動物園に四人で行ったら驟雨にあった
突き刺さるような陽ざしの中、僕は時の流れを無視しているかのようにずっとキリンを見ていた。何が面白いのかわからないままではあるのだが、手前と奥を行ったり来たりしている様子を見ているだけでも面白いような気がしていた。
この町にある動物園は小さな山の麓の開けた場所にあるのだが、近くにはキャンプ場があったりと自然を生かした作りになっている。その分、虫なんかも多いわけなのだが、自然を楽しみに来ている手前、そんな事を気にするのは野暮というものなのかもしれない。
陽香と真弓と伊吹ちゃんの四人で動物園に来たわけだが、路線バスの揺れが良くなかったのか、この陽ざしが悪いのかわからないが、陽香と真弓が体調を崩して冷房の効いた休憩室で横になっているのだ。
僕と伊吹ちゃんの二人で園内を見て回ることにしたのだけれど、せっかちな伊吹ちゃんは僕がキリンを見ている間に全部の動物を見てきたらしい。そんなに駆け足で見て楽しいものなのかと思っていたのだけれど、きっと伊吹ちゃんも僕がずっとキリンを見ているだけで楽しいのかと思っているに違いない。
「先輩って、キリンがそんなに好きなんですか?」
「いや、そこまで好きじゃないかもしれない」
「え、好きじゃないのにずっと見てるんですか?」
「まあ、好きじゃなくても動物はずっと見てられるよね。伊吹ちゃんはもう全部見てきたの?」
「はい、一通り見てきましたよ。ほとんどの動物が日陰で寝てたんですけど、夏の動物園ってこんな感じなんですかね?」
「そうかもしれないね。でも、そんなに急いでみて楽しいの?」
「いや、別に楽しくないですよ。真弓ちゃんが元気になったら一緒にゆっくり見ようかなって思ってるんですけど、真弓ちゃんが元気になるのかわからないんですよね」
「体調が悪いのばかりは仕方ないよね。ちょっと様子を見に行ってみようか?」
「そうですね。って、見てください。あのキリンさんがの舌って紫色ですよ。アレは病気なんですか?」
「病気ではないと思うよ。でも、キリンの舌ってあんな色なのかもね」
「じゃあ、私の舌って紫色になってますかね?」
伊吹ちゃんは僕に向かって舌を出してきたのだが、その表情はなんだか僕を見下しているようにも見えた。ちょっと意地悪してみようかと思ったけど、中学生相手にそんな大人気ない事はしない方がいいと僕は考えた。
「伊吹ちゃんの舌は綺麗な色をしているよ。ちょっと美味しそうに見えるかもね」
「うわ、それはマジで気持ち悪いです。なんか、先輩って私にだけあたりが強くないですか?」
「そんな事ないと思うよ。もしそうだとしても、それは伊吹ちゃんが僕に強く当たってきてるからじゃないかな」
「僕はそんな事ないと思うんですけどね。それよりも、先輩が僕に対して女の子扱いしてくれない方が心外ですけどね」
「女の子扱いならしてると思うけどな。さっきだってさ、ドリンクのカップを女児向けアニメのやつにしてあげたでしょ。それを見て伊吹ちゃんは喜んでたじゃない」
「まあ、あれは嬉しかったですけど。そういうのじゃなくて、もっとレディ扱いしてくださいよ。僕って立派な女の子なんですからね」
「そうは言うけどさ、立派な女の子は動物園を走って一周して動物を流し見なんてしないと思うんだけど。もっと立ち止まってゆっくり見るもんなんじゃないのかな」
「そんな事はどうでもいいんですよ。でも、さっきの先輩の発言は僕に対するセクハラだと思うんですけど。それについてはどう責任を取ってくれるんですか?」
「別にどうもしないけど。何かして欲しいことがあるの?」
「べ、別に先輩にして欲しいことなんて、無いですけど。無いですよ」
「ないなら何もしなくてもいいよね。だからと言って、あるからってなんでもするわけじゃないけどさ」
「何でもするんじゃないんだったら、僕は何も言わないですからね。先輩が自分で考えて行動してくれるのを期待してますからね」
そんな話をしていると、なんだか肌寒くなってきていた。先ほどまで明るかった空も、今は鈍い色をした雲が覆いかけているようで、今にも一雨来そうな予感がしていた。
予報では一日中雨は降らないとなっていたのだけれど、あの様子では予報通りにはいかないように思えていた。
「なんか雨が降りそうな雲ですね。ここにいたら濡れちゃいそうですし、真弓ちゃんたちがいる休憩室に行ってみましょうよ。じゃあ、ここから競争ですからね。よーい、ドン」
「あ、ズルい。卑怯だよ」
僕の言葉を無視するように伊吹ちゃんは走って行ったのだが、その姿はもうだいぶ小さくなってしまっていた。競争とは言われたけど、負けた方に罰ゲームがあるわけでもないので僕は焦らずにゆっくり確実に休憩室に向かうことにした。
