第12話「襲撃─クル─」
結局、レウィスを見つけることも、手掛かりを得ることもできなかった。見つけたのはベッドの下にあった、固まった血液だけである。それが何を意味するのかはわからないが、どこか不吉めいたものを感じていた。
彼は、いったいどこに行ったのだろうか。
病院の出入り口はひとつだけで、夜間であっても警備員が必ず見張っている。
裏口もないし、窓には格子がついているのだから、病院から出てはいないだろうとのことだが、ではどこにいるのかと問えば、看護師も医師も、困惑した表情を見せるばかりだった。
レウィスの上官であるアクィラに連絡を入れたということだが、彼も姿を見てはいないようだった。
夜、7時過ぎ。僕は部屋でラジオを聴きながら、見舞品の飴を口の中で転がしていた。
甘酸っぱい味が口内に広がる。
「レウィスさん、どこに行ったんだ」
彼は突然どこかに消えるような人間ではない。
どちらかと言えば騒々しい人で、目立つ。
そんな彼が、跡形もなく消える、馬鹿な。
それではまるで神隠しではないか。
まさか妖怪に攫われたとでも。
それこそ、馬鹿な話ではないか。
ならば、人間による誘拐か。
「いや、どうだろうか」
誘拐された可能性は、僕には考えられない。
彼を攫う必要がどこにある。
そもそも機士は軍人だ、軍人を攫うような馬鹿がいったいどこにいるというんだ。
どちらかといえば、誘拐の被害に遭いそうなのは僕の方だ。
少し薄寒い想像をしてゾッとする。
次は僕がいなくなるなんて、あるのか。
サスペンス小説だと一人ずついなくなったりするのだ、攫われた人達は口封じに殺される。
この世界は現実だ、小説じゃない。
サスペンス小説のような出来事は起こらない、と信じたい。
ときおり遠くで雷が鳴っている。
今日は朝から豪雨だ。普段からよく見る見舞客も、今日は誰も見なかった。
ずいぶんと寂しい1日だった。
「少し早いけど寝るか」
あと数日で退院だ。余計なことを考えて入院期間が増えるようなヘマはしたくない。
僕は嫌なことを忘れる為、さっさと寝ようと明かりのスイッチに伸ばした。
電気が消えた。
「は?」
電気が消えた、それはいい。
問題は、僕が電源を消す前に明かりが消えたことだ。いや、この部屋だけではない、廊下の明かりも消えているようだった。
薄気味悪さに空間を支配されたような居心地の悪さを感じる。いつの間にかラジオの放送が止まっていた、いや、これも明かりと同じく電源が落ちている。
雷のせいで電気が消えたのならわかるが、ラジオも止まるものなのか。
「ぎゃあぁぁっ!」
「なっ?!」
不意に、叫び声が聞こえた。
男か女かもわからない声だった。
地獄からの呼び声みたいだった。
心臓も身体も跳ねる。
なにごとだ。
バクバクと、鼓動が速くなる。
廊下に続く扉を開く、誰もいない。
僕は、自分が幽霊にでもなったつもりで、足音ひとつ立てることなく叫び声の主を探して歩く。
誰にも会うことなく、食堂についた。
この時間ならまだ患者が食事をしているはずだが、なぜだかシンと静まりかえって、雨の音しか聞こえない。
「看護師さん?」
部屋の中心、誰かが座っていた。その正体は後ろ姿からでも誰かわかった。
普段から世話になっている看護師だ。
声をかけてもピクリともしない、眠っているのか、肩にそっと手を乗せて、身体を軽く揺さぶってみた。
首が落ちた。
「うっ」
叫びそうになって、口を両手で抑えた。
ころりと、足元に転がる首。
生気を失った瞳が僕を見上げている。
なにがあった、なにがあった、なにがあった。
混乱する頭を制御できない。
頭を失った身体、首の断面から、コップの中身をこぼしたように血が溢れて止まらない。
思わず、後ずさる、と。
ドン、と背中に何かがぶつかった。
何か、なにかだ、僕の後ろになにがあった。
何もない。暗い廊下が続いているだけだ。
そのはずだ。
じゃあ、僕がぶつかったものはなんだ。
じわり、と嫌な汗が額に滲む。
口を塞いだ両手の隙間から息が漏れる。
息の音が聞こえる。
これは、僕の息じゃない。
僕から漏れた音ではない。
肩に手が置かれた、怖気が走る。
まずい、まずい、この状況はまずい。
殺される。
「助けて」
予想外の言葉が聞こえて、思わず振り向いた。
見覚えのある顔がそこにはあった。
レウィスだ。ただ、何か違和感があった。
それに気が付いたとき、戦慄した。
彼の頭に、斧が突き刺さっていた。
「うわぁああッ!」
さすがに、声が出た。
レウィスは、そのまま倒れて、もう動かなくなった。じわりと血が床に広がる。
「なんなんだよ、マジで!……まじ、で」
鉄の臭いが充満する。胃液が込み上げる。
悪態のひとつもつきたい気分になった。
だが、遠くに見えるそれらが、僕を黙らせた。
廊下の奥、暗闇に佇む、黒いコート、ガスマスク姿の人間らしきものが数十人、全てが僕に眼差しを向けていた。
彼らの手には、斧が握られている。
レウィスの頭に刺さっているものと、同じ。
「お、お前ら、いったい、なにを」
「アアアアアアーッ!!」
