には自信があった、作り物の笑顔を誰にも悟られることなくその場をやり切ってきたはずだった。
だが、それを遠くから見ていただけのヴィニウスにはバレている。
たとえどんな場面であっても、笑顔の奥にある心はこれ以上なく冷え切っていたことを。
「一つ聞かせてください。貴女は結婚についてどう思いますか?正直な気持ちをお聞かせ願いたい」
エリスの目をまっすぐに見つめながらヴィニウスは言った。
その目から感情はあまり読み取れず、しかし全てを見透かされているような気がして、エリスは正直に話すことにした。
「貴族の娘として生まれた以上、家の繁栄の道具となる覚悟はあります。ただ、納得はいきません。何故私があの家のために人生を捧げなければならないのか、自由な恋愛さえ許されないのか」
「ふふっ、そうか。興味を惹かれると思っていたが、やはり俺の目に狂いはなかったようだ」
エリスの答えを聞いたヴィニウスは、俯いて嬉しそうに笑う。
その雰囲気は先ほどまでとは明らかに違っていた。
「俺も同じ意見だ。結婚とは生涯を共にするパートナーを選ぶ行為、各人が望む人と結ばれるべきだと思っている。政略結婚など唾棄すべきものだ」
「あの、ヴィニウス公子?」
「これが本来の俺だ。さっきまでは其方がどのような人物がわからなかったため、ああして外面を取り繕っていただけだ」
先ほどまでの見惚れるような姿勢も崩し、テーブルに肩肘をついて声を押し殺すように笑うヴィニウス。
その様子はこれまでのイメージとはまるで違うのに、なぜか今の方がよく似合っていた。
「自分の立場や責任は理解している。だから公の場では次期当主に相応しい振る舞いを心掛けていたが、あれはどうにも窮屈で敵わん」
そう言いながらヴィニウスは、片手でシャツのボタンを外したりネクタイを解いたりと服装も崩していく。
その手つきが慣れていることからも、普段から人目のないところではこうであったのだと伺える。
「こうして女性と会うのも一苦労だ、すぐ周りが大騒ぎするのでな。ホランドには迷惑をかけたが快く引き受けてくれた、つくづく良い弟を持ったものだ」
「では、普段からこのようにしていらっしゃるのですか?」
「いや、女性と一対一であったのは今日が初めてだ。これはなかなかに緊張するものだな」
そう言うもののヴィニウスは不敵な笑みを浮かべており、どこか余裕すら見てとれる。
少なくともエリスはこれまでヴィニウスからは女性慣れした雰囲気を感じており、その発言が真実とは思えなかった。
ただ今はそれよりも気になることが一つ。
「私が初めて……」
常に多くの女性から言い寄られているヴィニウスが、エリスを最初に選んだと言うのだ。
「より緊張させてしまったか?無理もない、ただでさえ気難しいと言われている俺と見合いというだけでも気が重いだろうに」
「いえ、そのようなことは……」
「取り繕わずとも良い、その通りだからな。俺は気難しくて傲慢な人間だ、だから周りに迷惑をかけてでもこうして自らが望んだ女性と会っている」
ヴィニウスは再びエリスを選んだ、自らが望んだのだと発言した。
なぜ自分が、それも最初に会う女性となったのか皆目見当もつかないエリスは疑問符を浮かべることしかできない。
「よろしければ、なぜ私と会おうと思われたのか理由をお聞かせ願えないでしょうか」
「俺は恋愛結婚がしたい、それだけだ。自らが望む者と人生を共にしたい。そのためにはまず俺と同じ考えの相手を見つける必要がある、貴族の中でそうではないかと感じたのは其方だけだった」
「貴族の中から探すおつもりではあるのですね」
「まずはな。貴族ならば楽に会うことができる、父も今日のことを話した時は手放しに喜んで快諾してくれたよ」
何となく、エリスにはその時の様子の想像がついた。
自分の時と同じように心の底から嬉しそうにしていたのだろう。
エリスと違って家がどうこうというよりも、これまで女性に興味を示さなかった息子が初めてお見合いをすると言い出した、ということが一番の理由ではあるだろうが。
「ではいずれは貴族以外の方からも探すおつもりが?」
「望む相手がいなければな。そうなると色々大変そうだが」
それは暗にエリスはあくまで呼んだだけ、これから見定めると言っているようなもの。
だがむしろその方が嬉しかった。
