18 マジのマジ
「うう……」
朦朧とした意識の中、唸り声をあげる獅子丸。一条寺は、そんな獅子丸を見下げながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「終わりなのか。お前が倒れたら、次はどうすればいい? どうすれば俺は満足できる? とりあえず、秋本ファミリーの奴らを片っ端からぶっ壊せばいいのか? 少しくらい、骨のあるやつはいるだろうか」
獅子丸の耳に、恐ろしい言葉が飛び込んでくる。一条寺、この危険な男と、決着を付けなければならない。今、ここでだ。佐倉、徳川、秋本、木崎……、皆、力を貸してくれ。
「うおお!」
獅子丸は力を振り絞り、立ち上がった。そして、右拳を胸の前にかざす。
「いや、まだだ。俺はまだ戦えるぞ。そして、この俺が、お前が戦う最後の相手だ……!」
一条寺は、一度目を丸くして驚きの表情を見せた。だが、すぐにその口角があがっていき、やがては喜びの表情へと変わった。
「フッフッフ。それでこそ獅子丸!」
一条寺は構え直し、獅子丸に向かって掌底を放ってきた。その攻撃を左腕で受ける。鈍い痛みが襲ってきたが、もはや構っている場合ではない。最後の力を振り絞った獅子丸は、既に回避することなど考えてはいなかった。
ここからはしつこいくらいに距離を詰め、とにかく攻撃するのだ。インファイト戦術だ。獅子丸は唸り声をあげながら、一条寺の懐へ潜り込んだ。
「ウッ!」
一条寺は声をあげた。獅子丸の姿は、まさに突撃してくるライオン。肉食獣のような圧倒的荒々しさ。その鬼気迫る姿に、一瞬恐怖の声を漏らしたのだ。
獅子丸は二回連続して、一条寺に正拳を浴びせた。一条寺は少しひるんだが、すんでのところで後ろに退いていたため、致命傷を与えるには至らなかった。
今度は、一条寺が拳を繰り出してくる。獅子丸は顔をもろに殴られたが、すぐに体勢を立て直し、一条寺に突っ込んでいった。
そして、右手で一条寺の腹を横から掴んだ。
「うおお!」
雄叫びをあげながら、獅子丸は五本の指に力を込めた。指先が一条寺の腹に食い込んでいき、やがて、獅子丸の指が血に染まっていった。一条寺の腹から、出血したものだ。一条寺の白いシャツが、血に滲んでいく。
「うっ……! ぐっ!」
一条寺は口の端から涎を垂らして苦しみの声をあげたが、その後エルボーを繰り出してきた。獅子丸はこれを頭に受け、少し下がった。
お互いに、また間合いをとる。一条寺は出血した腹をおさえなが話した。
「へっへっへ、今までになく攻撃的な戦闘スタイルだな。だが、それがいい。若い男は、なりふり構わないくらい泥臭いのが、ちょうどいいってもんだぜ」
「ふん、童顔なクセして、自分の方が年長者みてえな言い方してんじゃねえぞ」
獅子丸は腕を構え、また一条寺に突っ込んだ。一条寺も、獅子丸へ近付いてくる。
そこからの攻防は、ほとんどノーガード。もはや、ガキのケンカのような殴り合い。一条寺の攻撃を受けるうち、獅子丸は胸や腹部、肩、頭、その他体の節々に、痛みを感じてきた。
獅子丸も一条寺に何度も攻撃を浴びせ、顔面にもアザをつくってやった。
獅子丸は察していた。お互いに、体力の限界を超えようとしている。例え一条寺を倒せたとしても、自分の体が無事で済むか、分からない。むしろ、この戦いの結末として最もしっくりくるもの……、それは、相討ちだった。俺と一条寺とは、このまま性根尽きるまで殴り合って、最後には同時に倒れるだろう。直感的に、そんな気がした。
もはや、どこから出ているのかも分からない血が、点々と地面に飛び散っていた。
「ハハハハハ! ハハハハハ!」
一条寺の笑い声が聞こえる。ハイになっているのだ。もはやこいつは、無意識に戦っている可能性すらある。
拮抗する実力。達人同士、体力も精神も限界と言えど、抜け目なく攻撃、またガードし、お互いに決定打を許さない。
終わりの見えないバトル、その勝敗を分けたものは、いうなれば『運』であった。努力や発想、戦闘経験で磨かれたセンス、それら全てを競い合い、なお決着がつかないとき、最後に勝利の鍵となるもの。生まれ持って与えられる、『運』。その運において、獅子丸は、一条寺を上回ったのだ。
「なに!」
その声を発したのは、一条寺であった。地面に零れ落ちていた血、その血に足を滑らせ、体勢を崩したのだ。獅子丸はそのスキを見逃さない。
「おりゃあ!」
膝を曲げ、上半身をうねらせ、渾身の一撃を繰り出す! 丸太めいた逞しい右腕を繰り出し、その拳を一条寺の胸へめり込ませた。
「ぐっ!」
胸の中心部へ、拳がめり込むほどの攻撃を受けた一条寺は、後方へ一〇メートルほどふっ飛んだ。そして、駅のホームの壁、そこへ張り付けられている坊ちゃん団子の広告へ背中から直撃した。
その体は下へ落下していき、一条寺は地面へ尻をつき、座り込んだ。もはや、立ち上がるエネルギーすらないだろう。
決着は、ついた。獅子丸はフラフラと歩き、一条寺へ近付いた。
心臓にまで衝撃を与えられた一条寺は、口から血を吐いた。
一条寺と目が合った。まっすぐ、キラキラした目だ。獅子丸は口を開いた。
「遺言があるならば、聞こう。ライバルよ」
「ねえよそんなもん。言いたいことがあるなら、今までに全部言っている」
「ふん、だろうな」
「や、待て。やっぱりある」
「なんだ?」
……。少しの沈黙。一条寺が、息を荒くしている。もはや、彼の命の火が消えかかっているのだ。
「獅子丸……。お前を倒せるのは、俺しかいねえ。だけど、不思議なことにな……、俺を……」
そう言ったあと、一条寺はしばらく口をパクパクと動かしていた。だが、その声は、聞きとるには小さすぎた。
「なに? なんだ?」
獅子丸がしゃがみ込んでそう聞いたときには、一条寺は目の光を失っていた。
「ふー」
獅子丸は、長い息を吐き出して立ち上がった。最強の敵を、獅子丸は失ったのだ。獅子丸は電話をかけ、羅生門兄弟を呼んだ。
「もしもし。秋本ファミリーの獅子丸だ。大輝か。ひとり、死人が出た。今から場所を言うから、処理しに来てくれ。それと、ひとつお願いがある。こいつの処理に、立ち合いたいんだが……」