11 マッハで安全運転
「徳川。何か音楽でもかけてくれ」
獅子丸はそう言って、座席にぐったりともたれかかった。死闘を繰り広げたあとで、疲れているのだ。自分の心臓の鼓動が、早く脈打っているのが分かる。帰ったら、シャワーを浴びて寝よう。もしくは、佐倉とゆっくり酒を飲んでもいい。そんなことを考えていた。
徳川は適当なラジオをつけた。すると、車内のスピーカーからEDM系の洋楽が流れてきた。辺りは日が傾き始め、オレンジ色の光が降り注いでいる。曲を聞きながら、獅子丸は窓の外を見る。夏の一日、その暑い昼が過ぎようとしていた。
そうして、元気に遊んでいる子供たちでも見えたら良かったが、獅子丸の目に最初に映ったのは、黒い眼球であった。逆さまになった顔が、窓の外から獅子丸を見つめていたのである。獅子丸はハッと息を飲んだ。
顔を逆さまにした男が、窓をドンドンと叩いてきた。
「獅子丸! 獅子丸ー! コラァ!」
一条寺だ。一条寺が屋根の上から、窓を叩いているのだ。窓の向こうからでも、獅子丸を連呼する声が聞こえてくる。さっき、徳川が音を聞いたと言っていたが、その正体はこいつに違いない。この男は、走って追いかけ、車が発車した直後に車上へ飛び乗り、しがみついてきたのである。
「クソ! バケモンかこいつ」
獅子丸はドン引きしながらも、車内で身構えた。
どうやら、徳川も一条寺の存在に気づいたらしく、首をひねらせて窓を見た。
「うわ! 屋根の上にイタチがいますよ!」
「残念ながらこれは人間だ」
獅子丸がそう言うとほぼ同時に、一条寺はどこからか取り出した拳銃の底で窓ガラスを突き破り、ガラスの破片とともに後部座席に突入してきた。そのまま拳銃をぶっ放しながら獅子丸に掴みかかってきた。
獅子丸は拳銃を持っていた相手の腕を掴んで捻り、その銃を落とさせた。そして、一条寺の胸ぐらに掴みかかった。
一条寺は胸ぐらを掴まれながらも、なぜか大笑いした。
「ハハハ! 負けたらガラスの掃除な!」
「小学生のときに習わなかったのか、最後に割った奴が片付けろってな」
獅子丸が一発顔を殴ると、一条寺があごを掴んできた。
「あ、兄貴!」
徳川は運転しながらも、ちらと後ろを見て心配そうに声を出した。
「大丈夫だ、運転を続けろ」
「は、はい!」
「へえ、大丈夫だと?」
一条寺が歯を食いしばり、あごを掴む手に力を込めてきた。獅子丸はその腕を掴んで引き離す。ぐいとその腕を捻ると、一条寺が唸り声をあげた。反撃のつもりか、一条寺が足を蹴りあげてきたが、獅子丸は腕でガードをした。大した威力はない。
獅子丸は一条寺の頭を鷲掴みにした。
「ふん、お前の得意の足技やカウンターも、この狭い車内じゃ活かしにくいんじゃないか?」
「うるせー! 戦闘中に喋るな!」
いつもは自分がベラベラと喋っているにもかかわらず、獅子丸が喋るとこうである。
一条寺が顔を殴ってきたが、いつもの掌底ほど威力はない。この男は、細身な体では足りないパワーを補うため、遠心力を付けて攻撃して威力を底上げしたり、カウンター攻撃で戦っている。だが、それにはある程度の空間や、地面のように安定した足場を必要とする。この車内では、これらの戦術を活かすことは難しい。
代わりにものをいうのは、純粋なパワーやスピードだ。それなら、獅子丸の方が上回っている。
獅子丸は鷲掴みにした一条寺の頭を、車のドアの内側に二度叩きつけた。そして、空いている手でドアのロックを解除し、ドアを開けた。外から風が吹き付けてき、獅子丸の髪をボサボサに躍らせる。
獅子丸はそのまま、一条寺の頭を外へ放り出した。
「うおおあ!」
だが、一条寺は叫びながら両足で獅子丸の体にしがみつき、足の力と腹筋だけで車内に復帰してきた。しかもその反動を利用して車の奥に入り込み、逆に獅子丸の胸ぐらを掴んで車外に押し出したのだ!