ヴィニウスは貴族のしがらみを全て無視してこの場にいる。
ある意味初めてエリス・クライフという一人の女性として見てくれる相手であった。
「ただ其方とは気が合いそうだと感じている。なのでより詳しく其方のことを知るために、ここからはこちらから質問をして良いか?其方には俺と同じように心の赴くままに答えてもらいたい」
外面を取り繕うな、心の内を曝け出せ、そうしてお前という人物を見てやる。
自分で言うようにまさに傲慢そのもののヴィニウスの言葉に対し、エリスは笑って答えた。
「わかりました」
その返事に対し、ヴィニウスはニヤリと笑って返す。
「ではまず、なぜ其方は恋愛結婚を望む?」
「それにお答えする前に、私の姉のアリアのことは存じておりますか?」
「よく知っている、父からも結婚相手にどうかと勧められたよ。素晴らしい女性だそうだな」
「贔屓目なしに見てもそう思います。お姉さまはこんな私にも唯一優しくしてくださる人でした」
「唯一?」
エリスの言葉にヴィニウスの眉がピクリと動く。
「ええ、唯一です。両親は優れた姉だけを大切に育て、私には一雫の愛情を注ぐことすらしませんでした」
「酷い親もいたものだ。俺にその気持ちはわからないが、さぞ辛いのだろうな」
「生まれた時からずっとそうなので、いつのまにか慣れてしまいました。ただいつも姉が羨ましかった、一度くらいは誰かの愛を得たいと思っています」
「なるほど、だから恋愛結婚を望むと」
ヴィニウスは納得がいったように何度か頷き、それから手元のティーカップに口をつけて一息ついた。
「ただ先ほど貴族の娘としての覚悟はあるといっていたな。本日もホランドとの見合いを受け入れるつもりで来たのであろう、それはなぜだ?その望みは叶わぬものと諦めているのか?」
「本当に傲慢なのですね。大したことない家柄の私に、クライフ家という名家からの縁談を断ることなど不可能です」
「だから諦めると?」
「そんなことは一言も言っておりません」
内面を曝け出して良いと言われたからだろうか。
それとも現にヴィニウスが自らを傲慢であると言い、それに違わぬ言動を隠すことなく繰り返しているからだろうか。
エリスも半ば無意識のうちに、内に秘めていた想いがすらすらと口をついて出てしまう。
「確かに縁談を受けたところで愛されることはないかもしれない、しかしそれはあの家にいる限り同じ、自分から動かなければ何も変わらない。ならば私は、例えどんなに可能性が薄くとも可能性がある限り進み続けます。この望みを諦めることだけは決してありません」
それを聞いたヴィニウスは口を開けて呆然としていた。
だが少しして手で口元を抑えて声を押し殺していたかと思うと、突然大声で笑い始めた。
「はっはっは!なるほど、それが本当の其方か。先ほど俺の目に狂いはないといったが訂正しよう、どうやら俺は其方を見誤っていたようだ」
その時エリスは冷静になり、やってしまったと思った。
素の自分が貴族令嬢に相応しくないことはわかっている、だからこそこれまで全て隠していたというのに、つい場の空気に流されて曝け出してしまった。
よりによってヴィニウスに知られてしまったのだ、これからこの悪評が広まっていき、もう縁談がまとまらなくなるかもしれない。
望みが叶う可能性が潰える危険性も大いにある。
だがもう後悔しても遅かった。
「改めて今日は呼び立ててすまなかった。こうして会えて本当に良かったと思っている」
ヴィニウスはこの場をお開きにしようとしている。
だがエリスにはどうすることもできない、大人しくそれに従うしかない。
「こちらこそ、お呼びいただき光栄でした」
今更無駄なことではあるが、社交辞令としての挨拶と丁寧なお辞儀をして共に部屋を出る。
こうして全く予想せず始まったヴィニウスとのお見合いは幕を閉じた。
◆
それから数日後、それは突然のことであった。
ヴィニウスが直々にジョルジュ家を訪れ、屋敷は騒然としていた。
なぜ滅多に表に出てこないヴィニウスが来たのか、困惑する人々をよそ目に唯一答えを知るエリスは部屋を出て屋敷の入り口に向かう。
「ヴィニウス公子……」
「突然すまない。数日ぶりだな、エリス」
エリスは階段を降りている途中で、大広間の真ん中に佇むヴィニウスと目があった。
