第13話「流血─チ─」
「さ、さっきはありがとう、私……叫びそうになっちゃって」
女の子は西洋人形のように整った顔立ちを歪ませて、泣きそうになるのを抑えながら喋っている。肩まで切り揃えられた金髪に、少しだが血が付着している、この子の血ではない、もしかしたら間近で惨劇を見たのかもしれない。
「いや、僕の方こそ。急に飛び込んできたら驚きますよね。すいません」
さて、どうするか。女の子と会話しながらも思考は別に、これからのことを考える。
せっかく見つけた生存者を死なせたくはない。
脱出の難易度は増したが、やることは変わっていない。ガスマスク共の目を掻い潜り、脱出。
憲兵か、あるいはアクィラとのコネを使って軍隊を派遣してもらい、奴らを殲滅、逮捕してもらう。
逮捕か、緩いな、こんなことをしでかした奴らは皆殺しでいい。
怒りが伝わってしまったらしい、女の子が僕に怯えているようだった。
僕は出来る限り穏やかに声をかける。
「僕はカンケル。貴女の名前は」
「プエラ」
「プエラ、良い名前です。いいですか、僕達は必ずここから脱出します。その為には貴女の協力が必要不可欠です」
「わたし、何をすれば」
「簡単な話です。音を立てないこと、勝手な行動をしないこと、僕の指示を素直に聞くこと。これを守ってくれるだけでいい。いいですか」
「わ、わかった」
賢い子だ。最悪、反発する可能性もあったが、自分が大変な状況に置かれているという現実を理解できているようだ。
僕達は、この病室に武器になりそうな物を探した。残念ながら何もなかった、当たり前だが、病室に包丁や剣が置いてあるはずがない。鋏だけでもないかと期待したが、そもそもこの部屋に置いてあった物は、根こそぎガスマスク共が持っていってしまったようだった。
「君は他に生存者を見ましたか」
「……逃げるのに必死で見てない」
「そうですか」
ゆっくりと、扉を開ける。
廊下にはほのかに血の臭いがした。
誰もいないようだ。
プエラに手招きをして、廊下を歩く。
心臓の鼓動が速くなる。
階段、異常無し。
スリッパを履いていると音が鳴るので僕とプエラは素足だ。
血で滑らないように気を付ければいい。
プエラは素足になるのを少しばかり嫌がったが、説得したらすんなりと応じてくれた。もしかしたら、年下相手に駄々をこねる恥ずかしさがあったのかもしれない。
一階。階段を降りてすぐに、死体が転がっていた。顔がズタズタに引き裂かれて、血液と一緒に脳漿がそこら一面にぶちまけられている。熊や虎に食い殺されたほうが、まだ上品に死ねるだろうと思えるくらいには悲惨な有り様だった。服装は僕達と同じく病衣だ。プエラはそのあまりのグロテスクな死体を見て吐きそうになっていた。当たり前である、こんなもの、誰だって気分を悪くするだろう。僕は前世で酷い死体を沢山見てきたが、ここまでのは中々お目にかかれなかった。そんなものをわずか15歳くらいの少女が見てしまって、失神しないだけでもマシだと思う。
「吐いたら音が出るでしょう。逆流しても飲み込んでください」
「うっ」
口を抑えながら僕を恨めしそうに見る。
プエラのことはともかく、これから先このような死体が増えてくるだろう、その度に止まっていてはいつまで経っても脱出なんてできない。
厳しいようだが、プエラには我慢してもらうしかないだろう。僕達は死体を跨いで暗闇に進んでいく、血の臭いが強くなる、酷い臭いだ。あと少しで出口だというところで、前方から足音が聞こえてきた。僕はプエラの手を引いて部屋に入る。ここは事務室だ、いくつか並ぶ机の下に潜り込んで、足音が去るのを待った。だが、最悪なことに足音の主は、この事務室に入ってきたのだ。扉を開ける音、足音が恐らくは1人分。相手は長身でガタイがいい。ここもやり過ごすしかない。
足音、呼吸音、足音、呼吸音。
部屋をウロウロと歩き回っているようだが、ここに僕達がいることに気が付いている様子はなかった。さっさと消えろと願う。幸い、豪雨のおかげで多少の音は掻き消される。僕達の呼吸音でバレることはないと思いたい。隣のプエラは息をするのも止めているようだった。やがて、足音が止まった、扉の開く音が聞こえたので安堵した。
そのとき、雷が落ちた。
それで声を上げるようなことはしなかった。
ころり、と僕達の前に丸い何かが転がってくる、それは事務員の頭だった。白目を向いて、口からは力なく舌がダラリと垂れ下がっていた、鼻は抉り取られていて、空洞になっていた。その穴からは大量の血液が、これでもかと溢れていた。それを見て、プエラは思わず「ひっ」と小さな声をあげてしまった。僕は咄嗟に彼女の口を抑えた。
数秒、沈黙が続く。
「アアアアオオオオ!!」
ガスマスクが急に奇声を上げた。
犬の遠吠えのようだった。
