9 AT車を許さないタイプの人
「取りあえず、お前らにアシを貸してやろう。藤原のガレージへ行って、好きな車を一台借りてくるんだ」
そう言う秋本の指示に従い、獅子丸と徳川は、藤原の元へ向かった。藤原とは、秋本ファミリーの管理下にある車用ガレージの主人であり、相当の車オタクである。一日中、車に乗るか車を整備するか、車の雑誌を読むか、とにかく車のことばかり考えているような男である。髪は金に染めている。
藤原は何台もの車をガレージに管理しながら、秋本ファミリーの者へ車を貸してやっているのである。
今日もガレージには、十台弱ほどの車が、余裕をもった間隔で並べられていた。かなり広いガレージだ。藤原は日ごろから丹念にガレージや車の掃除をしているが、これだけ広いと全てピカピカというわけにはいかず、さすがに隅の方にはクモの巣が張ってある。車の鉄っぽいにおいやガソリンのにおいが、そこはかとなく漂っている。
金髪の男が、車に話しかけながら窓を拭いていた。彼が藤原である。
「今日も君は綺麗だねー、うん、最高だ!」
こうやってストレートに褒める男は女に重宝されるのだろうが、いかんせん相手が車では仕方がない。
獅子丸は徳川を連れて、藤原に歩み寄った。
「藤原。秋本ファミリーの獅子丸だ」
「うわ! ビックリした」
かなり近くまで歩いてから話しかけたのだが、車に熱中していたのか、藤原は声をかけられるまで気付いていなかったようだ。いきなり驚かれたので、獅子丸までビクッとしてしまった。
「車は返事をくれるのか」
「獅子丸、お前はそうやってすぐにひとをからかう。いいか、花だって、毎日話しかけると美しくなるって言うじゃないか。見てみ、この『マルタ エレメント』の美しさ。そして、この満足そうな顔をな」
「か、顔……」
藤原が白い車を指さして言うので、獅子丸もそちらを向いた。確かに美しいが、どこが顔なのか分からない。というより、車に顔なんてないだろう。獅子丸は困惑した。
徳川が獅子丸の後ろからぴょこりと出て、藤原に軽く挨拶をした。徳川と藤原が会うのは、これで数度目だ。
ところで、『マルタ エレメント』は見た感じ五人乗りの、スマートなデザインの車だ。ごてごてした装飾はないものの、むしろ、その洗練されたさまが、高級感を際立たせている。だが、何か違和感もある。何か、本来あるはずのものが欠けているような感じである。間違えて女子トイレに入ったとき、小便器がないのを見て感じる違和感に似ている。
エレメントをじろじろと眺め、獅子丸はやっとその違和感に気付いた。この車には、サイドミラーがないのである。獅子丸は言った。
「確かに、かっこいい車だ。だが、サイドミラーがないのはなんだか間抜けだな」
「間抜けとはなんだ。いいか、『マルタ エレメント』は最新の車。サイドミラーはないが、代わりに、小型カメラが左右に内蔵されているんだ。そして、そのカメラが後方の様子を捉え、車内のモニターに映してくれるってわけさ。近い未来に、すべての車からサイドミラーがなくなるかもしれんな」
「へえ! 近未来的でいいじゃないっすか!」
徳川が身を乗り出し、エレメントに近付いた。
「おお、分かってくれるか徳川君。けれど、ひとつ気に食わないところがある」
「え?」徳川が聞いた。
「この車は、AT車しか生産されてないんだ」
「今時、AT車で十分なんじゃないっすか」
徳川の言葉に、藤原が「チッチッチッチッチッチ」と舌を鳴らしながら、立てた人差し指を左右に動かした。
「舌を鳴らす回数が多すぎる」という獅子丸のツッコミをスルーし、藤原は答えた。
「確かに、時代の流れは感じるさ。だがね、機械を操作したいのか、機械に操作されたいのか、どっちがいいかって話だよ」
藤原は一台一台車を紹介してくれた。説明するごとに、徳川が派手にリアクションをするので、藤原はどうやら上機嫌になったらしい。唾が飛ぶほどぺちゃくちゃと喋り、三台目の説明に差し掛かるころには小一時間が経過しようとしていた。これではらちが明かないので、途中で話を遮り、車を選ぶことにした。
結局、徳川の意向で『マルタ エレメント』に乗っていくことになった。




