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7 ジークンドー



 獅子丸は秋本ファミリー最強と言われて有名であり、実際、戦闘で傷を負ったことはほとんどない。

 ファミリーのメンバーはもちろん、他のマフィアや、その辺のゴロツキですら、彼の名を知らぬ者はいないだろう。その強さと有名さから、数々の異名が生まれた。「しまなみ海道の番犬」「みかんを握りつぶしてジュースをつくる男」「愛媛に台風が来ない理由」などである。

 獅子丸は極真空手を極め、正拳や足技を中心に素手で戦うことを基本としている。この他、各種武器も携帯している。よく利用しているものは、次の二つである。

 一つは、『ブラックリバー五六〇』である。以前、フェリーターミナルでの戦いで使用したのは、このリボルバーだ。通称、ブッラックリバーと呼ばれている。この銃は、二〇二〇年ころからジャパニーズマフィアの間で流行し、今でもマフィアの主流な武器のひとつである。黒川という名の男が、密輸された銃を改造して流通させたものが最初であると言われている。いかにも、安直なネーミングである。小型の銃であるが、威力の高い「.三五七マグナム弾」を込めることができる。弾数は六発。

 もう一つは、『エビルナイフ』だ。これは折り畳み式の片刃ナイフである。携帯に便利だが、その威力は微妙。相手の命を奪うためには、首や心臓などの急所を、的確に攻撃する必要がある。

 道後、それは四国でも有数の観光地である。日本最古の温泉である道後温泉は言わずもがな、無料で浸かることができる足湯も点在しており、正に湯の町である。道後温泉へと続いている商店街は、石畳の道に和風な店で囲まれており、例えば、コマやかるたなどのおもちゃ屋、四国や愛媛限定の和菓子を売る菓子屋、団子屋などが並んでいる。

 だが、陰と陽は常に一体。このような明るく穏やかな町も、一歩角を曲がれば景色が変わる。道後の裏道を行くと、さびれたバーや、ピンクの看板を立てた風俗店が乱立しているのである。

 二〇時過ぎ。獅子丸は閉店間際の団子屋から「坊ちゃん団子」を購入し、これを頬張りながら歩いていた。坊ちゃん団子は、三種の団子を串で刺した、一見どこにでもある団子だ。しかし、その風味は格別、もちもちとしつつも、しつこくない絶妙な触感、甘い風味は、素晴らしいの一言。愛媛ののどかな自然、石鎚山の森で鳴くウグイスの声が、脳裏に響くようである。獅子丸は、これより美味い団子を食べたことはない。

 団子界最強の味を楽しみながら、一玉ずつ食べる獅子丸。そのまま商店街の角を曲がり、路地裏へ入った。目的地があるわけではないが、この方向が、一番家へ近いのである。

 居酒屋へ招こうとするキャッチの若い男や、「お兄さん、かわいい女の子はどうですか?」と声をかけてくるピンサロのおばさんを華麗にスルーし、獅子丸は歩いた。団子の最後の一玉を口にくわえようとしたとき、何者かが獅子丸の肩にぶつかり、獅子丸は団子を地面に落としてしまった。

 正面からではなく、背後から追ってくるようなぶつかり方であった。獅子丸は瞬時に振り返った。

 見ると、赤シャツにサングラスの、一見してまともではなさそうと分かる男が、肩を押さえていた。こいつが、獅子丸にぶつかってきたのだ。


「いてえなあ、いてえよ」

 赤シャツは肩を押さえて、サングラスの奥からわざとらしく獅子丸を睨んだ。

 すぐそばに、赤シャツの仲間と思われるガラの悪い男が二人来て、赤シャツの肩の様子を見た。そのうち一人が、

「あれェ、これ折れてんじゃないのォー?」

 と、これまたわざとらしく言い、獅子丸を睨んだ。

 なんと古臭い手法であろうか。古臭すぎて、恐怖を感じるほどである。もはや化石である。

 獅子丸は、落としてしまった団子を一瞥したあと、赤シャツを睨みつけた。

「なあ、食いもんの恨みってえのは、恐ろしいんだぞ」

 獅子丸も鬼ではない。たまたまぶつかって落としてしまったのなら許しただろう。だが、今回のように、わざとぶつかってからかわれたとあらば、相応の仕返しをせねばなるまい。

