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13 デート・カラテ・マン

 以前約束していた通り、獅子丸は佐倉とデートをすることになった。二人で外に出かけるのは、数か月ぶりかもしれない。佐倉のバー・ブロッサムにはちょくちょく通っていたが、予定を合わせてデートとなると本当に久々だ。

 秋の割には暖かい日だった。佐倉はピンクのミニスカートに白い肩出しのブラウスを着てきた。服の白い生地に長い黒髪が良く映える。

 松山市駅で待ち合わせたとき、あまりに涼しそうに見えたので若干心配した。

「君、寒くないのか」

「大丈夫大丈夫、カーデガンも持ってきているから」


 松山市駅は、伊予鉄高島屋と一体化した建物となっているほか、目の前の階段から地下に降り、『まつちか』なる地下商店街に入ることもできる。また、銀天街の入り口とは目と鼻の先である。

 獅子丸と佐倉が集合したのはお昼前。とりあえず二人は歩き始め、高島屋の中に入った。一階の化粧品売り場を通り抜け、エレベーターの前で立ち止まり、ドアが開くのを待つ。

「まずはご飯でも食べるか」

 と獅子丸。上の方の階は飲食店があるため、このままエレベーターに乗って上がれば、昼ごはんにありつけるだろう。

「うん。あ、でも私、『くるりん』乗りたい」

 『くるりん』とは、高島屋の最上階に連結している観覧車である。

「そうか。じゃあ、昼ご飯を食べた後に乗ろう」

「えー、食べた後にくるりん乗ったら、気分悪くなりそう」

「じゃあくるりんに乗ってから、昼ご飯を食べる店を探そう」

「うん。あーでも、お腹も空いたなー」

「どっちがいいんだよ」

 そんな会話をしていると、エレベーターが一回まで降りてきた。上昇するエレベーターの中で話し合って、結局くるりんに乗る方が先になった。

 だいたいの観覧車がそうであるように、くるりんも切符制である。獅子丸と佐倉はエレベーターから降りると、くるりんの乗降口近くにある券売機の前へ向かった。だが、獅子丸が券売機の前で立ち止まろうとすると、佐倉は唐突に獅子丸の腕を掴んだ。

「ちょちょ、ちょっと。今日は切符買わなくていいわ」

「え?」

 獅子丸は首を傾げたが、佐倉は腕を引っ張って歩いていく。獅子丸はされるがまま、受付の方へ向かっていった。

 歩きながら、佐倉が喋る。

「くるりんは、誕生月の人とその同乗者は、無料で乗れるでしょ」

「え? ああ、そうだけど」

 そう、くるりんには、誕生月には無料で乗ることができるサービスがあるのだ。また、誕生月の人と同乗すると、その人も無料で楽しむことができる。だが、誰の誕生月だろう? 獅子丸は一瞬、佐倉の誕生日をど忘れしてしまったのかと焦ったが、佐倉の誕生日は四月だから、だいぶ離れている。だとすると……。獅子丸は今になって、思い出した。

「あ、そういえば今日、俺の誕生日か」

「あなた本気で忘れていたの?」

 受付のお兄さんの前まで行って立ち止まると、佐倉は獅子丸の方を手で差して、彼が誕生日であることを示した。

「今日、彼が誕生日なんです」

 受付のお兄さんはにっこり笑った。

「おめでとうございます。何か、免許証などの誕生日が分かるものはお持ちですか?」

 獅子丸は財布から免許証を取り出して見せた。そして案内され、ゴンドラに乗った。くるりんは乗車時間約一五分。獅子丸たちを乗せたゴンドラが、ゆっくりと上昇していく。今日は快晴。昼の光が、ゴンドラの中に差し込んでいる。

 最初、獅子丸は佐倉と向かい合って座った。すると自然に、佐倉と目が合う。

「大牙、面接でもするつもりなの?」

「は?」

 佐倉が何のことを言っているのか分からないので、きょとんとした。すると、佐倉はとんとんと、長椅子の誰も座っていない部分を叩いた。隣に来いという意味だ。

「横が空いていると寂しいわ」

「ああ、そう」

 獅子丸は立ち上がって、佐倉の隣に腰かけた。獅子丸ほどの巨体が端から端へ移動したので、ゴンドラが傾いた。明らかに、獅子丸と佐倉が座っている方が下になっている。

 佐倉が、獅子丸の腕に手を回し、身を寄せてくる。

「二人とも片側に寄ると、ゴンドラが傾いて怖いね」

「君が来いと言ったんだろう」

 獅子丸は佐倉の顔を見たが、思ったより近かったので息を飲んでしまった。それで、すぐさま顔をそらして、外の方を見た。ゴンドラが上昇していくので、だんだん松山の様子が見えてくる。すぐ眼下は銀天街の街並み、比較的高めの企業ビルやホテル、デパートが見える。少し顔を上げて北を見ると緑の山と頂上の松山城が見える。その東には、道後温泉や商店街がぼんやりと確認できた。

