17 対等
獅子丸がラーメンを食い終わると、一条寺は立ち上がり、
「来いよ」
と声をかけた。どこへ何をしに行くのか、獅子丸は聞かなかったが、黙ってうなずき、一条寺のあとを歩いていった。
一度大街道を抜け、続く銀天街の中を通った。松山市中心部の商店街である銀天街。ここも、深夜が近付いてきたため、ほとんどの店ではシャッターが閉まっている。街が眠ると、銀天街は広いスタジオと化す。ラフな格好の若者がスケボーの練習をしていたり、女たちが集まって、バトンダンスの練習をしていたりする。
獅子丸はそいつらを横目で見ながら、一条寺のあとをついて行く。一条寺は、振り返ることもなく、てくてくと一定のペースで歩いている。ずっと背を向けたままだ。宿敵である自分に、これほど背中を見せて良いのだろうか。
「一条寺。そう簡単に俺に背中を見せるとは、油断しすぎじゃないか?」
「確かにな。お前は、ひとの背中を躊躇なく刺せるタイプの人間だ」
「だったら、なおさらだろう」
「ああ。だが、俺に対してだけは違う。俺に対しては、そんなつまらない卑怯な手は使わんだろう」
「なぜそう思う?」
「獅子丸、お前も、俺との真っ向勝負を望んでいるのさ。つまらない決着は嫌なんだ。俺と比べてどちらが強いのか、どうやって正面から俺を倒すか、試したくて仕方がないんだ」
「なに? ふん、それは俺という人間を見誤っているな」
「そうでもない。現に、俺に攻撃してきてないだろう」
「たまたまそういう気分じゃないだけだ。だが、今から食後の運動に、君を一ひねりしてもいいんだぜ?」
「バカ言え。ここじゃあ人目につく。俺は気にせんが、獅子丸は気にするだろ」
獅子丸は驚いた。一条寺が、自分は気にしないが他人が気にすることを、思いやったのである。到底、そんな男には見えなかった。もっとも、獅子丸を人目の気にならないところにて全力で戦わせたいと願っているだろうから、最終的には一条寺自身のためでもあるだろうが。
やがて二人は銀天街を抜け、松山市駅の近くへ来た。一条寺はそのまま松山市駅の改札をまたぎ、横河原線のホームへ入っていった。
「お、おい。どこへ行く? 終電はもうないぞ」
「ああ、そして人もいない。だからいいんだろ? 獅子丸も早く来いよ」
「はあ。なんのつもりだ」
獅子丸はため息を吐きながらも、改札を通りホームへ入った。人気のない、終電後の駅のホーム。吹き抜ける寒い風だけが、唯一の音だ。白塗りの殺風景な壁、誰もいないベンチ、地下へ続いている動かないエスカレーター。そのホームで、二人のマフィアが向かい合っている。
「決着をつけようぜ」
一条寺が軽く左右にステップを踏み始めた。
「本気か?」
「俺が本気じゃなかったことがあるかよ」
「相変わらず理解に苦しむよ。何のやりとり、メリットもデメリットもない。君が俺と戦う意味などない。タクシー代出してやるから、今すぐ帰ろうぜ」
「メリットならある。俺とお前、どちらが強いか、白黒つけられる」
「呆れたぞ」
「いいや、獅子丸。お前も本当は決着を付けたいはずだ。今はまだ、自分の本心に気付いてないだけだ。いいか? 三秒後に攻撃するから、それまでに構えろよ」
なんとも強引だが、この男なら有言実行するだろう。
「三……」
軽やかにステップを踏みながら、一条寺がカウントダウンを始めた。もはや、戦うしかない。
「二……」
獅子丸は、一条寺から目を放さないように正面を向きながら、後ろへ素早く退いた。
「一……」
最後のカウント。獅子丸は上着のポケットに右手を突っ込み、拳銃『ブラックリバー五六〇』を取り出した。
そして、素早く発砲する。
「えええ! 銃はズルいだろ!」
一条寺は飛びのき、後ろへ走った。獅子丸はもう一発撃ったが当たらず、一条寺に柱の後ろまで隠れられてしまった。
「くそ! こんなの反則だ!」
一条寺は柱の向こうでぼやきながら、上着に手を突っ込んでいる。銃をとり出すつもりだ。やがて、柱の向こうから顔と手だけを出し、獅子丸に向けて発砲してきた。
獅子丸は、柱の向こうに隠れている一条寺と対象になるように動いた。そうすることで、狙いにくくなるだろう。ある程度、距離もとる。
