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5 饗

 ある日、珍しく夫が昼過ぎに家に帰ってくる。

 家に入るなりわたしを罵倒する。

「おまえのせいだ」

 と大声で怒鳴るが、息が苦しげだ。

「とんでもない女だ。悪魔の遣いか」

 それからぶるりと身を震わせる。

 よく見ると大量の汗をかいている。

 ついで、

「何も言わないのか、夫の気分が悪いというのに……」

 それで仕方なくわたしが問う。

「どうされたのですか」

「どうもこうもない。現地の男にマラリアだろうと言われた。幸い症状は重くないが、とにかく寒い。凍えるようだ。だから寝る。早く、ヤーウェイアウンを呼べ……」

 ヤーウェイアウンとは夫の従者ナンバーワンのこと。

 他にはネーテッリン、ミンモウクンなどの者がいる。

 いずれも性別は男性だ。

 時折スーパントゥラーという女性をヤーウェイアウンが伴うことがある。

 夫が郷土料理を食したいと従者ナンバーワンに命じたとき必ず連れて来たので海外の料理レシピに詳しいのだろう。

 そういえば、ある夜、夫が機嫌の良いときにわたしに向かい、

「どうだ。おまえも故国の料理が食べたくないか」

 と問うたことがある。

 夫がフィッシュ・アンド・チップスやヨークシャー・プディングなど出身国風の晩餐を堪能し終えた後のことで、束の間心が幸せになっていたのかもしれない。

 が、わたしがいつものように無関心でいると、

「おまえには感情がないのか」

 と半ば諦め顔でひっそりと言い、

「まあ、気分転換にはなるだろう。一週間後は日本食にする」

 と即断してヤーウェイアウンに、

「できるな……」

 と問うが、その問いは問いではない。

 命令なのだ。

 夫の方に自覚がないとしても……。

 もちろんヤーウェイアウンが夫の命令を断るはずがない。

「畏まりました、ご主人様」

 と表情を崩さずに訛った英語で応えている。

 一週間後にスーパントゥラーが二人の子供に食材を持たせて家に現れ、会席料理紛いの膳を用意する。

 気候も食材も異なるので日本とまったく同じものは望めないだろうと内心わたしは思ったが、食してみると味自体は悪くない。

 だから珍しく、わたしの顔も綻びる。

 そんなわたしと同じ感想は夫も持ったらしく、

「なるほど、こうなったわけか。大した者だな」

 と満足気にスーパントゥラーを褒め、チップを与える。

 もちろんヤーウェイアウンを褒めることも忘れないが、彼にチップは与えない。

 代わりに、

「これからもいろいろと頼むぞ」

 と言うだけだ。

 すると、

「畏まりました、ご主人様」

 と従者ナンバーワンは表情を変えずに夫に応える。

 夫の方は笑みを浮かべていたというのに……。

 だから、わたしは思ってしまう。

 わたしではなく、夫は彼を妻にすれば良かったのだと……。

 それからしばらく経って食事が終わり、わたしが、

「ご馳走様でした」

 と小声で言って席を立とうとすると、

「おまえも感想を言え……」

 と夫が命じる。

 それでわたしが、

「わたしもあなたと同じ考えです。本来の日本食とは異なりますが、十分に考えられたレシピだと思います」

と答えると、

「ほお、久し振りにおまえが一言以上喋ったな」

 と勝ち誇ったように眉を上げる。

 ついで、

「今出されたモノとは違う種類の日本酒サケがあるそうだ。おまえも付き合え……」

 と晩酌の友をわたしに命じる。

 口調は優しいが、断るとかなり荒れそうな雰囲気か。

 だから、わたしはヤーウェイアウンと同じ無表情のまま、

「畏まりました、ご主人様」

 と応えてしまう。

 すると、

「ほう、今夜は奇跡の連続だな」

 と満足気に夫が笑う。

 ついで一旦片された円卓の向こうからわたしを手招き、

「こっちへ来い。わたしの隣に座れ……」

 と命じる。

 それで、これも連続した運命なのだ、と諦めながらわたしが夫の言葉に従うと、夫がわたしの髪を梳き始める。

 わたしは身も弥立つような嫌悪を感じたが、上機嫌の夫には伝わらないようだ。

 あの夜はそれから夫が二度もわたしを押し潰す。

 その後、日本食が月に一度の割で配膳されるようになると、夜の営みも慣例化する。

つまり、わたしにまた一つ別の苦役が課せられたわけだ。

「いかがなされました、ご主人様」

 とヤーウェイアウンの低く掠れた声がわたしの耳内に侵入する。

 わたしが回想に耽っていたのは、ほんの僅かな間だろうが、その隙にまるで煙のように夫の従者ナンバーワンが現れ、瞬く間に夫を家の二階の寝室に連れて行く。

 だから仕方なく、わたしも夫の身を案じつつ、その後に従うと、

「奥様はけっこうです。部屋でお休みになっていてください」

 と従者ナンバーワンに拒絶される。

 わたしは珍しく逆らおうとしたが、

「奥様がいても、ご主人様の看病の邪魔になるだけです。どうぞ、お引取りを……」

 と重ねて言われれば、わたしには引き下がるしか道はない。

 ヤーウェイアウンがはっきりとした自分の意志で、わたしをいらない者と判定したからだ。

 現在夫に必要なのは妻のわたしではなく従者ナンバーワンの自分であると……。

 ついで看病を通じて夫にもそのことを知らしめるつもりなのかもしれない。


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