本来ならば丁重にもてなさなければならない客人なのだが、想定外のできごとに誰も動くことができていなかった。
そんな中、ヴィニウスは少しも迷うことなくエリスの元へ向かう。
そして大勢の人に囲まれながらハッキリと言った。
「エリス、俺は其方と共に暮らしたい」
両親も、使用人も、エリスでさえも。
ヴィニウスの発言が理解できずに固まってしまった。
「一つ言っておくが、これは結婚の申し込みではない。ただお互いをよく知る機会が欲しい、そう思ったのだ」
「……な、なんで私に?」
「言ったであろう?其方を見誤っていたと。其方は興味を惹かれる相手ではない、心を惹かれる相手だ」
そう、あの時の言葉の意味は『期待外れ』ではなく『期待以上』であった。
エリスの本心を聞いた時から、こうして同棲を申し出ることは既にヴィニウスの中で決定事項だったのだ。
「む、もしやあの時言っていなかったか?」
「ええ、なにも……」
それを肝心の相手にすら伝えることを忘れていたのだが。
「それはすまない。では改めて、俺は其方と結婚したいと思っている。だから俺と共に暮らして欲しい」
「なぜ結婚の申し込みではなく、そのような形を?」
「まだ其方が俺と結婚して良いと思っているかがわからないからな。まあ案ずるな、同棲している間にそう思わせてやろう」
ヴィニウスの言葉に少しも迷いはなかった。
本気で共に過ごしているうちにエリスを惚れさせることができると、そう信じて疑っていない。
その時エリスの中で反骨心が芽生えた、絶対に惚れてなんかやらない、と。
そして少し意地悪な質問をすることにしてみた。
「私なんかよりももっと美しい女性はいると思いますが」
「そうか、だが俺は女性に美しさは求めない。そんなもの、ここで両目を潰せば関係なくなる」
「教養が足りていないかもしれません」
「なるほど、ならば教養の代わりに俺のことをその頭に詰め込んでもらおう」
「……決していい家柄ではありません」
「柄など所詮飾り、大事なのは内側。其方とならば良い家庭が築けそうだ」
「──っ⁉︎」
「俺が女性に求めるのは心だけ。そして俺の心は其方の心に惹かれた、それだけだ」
エリスはここでようやく気がついた、自分もヴィニウスを見誤っていたと。
ただ傲慢なだけではない、それを実現する力もある。
本当に自分を惚れさせることも──
「私の心は、そう簡単には変わりません」
「そうだろうな。金や地位があれば大抵のものは手に入る、だが愛だけはそうはいかない。だからこそ俺は望む者からの愛が欲しい、その者と結婚したい、そう思うのだ」
ヴィニウスはその手をエリスの顎にそわせ、自らの顔をギリギリまで近づける。
「だが俺は愛されるより愛したいとも思うのでな。だからまずは其方にあらんかぎりの愛を注ごう、そしていつか俺の愛を受け止めきれなくなった時、其方の口から愛していると──」
ヴィニウスの言葉が最後まで紡がれることはなかった。
それよりも早く一歩踏み出したエリスが、自らの口をヴィニウスの口に重ねたからだ。
それから数秒後、エリスはゆっくりと一歩後ろに下がる。
その時のヴィニウスは顔を赤く染め、呆気に取られた表情をしていた。
「勘違いしないでください、惚れたわけではありません。ただ何もかも思い通りに行くわけじゃない、そう教えたかっただけです」
「ほう?何を教えてくれるのだ」
「貴方は私に愛を注ぐと言いました。でもそれは私に向けられたものではない、私からの愛を得ようとする自分自身に向けたもの。私が欲しいのはそんな愛じゃない、ただただ純粋に私だけに向けられた愛です。それは他でもない自分自身で掴むもの、だから──」
エリスはヴィニウスの目をまっすぐに見つめ、心の底からの笑顔を浮かべて宣言した。
「いつか貴方に、愛してると言わせてみせます」
「その言葉、そっくりそのまま返そう。俺は其方が欲しい、故に必ず愛してると言わせて見せよう」
誰からも愛されることがなく、冷めた心のまま育ってきたエリス。
だがこの日初めてエリスは誰かに愛されるということを知った。
そしてこれからヴィニウスに溢れんばかりの愛を注がれ、エリスもまたそれに負けないくらいの愛を返し、幸せな日々を過ごしていくことになるのであった。
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