第2話「開扉─カイヒ─」(プロローグ)
あの男がいなくなってから数日、泥のように眠っていた僕は、体力を付ける為に多くの食事を摂り、運動するようになった。
いつの間にかテーブルに置いてあったダンベルで筋肉を身につけながら、これまたいつの間にか部屋の片隅に出現した本棚に収納されていた歴史書を片手に、久しぶりの歴史の勉強をしていた。歴史の勉強なんて、高校生か、大学生ぶりだと思う。学生時代は興味の欠片もなかったが、異世界の歴史だと思えば勉強も楽しいものだ。
なぜか、日本語でも英語でもない見たことのない言語も読めるので、翻訳に苦労をしなかったのも助かった。
興味を惹かれたものはいくつかある。
まず、魔法という概念。僕の知る世界では眉唾ものの存在が、この世界では当たり前に存在していることがわかった。魔法書というものを読んでみる。詠唱という小っ恥ずかしい物言いが嫌だったので、物は試しと念じてみたら、なんと、魔法が出た。指先から炎が出たときは、人生で2番目くらいの驚きようだった。1番目は胸を銃で撃たれたときだ。
魔法書には、詠唱は必要だと念入りに書かれていた。だが、自分は一言も口にしていないにも関わらず、魔法を発動できた。理由はわからなかった、色んな書物を読んでみても、結局意味がわからなかった。
とりあえず、魔法は置いておこう。
わからないものを、わからないままにしておくのは若干の抵抗があるが、今は魔法よりも気になるものがある。
それは、魔物の存在。
ファンタジーな世界にいるようなゴブリンやオークが当たり前にいるらしい。長い間、人間の前には現れていないが、ドラゴンのような怪物がいるようだ。ドラゴンは全高およそ8メートル。巨体だ。こんなものに襲われたらただでは済まないだろう。僕が知る、猫や犬といった生き物もいるらしく、何故だか少し安心した。身近な生き物が存在しているのはホッとする。それにしても、魔物がいる世界なのに、犬や猫は生きていけるのだろうか。外に出てみたら飼ってみたいものだ。
そして、歴史書の真ん中に記された、兵器。
人型戦闘機、人機、である。
ジンキ、人間の形をしたロボット。
全高はおよそ7メートル、30年の歴史がある戦闘兵器。
ナンセンスだと思った、人型のロボットなど、ただの的ではないか。漫画やアニメならばいざ知らず、現実的に考えて、こんなものを正式採用するだなんて馬鹿げている。まず、足腰がもたないだろう。一歩動いただけで足が損壊する。
驚くべきことに、こんなものに人が乗るのだ。
ドローンのような遠隔操作をするタイプの兵器ではない、冗談だろうと思ったが、どうやら嘘ではないようだ。戦闘記録も事細かく載っていた、どれも信じられないような戦果をあげていた。
武器は、小銃や巨大な杭。
僕の知る銃火器などをそのまま巨大化させたもののようだ。
こんなものを人間に当てたらどうなるか、血の霧になって消え去るだろう。
悪寒が走る。
頭が痛くなったので、少し休む。
水分補給をしていると、目の前に鉄製の扉があった。
「あ、あれ!?」
こんな扉あったか。なかったはず。
ダンベルを武器代わりにして構える。何か変な奴が現れるのではと待っていたが、うんともすんとも変化がない。僕は恐る恐るドアノブを引いた。
小さな部屋があった。
真ん中にはテレビらしきモニタとシート。
こんなものを望んだ記憶はない。
不意に電源が付いた、モニタが光る。
驚いてシートに腰をぶつけた。
すると、何かが足元に落ちてきた、それは文庫本一冊くらいの厚さの本だ、適当にページを捲ってみると、仰天した。これは人機のマニュアルだ。説明書だ。対人機に関係する戦技も細かく記されている。こんなもの、門外不出じゃないのか。次にモニタを見てみる、白い背景に「模擬パターン001」と書かれていた。
「なんなんだ、これ……うわっ」
モニタに視線を移していた隙に、シート付近に物が増えていた。操縦桿、赤、青、緑のボタン。マイク。突然物が増えるの本当にやめてほしい。
「これ、もしかして、あれか。シミュレータか」
運転免許センターや、航空自衛隊が使うシミュレータのようなものか。やはり、こんなものを望んだ記憶はないが、そうだな。
「少し、やってみるか」
人型兵器はナンセンスだが。
興味がないわけではない。
この日から、僕は朝から晩までシミュレータに勤しむことになる。
ハマったわけではない。
ただ必要だと思ったから、励んだだけである。
あの男がいなくなってから、数年が経った。
シミュレータ室が現れてから時計やカレンダーも用意した。
カレンダーは日本と同じ、グレゴリオ暦を採用しているようだ。
つまり、天文学的に地球と酷似している、もしくはそのものだったりするのか。気になるのは、西暦、ではなく、虚神暦、キョシンレキ、と書かれていることだ。
虚な神……不穏な意味合いを感じるが、歴史書には何の説明も載っていなかった。
今年は虚神暦2029年のようだ。
季節は冬、外は雪が降っているだろうか。
窓もないので、様子がわからない。
時計を見る、午後4時。
分解した時計を元に戻すのには苦労した。
その分、勉強にはなった。
動力源がないのに動く時計の不気味さは筆舌に尽くし難いものだ。恐らく魔法で動いているのだ、どんな魔法なのかは皆目見当もつかない。
鏡の前に立つ。身長が伸びた。
150センチ、年齢は14才くらいだ。
西欧系の顔立ち、少なくともアジア系ではない。目は大きく、まつ毛が長い。
女顔だ、不思議な気持ち、前世はガッシリした体型の男だったから違和感が拭えない。髪色は黒、顔と髪色にアンバランスさを感じるが、この世界では普通なのかも。