一条寺は二発目三発目と撃ってきたが、一発も命中しない。小型の銃では、あまり離れていると当てるのは難しい。スキを見て獅子丸も二発撃ち返したが、柱の後ろに隠れられてしまった。
……。沈黙。一条寺が柱の後ろに隠れて数秒後、素早く顔を出した。そして、獅子丸の頭上、でたらめと見える方向へ銃を撃った。その後、獅子丸の頭上の明かりが消え、何らかの破片がパラパラと落ちてきた。
「なに!」
獅子丸は上を見た。一条寺は、獅子丸の頭上の蛍光灯を狙ったのである。
獅子丸が動揺したスキを見て、一条寺が柱の裏から飛び出て一気に獅子丸へ近付いた。そして、獅子丸のブラックリバーを撃ち落とす。
一条寺はそのまま獅子丸の顔面に銃を突きつけた! 今にも脳天を撃たれる! だが、獅子丸はすんでのところで一条寺の手首を掴み、拳銃の向きを上へ向けた。一条寺が引き金を引いたが、その弾丸は虚空を撃ち抜く。
獅子丸は一条寺の右手を掴み、そのまま引っ張って、持っている銃を一条寺自身の頭へ向けさせようとした。
「ぐぐぐ……!」
一条寺は力いっぱい反抗してくるが、純粋な腕力なら獅子丸の方が上だ。銃口は一条寺の方を向いた。
獅子丸はそのまま引き金に指をかけ、発砲しようとした。だが、銃はスカッと音を立てるだけ。
「へっへっへ。嬉しい誤算だぜ」
ほくそ笑む一条寺。一条寺の銃は、弾切れだったのだ。一条寺は獅子丸の顔へ頭突きを交わした。
「ぐわ!」
獅子丸が顔を押さえながら退く。一条寺も一歩下がり、拳銃を捨て地面へ転がした。そして腕を前に構え、いつもの独特なステップを踏み始める。
獅子丸は頭を左右に軽く振り、気を取り直して腕を構えた。
「フッフッフ。ここからが本番!」
一条寺はそう言って、獅子丸と距離を詰めた。右腕を、軽く弧を描くように振りかざしてくる。一条寺特有の掌底。獅子丸は手のひらでそれをいなした。続けて左手から掌底が放たれるが、これもいなす。だんだん見慣れてきたので、そう簡単には喰らわない。
今度は獅子丸の番だ。右拳を放つ。正拳だ。だが、するりと避けられる。そしてすぐ、繰り出した腕に一条寺の右腕が伸びてくる。獅子丸はヒヤッとして、すぐさま腕を戻した。掴まれると、面倒だ。
次の瞬間、一条寺の視線が下へ移った。獅子丸の足元を見ているかのようだ。ふつう、下段からの攻撃を警戒でもしない限り、こんな風に下は見ない。怪しく思い警戒していると、一条寺は左足を前に出し、獅子丸の足を踏もうとした。すかさず、獅子丸は足を後ろに動かして回避。一条寺の目線に気付いていたおかげで、避けられた。
続いて、獅子丸は反撃の正拳を繰り出す。その攻撃は一条寺の腹へ当たった。
「ぐっ……!」
唸りながら、一条寺が少し退く。
「一条寺。まさか、俺の足を踏もうとするとはな。そういった小賢しい手段は、使ってこないと思っていたぞ」
「何を言う。ジークンドーは、戦闘において常に最適解を求める武術。肉体が可能なあらゆる動作の中から、最も適切な攻撃を選択し続ける武術だ。相手の足を踏もうが、髪を引っ張ろうが、それが最適解ならば、躊躇なく行う」
「ふん、そう言う戦闘スタイルは嫌いじゃない」
二人はにらみ合い、しばらく間合いを取り合った。やがて、獅子丸は右手を前に出し、手のひらを上にして、親指以外の四本の指をクイクイと上に動かした。かかってこいの合図だ。
「うおお!」
一条寺はこれに答え、左足を繰り出してきた! しなやかなキック。獅子丸はこれを手で掴んでガードし、そのまま空いている左手で掌底を繰り出した。だが、一条寺は右腕でガード。
その後、一条寺は左足を獅子丸に掴まれたまま、跳び上がって両手を地につき、ドリルのように一回転することで、獅子丸の腕を振り払った。
息を切らしながら、一条寺が言う。
「今のは、ジークンドーの動き……。俺のキックすらも、自分の攻撃のパターンに組み込んだな……」
一条寺は最初、驚きの表情を見せたが、やがてだんだんと口角があがっていき、満面の笑みをつくった。
「ふっふっふ。ハッハッハ! さすがだな獅子丸! この短期間で、ジークンドーの極意に近付くとはな。相手の攻撃すらも流れとし、その流れを汲んで一連の攻撃へと昇華させる。それこそがジークンドーの極意よ!