 赤シャツは、三人いれば勝てると思ったのか、怯むことなく獅子丸に迫った。

「ああーん! やんのかコラァ!」

 台本に書いてありそうなセリフを述べながら、赤シャツは獅子丸の胸ぐらを掴んだ。しかし獅子丸は異常に体幹が良いので、ビクともしない。

「そんなつまらんセリフで良いのか、お前の遺言は」

 獅子丸は素早く腕を繰り出し、手刀を相手の額に浴びせた。

 赤シャツは白目を向いて、よだれを垂らしながら倒れた。赤シャツの肩を支え、チンピラのひとりが名を呼んだ。

「お、おい! 大丈夫かジュゲム、ジュゲムー!」

 獅子丸は内心、「ジュゲムって名前なのか……」と困惑しつつ、相手の反応を待った。ひょっとしたら、倒れたジュゲムを抱えて逃げるかもしれない。

 だが、その予想は外れた。バカは死んでも治らないものである。「よくもジュゲムを!」「ジュゲムの仇だ」など言って、残りの二人が獅子丸の前に立ちはだかった。片方が、まず殴りかかってくる。

 獅子丸はその拳を回避しようと構えたが、そうするまでもなく、相手の腕は止まった。何者かが、その腕を後ろから掴んで止めたのだ。

「なに!」

 相手は困惑し、自分の腕を掴んだ者を見た。困惑したのは、獅子丸も同じだ。秋本ファミリーの仲間が現れ、助けに来てくれたのか? それとも、他人のケンカを止めるような良心的で勇敢な人間が、この時代にまだいたというのか。

「おいおいおい。三対一は卑怯だろ」

 ケンカを止めた男は、笑みを浮かべながらそう言った。

 ネイビーカラーのスーツを着た、細身で高身長の男であった。白い肌や細い眉、九頭身はあるように見えるスタイルの良さは、モデルでもしていそうである。どこか垢抜けていない雰囲気があり、週末に友達と酒でも飲んでいる大学生のような感じもある。

 だが同時に、振り上げられた腕を掴み、「三対一は卑怯」などとのたまうだけに十分な力強さは、その目から放たれている。

「な、なんだてめえ! 放せ!」

 掴まれた腕を振り払おうとするチンピラだが、モデルのような男は意外とパワーがあり、その腕が解放されることはない。

 ふと、モデルのような男が手を離すと、チンピラは痛そうに腕を振った。その様子を見ながら、男が言う。

「やめておけ、こいつはお前らが束になったってかなう相手じゃねえよ」

 そう言って、獅子丸をちらと見た。

「……」

 獅子丸は男から目をそらさないが、特別返事もしない。

「なに? 突然出てきて言いたい放題か」

 チンピラは男に歩み寄った。すると、もう一人のチンピラがその腕を引いた。

「お、おい待てよ。この人の顔、どっかで見たことがある……」

「え?」

「お、思い出した。もう帰ろうぜ」

「は? やられっぱなしで帰るのかよ」

「そうだよ! 仕方ねえじゃん! この人、一条寺(いちじょうじ)さんだよ」

「え……、一条寺さんって、あの!」

 チンピラどもの頬に、滝のような汗が流れた。獅子丸にはよく分からないが、どうやらヤバい男らしい。そして彼の名は、一条寺。

「ああ、俺は一条寺だけど」

 一条寺は爽やかに名乗った。チンピラどもは何度も謝罪し、へこへこと頭を下げ、赤シャツの雑魚であるジュゲムを抱えてトンズラして行った。

「よ! こんばんは」

 一条寺は笑顔を見せ、馴れ馴れしく獅子丸に近付いた。

「こんばんは」

 一応獅子丸も挨拶をした。

「あんた、ケガは……」一条寺は、獅子丸の足元から頭までをざっと見た。「なさそうだな」

「ああ。さっきは助けてくれてありがとう」

「いや。まあ、俺が出てこなくとも、あんたなら全員倒せていただろうね。まあ何、最近は松山も物騒でさ、マフィアなんかも結構のさばっているらしいから、あんたも気を付けな」