「髪、切らないとな」
一度も切ってない頭髪は長い、不慣れだが自分で切るしかない。いつの間に手の中に収まっているハサミで丁寧に切っていく。黒髪は落ちて、消える。
この部屋は、掃除をしなくてもいい。
使い終わった皿、衣類なども気が付かないうちに消えて無くなっている。もう慣れた。
ここは、そういう部屋なのだ。
「これでどうだろうか」
少し不恰好な気がする。子供の頃、母親に髪の毛を切ってもらっていた時期がある。
あのときの髪型に比べればマシかと思う。
春。カレンダーによれば3月末。
いつでも部屋を出られるように準備は整えてある、そのときがいつかはわからないが、備えはあってもいいだろう。
リュックサックに、乾パンと水、時計、まるで防災鞄だ。
ある意味正しい、僕は違う世界に遭難しているのだから。できる限り周囲と同化していきたいから、リュックサックが奇異の目で見られたら道中に捨てる予定である。この僕が、普通ではない、とは知られたくない、それを知る手段があるかはわからないが、動物実験に利用されるかもしれないと考えれば、慎重すぎるほうがいい。
二度目の人生でも切り刻まれたくはない。
4月になった、唐突に木製の扉が開いた。
食事中だったので、驚きのあまり口の中のものを全て噴き出した。むせる。
服がシチュー塗れになった。
朝から最悪の気分だ。
外は光り輝いて何も見えない。
眩い光だ、直視できない。
匂いもない、音もない。
人の気配もしない。
「えぇ? マジで? あまりに急すぎるな」
本当に、急すぎる。
もし、このまま部屋に居座り続けたらどうなるのか、そんな考えが頭に浮かんだとき、ドッと全身から汗が噴き出た。心臓が何かに掴まれているような感覚がする。胸が痛い、肺も痛い。邪な考えを振り払うように首を振る。この部屋に居続けたら、何かに殺されるようなヴィジョンが脳裏を過ぎる。まるで無理矢理ホラー映画を見せられているように、頭から惨劇が離れない。
頭痛が酷くなり、うつ伏せに倒れる。
全身の水分が抜けていきそうだ。
呼吸が浅くなり身体が震える。
少しばかり苦しんで、起き上がった頃には身体の異常が無くなっていた。いったいなんだったのか、思い返してみると、この部屋に居座り続けることを考えたときに、苦しみが始まった。
好奇心である。
外に出ることを拒否する、頭の中で、扉から出ない自分をイメージした。するとどうだ、鼻から大量の血が流れてきた。目眩がする、吐き気がした。全身を鞭で打たれたみたいな痛みが身体中に走って、僕は声にならない悲鳴を何十分も叫び続けていた。気が付いた頃には、時計の針が一周していた。僕は確信した、部屋から出ることを拒否、もしくはその想像だけでもしようものなら、地獄の苦しみが襲いかかってくるのだ。
冗談ではない。こんなふざけた話があるか。
理不尽がすぎるだろうあまりにも。
何に殺されるかわからない、謎の疫病にかかったように、訳の分からない痛みにのたうち回って死ぬのか。それとも、扉から化け物でも現れて食い殺されるのか。どっちみちロクな死に方でないのは確かだ。どうしてこんな目に遭うんだ、確かにいつか部屋を出るときが来るとは言っていたが、部屋を出ないと死ぬとは聞いていない。
あの男に対して、怒りが込み上げてくる。
いまごろ僕を嘲笑っているかもしれない。
床を何度か殴りつけた。
用意していたリュックサックを背負った。
不服だが、いますぐにでもここから出た方が良いようだ。準備をゆっくり進めて時間稼ぎをしていたら吐血した。なんだこれは呪いか、僕は呪われているのか、誰に、何の目的で。
思い出に浸る猶予すら与えてくれない。
まぁ、大した思い出などないのだが。
しかし、やや寂しい気持ちはある。
何もかもが用意される部屋、いまにして思えば自由とは程遠い生活だったかもしれない。
刑務所暮らしのようだった。
それが心地良かった気持ちは多少ある。
さて、外に出たとして、どこに行けばいいのか。
光り輝く外の前に立ち止まって考えていると、上から2枚の紙がヒラヒラと落ちてきた。
薄っぺらい紙だ。
僕はこれからのことを考えただけだ。
最後にこの部屋は僕に何を恵んでくれる。
「アストルム学園、入学証……?」
1枚は街の地図らしきもの。
もう1枚は、入学証。
アストルム学園の名前は記憶にある。
人機のパイロット、機士、キシの養成学校。フィーニスという街の郊外に巨大な敷地を持つ。詳しいことはこれだけだ。僕が望んだから、こんなものが現れたのか。あのシミュレータのように、本当に?
誘導されているような気がしてならない。
シミュレータ室だって、僕が望んだかと言えば、ノーだ。この入学証とやらだって、僕は全く頭の中にはなかった。ではなぜ。やはりあの男の思惑が見え隠れする。僕はどうすればいい、何が正解なんだ。
「……どうするかは、外に出て考えればいい」
僕は光の中に進んだ。
望めば手に入る世界は唐突に終わりを告げた。
これからは、自らの手で勝ち取らなければならない。勝ち取る、馬鹿を言うな。
僕は勝つつもりなんて微塵もない。
ただ、平和に生きていければ、それでいい。
前世で出来なかった安穏たる日々、それを享受し、ひとりで死ぬ。そう思っていたのに、入学証を僕は握りしめていた。心と身体の剥離、それに異常さを感じなくなっていた。なぜだろう、僕にはもう、何もわからない。
身体が光に包まれる。全てがどうでもよくなる。失神する寸前のような眠気が襲ってきた。
こうして僕は、光に溶けたのだった。