四列強の現状 1970年代2
四列強の現状 1970年代2
EATO諸国は経済成長に入っていたかというと、微妙なラインであった。
確実に経済成長していたのは、満州共和国である。
満州は豊富な地下資源を持ち、石油や鉄鋼、石炭などの鉱物資源、小麦を中心とする農作物を日本に輸出していた。
また、1950年代後半になると、満州に、製鉄所や石油の精製所が作られ、農作物の加工品を生産する工場などが、次々できた。
満州は対ロシア(ナチスドイツ)最前線であり、陸軍と空軍に予算をかなり取られていたが、それでも、公共開発によって、かなりの経済成長が行われていた。
1960年代後半には軽工業が一気に発達した。
日本の帝人を含むアメリカの洋服産業などが、満州の首都、新京に進出し、満州の経済発展は進んでいった。
1970年代になると、満州では自動車の生産施設が作られた。
日本国内の不動産(土地価格)の上昇によって、日産やスバル、マツダなどの企業が満州に新しい工場を作るようにしたからだ。
また、米独冷戦と併せて極東でもロシアと日満がにらみ合う、極東冷戦も起こっていたため、満州陸軍は40万人を誇っていた。
海軍2万人、空軍10万人と比べるとかなり多い。
満露国境には国境警備隊が多数配備されていた。
満州陸軍の兵器は1960年代半ばまでは、日本製の三菱重工が作っていた、戦車や、装甲車を使っていたが、島国日本にとって陸軍はあまり重要ではなくなっていたため、生産に乗り気ではなくなっていたし、あまりスペックも良くなかった。
結果として、満州が戦車を含む陸軍系の軍事兵器の開発を担うことになり、世界市場で評価されていくことになる。
ちなみに、海はほぼ部隊はなく、警備部隊ぐらい、空は日本製戦闘機を使っていた。
他のEATO諸国はまぁまぁであった。
ボルネオ、ブルネイは満州と同じく、石油によってかなり儲けていて、経済が発展していた。
マレーは英国と、日本双方から影響を受けて、発展していたし、シンガポールは、国際金融都市として成長していた。
タイはまぁまぁ、ベトナムはもう少し軌道に乗れば、発展が始まりそうであった。
ラオス、カンボジア、フィリピン、朝鮮はその欠片も見えておらず、もう少し時を待たねばならなかった。
国家社会主義連盟は、国家社会主義で必ずぶち当たる、経済成長の壁に直面していた。
軍事費を削減して、経済に振り分ければもう少し、良くなるのだが、米独冷戦なので、そんなことも難しかった。
ドイツはまだ、工業国なのでなんとか経済成長を保っていたが、東欧諸国や中央アジア諸国は、経済が鈍化し、それによって、さらに経済が悪くなるというジレンマに陥っていた。
ロシアは豊富な地下資源によってドイツを超える経済成長を記録していたが、国家社会主義の悪い点である、軍部独裁政権が続いていた。
それは、ドイツのナチス(力は弱まっていた。)よりもひどいものであり、シベリアにはたくさんの人が送られ、強制労働させられていた。
当然、ロシア人の中には反対派も多くいて、彼らは国外に逃れたり、レジスタンスを結成していた。
まさか、軍部独裁がスターリンの独裁よりもひどいことになるなんて誰も思っていなかったが。
まぁ国家社会主義はこのぐらいであり、あとの国は小さい物であった。
強いて、トルコぐらいであろうか。
1970年代に怪しくなったのはスペイン連合である。
国内の統制が取れなくなり始めていたフランコ将軍が死んでから国内が怪しくなっていたのだ。
彼から遠かった軍人などが固まっていたし、王権復活派、連邦派、共和国派などだ。
スペインの主要産業は、スペイン連合の工業国であり、重工業や、地中海沿岸で取れる、作物の輸出、畜産、観光であった。
しかし、スペインの重工業はアルゼンチンに一部を取られつつあったし、なんなら連合内の不和も問題になっていた。
さらには、スペイン本土の混乱によって、南米はチリ、ブラジル以外のほぼすべての国にドイツの影響が出始めていた。
スペインは1980年代に入る頃から茨の道を進んでいくことになる。
この先は、中東、ヨーロッパ、南米と続きます。
スペインとイギリスは厳しいときが来るかも。
日本をお待ちの皆様、もう少しお待ちください。
戦争ですよ、危機じゃありません。