 佐倉がまた話しかけてきた。

「ね、誕生日おめでとう」

「ありがとう。嬉しいよ」

「本当に、今日が自分の誕生日だって忘れていたの?」

「ああ、ついさっき思い出した」

「まあ。じゃあ、今日のデートも普通のデートだと思ってたの?」

「ん?」

「だから、大牙の誕生日祝いデートだって、気付かなかったの?」

「ああ、そういうことか。今気付いたよ」

 もしかしたら、今回のデートはだいぶ前から考えてくれていたのかもしれない。獅子丸は佐倉に掴まれていた腕を彼女の背中にまわして、抱き寄せた。

「ありがとうな」

「ううん」

 佐倉がじっと、獅子丸の瞳を見つめている。

 短い会話のあと、獅子丸はまた身を戻して、外の景色を見た。だが、佐倉は外を見ていないみたいだ。目を合わせていなくても、視線を感じる。なんだか、気配を感じるのだ。獅子丸は今、後頭部をじっと見つめられている、そんな気がする。ゴンドラに乗ってからというもの、佐倉は獅子丸から目を放していない。

 別に見つめられるのが嫌というわけではないが、せっかく観覧車に乗っているし、外の景色を楽しまなくてもいいのだろうか。

 獅子丸は振り返って佐倉の方を見た。また、至近距離で目が合う。

「近いな」

「二人っきりだしいいかなって。ヤだった?」

「嫌じゃない。ただ、外の景色は見なくていいのか? 今日は天気もいいし、遠くまでよく見えるぞ」

「私、高いところ苦手なの」

「なんで観覧車乗ろうと思ったんだ」

「カップルのデートっていったら、観覧車でしょ?」

 獅子丸はほほ笑んで、また外の景色を見た。ちょうど、ゴンドラは一番高いところまできたみたいだ。

 佐倉も、獅子丸に身を寄せて、少し首を伸ばした。

「私もちょっと見てみる。あ、ほんとだ、松山城見えるね」

「下の方は街の景色が見えるよ」

「どれどれ」

 下を向く獅子丸に合わせて、佐倉も下を向いた。だが、佐倉はすぐに顔をそらした。

「うっ! やっぱり下見ると怖い。遠くの方を見るだけなら、なんとか大丈夫かも」

「そうか。まあ、無理して見る必要もない」

「ええ。でもせっかくいい景色だし、写真撮っとくわ」

 佐倉はそう言って、小さいカバンからスマホを取り出した。腕を伸ばして、写真を撮ろうとしているが、外を見るのが怖いのだろう、顔はそむけている。

 そむけたまま写真をパシャパシャと撮るので、腕がゆらゆらと動いてしまっている。獅子丸はそっと彼女のスマホ画面を覗くと、案の定、写真はお粗末なことになっていた。

「おい、写真ブレッブレだぞ」


 くるりんから降りると、次はご飯だ。八階のイタリアンへ向かう。窓際の席をとった二人。ガラスの窓から松山の景色が一望できるが、佐倉が怖がるので獅子丸が外側へ座った。佐倉がパスタ、獅子丸がピザを二枚頼んだ。

 獅子丸は頼んだピザである、「クアトロフォルマッジ」と「トマトとバジルのピザ」を広々と左右に置き、右手で一切れ、左手で一切れ千切って、手に取った。両手にピザを持つ獅子丸を見て、佐倉がパスタをフォークで巻きながら聞いた。

「大牙、なんで両手を同時に使っているの?」

「いいか、ピザを右か左片方だけに置くと、姿勢がそちらへ傾く。だが、自分の体を二種のピザの中心に配置し、両側のピザに手を伸ばすことによって、安定した姿勢が保たれ人体科学的に良い」