僕は机に乗り出して、椅子をガスマスクに投げつけた。真っ直ぐに飛んでいく椅子は、奇声の主の頭に直撃した。そのまま倒れるガスマスクに、僕は追撃を仕掛けた。机の上を走って、ジャンプ。ガスマスクに馬乗りになると、先程投げつけた椅子で何度も頭を殴りつけた。何度も何度も、そのうち水を打ち付けるような音がガスマスクの頭から聞こえてきたところで、僕は血だらけの椅子を投げ捨てた。死んだか? どうでもいい、こんな奴ら全員死ねばいいんだ。
このガスマスクも例に漏れず斧を持っていた、これはいい、僕は斧を掴んで軽く振り回す。それなりに軽い素材で作られているようだ、これなら僕でも使える。駆け寄ってきたプエラの手を取って僕は部屋を出て走った。きっといまの騒動を聞かれているはずだ、出口がすぐなら一気に突破するしかない。短慮な考えか、判断ができない、隠れるにしても逃げるにしても、結局危険なことに変わりないのなら、さっさと脱出したほうがいい、いいのか、駄目だ、頭が回らない。前から1人のガスマスクが走ってきた。僕は足を止めると叫んだ。
「プエラァ! 壁際に寄れぇ!」
彼女から手を離し、僕に振り下ろされた斧を、斧で受け止める。相手の身長は165センチほど、体格が良いわけではない、女か、子供か、どちらにせよ容赦するつもりはない。僕は斧を受け止めたまま身体ごと後ろに下がった、刃に火花が散る。小柄なガスマスクは前に力を入れていたものだから、バランスを崩して前のめりになった。それは隙だ。
斧を横に薙ぎ払う、狙うは顔。
相手は避ける術が無く、顔面の肉と骨が砕ける感触がした、血を撒き散らしながら倒れる。
どたどた、と足音。前と後ろから複数人。
「ひ、ひぃ」
壁際に座り込んで怯えるプエラに構う余裕など、いまの僕にはない。
後ろから攻撃、前からの攻撃、避けて、防御して、カウンターを決めて、突いて、斬って、避けて、防御してを繰り返していく。ガスマスクの人数は6人。廊下はそんなに広くないから、同時に全員が襲いかかってくることはない。獲物を振り回しているのもあって、1人か2人ずつ仕掛けてきている。僕は前と後ろから襲いかかってくる相手に、中国映画のワンシーンのような大立ち回りを演じている。
戦いながら理解した。相手はズブの素人だ。
少なくとも、訓練は受けていない。
これならば、相手が複数人でも問題はない。
1人は胴体を斬り伏せ。
2人目人は顔面を殴り付け。
3人目は両腕を叩き斬り。
4人目は片足を斬り飛ばし。
5人目は腸をばら撒き。
6人目は股間を潰した。
「ぜーはー、ぜーはぁー」
「す、すごい……」
流血に沈む6つのゴミ袋、もとい、ガスマスク連中と僕を交互に見てプエラは呟いた。肺が痛くて返事ができない。
前世ではシリーズ物アクション映画の主人公みたいに戦いっぱなしだった、しかも相手は訓練された軍隊だ、こんな奴ら屁でもない。
とはいえ、体力には限界がある。粒のような汗が皮膚から滲み出ているのがわかる。
所詮は、14歳の身体だ。
前世に比べて鍛え方が足りなすぎるし、そこはもう技術で補うしかない。
「行きましょう、プエラ。出口はすぐそこです」
「わ、わかった。行こう」
プエラの手をとった。出入り口まであと少しだが、見張りがいるだろう、もう一度戦闘になるのは避けられない。出入り口は広いので囲まれたら終わりだ。ガスマスクを廊下まで引きつけて、1人か、2人ずつ相手にするしかない。
プエラにはまた怖い思いをさせるとは思うが、我慢してほしい。
壁際に寄って、出入り口の様子を窺う。
1、2……10人近くがたむろしている。
全員がその手に斧を持っていた。
ここは血の臭いがキツい。
その理由はすぐにわかった。
動物の血抜きをするように、大勢の老若男女が逆さ吊りにされていたのだ、全員が首から大量の血液を流している。床は血だらけだ。ここはまるで屠殺場だった。どう見たってサイコな現場だ。プエラは出来るだけこの地獄を見ないようにしていた。それがいい、こんなものトラウマになるだろう。僕だって気分が悪い。
さて、どうしたものか。
考える、考えろ。上手く引きつけて少数ずつ相手にするのだ、僕が前に出過ぎてもいけないし、長く時間をとるわけにもいかない、後ろからガスマスク共が現れないとも限らないからだ。
たった6人相手にしただけで息を荒くしてしまう自分の貧弱さに腹が立って仕方がない。
全盛期なら、何人と戦おうが息切れなんて起きなかった。それがこのザマだ。
生き残れたら、筋トレしよう。
そう思った。
「準備はいいですか、プエラ」
「うん……あれ、待って」
プエラが僕の手を強く握る。
その手は震えていた。
彼女は窓の外を見ていた、その瞼は大きく開かれていた。僕は、どうしたのかと彼女のように外を見た。酷い雨が降っている、豪雨だ。今日は朝から降りっぱなしだ。暗くて外の様子はわからない。不意に雷が鳴った。
近くに落ちたようだ、地響きが聞こえる。
「は?」
僕は目を疑った。冗談だと思った。
雷光に照らされて映ったもの、それは。
「人機!?」
銃口が、僕達2人に向けられていた。
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