 一条寺は言いながら、獅子丸のそばを通り抜け、その向こうへ歩いて行った。

「ああ」

 お互いに背中を向けた状態のまま、獅子丸は生返事をした。特に会話をする気もない、雑な返事である。それは、獅子丸が無口だからではない。一条寺の言葉からは、込められた感情が伝わってこないからである。

 一条寺は、表情豊かに、笑顔で語りかけているけれども、内実は、獅子丸のことなど全く心配していないのである。言わば社交辞令的、思ってもいない言葉を話すだけ。音波を発して相手の鼓膜を振動させるだけの活動である。

 そもそも、会ったばかりの男に変に親切にされるのも気持ちが悪い。だが獅子丸には、一条寺の言葉に、ただ空虚というだけでなく、本当は何か別のことを考えており、深層に狂気的な喜び、大笑いがあり、これを必死に隠していそうに感じられた。

 そして案の定、一条寺は心の底をさらけ出した。急に立ち止まり、背を向けたまま獅子丸に語りかけてきたのだ。

「お前、マフィアだろ」

 たった一言。背中を向け合っているのでお互いに顔が確認できないが、声色から、一条寺がニヤニヤしているのが良く分かる。

 獅子丸と一条寺は同時に振り向き、向かい合った。

 獅子丸が無言でいると、一条寺は話し始めた。

「分かるのさ。どれだけ離れていても、狼が仲間の狼を探し当てるようにな。同族のニオイってやつさ」

「クサいセリフだ」

「だったら蓋してみろ!」

 一条寺は三歩ほどのステップで急激に距離を詰め、そのまま左右に拳を繰り出してきた。獅子丸は手のひらでその拳をいなした。だが、間合いを詰める速度、パンチの威力は、その辺のゴロツキとは一線を画している。それは、今の攻防だけでもよく分かる。

「へっ。このくらいは効かねえか」

 一条寺は、先ほどの笑顔とは違う、心の底から楽しんでいそうな笑みを浮かべた。いつでも技を繰り出せるように、軽くステップを踏んでいる。

 獅子丸も、あまりのんびりはしていられない。一応、胸の前に腕を出して、構えをとった。

 獅子丸を「同族」などと表現したということは、一条寺もマフィアなのだろう。だからと言って、ここで戦う必要性などない。一条寺にも、獅子丸と戦う理由はないはずだ。

「おい、なぜ戦う。俺たちがマフィアだったとしても、今戦う理由はないはずだ。俺と戦って何かメリットがあるのか?」

「理由? メリット? 下らねえ。俺は強いやつと戦いたいだけだ」

「戦いたいだけだと? その方が下らんな」

 獅子丸は瞬時に、一条寺の言葉を切った。理由のない戦いなど不要だ。お互いの命を削り合うだけの、不毛な行動である。

 一条寺は、心外だったのか少し眉をひそめたが、すぐに笑みを浮かべた。

「なんだと? もしかして俺に勝つ自信がないのか?」

 下らん。獅子丸はまたもそう思った。大の大人に通用するとは到底思えない、安い挑発である。だが、このようなことをほざく男に、ケンカは得にならんからやめろと言っても通じないだろう。

 それに、ドン秋本もかつて、「不要なケンカは良くないが、売られたケンカを買うべきときもある」と言っていた。今はそのときかもしれない。

「一応言っておくが、挑発には全力で応じるぞ」

「ハハハ、いいぜ。お前もたまには全力を出してみたいだろう」

 二人はお互いの間合いを確かめるように数秒ほど近付いたり離れたりした。その後、獅子丸が一気に踏み込み、右腕と左腕を順番に繰り出した。だが、一条寺はこれをいなし、反撃をしてきた。