 佐倉が「え?」と言って吹き出した。佐倉はパスタを少し食べたあと、スマホを取り出して獅子丸の方へ向けた。

「なんか両手にピザを持っている大牙がかわいいから、写真撮っとくね」

「かわいくはない」獅子丸は右手に持っているピザをかじった。

「はい、今から撮るわ。あなたは笑ってもいいし、笑わなくてもいい」

「どこぞの小説家みたいな言い方だな」

 昼ご飯を食べたあとは、銀天街の中を歩いた。街を歩く二人の左右には、ゲーセン、本屋、薬局、飲食店、唐揚げ等の屋台、飲み屋、服屋などが並んでいる。買い物や遊びができる店は一通りある。ブランド商品店もメジャーなものは大概並んでおり、ブランド好きも楽しめる。

 佐倉が獅子丸の手を引いて、ブランド店の中へ入っていった。スーツの女性が、「いらっしゃいませ」と声をかけてくる。最初は、レディースの服を見た。店内には、仕事や式で使えるスーツや、おしゃれな洋服が並んでいる。セール品は、大学生のバイト代で買えそうな良心的な値段だ。

 佐倉がスカートやシャツなどを見て、これが最近流行りだとか、これ私の感覚ではダサいとか言うのを、獅子丸は頷きながら聞いた。佐倉はしばしば獅子丸とブランド店へ行き、こうやって服を見る。購入するときもあるし、見るだけ見て帰るときもある。あれこれ見るだけでも、楽しめるらしい。

 獅子丸はあまり服への関心はないので、流行りの服の情報はほとんど佐倉頼りだ。

 佐倉が赤いストライプのシャツを手に取って体の前にかざし、

「どう? 似合うかな?」

 と言ってきた。

「ああ、いいと思う。でも、下半身のコーデ次第じゃないか?」

 聞かれると真面目に考える獅子丸。

「うーん、そうね。派手すぎないパンツを合わせたいわ」

 佐倉が真剣に首を傾げて考えているので、今日のお気に入りはこの服なんだろうか。

「気に入ったのか? 買ってやるよ」

「ううん、今日は下見。良さそうな服をある程度考えておいて、また今度来た時に買うわ」

 佐倉は、服を見るのは好きだけれど、その場の衝動で買うようなことはあまりしない。二回ほど同じ店に来て、吟味してから買うことがほとんどだ。

 そうやって服を見ながら店内を歩いていると、周囲のラックにかけられてある服が、だんだん男性向けになってきた。メンズ商品の売り場に近付いたのだ。

「ね、メンズも見てみようよ。大牙に合うものもあると思うし」

「え、俺はいいよ」

 獅子丸はそう言ったが、既に佐倉に手を引かれていた。佐倉は帽子が並べられている棚に近付くと、紳士用のハットを手に取った。

「前から思っていたけど、大牙ってハットが似合うと思うのよね」

「そうか? そんなこと言われた試しがない」

「それは、日頃かぶったことがないからでしょ。ほら」

 佐倉は背伸びして、その黒いハットを獅子丸の頭にかぶせた。

「あ、いい感じ!」

 佐倉がそう言うので、獅子丸は近くに設置されてある丸鏡で自分の顔を見た。頭の上に、黒いハット。日頃帽子をかぶることはあまりないが、鏡に映る自分を見た感じ、心地は悪くない。

「ね、他の色も見てみる?」

 佐倉はそう言って、グレーや白のハットを取って来、獅子丸の頭にかぶせてあるハットと交換して、一つ一つ吟味した。獅子丸も、ハットをかぶるたびに鏡を見て確認した。

 一通りかぶり終えると、獅子丸はまた最初にかぶったハットを手に取った。

「やっぱり、この黒いやつが一番良いな」

「ね、私もそう思う。買ってあげるよ」

「え?」

 買ってやるのは良いが、買ってもらうのは慣れてない。なんだか、相手に悪い気になってしまうのだ。例え相手から買ってあげると言われても、なんだか後ろめたい気分になってしまう。

「いや、悪いよ。買ってもらわなくてもいい」

「まあまあ、誕生日だし。ね、誕生日プレゼント」

「はあ……」

 獅子丸は戸惑いながら、ハットの値札を見た。やはり、まあまあ高価だ。安いスーツなら買えそうな値段だ。獅子丸はギョッとして

「ゲッ」

 という変な声が出た。

 だが、佐倉は素早くハットを取り上げた。

「もう、値段なんて気にしなくていいから。サイズは問題ないんでしょ?」

「あ、ああ」


 結局、ハットを買ってもらってから店を出た。さっそくかぶって街を歩いたが、丁度いいかぶり心地だ。今日は日も照っているから、ハットのつばがいい具合に日光を遮断してくれる。

