陽香が僕の部屋に遊びに来る
僕は真弓の持ってきたドライヤーで髪を乾かしていた。その様子をじっと見つめる真弓はこの春から中学生になるというのに小さな子供のようにも見えていた。そこまで遅い時間ではなかったが真弓はソファの上で横になって少し眠そうにしていた。そんなところも小さな子供に見えてしまう理由の一つだろう。完全に髪が渇いたので僕はドライヤーを脱衣所に戻しに行こうかと思ったのだが、今のタイミングで戻しに行ってしまうとお風呂上がりの陽香とバッタリ会ってしまう可能性が高いような気がしていた。だからと言ってドライヤーを戻さないわけにはいかないし、かと言って眠そうな真弓に頼むわけにはいかないのでどうしたらいいものかと悩んでしまっていたのだった。
「あ、お兄ちゃんがドライヤーを使い終わったんだったら真弓が戻してきてあげるよ。陽香お姉ちゃんもそろそろ出てくると思うから戻しとかないとね」
真弓は少し眠そうにしているけれど僕からドライヤーを受け取るとそのままリビングを出て脱衣所にドライヤーを戻しに行ったのだった。僕は飲みかけのジュースを口に含んだのだが、氷が解けていていつもよりも薄くて水っぽい味がしていた。それはそれで美味しいのだけれど、もう少しだけしっかりした味が残っている方が僕好みではあった。
「なんかさ、もうずっと一緒の兄妹だったみたいに仲良くなってるよね。真弓は陽香と違って人見知りしないと思ってたんだけどさ、それにしても仲良くなるのが早いね。いや、別に悪いって言ってるわけじゃなくて、私としても嬉しいんだよ。でもね、今みたいに一緒に遊んでいる時間が少なくなっちゃったら真弓はどう思うのかなって思っただけなんだよね」
「まあ、学校が始まればお互いに忙しくなると思うけど、それなりに時間を作って今みたいにゲームしたりするんじゃないですかね。それに、陽香の話では高校も中学も勉強でやってる範囲はそんなに変わらないって事だし、試験勉強とかも一緒にやればいいんじゃないですかね?」
「それなんだよね。問題はさ。そうなると大学生の私だけ仲間外れになっちゃうんだよね。高校生の昌晃君と陽香は当然同じ範囲を勉強をすると思うんだけど、中学生の真弓も同じような範囲で勉強するって事でしょ。それって、私だけみんなと違うことしてるってことになるじゃない」
「それは仕方ないことなんじゃないですかね。沙緒莉姉さんは大学生なんだから当然高校までとは違うような事を学ぶわけですし、僕たちと同じような勉強をしたって意味が無いんじゃないですかね」
「でもさ、試験勉強が始まったら私が色々と教えてあげることも出来ると思うんだよね。私もこの前まで高校生だったわけだし、わからないことがあったら聞いていいからね」
「はい、その時は頼りにしてますよ。でも、僕だけじゃなくて陽香と真弓も一緒にですけどね」
「それでもいいけど、昌晃君だけが理解出来ないこともあるかもしれないし、その時は特別に教えてあげるからね」
「その時はリビングでお願いしますね」
僕は別に沙緒莉姉さんの事が嫌いなわけではない。ただ、二人だけになると沙緒莉姉さんが身に付けている下着を見せつけて僕の反応を楽しんでいることがあるのでソレが嫌なだけなのだ。僕も健全な男子なので女性の下着姿を見ることが出来るのは嬉しいのだけれど、それが一緒に暮らしているいとこのお姉さんであるという事は何かダメな事をしているとしか思えなくて、嬉しい以外の感情が僕の中で色々と生まれてしまっているのだ。
陽香も真弓も下着が少し見えているという事はあるのだけれど、沙緒莉姉さんの場合は見えてしまっているという次元ではなく、確実に見せにきているという事もあるのだ。なぜか僕の目の前でだけシャツをめくったりズボンを下ろしていたり、そもそも下着以外は身に付けていないという事が多いのだ。さっきもジュースを取りに行った時にコップを持って行くのを手伝ってくれるのかと思っていたら、他の人に見えないように僕にだけ服とズボンをまくって下着を見せてきたりもしていたのだ。何故か、その事に僕以外の誰も気が付いていないようなのだが、もしかしたら知っているのに知らないふりをしているだけなのかもしれない。そう感じることも少しはあったりした。
「今日はちょっと眠くなってきたから先に寝るね。沙緒莉お姉ちゃんと昌兄ちゃんおやすみなさい。おじさんとおばさんもおやすみなさい」
考え事をしていた時にリビングの入口に立っていた真弓がそう言い残すと、ゆっくりと階段を上って自分の部屋へと戻っていたようだ。さっきまでは楽しそうにゲームをしていたのだけれど、ゲームが終わった途端に昨日からの疲労が出てきたのか、少し元気が無さそうにも見えていた。そんな事もあって今日は昨日よりも早い時間に眠くなってしまったのかもしれない。それに、遅い時間と言ってもまだ中学生になっていない真弓にとっては結構遅い時間に感じているのだろうか。僕が小学生の時のことを思い返してみると、今くらいの時間にはもう寝ていたような気もしていた。
