第4話「入学─ハジマリ─」
虚神暦2030年、4月3日。
アストルム学園は入学式を迎えていた。
季節は春、桜の咲く季節である。
ここ、王都フィーニスにも桃色の花が咲き誇っていた。名はそのまま桜だという。
不思議な話だ、世界が違っても桜は桜。
見慣れた色が満開に咲き誇っている。
僕はドクトルと共に学園にやってくると、その他大勢の流れに沿うように歩いていった。
この先に見えるのは大講堂である。
入学式はそこで行われる。
周囲の学生達は皆が緊張した面持ちだ。
僕は緊張などしていない、ただ流されるようにここに来たのだから、緊張もクソもない。
「今日は晴れて良かったなぁ、昨日少しだけ天気悪かったからよー、心配したぜ、俺達の花の入学式が悪天候にならなくてよ」
「快晴だな」
見上げる。雲ひとつない青空が広がっている。
ドクトルは朝から落ち着きがない様子だった。
こいつめ、緊張しているな。
彼が、ご両親の用意してくれた朝食にまったく手をつけてなかったことを思い出す。
胃が小さくなっているようだ。空は快晴だが心は大荒れなのかも。
「ドクトル」
「な、なんだよ?」
「ネクタイ曲がってる」
「お、おう。ありがと」
ネクタイどころか襟が曲がってたり、ポケットの裏地が顔を出したりしている。
よほど緊張しているのだろう、顔色が赤くなったり青くなったり、周りをキョロキョロとしては笑みを浮かべていた。気味が悪い。
仕方ないので僕がネクタイを締め直してやると、礼を言われた。学生時代の自分の記憶を辿ってみる、高校、大学の入学式でこんなに緊張をしたことない。ある意味、彼は純粋なのだ。
大講堂に着くと既に大勢の生徒で溢れていた。
何百人いるんだ。少し辟易とする。
人の多い場所は苦手だ。いざとなったら人の壁が出来て逃げ出せないし、人質を取られたりして動きを制限されたりする。なにより、人が苦手な節が僕にはある。人間不信な面があるのだ。
適当に空いている席に着いて、ドクトルとどうでもいい雑談に入学式が始まるまで興じているのだった。
学園生活の心得やら何やらの長々とした話を聞かせられた新入生達の顔には疲労が見えていた。
隣のドクトルはいつの間にか眠りについていた、相当退屈だったのか、それとも緊張しすぎて昨夜眠れなかったのか、とにかく、寝息だけは立ててくれるなよと、今度はこちらが緊張する。
あまり目立ちたくはないのだ。
目立つということは、印象に残りやすい、そういう人は一部から反発を受けやすくなる。
反発を受けると、どうなる。
これまた目立ってしまうのだ、負の循環だ。
最終的に憎まれたりする、良い事はなんてなにひとつないだろう。
教師の話が終わると、次は一人の女生徒が壇上に上がった。
「新入生の皆様、はじめまして。私はアストルム学園の生徒会長、ステラ・スキエンティアです」
長い金髪の、細身の女性だ。
身長が高い、170センチくらいあるのか。
生徒会長、恐らく縁はないだろう。
それにしても生徒会なんてものがあるのか、アニメやゲームでは絶対的な権力を持っているような描写をされがちな生徒会。僕の通っていた学校では普通の委員会といった感じだった、もちろん、権力なんかなかったし、生徒が教師に反抗してお互いの権力がぶつかり合う、みたいな珍事もなかった。この世界ではどうだろうか、そもそもファンタジーな世界に生徒会が存在する違和感が僕にはあった。もしかしたら僕が知らないだけで割と普通なことだったりするのか。こんな世界にやって来てしまうことがわかっていれば、予めライトノベルあたりを読んで復習をしていただろうに、もったいないことをした。
この女も話が長い。
さっさと終わってくれないものかな。
退屈に思っていると、生徒会長は話しながらもこちらを凝視していたことに気が付いてギョッとした。まずい、ドクトルが寝てるのバレたか、と考えたが、違うようだ。
僕を見ている? 何故?
知り合いではないし、なぜだろう。
生徒会長の話が終わると次は学園の案内があるらしい。
僕はドクトルを叩いて起こすと立ち上がった。
教室、食堂、図書室、学生寮、シミュレータ室。
10班に別れて学園内を見て回った。アストルム学園は3年制なので、何か問題が起きない限り、ここで3年間過ごすことになる。
時間は既に昼時、混雑している食堂の隅でドクトルと共に食事を摂っていたら不意にざわめきが大きくなった。どうやら生徒会長が食堂に現れたらしい、周りの生徒が憧憬の眼差しを向けている、あの短時間でもうファンを作ったのか、凄いな。煮えた芋をフォークで弄っていると、ツカツカとヒールを鳴らして生徒会長、ステラがこちらに歩み寄ってきた。周囲からの疑惑の眼差しが突き刺さる、なんだなんだ、やめてくれ、目立ちたくないんだ。
「ねえ、あなた、ちょっと来なさい」
「ドクトル、呼ばれているぞ」
「え、俺!?」
「貴方じゃない。この可愛い顔の子よ、そう貴方」
「……ええと、なぜ? 初対面ですよね」
当然の疑問だ、自分はステラとは初対面のはずだし、生徒会長に呼ばれるような失態を犯した覚えはない。入学式に爆睡をかましていたドクトルが呼び出されるのならともかく、なぜ僕が?
