4 夜の内訳
用心深い性格の獅子丸は、三つの家をもち、数日ごとに帰る家を変えている。ローテーションで家を使い回すことで、住処を特定されにくくするのだ。銀天街のはずれにあるさびれたマンションは、獅子丸の住処のうちのひとつだ。
違法ドラッグを受け取る予定の数時間前。獅子丸の部屋は、マンションの最上階である三階の角部屋だ。彼は座椅子に腰かけ、コーヒーをたしなんでいた。リビングはシンプルで、本棚やベッドが壁際に並んでいる他、座椅子に座るとちょうど液晶テレビと向かい合う。テレビのすぐ横には、ネットで購入した映画のDVDが三つほど重ねられている。
獅子丸は物が散らかっていると落ち着かないので、だいたいのものは片付けられ、小ぎれいに整頓されている。彼は他人の家に行くと、床に散らかっている本や衣服を勝手に整頓してしまうタイプの男でもあり、そのせいで定期的に徳川に召集されている。
そんな獅子丸の部屋とは関係なく、ここはホテルの一室。獅子丸がコーヒーを飲み終え、「あー」とオッサンのような息を吐きながらそのカップを置いたとき、インターホンが鳴った。獅子丸の待ち人が、到着したのである。
獅子丸は短い廊下を歩いて玄関まで行った。
「はい」
チェーンをつけたまま玄関のドアを空けると、短いスカートを履いた茶髪の女がいた。
「『ドM風俗屋』の者です」
中学生が命名したかのような安直さである。ドM風俗屋の者は、にっこりとして頭を下げた。タバコをたくさん吸っているせいだろう、前歯が茶ばんでいる。
獅子丸は一度ドアを閉め、チェーンを外して部屋の中へ招いた。
これは獅子丸の習慣の一つだ。彼は仕事をこなす前に、ホテヘル嬢を呼んで一発かますのである。
部屋に入ると、女は電気の紐をひいて、豆電球のみがついている状態にした。
「本日もご指名ありがとうございます。音羽です。あ、電気、暗くしますね」
ドM風俗屋の音羽は、獅子丸のお気に入りであり、もう何度も指名している。顔は特別褒められたものではないが、おっぱいとお尻が豊満である。もう何度も指名しているので、ちょくちょく世間話をし、音羽に弟が二人いることも知っている。また、昼は地下アイドルをしているらしい。なんかこう、闇が深い。
音羽は手慣れたスムーズな足取りでベッドに座り、獅子丸を招いた。
「じゃあさっそく。こっち来てくださいよ」
獅子丸は言われた通り音羽のそばへ座り、その口にキスをした。いつものことだが、タバコ臭い。
数秒唇を重ねると、獅子丸は思い出したかのように呟いた。
「支払い」
音羽も目を開いて、両手をパンと合わせた。
「あ、そうだ忘れてた。アハハ。料金の支払いしてもらっていいですか。先払いって決まりなんです」
獅子丸は頷いて、財布を取り出し音羽にお金を支払った。薄暗い部屋の中でお金が渡される様子は、あたかも闇の取引のようである。こうして、一万ニ千円(内訳は、本代金九千円、出張費二千円、指名代二千円、常連割引千円)が無事支払われた。
一発かましたあとは、軽くシャワーを浴び、服を着て解散する。獅子丸は音羽の恵まれたボディーと妖艶な声を堪能すると、玄関で彼女を見送った。
**
銀天街の出入り口は大きいT字交差点であり、そこから伊予鉄松山市駅へと繋がっている。田舎には珍しい、大きい車道である。と言っても、夜の九時を過ぎると、車通りは少なくなってくる。
獅子丸は交差点のすぐそばで拾ってもらうと、黒の『アルファロメオ ジュリア』の後部座席に乗り込んだ。この車は、木崎がよく乗っている車である。
獅子丸は運転席に座る木崎、助手席に座っている徳川の後ろ姿を一瞥すると、深く座ってシートベルトを閉めた。
木崎は肩までかかる髪をもつ、ハンサムな男だ。秋本に忠誠を誓っている。そのくっきりとした目鼻立ちと長い髪から、「落ち武者」などと呼ばれることがあるが、本人は快く思っていない。
徳川は助手席から振り向き、
「獅子丸の兄貴。昨日ぶりっすね」
と笑顔を見せた。
木崎も振り向いた。
「獅子丸、久しぶりだな。どうした、眉なんかひそめてよ。気分でも悪いのか?」
「元からこういう顔だ」
「だろうな」
木崎は煽るようにニヤリとして前を向いた。こいつ、おちょくっているな。そう思った獅子丸は運転席の後ろを蹴った。
「おい、車を出せ落ち武者め」
「んだとォー!」
声を大きくしているが、語尾に笑いが含まれており、本気で怒ってはいないことが分かる。
車が進み始めると、前の席で木崎と徳川が話し始めた。
「木崎さんも今日の予定は聞いてるんすよね?」
「もちろんだよ。違法ドラッグを受け取りに行くんだろう」
「そうっす、そうっす。受け取ったあとはどうするんすかねえ。木崎さん知ってます?」
「そうか、徳川はドラッグの受け取りは初めてか。いつも通りなら、だいたい闇市場に売り払って、残りは俺らが使うだろうな」
「え、俺らも使うんすか」
「まあ、使いたいやつは使うってだけさ。興味がないなら触れなきゃいい」
「いや、興味ありますね。どんなもんです?」
「普通じゃ絶対味わえないハイな気分になれて楽しいぜ。ただ、無茶な用法はしない方がいい。自分や他人を傷つけると危ないからな。
獅子丸、てめえは許さねえ」
木崎は前方に注意を払って運転しながらも、首を少し獅子丸の方へ向けてそう吐いた。
「は?」
何のことだと言わんばかりに、獅子丸は返事をした。
「覚えてないんだろ? タチが悪いぜ」
木崎は、以前ドラッグを仕入れたときのことを語った。
まず、ドラッグには大きく分けてアップ系とダウン系の二種がある。その名の通り、アップ系は気分を高揚させ、興奮状態にさせるもの。ダウン系は気分を暗くし、抑うつ的、無気力的にさせるものである。
日頃からテンションの高い海外の者には、ダウン系を使用する者も多いらしいが、日本国内で利用されるドラッグはほとんどアップ系である。
獅子丸もアップ系を利用し、秋本ファミリーの仲間がいる中、散々暴れたらしい。木崎のパンツを引きずり下ろし、飲み干したワインの瓶をその尻の穴に突っ込んで大笑いしていたそうだ。
その他、テキーラを口いっぱいに含んだままキスをして後輩の男の口に無理やり流し込んだり、極真空手で鍛えた正拳突きで壁に穴を空けたりしていたのだった。みんな止めようとしていたが、獅子丸が強すぎて誰も敵わなかったという。
話を聞き終えた徳川は、「ひえー」と肩をさすっていた。
獅子丸はぼそりと、木崎の背中に呟いた。
「それは申し訳ないことをした」
「てめえ反省してねえだろ」
舌打ちをする木崎。獅子丸は続けて木崎に話しかけた。
「ところで、道中で悪いんだが、可能なら植田のところへ寄ってくれないか」
「ああ、元からそのつもりさ」