 銀天街に連なる商店街、大街道を通り、その端にある喫茶店に入った。夕方になってきた頃だ。喫茶店の中は、カップルや勉強している高校生などでにぎわっている。獅子丸は抹茶フラペチーノ、佐倉はチョコフラペチーノを頼んで、二人席に座った。獅子丸はハットを脱いで、机に置いた。ガラス張りの窓から外が見える。家族連れや、手を繋いで歩く男女たち、一日を謳歌せんとする人々の、不規則な流れが見える。もう少し向こうの大きな交差点には路面電車が通っており、坊ちゃん列車が路面用の小さな駅に停車している。

 佐倉が急に席を立った。

「私、お手洗い行ってくるね。先に飲んでていいから」

「ああ、分かった」

 小さなカバンを持っていく佐倉の背中を、獅子丸は見守る。そして目の前の抹茶フラペチーノに目を移す。そのカップを手に持ち、何口か吸った。抹茶特有の、和風な甘さと苦い風味がする。

 そうやってまったりしていた獅子丸に、何者かの足音が近付いてきた。やがて足音の主は、さっきまで佐倉が座っていたところに着席した。

「ちょっと失礼」

 獅子丸は驚き、左手にフラペチーノを持ったまま、右手でスーツの裏ポケットに隠してある拳銃の取っ手を握った。そして外から拳銃が見えない程度に、少しだけ引き出した。いつでも発砲できるようにだ。

 獅子丸の目の前に座ったのは、ネイビーカラーのスーツの男、一条寺だ。

「一条寺、何の用だ?」

「ちょ、待てよ待てよ。お話がしたいとおもっただけさ」

 一条寺はそう言って、へらへらと笑いながら両手を挙げた。降参、戦闘をする意思がないという意味だ。一条寺はその体制のまま話を続けた。

「街を歩いていたら、お前が女とこの店に入るのを見かけて、後をつけて入ってきただけさ。お話がしたくてね。今日はケンカしに来たんじゃねえ。だいいち、大街道はお前ら秋本ファミリーのシマだ。ここで特別な理由もなく暴れたら、一二〇%大事になるだろ」

「ふん、柄にもなく常識的な意見を述べてんじゃねえぞ」

「なに! 黙れ、スーツを着たゴリラめが。とりあえず、そのフラペチーノから手を離せ。あ、間違えた、拳銃から手を離せ」

 獅子丸は言われた通り、フラペチーノのカップを机に置き、拳銃から手を離して、スーツの内側から手を出して楽にした。

 一条寺は机の上に両手を乗せて、また話した。

「全くよう、気性が荒いんだよお前よお」

「お前にだけは言われたくない」

「そのハット、かっこいいな。彼女さんからのプレゼントか?」

 一条寺が、机の上のハットをアゴで指した。

「ああ。どうして分かった?」

「お前が選んだにしては、センスが良すぎる」

「お前……足にレンガ括りつけて瀬戸内海に放り投げてやるからな」

 獅子丸は悪態をつきながら、フラペチーノを何口か飲んだ。そのとき、自分でもどうしてそんな気になったか不思議だが、一条寺にも分けてやろうかと思った。獅子丸はそのカップを差し出した。

「おい、お前も要るか?」

「いや、遠慮しておくよ。敵に出された液体を飲むわけないだろう。毒が入っている可能性がある」

「今お前の目の前で飲んだ俺がどうもなってないんだから、安全に決まってるだろ。バカたれが」

 獅子丸はため息をつきながら、カップを机に置いた。

「獅子丸、お前の彼女さん、お手洗いが長いんじゃないのか。大かな?」

「あのな、女性のお手洗いってのは、トイレに用があるだけじゃないだろ」

「え?」

「おめかしとか、しているかもしれん言うことだ」

「は?」

「化粧だよ化粧」

「はあー、なるほど」一条寺は納得したように頷きながら、腕を組んだ。「化粧……、顔をつくる奇妙な行為のことか」

 一条寺は、今度はまた腕を机に置き、身を乗り出した。じっくりと獅子丸を見つめてくる。たぶん今から、前々から言いたかった様なこと、今回の本題について話すのだろうということが、獅子丸にはよく分かった。

「おい、獅子丸よ。そんなことより、俺はこの前の件でガッカリしているんだぜ。ハッキリ言って、お前に失望したよ」

「は?」

 一条寺に失望したなどと言われ、獅子丸は若干ムキになった。思ったより、俺が弱かったということか? いや、そもそもこの前の件とは、なんだろう。道後での戦いのことであろうか。だとしたら、あのとき、一条寺とは互角以上に戦えていたはずだ。