 一条寺の攻撃はパンチではなく、手首に近い部分で叩いてくるような攻撃である。いわゆる、掌底打ちだ。腕をしならせ、勢いのついた、かつ滑らかな掌底打ちで獅子丸の顔面を狙ってくる。獅子丸はこの攻撃を二発、腕ではじいた。

 だが、腕には鈍い痛みが響く。一条寺の腕は細いが、その割には重い攻撃だ。

 一条寺は伸ばした腕を戻すと、またステップを踏んで胸の前で手を構えた。

「へへへ、今のやりとりでお前の技は見切ったぜ」

 にやにやと楽しそうに笑う。獅子丸はその顔面にパンチを放った。

 次の瞬間、獅子丸には何が起こったのか、すぐには理解できなかった。視界が上下に回転し、一条寺の後頭部が見えた。獅子丸は投げ飛ばされたのである。

 自分の身が宙に浮いていることを察知すると、獅子丸は空中で頭を庇いながら受け身をとった。衝撃を和らげて地面に落ちると、後ろへ小刻みにジャンプして一条寺と距離をとった。

 一条寺は獅子丸の方を向いた。やはり、まだにやにやしている。先ほどよりも口角があがり、狩りをする肉食動物のような眼光である。

「ハッ……」

 獅子丸は自分の呼吸が止まっていたことに気付き、息を吸った。とりあえず、気持ちを落ち着かせよう。ピンチでも、リラックスは必要だ。

 獅子丸は驚いていた。小柄な者が自分より巨躯な者を投げることは、格闘技の世界では珍しくないが、日頃対等な相手と戦うことがない獅子丸は慢心してしまっていた。まさか自分が投げられるはずなどないと、警戒していなかったのだ。だが、事実獅子丸は投げられた。それを今、実感していたのである。俺の足は、確かに宙に浮いてしまったと。

 一条寺はまた口を開いた。

「おお、今の技を初見で見切るのはすげえな、褒めてやろう」

「ふん、お前こそ、見た目によらず力がある。俺が投げられるとはな」

「力なんかどこにも入れてないさ。お前の無駄な力を利用しただけだ。パワーならお前の方がある」

「なに?」

「教えてやろう。お前と俺では、相性が悪いんだぜ。お前、極真空手の使い手だな。さっきのゴロツキどもに喰らわせた手刀、見ていたんだ。親指を中に織り込んで手の肉を締め、側面ではなく掌底の肉の厚みのある部分で相手を打つ、極真空手の手刀だった。

 一方、俺が使う武術は『ジークンドー』」

「ジークンドー? 無形武術か」

「さすがに知っているか」

 一条寺はほほ笑み、話を続けた。

「お前ほどの実力者なら、そのパワーとスピードで正面からぶつかっていくだけで、敵をなぎ倒してきたんだろう。だが、それでは俺は倒せない。

 ジークンドーの原理は水。流れの武術だ。特定の構えもなければ、奥義もない。無形ゆえに無敵なんだ。誰も、たゆたう水を打ち負かすことはできない」

 一条寺の言葉には、素人には到底発揮できない、強力なオーラがある。だが、獅子丸もまた達人、怯んではいられない。獅子丸は手をパンパンとはたき、胸の前で拳を構えた。

「どうかな、試してみよう」

 獅子丸は素早いパンチを打った。一条寺はひょいひょいと避け、その間、獅子丸の拳から目を放さない。スキがあればまた腕を引っ張って投げてやろうという魂胆が丸見えである。だが投げられるようなスキはもう二度とつくらない。獅子丸は回避された拳を素早く戻した。そしてまた、反対の手で拳を繰り出す。

 避けられてはいるが、はなからこのパンチを当てるつもりはない。いわばこれは、様子見の攻撃。獅子丸の素早いパンチを回避しながら反撃を打ち出すのは至難の業。事実、一条寺は獅子丸の攻撃を避けたりいなしたりすることに精一杯だ。こうやって小さい攻撃を続けていれば、いつかはスキが出るはずだ。そのスキを見逃さず、致命の一撃を繰り出してやる作戦だ。