獅子丸は上半身を外に晒しながらも、仰向けのような状態になり、片手でドアの取っ手を、もう片方の手で車の端を掴んで、上半身を持ち上げようとした。だが、上に乗っかるような形で一条寺がかかってき、胸を掴んで押し出してくる。
獅子丸はだんだんと押し出され、後頭部が地面に近付いてきた。
「アヒャハヒャヒャハ! このままだと後頭部がツルッツルになっちまうぜェ!」
一条寺が勝利の絶叫をした。
その様を見て、遠くから通行人が
「あれを見ろ! なんかすげえ」
「え! 映画の撮影?」
などと言っている。
びゅうびゅうと耳に吹き付けてくる風の音に交じって、電車が走るような音と、汽車のようなシュポーという音が聞こえてきた。そちらへ顔を向けると、獅子丸の視界に、緑色の列車が映った。坊ちゃん列車だ。煙突から煙を吹きながら走って来ていた。
なんと、車は今、路面電車の線路の横を走っていたのだ。地面に当たらずとも、このまま車外に上半身をさらしていては、列車に直撃して体が引き裂かれてしまう!
獅子丸は渾身の力を振り絞り、一条寺の腕の力に打ち勝って車内に上半身を戻した。そして、一条寺の顔面と腹を一発ずつ殴り、スーツを掴んで振り回した。ドアが開いている左側へ、一条寺の体を押し出していく。
「徳川、ハンドルを右に切れ!」
獅子丸がそう叫んだ瞬間、徳川がハンドルを切り、遠心力で一条寺の体が車外へ飛び出そうになった。獅子丸は体勢を崩した一条寺を、車外へ蹴り飛ばした。
一条寺は弧を描いて飛び、ちょうど横を通りかかった坊ちゃん列車の窓を突き破って、その列車の中へ放り込まれた。列車は一条寺を乗せ、ぐんぐんと遠ざかっていった。
……。
一瞬、獅子丸も徳川も黙りこくっていた。
やがて獅子丸は、くたくたになったシャツをパンパンとはたき、開いていたドアを閉めた。
徳川は運転しながら、獅子丸に話しかけてきた。
「兄貴、お疲れ様です」
「ああ、疲れたよ。徳川も、運転ありがとうな」
「いえ。それより、さっきの男……やけに獅子丸の兄貴に執着していたように見えました。いったい何者なんすかあいつ? 兄貴とも互角に戦っていたし」
何者と聞かれても、説明するのは難しい。
「やつは一条寺。とにかくとんでもない男だよ」
「最後は飛んでいったっすけどね」
「ハハハ」
「エヘヘヘ」
「次しょうもないギャグ言ったらぶっ飛ばすぞ」
「申し訳ないっす」
下らない漫才をしていたのもつかの間、突然銃声が聞こえてきた。二発も三発もどんどん撃ってき、しかもその音は、獅子丸と徳川が乗っている車にどんどん近付いて来る。
獅子丸は後ろを向き、後方を確認した。すると、数十メートル後方から一台の車がこちらを追いかけてきていた。運転席の男は荒々しくハンドルを操作し、助手席の男は窓から顔を出し、獅子丸たちに向けて拳銃を乱射している。間違いない、さっき春山ファミリーのバーにいたやつらだ。必死で獅子丸たちの車を追ってきているが、この距離では、拳銃で狙いを定めることは不可能だろう。
やつらもそれを分かっているのか、どんどん距離を詰めてくる。獅子丸は前を向き、徳川に状況を伝えた。
「徳川。春山ファミリーのやつらだ。さっきバーにいた男たちだ。まだ二人残っていやがった」
「えええ! どゅええ」
度重なる戦いに、徳川の精神が混乱しているようだ。獅子丸は徳川の肩を叩いた。
「お前は運転に集中しろ。俺は銃で反撃してみる」
「は、はい」
徳川が前を見て運転する様子を確認すると、獅子丸はいつもの銃、ブラックリバーを取り出し、後部の窓から上半身を出した。
「うーん、この距離じゃあ当たるか分からんな」