やはりお前は超人だ! 超人と戦えて嬉しいぞ!」
一条寺は、大口を開けて笑い始めた。
「でかい口開けて笑いやがる。リンゴを一口で食うつもりか?」
「ふん。獅子丸、お前と戦っていると分かるのさ。俺自身のことがな。お前は、俺の本性を教えてくれる、真実の鏡だ」
「なに? お前の本性?」
「そうだ。やはり俺には、戦いこそが……!」
「ならば、来るが良い」
次の瞬間、獅子丸も一条寺も、前へ踏み込んだ。獅子丸は正拳や手刀を中心とした攻撃を何発も繰り出した。だが、いずれも回避されたり、流していなされる。
一条寺は、相変わらずしなるような掌底を繰り出してくるが、この攻撃を見慣れた獅子丸は、うまいことこれを避けていく。一条寺は、時々キックを繰り出そうと、足を振り上げようとしてきた。彼特有の、長い足を振り回す遠心力を利用した、必殺のキックだ。だが、獅子丸はこれを許さない。一条寺が少しでも足を上げようとするならば、素早い正拳を連続して繰り出す。一条寺は慌ててガードするが、それこそが獅子丸の目的だ。ガードされたとしても構わない。一条寺がガードに集中すれば、彼が反撃を繰り出してくるのは難しくなる。そうすることで、獅子丸はキックのスキを与えないつもりなのだ。
一分に満たない、高速の攻防。パンチをガードする音や、靴が地面を踏む音、そして、二人の超人の、荒い息遣いだけが、夜の駅のホームに響いていた。
「獅子丸、お前も楽しいか。ふふふ」
「なに!」
「だって、今のお前の表情がそうだろう」
一条寺に指摘され、獅子丸は初めて気づいた。結局、獅子丸も一条寺とのバトルを楽しんでいたのだ。
思えばこれまでのマフィア人生、獅子丸と互角に戦える者など、誰一人としていなかった。ピンチを恐れ、身の危険を感じることなど、一切無かったのだ。なんという退屈。だが、一条寺の出現が、その退屈を打ち壊した。
一寸の狂いも許されない、精神をすり減らすような戦い。たった一撃のミス、一秒の判断ミスですら、この戦いでは許されない。その中で、二人は常に最善手を出し合う。
なんという充実であろうか。
二人の間には、もはや会話など必要なかった。わずかな時間でありながら、実に数十回、いや、もはや百を越えたかと思われる拳のやり取り。その戦闘スタイルから、、獅子丸は感じ取っていた。一条寺の人生観、性格、これまでに積み重ねてきたものの全てを。一条寺と言う人間そのものが、まるで兄弟のように、はっきりと感じられた。
激しい攻防の中、この男の人間性を、まざまざと感じ取ることができる。のらりくらり、その場の気分で大概のことを決める性格。それでいながら、肝心なところの判断は外さない抜け目なさ。技の途中でも、悪手と分かれば体勢を立て直す臨機応変さ。日頃の地道な訓練が分かるスタミナと柔軟な動き。戦闘センスは確かにあるが、天才的と言うほどではない。意外にも、努力の男なのだ。
一瞬でも集中が途切れたり、誤った判断でスキを生めば終わりのこの勝負。そのスキを先に生んだのは、獅子丸の方だった。
一条寺の右腕によって繰り出される掌底が、獅子丸の脇腹に直撃した。内臓まで響くような、鈍い痛み。
「ウッ……!」
唸るような声を出しながら、獅子丸は体勢を崩した。すかさず、一条寺は左足を軸にスピンし、キックを繰り出した! 遠心力と回転の勢いがのった強力なキックが、獅子丸の腹に直撃する。
獅子丸はふっとばされ、ホームの柱に背中を打ち付けた。そのままズルズルと体は下がっていき、尻を地面に着き、座ったまま柱にもたれかかるような状態になった。
「うう……」
獅子丸は低い声で唸った。一条寺は正面に立ちながらも、襲い掛かってくる様子はない。獅子丸が立ち上がるまで、待っているつもりなのだろう。
獅子丸は頭をくらくらさせながらも、なんとか顔を上げた。目の前に経っている一条寺と目が合う。カッと目を見開き、怒りと失望が入り混じったかのような眼光だ。その目のまま、一条寺が話しかけてくる。
「もう終わりなのか? 戦いは!」