 一〇秒ほど素早いパンチを出し続けていると、ついに一条寺のガードが甘くなった。しかも、腕が横に逸れ、左胸がガラ空きになったのだ。この部分に十分な勢いの拳を当てれば、肋骨はもちろん、肺や心臓にまでもダメージを与えられるかもしれない。

 わずか〇.三秒、もしくはそれ以下の、刹那的チャンスだ。獅子丸はこれを見逃さなかった。唸り声をあげ、右拳を相手の胸めがけて繰り出す。これで終わりだ!

 だが、次の瞬間、獅子丸は頭が真っ白になった。一条寺に、渾身の一撃をするりと回避されたのである。呼吸は止まり、心臓も凍り付いたかと思えるほどの焦りが、獅子丸の胸に沸き立った。

 バカな。頭に浮かんだのは、その三文字である。明らかに十分なスキがあった。けれど、一条寺はいとも簡単にその攻撃を回避した。予め分かっていたかのように、容易に避けやがった。

 思考と感情が目まぐるしく動き、時が停止したかのような錯覚すら覚える一刹那、獅子丸は一条寺の顔を見た。口角が片側だけいやらしく上がり、攻撃を繰り出そうと右腕を突き出してくる。その顔に、こう書いてある。引っかかったな、と。

 瞬間、獅子丸は全てを悟った。獅子丸は、一条寺の罠にハマったのである。スキを発見したと思っていたが、それは芝居だったのだ。一条寺はわざとガードする手を遊ばせ、獅子丸に本気のパンチを打たせたのであった。獅子丸の本気の攻撃を回避することで、そこにできたスキを、利用する作戦だったのだ。獅子丸はこれにまんまと乗せられた。冷静に考えれば、達人のミスにしては余りにも大きすぎるスキ、わざとらしいスキであった。愚かな判断だった。置かれたチーズを喜んで食べに行くネズミと同然。

 だが、今更気付いてももう遅い。もはや、一条寺の攻撃を回避する時間はなかった。十分にしならせ、弧を描いた独特の掌底が、獅子丸のあごに直撃した。波動が頭の中を駆け巡るような、とてつもない衝撃が獅子丸を襲った。獅子丸はぐらつきながらもなんとか直立したが、衝撃が脳天まで回ってくるあまりの気持ちの悪さに、よだれを地面に垂らした。

 獅子丸はよだれを拭うと、一条寺の姿を確認した。とりあえず、敵の動きから目を放してはならない。しかし、一条寺の輪郭がもやもやとして、あまり良く見えない。だんだん、顔が三つくらいあるように見えてきた。これは、一条寺が素早く動いているのではなく、今の掌底が効きすぎて、獅子丸の視界がぐらついてきたのである。

 このままではまずい、獅子丸はそう思ったが、どうすることもできない。

「今の攻撃は結構効いたようだなァ!」

 一条寺が、片足を軸に大きく回転し、風を切る音が聞こえるほどの強力なキックを獅子丸に放った。視界がぐらつき、足元もおぼつかない獅子丸は避けられず、胸にまともにキックを受け、ふっ飛ばされた。

「ぐ……」

 アスファルトに両手をつき、なんとか上体を起こす。敵にふっ飛ばされて地面に手を突くなど、マフィア人生で初のことである。

 一条寺は倒れている獅子丸に追加攻撃をしようとはせず、悠々と語り始めた。

「『アタック バイ ドローウィング』だ。ジークンドーの戦術の一つ。相手の攻撃を誘って迎撃する、カウンター攻撃。そのためにわざとスキをつくる。

 お前はさっき、しめたと思って俺の胸へ中段突きを放ったんだろうが、それは違う。俺に打たされただけだ。

 だが褒めてやろう。わざとつくったスキと言えど、そのスキを発見できるのは強者だけだからな。素人なら、そのスキに気付くことができない。お前が達人だったからこそ、俺の罠に引っかかったのさ」