さすがの獅子丸も、体勢の安定しない状態で、ブラックリバーのような小型銃を相手に当てるのは難しい。だが、それは相手も同じ。何も反撃しないよりはマシだろう。当たればラッキーくらいに考えながら、獅子丸は銃を構えようとした。
そのとき、カンという金属音がし、獅子丸は銃を道路に落とした。ちょうどそばにあった『止まれ』の標識に手が当たり、銃を落としてしまったのである。
「あっ」
まさかの事件に、獅子丸は声を発した。
「どうしたんすか兄貴!」
運転しながら聞いてくる。獅子丸はたじたじ顔で車内に身を戻しながら答えた。
「いや、思わぬ刺客が現れてな。銃を落としてしまった」
「え!」
徳川が「え! え!」と言いながら、前方と獅子丸の顔を交互に見てきたので、獅子丸はますますたじたじ顔になった。
「いや、うっかりすっかり」
「ええ! ちょ、どうするんすかコレェ!」
後方からは、銃の音がドンパチ聞こえてくる。怒声も混ざっている。しかも、その車はどんどん近付いてきているのだ。
「どうしたもなにも、逃げるしかないだろう」
「そ、そうっすね」
「徳川は銃を持ってないのか?」
「まさかこんな戦いになるなんて思ってなかったっすから。メリケンしかないっすよ!」
そう言ったあと、徳川はハンドル付近のレバーを操作して左ウィンカーをつけ、T字路を左折した。獅子丸はそれを見て驚く。
「おい、今左折のウィンカー点けなかったか?」
「あ、はい」
「なんで点けた?」
「いや、左折するんで点けました」
「そんなことやってる場合か! もう! 運転を代われ!」
獅子丸はハンドルを握りながら徳川を横へ押し、後部座席から前へ出て、運転席に座った。アクセルを思いきり踏み込む。加速の反動で徳川が背もたれに頭を打ち付けた。
カーレースの果てに、獅子丸たちは石手川のそばまで来ていた。石手川は、松山市を横切る、市民になじみ深い川だが、松山の降水量が異常に少ないこともあり、一年の半分以上は水が干上がって川底が見えている。今日も例外ではなく、水がほとんど流れていないので、やろうと思えば容易に向こう側まで歩いて渡ることができるだろう。
そんな石手川の横には、土手沿いに公園と、木々の生えた芝生がある。獅子丸たちの車は、その芝生に突っ込んだ。それでもなお獅子丸はアクセルを踏み、大木を避けながら芝生を走っていく。地面がでこぼこしているので、車が上下に動きまくり、お尻が浮いたり沈んだりしてしまう。
春山ファミリーのやつらも芝生に乗り込んで来、とうとう獅子丸たちとほぼ並走し始めた。横を走る車から、助手席にいる男が獅子丸に向かって発砲してきた。銃弾が獅子丸に当たることはなかったが、車の窓が割れてしまった。もう、銃の攻撃が届いてしまう距離まで追い詰められたのだ。
そのとき、獅子丸はあることを思い出した。
「徳川、銃を探せ!」
「え!」
「さっき俺が一条寺と戦ったとき、やつが拳銃を落とした。車の下の方に、やつが落とした拳銃があるはずだ」
「そ、そうか!」
獅子丸と一条寺が戦っていたとき、獅子丸は一条寺の拳銃をはじき、落とさせた。そのことを思い出したのだ。
徳川が腰を曲げて後部座席の足元を探し回った。その間も、春山ファミリーの男が横から銃を撃ってくる。獅子丸は頭を伏せながら運転しているが、このままではいつ脳天を撃ち抜かれるか分からない。
「徳川! 早くしろ!」
「三秒以内で見つけます!」
徳川はそう言ったあとすぐに身を起こした。
「ありました!」
宣言通り、三秒以内に発見したのだ。徳川は助手席から拳銃を構えた。獅子丸は射線に入らないように、頭を下げたまま運転する。