僕の父さんと母さんはドラマを見ているのだけれど、僕はそのドラマをちゃんと見たことが無かったので話の流れは全くわからなかった。沙緒莉姉さんはそのドラマを食い入るように見ているので見たことがあるのかもしれない。むしろ、集中している姿を見るとこのドラマが好きという可能性が高いのではないだろうか。
「私さ、このドラマを毎週見てるんだよね。今日がその放送日だってすっかり忘れてたんだけど、それって、ここにいるのがドラマを見てるよりも楽しいって思ってたからなのかもね。陽香もこのドラマが好きなんで慌ててお風呂に入っていったのかと思ってたんだけど、結局放送が始まるまでに戻ってくることは無かったな。でも、今は見逃してもネットで見れるから大丈夫と言えば大丈夫なんだけどね」
「そんなにこのドラマって面白いの?」
「面白いよ。ずっと続いているシリーズなんだけど、気が付いたら一時間たっているって感じだしね。時々やってる再放送を見ても楽しめるよ。それに、出てくる人を何人か覚えておけば大体の人間関係も理解出来ると思うし、あんまり複雑に考えなくても大丈夫かもね」
「へえ、僕はあんまりドラマとか興味無かったんだけど、今度見てみようかな。でも、今日は部屋に戻って漫画の続きでも読むことにしようかな。じゃあ、みんなおやすみなさい」
「あ、私も一緒に行きたいけどドラマの続きが気になっちゃう。またあとでね」
「またあとでって、僕はきっと寝てますよ」
「それならそれでいいんだけどね」
僕はそのままリビングを出て階段を上ろうとした。その時、ちょうどお風呂から出てきた陽香が僕を呼び止めたのだ。
「ねえ、昌晃はもう寝るの?」
「いや、みんながドラマに夢中だから部屋に戻って漫画を読もうかと思ってるとこだよ」
「そっか、じゃあさ、私も後で漫画を読みに行ってもいいかな?」
「良いけど、あんまり遅い時間だったら寝てるかもしれないよ」
「それなら大丈夫。お姉ちゃんにお風呂空いたよって教えたら行くからさ。何か飲み物でも持っていく?」
「いや、僕はいいかな。陽香はお風呂上りなんだし何か飲みたいものあったら持ってきていいよ。お菓子とかもあったら持ってきていいからね」
「うーん、この時間に食べるお菓子は美味しいけど、太りそうだからやめとくよ。じゃあ、後で行くね」
僕は階段をゆっくりと上っていった。何となく寝ている真弓に気を遣っての行動ではあるのだけれど、走ったりしない限りは振動も音も真弓には伝わらないだろうとは思う。実際に僕も部屋にいてノックの音がするまで誰かが部屋の前に立っているという事に気が付かなかったりもするのだ。ただ、聞こえる聞こえないという問題ではなく、寝ている真弓に対して気を遣っているというだけの話なのだ。
僕は自分の部屋に入って枕元に置いてある漫画を手に取ると、そのまま床に腰を下ろして漫画の続きを読み始めた。普段であればベッドに寝転んで漫画を読むのだけれど、これから陽香も来るというのでそう言うわけにはいかないだろう。ベッドの上で寝転がりながら待つというのも行儀が良くないように思えるからだ。
僕が漫画を読み始めてからどれくらい経ったのだろう。すでに二冊ほど読み終えて履いたのだけれど、一向に陽香がやってくる気配はなかった。もしかしたら、みんなと一緒にドラマに夢中になっているのかなと思っていたのだけれど、それならそれで陽香が楽しめていそうでいいのではないかとも思っていた。別に陽香が僕の部屋に来ることを期待しているわけではないのだけれど、来ると言っていて来ないというのは少し寂しい気もしていたりしていた。
次は何を読もうかなと思いながら漫画を本棚に戻していると、ドアをノックする音が聞こえてきた。寝ている人を起こさないようにしつつも、起きている人には聞こえるような控えめなノックだった。
「はい、どうぞ」
僕がドアを開けると、そこにはお盆をもった陽香が立っていた。陽香から感じるシャンプーの匂いとは別に甘い匂いがしていた。何を持っているんだろうと思ってお盆を見てみると、そこにはティーカップセットが二組とティーポットとお皿の上にクッキーが並べられていた。
「ありがとう。じゃあ、お邪魔します」
「あ、それ持とうか?」
「大丈夫。結構危ういバランスだからこのままテーブルに置かせてもらってもいいかな」
「うん、ドア押さえとくんでどうぞ」
陽香はいつも以上にゆっくりとした動きでテーブルの上にお盆を置いていた。もしかしたら、さっきのノックも気を遣ったのではなくお盆が重かったから力を入れられなかっただけではないだろうか。だが、陽香はそのお盆を持っていなくても同じようなノックをしていたとは思う。彼女は人に迷惑をかけないように気を遣っている節が多々見られるのだ。ただ、僕にはそれ以外の面を見せてくれることもあるのだけれど、それは僕に気を許しているという証なのかもしれない。ゆっくりとした動きで紅茶を淹れる陽香の姿に見とれていたのだけれど、僕はあまり紅茶を飲んだことが無かったし、ましてや陽香の淹れているような本格的な紅茶は飲んだことは無かったのだ。
ただ、陽香の入れてくれた紅茶はいい匂いだと感じていた。