 一条寺が口を開いた。

「この前、お前らが道後にある俺たちのバーにやってきたときのことだ」

「ああ、それがどうした」

「お前ら、車を爆破して、そのあと俺たちと出くわして交戦したよな。もし、俺たちが現れず、誰にも見つからなかったら、どうするつもりだった?」

「おかしな質問だな。こっそり逃げるに決まっているだろう」

 獅子丸には、一条寺の質問の意図がいまいち分からない。

「そこなんだよ。俺がガッカリしたのは。よくそんなこと、恥ずかしげもなく言えるな」

「え? どういうことだ」

「お前ほどの強者が、こそこそと車に火をつけ、戦いもせずに逃げようとする。それが残念だと言っているんだよ」

「いまいち言っていることが分からんな。一条寺、君は知らんかもしれんが、先に手を出したのは春山ファミリーの者なんだ。春山ファミリーの者が、俺の部下を痛めつけ、そいつの車を破壊した。だから仕返しに、お前の仲間の車を破壊したんだ。やられたことを、同じように破壊しただけだ。やられたら、その分はやり返す。マフィアの世界の鉄則だぞ」

「そういうことだったのか。まあ、事情は分かった。お前らが仕返しに来たことにも文句はない。だがな、その手段に文句があるのさ。

 仕返しをするなら、殴り込みに来ればいいだろう。戦えばいい。それなのに、お前ほどの男が、戦おうとせず、コソコソと相手の物品を破壊し、去ろうとした。そんなことをせずに、真正面から相手の肉体そのものを破壊すればいいだろう」

「一条寺、それは君の考えであって、マフィアのルールには反する。目を潰されたら相手の目を潰し、腕を折られたら相手の腕を折る。ただし、それ以上のことはしない。それが闇の世界のルールだろう。黙ってやられっぱなしはは無いが、倍返しにすることももない。

今回、俺たちは車を破壊されたが、命まで奪われたわけではない。だから、相手の命を奪う必要もないし、不必要に戦う理由もないと考えた。そして、適切と思われる報復をしただけだ」

 一条寺はこくこくと頷いた。

「なるほどな。お前の主張は分かった。けどな、共感はできん。俺が同じ立場なら、絶対にカチコミに行くぞ。こそこそと相手のテリトリーに忍び込み、車を破壊して逃げるなど、プライドが許さん。獅子丸、お前にはそういったプライドはないのか?」

「そんなプライドがあったら、マフィアになどならん」

 本心だ。獅子丸はマフィアになったとき、役に立たない正義感や、格好つけたプライドは捨てたつもりだ。

 一条寺は舌打ちをした。

「チッ。信条や精神の点で、俺たちはとことん合わんな」

「その点においては、唯一お前の意見に賛成しよう」

「あのな、一人の人間として、正々堂々立ち向かい、肉体と精神の強さを競い合おうという気概とかないのか?」

「なに? アホ臭い考えだ。だったらボクサーか相撲とりにでもなった方が良い。

このマフィアの世界に、正々堂々を求めるか。そんな信条が何かの役に立つのか。プライドで、ファミリーの仲間やドンを守れるのか?」

「仲間を守るだと? 考えたこともない」

 一条寺はそう言うと、勝手に抹茶フラペチーノのカップをとり、すすってから机に置いた。

「あ、美味いな」

「そうだろう」

 獅子丸も、特にツッコまない。一条寺は、今度は手を組んで聞いてきた。

「じゃあ、お前の信条は何なんだ?」

「え?」

「お前は俺の信条に共感できないとして、お前はお前なりに、何らかの信条はあるだろう。守りたいものや、自分の中で最優先の掟がな。そうでなければ、生きている意味がない。人間から信念を奪ったら、何もなくなってしまう。精神の柱を失ったとき、俺たちは生きる意味を見失う。そうなったら、俺たちは呼吸をするだけの石ころになってしまうだろう」

「俺の……信条……」

 獅子丸はどこを見るでもなく、目線を下げ、考えた。今まで、そんなことを考えたことはなかった。しかし、何かあるはずだ。獅子丸がどうしても譲れないもの、つい熱くなってしまうものが。

 そのとき、獅子丸の脳裏には、大切な人々の顔が映った。いつも親しくしてくれる、ドン秋本や、ファミリーの仲間である徳川や木崎。愛すべき存在である佐倉。曲者でありながらも、協力してくれる植田や藤原。