だが、徳川が引き金を引いても、銃弾が放たれることをはなかった。
「これ、弾切れっす!」
「クソ! 一条寺のやつ、ガラクタを置いていきやがって」
獅子丸は言ったあと、ハンドルを思いきり右に切った。そして、敵の車に車体をぶつけた。敵の車が右に揺れたが、すぐにまたそばへ距離を詰めてくる。
徳川は急な体当たりに驚いたようだ。
「な、何をするんです?」
「このまま体当たりして、やつらを石手川に落とすんだ!」
今、敵の車は川の真横を走っており、その横を獅子丸たちの車が走っているのだ。何度か体当たりして、敵の車を川へ落とすしかない。今の石手川は水が流れておらず、川底が丸見えだ。こんなところに落ちれば、大けがは間違いないだろう。
「掴まってろよ、徳川」
「は、はい!」
獅子丸はもう一度、ハンドルを右に切った。だが、急にハンドルが重くなり、敵の車に体当たりすることはできなかった。
「なに? 急にハンドルが硬直したぞ」
獅子丸の驚きに答えるように、車内前方の小型モニターににっこりマークが映し出され、女声のアナウンスが聞こえてきた。
――隣の車との、車間距離が近すぎます。衝突しないよう、安全運転を心がけましょう――
「AIだ……」
徳川が、何かに気付いたらしい。
「え?」
「きっと車にAIが搭載されていて、危険な運転をしないようにハンドルをロックしているんすよ」
「そういうことか。機械の分際で俺に命令するな」
獅子丸は言うやいなや、拳を繰り出して小型モニターを破壊した。
そして、ハンドルを右に切り、敵の車へ体当たりした。敵の車を右に押し出したが、反動で獅子丸たちの車も揺れる。破壊されたモニター横のスピーカーから、声が途切れ途切れ発された。
――と、隣の……車……隣の……しゃか……車間距離が……――
獅子丸はそのアナウンスを無視し、ガンガンと、二度も三度も敵の車に体当たりしていく。やがて、敵の車の右側の車輪が土手にずり落ちたようで、車体がガクッと傾いた。獅子丸はそのスキを見逃さず、もう一度ハンドルを切って体当たりして、追い打ちをかけた。敵の車は土手を転がり、水の干上がった川底へ落ちていった。ゴロゴロと転がる車の中から、春山ファミリーの男たちの叫び声が聞こえる。やがて車は逆さまに落ち、せんべいのようにぺしゃんこになった。
「やったぜ」
獅子丸は安堵の息を漏らした。だが次の瞬間、徳川が絶叫した。
「兄貴! 前、前!」
その慌てた声を聞いて前方を確認したが、時すでに遅し。獅子丸たちの車は、前方に立ちはだかる大木にぶち当たり、停止してしまった。
獅子丸は勢いで前にふっ飛びそうになったが、前方や横から飛び出てきたエアバッグに体を強烈に押し返され、なんとか車外に放り出されずに済んだ。
五秒、十秒……。獅子丸はエアバッグに囲まれたまま、目をつむっていた。半分、意識が飛んでいたのだ。やがて獅子丸はハッと目を覚まし、助手席の徳川を見た。助手席にもエアバッグが飛び出ていて、徳川の体を守ったようだ。
「徳川、ケガはないか」
「はい……、体は痛みますけど、たぶん大丈夫っす」
徳川は自分の腕や足を確認したあと、前方や横のドアから自分に向かって飛び出ているエアバッグを見た。
「はえー、今時の車って、横からもエアバッグが出るんすねー」
「状況に比べて発言がのん気すぎるだろ」
結局、獅子丸たちが乗っていた車、エレメントは、もはや前方が潰れており、敵の車と衝突した側もかなりボコボコで、到底走行できる状態ではなかった。獅子丸と徳川は車を捨てることにし、人目につかないようにコソコソとその場から去っていったのである。