「いいから」
何がいいから、なのか。
ネクタイを掴まれて外に連れていかれた。
ドクトルに助けを求めたが、奴はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてこちらに手を振っていた。ふざけるなよ、この野郎。
外に連れ出され、食堂の裏手に来た。
人の気配はない、もし何かされそうになったら悲鳴をあげたいが、誰か来てくれるのか。
「食堂の騒音も聞こえないでしょう。防音なのよ、ここ」
心を読んだかのように言ってくれるな。
ステラはこちらを値踏みするように見ている。
女の顔をしている。
僕はわけもわからず困惑するばかりだ。
女のこういう視線は苦手だ、前世で何度も味わったことがある。こういう、とは雄として見られることだ。身震いする。いまの僕は小柄で、女みたいな顔をしているので、こんな目に遭うとは思わなかった。
あれは16歳の頃だった。父親の愛人が、就寝中だった僕を叩き起こして誘惑してきた。
僕が雄かを確かめる眼差しと、僕を雄か確かめる眼差しが同居していた。
もちろん、僕は拒絶した。そうすると父の愛人は、僕が誘ってきたのだと父に嘘をついて、僕は何度も父に殴られた。
母は見て見ぬふりだった。
あぁ、嫌な記憶が甦る。
憂鬱な気持ちに落ち込んでいく。
「あなた、私のペットになりなさい」
「ぺっ?」
思考が引き戻される。
なんと言ったんだ、このイカレた女は。
特殊な性癖どころの話ではない。
ただの変態ではないか。
愕然とする、驚愕する、困惑した。
誰か警察を呼んでくれ。
変態がここにいる。
隙を見て逃げ出そうと考えていたのに、いつの間にか腕を掴まれている。
生徒会長が変質者である。
「は、離してっ」
腕の力が強い。細身なのに、振り解けない。
「恐怖に怯える顔がそそるわね」
少しは性癖を隠す努力をしろ。
壁際に追い込まれる。
まずい、逃げられない。
こちらを見下ろすステラの顔が愉悦に歪む。
段々と、怒りが増してきた。
「離っ──」
僕が大声を発そうとしたとき、より大きな音が轟いた。どこか、遠くで、爆発音のようなものが聞こえてきたのだ。僕の怒りが爆発したのかと思ったが、どうやら違うようだ。ではいったい何事か、遅れてサイレンが鳴る。けたたましい。
キンキンとした音が鳴り響いた。
アストルム学園だけではない、街中で鳴っているようだった。
「キミ、話はあとでね」
それだけ言うとステラは走り去っていった。
こちらを散々脅してさっさといなくなってしまった。
誰があとでだ、二度と関わるか。クソ女。
僕はドクトルの元へ駆けていった。
「カンケル!」
食堂の外でドクトルと合流した。
彼にも何があったか、わかっていないようだ。
もう一度、爆発音。広がるような爆発音。
叫び声。耳障りだ、一々叫ぶな。
ダメだな、怒りがまだ続いている。
切り替えなければならない。
「おい! あれ見ろ!」
誰かが叫んで次々と悲鳴が上がる。
大きな黒煙が遠くで上がっている、あの方向は住宅地だ。ドクトルの家もある。
事故だとして、あの爆発はなんなんだ。
それに、未だに鳴り響くサイレン。
何か嫌な予感がする。胸が騒つく。
「お袋、親父、無事かな」
いまは確かめようがないが、祈るしかない。
ドクトルに気の利いた言葉のひとつでもかけてやりたかったが、思いつかなかった。
「……なんだ」
不意に僕らに影が差した。
雲ひとつない青空が上空に広がっている。
だが、見上げると、太陽に黒い何かがあるように見えた。
違う、黒い何かは、太陽を背にしている。
それは、大講堂に落下した。
衝撃。地面が激しく揺れた。
砕け、壊れる音、絶叫。
砂埃が舞う。
周囲の生徒達は、倒れていたり、立ち尽くしていた、誰もが何が起きたかわかっていないようだった。だが、僕は、僕だけは何が起きたのかわかっていた。
僕は、見た。
なにが落ちてきたのか。
そして、この先に待つ悲惨な未来が見えた。
「ウォォォォォオッオオオッオッ!」
赤ん坊の、低い泣き声のようだった。
それは、翼を広げて、雄叫びをあげた。
誰も彼も、それを見上げて固まった。
現実を受け止められなかった。
魔物の中でもトップクラスの力を持つ存在。
青い鱗、両翼、鋭い牙と爪。
爬虫類の瞳。
食物連鎖の頂点に降り立つ怪物。
砂埃を切り裂いて現れたのは、ドラゴン。
奴の口元は、既に血塗れだった。
「逃げるぞッ! カンケル!」
恐怖で引き攣るドクトルの声が聞こえるのに、身体が動かない。まるで全身をギプスで固められているようだった。それとも、鉛を詰め込まれたかのような。
全身の毛穴から汗が噴き出す。
だめだ、ダメだ、駄目だ、動けない。
金縛りだ。涙が出てきた。
ドラゴンの、爬虫類の瞳と目が合う。
奴は大きく口を開ける、喉の奥に渦を巻く炎が見えた。
殺される、直感でそう思った。
次の瞬間、突如現れた人機が、パイルバンカーでドラゴンの顔面を撃ち抜いた。