「仲間だ」

「え?」

「俺は仲間を守り抜きたいし、一生大切にしたい」

 ……。

 沈黙。沈黙が流れた。獅子丸の言葉を聞き、一条寺は一瞬、あっけにとられていた。そして、喉の奥から込み上げるかのように、笑い始めた。

「ふっ、ふふふ。ハハハハ!」

「な、なんだ。どうして笑う!」

 獅子丸は身を乗り出した。何がおかしいというのだろう。その辺の、頭がスッカラカンの雑魚どもに笑われるのなら、なんとも思わない。自分の信条を、雑魚に分かってもらおうなどとは思わない。だが、一条寺は違う。一条寺にだけは、笑われたくない。唯一対等な相手であるこいつにだけは、絶対に笑ってほしくないのだ。

 一条寺は、なおも笑い続けている。

「ハハハハハ! アッハッハッハ! あーおかしい」

「なぜ笑う? そんなに俺の主張がおかしいか」

「いやいや、お前の主張を笑っているんじゃない。俺たちのすれ違いに笑っているのさ」

「なに?」

「だってそうだろ? お前は、俺の信条はマフィアの世界にはそぐわないと言う。俺は、お前の信条こそ叶わないと思っている。仲間なんて、信じるだけ無駄だとな。

 俺たちはお互いに信じるものを持ちながら、相手から見ると、手に入らないものを追いかけているように見えているんだぜ。ハハ、これが笑わずにいられるか。俺たちは、お互いがお互いにとって、不可能だと思われることを成そうとしているのさ。目隠しして海を泳ぎながら、鳥を捕まえようとしている」

 獅子丸は、大きく息を吸った。そして、なんとなく理解した。獅子丸は、一条寺と戦う運命にあるのだ。今、話し合ってみたが、結局これは、今までのコイツとの戦いとなんら変わらない。俺たちが協力し、賛同し合うことなど、永遠にない。常々ぶつかり合い、戦い合う存在。拳を交えても、言葉を交えても、俺たちのスタンスは変わらない。

 初めて巡り合ったときから、ライバルとして対立する存在だったのだ。

「あら、お友達?」

 そのとき、佐倉がテーブルへ帰ってきて、自分が座っていたはずの席に我がもの顔で座っている一条寺を見た。

 友だちなどではないが、だからといってどういう関係か聞かれると難しい。また、一条寺が佐倉に何かしでかさないか心配で、獅子丸は内心ハラハラした。

「友達ではない。説明が難しいが、とにかく友達ではない。絶対に友達ではない」

 獅子丸は首を左右に振った。

「あ、どうも。獅子丸君の友達です」

 一条寺が適当なことを言ったが、佐倉は律儀に、「あ、獅子丸君がいつもお世話になっています」と、軽く頭を下げた。お世話になっているどころか、二度も命がけの戦いをした仲だ。

 獅子丸は一条寺を睨んだ。

「はあ? 冗談は顔だけにしろ。あと、この女性に妙なことしたら許さんからな」

「俺がそんな面白くもないことをすると思うか? お前なら分かるだろう」

 一条寺が、獅子丸の目を見つめてきた。確かにそうだ。一条寺は、争いと強い相手を求める男。佐倉を危険な目にあわせて喜ぶようなことはしないし、一条寺自身にとっても、そんなことは下らないだろう。一条寺にとっては、佐倉はただの、細くてか弱い人間。興味を惹かれる存在ではないのだ。

 一条寺はスッと立ち上がり、佐倉に声をかけた。

「では、僕はこの辺で失礼します。たまたま姿を見かけて獅子丸君とお話しようと思っただけなので。あと、獅子丸君がハットを買ってもらったって、喜んでいましたよ」

「え、ああ、はあ。うふふ」

 佐倉は頬を赤くして、意味もなく髪を手で触った。

獅子丸はムッとした。一条寺は適当こいて、遊んでいるだけだ。

「てめえ、ひとをおちょくってるとぶっ飛ばすぞ」

 一条寺は知った風な口を利き、佐倉に微笑みかけた。

「ハハッ、これも彼なりの照れ隠しなんです」

 佐倉も笑って答える。

「えへへ、よくお分かりで」

 そうやって、佐倉と一条寺は笑いを交わした。そのあと、一条寺はスタスタ歩いて、店を出ていった。

 佐倉は、さっきまで一条寺が座っていた椅子へ座った。

「彼、イケメンね」

「はあ? どこがだ」

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