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6 踪

「……で、何をお知りになりたいと」

 待ち合わせ先の喫茶店で鳴瀬昇なるせ・のぼるがわたしに問う。

 鳴瀬は五十代前半の痩せた男で、わたしの父と同世代だ。

「二十年ほど前、ミャンマー=当時ビルマで起こった殺人事件についてです」

 単刀直入にわたしが答える。

 すると鳴瀬の表情が俄かに曇る。

「何処で聞きつけたのか知りませんが、また思い出したくもないお話を……」

「成瀬さんは当時、現地にいらっしゃった」

「ええ、わたしはヤンゴンにいましたが、事件が起こったのは、そこから北北東に七十キロくらい離れた丘陵……というか、丘の上ですね」

「モエ・イン・ジーと呼ばれるところですか……」

「凡そ、その辺りです」

「成瀬さんは、どうしてそちらに……」

「可哀想な日本人女性がいたのですよ」

「それは、お知り合いの方……」

「いや、ぜんぜん知らない人です」

「では、どうしてお知り合いに……」

「偶然ですよ。すべては偶然。会社の都合で丘の上の研究所に行ったとき、その帰りですが、あの辺りを歩いてみたくなりましてね」

「風光明媚だったのですか……」

「いや、別に……。普通の丘ですよ。でもまあ、空き地に車を止めて、うねるような砂利道をブラブラと散策する気になりました」

「そして、その途中で家を見つけられたと……」

「いや、家はまだです。五分ほど歩いていると黄色地に黒い線が入った鳥がいましてね、ミャ-、ニャ-、ギャ-と地鳴きしていましたから、おそらくコウライウグイスだったのでしょうが、それに導かれるように藪道の方へ……」

「それで……」

「はい。家の周りは結構広い敷地だったと思います。だから入れば不法侵入になりますが、まあ、身分証はあるし、何かあっても正直に話せば良いかなと」

「先に進まれた」

「ええ、そうです。すると池……というか沼というか、水場があって、太陽が眩しく反射していました」

「では、その先に家が……」

「はい。沼には木製の立派な橋がかかっていて、その向こうにやはり木造で立派な白い家が見えました」

「それで寄ってみられたと……」

「いや、知り合いでもない、まったく赤の他人の家です。寄る理由がない」

「しかし家には近づいた……」

「きれいな造りの家でしたからね。現地風と英国風が交じり合って不思議と調和していました」

「なるほど。それで呼ばれるように……」

「カメラを持っていれば撮ったと思います。だが生憎持っていない。それで目に焼き付けようと思い……」

「何時頃のことでしたか」

「朝の十時半くらいでしょうか」

「沼に陽が反射していたのですから、晴れた日ですね」

「そう。暑過ぎはしないが暑い日です」

「それで……」

「わたしが家の佇まいに見惚れて暫くすると音がして、家の玄関が開いて女性が出てきました」

「その方が殺人犯ですか……」

「現地の警察によれば、そうなります。が、果たして本当にそうなのか」

「成瀬さんが疑問に思われた点は何ですか」

「殺された男は筋骨隆々で力があって背も高い」

「白い家の持ち主の方ですね」

「ええ、彼女の夫です」

「続けてください」

「しかし彼女=あかりさんは――日本人としては平均身長ですが――男と比べれば小さくて細身で力もない」

「でも武器を使えば……」

「ええ。長身の男性の殺害は可能です。しかし武器が使われた形跡がない」

「それは、鳴瀬さんご自身がご確認を……」

「いくら何でも、それは無理ですよ。当時も今も政治体制がアレですから……。けれども噂は漏れる」

「それはどういったものでしたか……」

「森井さんは、もうトウにそれをご存知なのではありませんか」

「ええ、正直に申せば、ある程度は調べています。しかし当時アカリ・ドラモンドさんとお知り合いだった成瀬さんにこそ、その噂を伺いたいのです」

「まず遺体には齧られたような跡があったそうです。そして血液が半分ほど持ち去られていました」

「実際には、そういった表現ではなかったと思いますが……」

「森井さんは怖い人ですね。ええ、遺体は数ヶ所齧られ、またそこから血を飲まれていたと聞きました」

「お酢の臭いについては、どうでしょうか」

「はい、遺体のあった部屋には酢の臭いが充満していたと……」

「……とすれば、それが何を表すかご存知でしたか」

「あのときは、こちらに来てまだ間もありませんでしたが、ケフィンという言葉を噂の中に聞きました」

「それで……」

「調べてみると、ケフィンがミャンマーのカレン族に伝わる妖怪だということがわかりました」

「成瀬さんは、それを信じられた……」

「まさか、妖怪がいるとは思いませんよ。だから齧られた跡とか、飲まれた血だとか、そんなことをそのまま信じはしませんが、噂には真実も含まれる」

「ミャンマーの警察から殺人犯と認定されたアカリ・ドラモンドさんは、その後、現在に至るまで失踪していますが、その点については……」

「さあ、わたしには何とも……」

「わかりました。ではあと一つだけ質問させてください。気分を害するような内容で申し訳ありませんが、これも取材の一環ということで……。当時、アカリ・ドラモンドさんがあなたと逃避行するためにご主人を殺されたという噂も流れたようですが、それについてはいかがですか……」

「その噂については当事者ですから良く知っていますよ。警察でも搾られました。でも現在わたしはここにいる。結構きつい尋問を受けましたが、結果的にミャンマーの警察はわたしを解放しました。言わせて貰えば、わたしは、家に拘束され、自分に対するすべてに自信をなくした彼女を救い出したかっただけなのです。英国植民地の時代でもなし、日本に帰る気になれば、逃げ出す方法はいくらでもあったのですから……。だから、わたしは何度も彼女を説得しました。けれども話を聞いている間は生き生きと目を輝かせていた彼女が、話が終わると途端に石のように固まってしまうのです。だから、どうしようもない。わたしが彼女を浚うわけにはいきません。彼女が自分の意思で、あの白い家から、夫から逃げるというのであれば、幾らでも協力を惜しまない気でいましたが……。けれども詳しく事情を聞く前に事件が起こってしまいました。だからはっきりしたことはわかりませんが、それまで断片的に彼女から聞いてきたことを重ね合わせると、彼女のそういった性格は実は彼女の母親に問題があり、幼い頃から何年もかけて彼女を歪め、遂に何をやっても上手く行くはずがないと常に思ってしまう人間に育てあげてしまったらしいのです。だから……」


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