 獅子丸は返事をせず、息を切らしながらゆらゆらと立ち上がった。それを見て、一条寺が目を見開く。

「おお、まだ立てるのか」

 そう言ったあと、はあはあと息を切らした。ダメージを受けているのは獅子丸の方だが、凄まじい攻防の中で、一条寺の体力も削れているようだ。

 獅子丸は深く息をつくと、一条寺の顔を見た。まだ視界がぐらついているが、さっきよりはマシになってきた。

「おかしいねえ。饒舌な男は、雑魚くてすぐに負けるって、相場は決まっているもんだが」

「なに! この俺、一条寺がお喋りな男に見えるのか!」

 むしろそうにしか見えないが、獅子丸は別段返事もせず、一条寺に近付いて、また戦う構えをとった。

 一条寺もそれに答えるように腕を前に出し、ステップを踏み始めた。

 お互いに間合いを計りながら、円を描くように足を運ぶ。今度は、一条寺からの攻撃だ。しなるような独特な掌底も、だんだん見慣れてきた。獅子丸は掌底から目を放さず、避けようと左にずれた。

「うわ!」

 そのとき、何かで足を挫き、地面に倒れ手をついた。一条寺の腕が空を打つ。

 獅子丸は足元を見た。大きめの石につまずいたのだ。一条寺もその石を見て、ため息をついた。そして、どういうわけか、獅子丸に右手を差し出した。

 獅子丸は眉をひそめ、一条寺の顔を見上げた。

「何のつもりだ」

「石に手柄はとらせん」

 この男は、石につまずいたスキに攻撃するのは、卑怯とでもいうのだろうか。獅子丸は、手を借りるのも癪なので、自分ですっと立ち上がった。

「助けなどいらん」

 そう言って立ち上がった獅子丸の顔を見上げると、一条寺はまた、でかくため息をついた。

「はあー、まったくよう、強いくせに石なんかにつまずきやがって。面白くもない。おかげで、戦意喪失したぜ」

「は?」

「聞こえなかったのか。今日の戦いは終わりだ。解散、解散」

「は? お前からふっかけてきたんだろう」

「そうとも。俺からふっかけて俺からやめる。いいじゃねえか」

「すごい理論だ」

 獅子丸には、この男がなぜ戦い始め、なぜここで戦いをやめたのか、あまりにも理解できなかった。何の取引、利益や損害もなく、なぜか始まってなぜか終わろうとしている。

 一条寺はスーツの裾をはたき、帰る気まんまんである。

「まあ、俺達みたいな超人がケリをつけるには、もっと相応しいタイミングってもんがあるだろう。つまらん決着の付け方は、してはならない。シナリオの問題さ」

 どうやら一条寺には、独自のこだわりというか価値観というか、美学をもっているようだ。無益な戦いがこれで終わるなら、獅子丸としても別に構わないが、なんだか腑に落ちない。

「そういえば、さっき俺を蹴り飛ばしたときも、立ち上がるまで待ってくれたな。なんだ? お情けか?」

「お情けだと? そんなつまらん、一時の感情で戦いをやめたりなどせん。ていうか、マフィアに情けをかけても仕方ないだろう」

「ごもっとも。だとしたら何、正々堂々が正義とでもいうのか」

「正解。正々堂々、一対一、正面から戦い、倒れた敵を追い打ちなんてしない。それこそが至高よ」

 獅子丸は驚き、口をつぐんだ。迷いのない即答。このマフィアの世界に、正々堂々を貫こうとする者がいたなど、奇跡である。あまりにも哀しい美学。

 一条寺は獅子丸に背を向けた。

「俺の名は一条寺。一条寺京(きょう)(すけ)。春山ファミリー最強の男だ。覚えておけ」

「獅子丸だ。獅子丸大牙(たいが)

「うわさに聞く獅子丸とはお前のことか。聞いた通りの腕前だった。お前と決着をつけるのが楽しみだ」

 一条寺はそう言うと、夜の道後の裏道に、姿を消した。

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