2 ドン秋本
今度は鉄バットの男が雄叫びをあげながらバットを振りかざしてくる。獅子丸は右足を素早く出し、男の足を踏みつぶした。足の骨が砕ける鈍い音がし、男の足はせんべいのように、靴ごとぺしゃんこになった。唸る男から獅子丸はバットを素早く奪った。
別の男が獅子丸に飛び掛かろうとしてきた。獅子丸は奪ったバットで男をたたき飛ばすと、男は白目を向いて地面に倒れた。
鼻を押さえてのたうち回る男、白目を向いて気絶した男、足を潰されて悶える男を、獅子丸は順番に眺めた。
バットの男は、足の痛みからか、獅子丸の前から動かず屈みこんでいる。獅子丸は、怯えた目をしたその男にほくそ笑んだ後、バットの両端を持ち、その手に力を込めた。
鉄の曲がる音がし、バットはくの字に折れ曲がった。獅子丸は曲がったバットを見せつけるかのように、乱雑に放り投げた。
バットの男はしめやかに失禁、足から垂れる尿が、路地裏のアスファルトを温めた。明日の今頃、地球の裏側は花畑満開である。
獅子丸は相手を見下げて一言。
「そこのもやしを連れて消えろ」
男たちは「ヒィ」「アヘェ」などと言いながら、伸びた男を二人で担いで、そそくさと歩き始めた。
路地裏から曲がって見えなくなる直前、バットを奪われた男が素早く首を曲げ、獅子丸の方を見て歯を食いしばった。
「覚えてろ!」
「分かった」
獅子丸は瞬きせず、男を見つめ返した。
「ヒィ! 忘れてください!」
男たちは角を曲がって消えていった。
獅子丸は徳川の方を振り向くと、黙ってその逞しい腕を差し出した。
「獅子丸の兄貴、ありがとうございます」
徳川は消え入るような声でそう言うと、獅子丸の手を掴んで立ち上がった。そしてポケットからティッシュを取り出し、鼻をかんだ。
「マフィアがチンピラに絡まれていちゃダメっすよね」
まだ止まらない鼻水をすすりながら、徳川はそう言った。
徳川を連れてバー・ブロッサムへ戻った獅子丸は、カウンターへ座り、ぶどうマッコリを飲んでいた。
獅子丸の隣に座った徳川は、佐倉に頬のアザを心配されながらも、ニコニコと乾杯を交わしていた。
この徳川という男は、マフィアとは思えぬ優しく泣き虫な男である。眉毛も目も垂れており、その顔からタヌキと呼ばれることもある。実際、タヌキに近い顔をしている。タヌキから進化したのではないかと思えるほど似ている。
徳川はシャンディガフを何口か飲んでカウンターに置くと、獅子丸の方を向いた。
「獅子丸の兄貴、さっきはありがとうございます。今日の酒、奢るっす」
「それほどのことじゃない」
獅子丸は目だけを徳川の方へ向けて返事をした。泣いたあとだからか、徳川の目は少し赤い。
「兄貴、そういえば俺、兄貴に会いに来たんすよ」
「……」獅子丸は黙って話を聞いている。
「ドン秋本が、俺たちに頼みたいことがあるらしいんすよ」
秋本とは、獅子丸や徳川が属する秋本ファミリーのドンである。
徳川は話を続けた。
「明日の夕方、いつものバーに来てくれって」
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やがて、翌日の夕方。大通りを挟んで銀天街に連なる商店街、大街道。夕方の大街道は、学校帰りの少年少女や、デート中のカップル、家族連れなどが各々好きな方向へ歩いており、老若男女がごったがえしている。だが、このように賑やかな街は、夜になると別の顔を見せる。
このくらいの時間までに遊んでおかなければ、あと数時間で弱肉強食の無法地帯へと化してしまう。今ですら、人通りの少ない路地裏に入れば、身の安全は保障されないのである。
獅子丸は大街道の道沿いにあるバーのドアを開けた。木製のドアが開き、ギギギときしむ音がする。
このバーは、秋本がよく使っている場所だ。通称、秋本のバーと呼ばれている。獅子丸が奥のテーブル席に目をやると、秋本と徳川が向かい合って座っているのが見えた。
秋本は獅子丸に微笑みかけた。口角があがり、頬にしわが寄る。徳川も獅子丸に気付き、振り向いて手招きをした。
獅子丸は席に近付くと、二人は何やら話をしていた。徳川が右ひじを四角いテーブルに着き、秋本に語りかけている。
「花子がね、言うんですよ。『どうして? 私のボーイフレンドがそんなに嫌いなの、パパ。太郎は良い医者なのよ。私の毎月起こる出血を止めてくれたの』ってね! ハハハ!」
便所のネズミもゲロを吐く、お下劣なジョークである。そんなジョークにも、秋本は優しく笑ってくれている。
実際のところ、裁縫道具というのは、この手のジョークを放つ口を縫い合わせるために存在しているのである。