実は、陽香と真弓がいる休憩室は今いる場所からすぐ近くにあるのだ。伊吹ちゃんは現在地がどこなのか把握していないようで、走って行ったのもそれが関係しているのかもしれない。おそらくなのだが、入り口側のスロープを使って休憩室に入っていった道しか伊吹ちゃんは知らないのだと思う。僕が今ゆっくり上っている階段を使えばあっという間に休憩所のある区画に出るのだが、僕は伊吹ちゃんがその区画にたどり着く前に休憩所に入ることが出来てしまった。
「あ、お兄ちゃん。真弓は少し体調が良くなったよ。今はお姉ちゃんにお水を買いに行ってもらってるんだけど、伊吹ちゃんは一緒じゃなかったの?」
「真弓の体調が良くなってきたのなら良かった。買い出しに行ってるって事は、陽香はもう良くなってるって事かな。そうそう、伊吹ちゃんなんだけど、さっきまで一緒にキリンを見てて、雨が降りそうだからいったん真弓たちの様子を見に行こうって事になって、どっちが先にたどり着くかって勝負をしてたんだよ」
「へえ、お兄ちゃんが先にたどり着くなんて意外だな。絶対に走ったら伊吹ちゃんには勝てないと思うんだけど、どういうズルをしたの?」
「ズルなんてしてないよ。そこの窓から見えると思うんだけど、僕たちがいたキリンの場所からは階段を使えばすぐにここに来れるんだよ。たぶんだけど、伊吹ちゃんは入口のほうまで行ってスロープになってるところを走ってるんじゃないかな。でも、今はすれ違う人もたくさんいるだろうし、走れなくてイライラしているのかもね」
「ああ、あのキリンの所から入口まで戻るのも大変そうだけど、なんでそんな遠くまで行っちゃったんだろうね?」
「さあ、道が一つしかないと思ったんじゃないかな?」
僕たちは窓を叩く音に驚いて外を見たのだが、いつの間にか大粒の雨が休憩所の窓を激しく叩いていた。これだけ大粒の雨が降るという事は、おそらくにわか雨だと思うのだが外にいる伊吹ちゃんが大丈夫か心配になっていた。
「もう、下着まで濡れちゃったよ。はい、真弓の分の水だよ。って、なんで昌晃がここにいるのよ?」
「なんでって、雨が降りそうだったのと、陽香と真弓が体調良くなってるか心配になってきただけだよ」
「そうなんだ。心配してくれてたんだね。でも、強い雨に当たっちゃったから体調悪くなっちゃうかも。あんまりこっち向かないでもらってもいいかな」
「あ、ごめん」
僕は陽香の言葉を聞き終える前に背中を向けたのだが、それには理由がある。陽香は濃い目の色のシャツを着ているので下着こそ透けて見えてはいないのだが、その形はくっきりと見えていたのだ。僕に特別な才能があればソレをもとに色々と妄想してしまうと思うのだが、あいにく僕にはそのような能力は備わっていないのである。
僕は暖房近くの場所から離れて入口近くに立っているのだけれど、見事に僕たち以外は誰もいなくなっていたのだ。他の休憩所や屋根のある場所に避難しているとは思うのだけれど、この休憩所にやってくる人は誰もいなかった。動物や乗物から少し離れていることもあるのだろうが、雨の中をわざわざ坂道を上ることを選ぶ人なんていないだろうと考えるのだった。
あれ、これだけ待ってるのに全然伊吹ちゃんがやってこないのはおかしいのではないだろうか。もしかしたら、他の場所で雨が止むのを待っているのかもしれないのだけれど、それだとしたら連絡の一つでもあるように思えた。真弓が誰かとやり取りをしている様子もないし、僕はもう少しここで様子をうかがう事にしよう。
その時、激しい雨によって霞んで見える道の影から誰かが歩いている姿を見ることが出来た。先ほどまで僕と一緒にキリンを見ていた伊吹ちゃんだとは思うのだけれど、完全に伊吹ちゃんだとは言い切れないくらい姿をハッキリと認識することが出来ないのだ。それくらいに強い雨が地面を叩いているのだ。
僕は休憩室に置いてあるタオルを何枚か持ってくると、入り口を開けて入ってきた伊吹ちゃんに渡した。伊吹ちゃんはその中の一枚を僕に返すと、そのまま頭を僕の方に向けて無言で唇を尖らせたままうつむいていた。
受け取ったタオルで頭を優しく拭いてあげると、伊吹ちゃんは急に泣き出してしまった。
「先輩がいつまでたってもやってこないんで、雨でどこかに流されちゃったかと思ってました。無事で良かったです」
「いや、伊吹ちゃんが無事じゃないよね。でも、僕の事を心配してくれてありがとうね」
僕はそのまま頭を拭いてあげつつ、陽香と真弓には聞こえなく来の音量で、伊吹ちゃんに「可愛いね」とだけ言ってみた。
伊吹ちゃんは耳を真っ赤にしながらも顔を拭いていたのだけれど、いつまでたってもタオルが顔から離れることは無かったのだった。