奇声。絶叫。
ガスマスクの集団から発せられる異音の数々。
彼らは何かを叫びながら、一直線に僕へと駆け出した。よく見ると、後方にいるガスマスク達は、患者や、医師の首を抱えていた。
「うわぁぁあっ、ふざけんなクソッ!」
こんな狂気の集団を見せられて、平気なわけがない。恐怖で叫んだが、彼らの絶叫に掻き消された。僕は右手を銃の形にすると、照準を先頭のガスマスクに向ける。そして、無詠唱魔法、火球を放とうとした、が、魔法が出ない。指先から魔力が四散するのを感じる。僕は咄嗟に近くの椅子を投げ付けた、椅子が命中した先頭のガスマスクは転倒。それに巻き込まれて何人も倒れる。僕はその隙に反転、椅子や机を薙ぎ倒しながら走った。
後ろから狂人どもの叫び声がする。
なんなんだアイツらは。
それに。
「なんで魔法が撃てない!」
魔力が枯渇しているわけではない。
まるで、何かに妨害されている感覚。
魔力そのものを振り払われている違和感。
とにかく、本格的に危機的状況であることがわかった。魔法が扱えないのなら、いまの自分はただの子供でしかない。体術だって、体格差がありすぎて通用しないだろう。つまり、逃げるしかないのだ。せめて武器があれば話は別だ、どんなにか弱くても凶器さえあればなんとかなる。逃げながら探すか、いや、そんな余裕はない。
走って、走り続けて。
曲がり角の近くにあった部屋に入って、息を殺した。
廊下を走る音が聞こえる。何人いるかわからないが、10人以上はいたはずだ。
いったい何者なんだ
人間であることは間違いない。
なぜ病院を襲う、理由は。
殺戮を行う狂人の思考を読み取ろうとするが、あんなものの考えなんて理解できるわけない。
僕は確かに前世で非道を働いた人間だが、狂人のつもりはない。奇声をあげて人を襲うような真似はしたことがない。
街の外なら残忍な野盗か傭兵崩れが遊びで人間を殺すことはあるだろうが、ここは王都フィーニスにある病院だ。そんなイカれた集団が襲いにかかってくるわけがないと考えた。尚のこと、奴らの正体がわからない。
「とにかく、脱出しなければ」
奴らに捕まって悲惨な末路を迎えるつもりはない。廊下に耳を澄ます、音は聞こえない、人の気配も感じられなかった。ゆっくりと横開きのドアを開ける。暗い廊下が広がっているだけだ。ふと違和感を覚えて、目線を下にする。血の足跡が大量に残されていた。お世話になった看護師や医師、レウィスの顔が脳裏に過ぎる。
「……すまない」
仇討ちはできそうにない。
孤立無援の状況で、ろくに戦えない僕ひとりだけで、あの集団とは戦えない。
出来れば、生存者がいれば助けてやりたいが、人が増えれば嫌でも目立つというものだ。
目立てばその分、危険も増える。
「だからといって、見捨てられないだろ」
お人好しの馬鹿野郎め、と毒付く。
廊下に出る。未だに豪雨が続いていた。
雷が鳴り響く。
「まるでホラーゲームだ、くそ」
ファンタジーな世界に転生したんじゃなかったのか、ホラーゲームの住人になったつもりは断じてない。腰を落として、音も気配も殺して歩く。
目的地は出入り口だ。見張りがいるはずなので数を把握しておきたい。現在地から出入り口までそう遠くないはずだ。この病院は三階建てで、僕がいまいる場所は二階。少し歩けば辿り着ける。
滑って音をたてないよう血で濡れた場所を避けて進む。
一階に続く階段を見つけたところで、近くの部屋から物音が聞こえてきた。それに遅れて廊下の奥と背後から複数の足音が聞こえた。
タイミングが悪すぎる。
こんな場所で複数人に囲まれたら逃げられない。少し悩んだが、覚悟を決めて扉を開けすぐさま部屋に入った、後ろ手に扉を閉めながら室内を確認する。僕の部屋と変わらない個室だった。誰の姿も見えない、ではあの物音はなんだったのだろう。汗が病衣に染みついて気持ち悪い、衣服を脱ぎ去りたい衝動に駆られる。足音が近付く、そのまま部屋の前で止まった。まずい。
ここに入るつもりか。見渡しても隠れられそうなところはひとつしかない。
音をたてないように小走りして、ベッドの下にスライディングした。姿が隠れると同時にガスマスクの集団が部屋に入ってきた。そこで僕は別の驚きに遭遇した。既にベッドの下には誰かがいたのだ。お互いが悲鳴をあげそうになって、僕は自分ともうひとりの口を抑えた。賢い人のようで、僕が狂人の仲間ではないとすぐに気が付いたらしく、素直に黙ってくれた。良かった、パニックにならなくて。
息を殺して、ガスマスク共がいなくなるのを待つ。数分ほど、奴らは部屋を物色してから出て行った。遠ざかる足音、僕達は念のため、もう数分隠れたままで過ごした。5分、10分と待ってから、辺りを伺いながらベッドから這い出る。
「いいよ、出てきて」
まだ近くにいる可能性がある為、声は小さい。
ベッドの下から躊躇しながら出てきたのは、僕よりひとつか、ふたつ上の女の子だった。
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