危機の終焉と再び中東戦争
危機の終焉と再び中東戦争
1972年3月8日 午前0時
ホワイトハウスと、ドイツ総統府の交渉は妥協点を見つけ、合意にいたった。
既に会敵まで三時間半程度になり、両軍含めた世界は核戦争を始める用意ができている。
そんななか、外交官達の努力は世界を救ったのだ。
ドイツ時間の午前7時にドイツ総統府では世界のマスコミ向けに記者会見が開かれることになった。
世界の報道関係者は、世界最終戦争が起こるか否かここ24時間ほどずっと報道し続けており、世界中の(テレビを持ってる)人々はこの会見に注目していた。
そして、会見場でナチスドイツ第4代総統シュナイダーが演説した。
「私達、人類は今夜、核戦争の危機を迎えました。
世界最終戦争の目前まで迫ってしまったのです。
人類とは愚かな物で、自らの思い道理に行かないと、災いを呼ぶような物をしてしまうのです。
しかし、私達ドイツ政府とアメリカ政府は戦争ではなく交渉によって分かりあえることができたのです。
ドイツは、キューバに向かっていた核運搬船をドイツ本国に撤収させることを決定しました。
ニクソン大統領も、私達に歩み寄ってくれました。欧州大陸に配備している短距離核ミサイルを撤収することに合意してくれました。
もちろん、キューバほ非核化し、海上封鎖は解除されます。
私達は、人類の危機を回避し、新たな未来を作れるのです。」
アメリカ政府とドイツ政府は交渉に合意した。
アメリカ政府はキューバの非核化と、キューバの短距離ミサイルの撤去、ドイツのカリブ海への浸透をしないという確約を得た。
ドイツ政府はアメリカ政府から欧州大陸に配備されている短距離核ミサイルの撤収を認めさせた。
ある意味、妥当な妥協点であった。
世界中の人々はこの結末に歓喜した。
世界最終戦争は起こらなかったのだ。
世界各国の警戒レベルは下げられ、平時の状態に戻った。
そして、世界の核保有国はホットラインを整備して、今後このようなことがないように連絡を取り合えるようにした。
世界から戦争の危機は去った。
そう世界は思った。
しかし、人類は欲深く、愚かな生き物である。
戦争は終わっても再び起こるのである。
1972年5月初旬
第三次中東戦争が始まったのだ。
今回はアラブ側も考えていた。
前回はドイツとアメリカが介入してきた。
理由は石油の値段が上がることを両国が懸念したため双方が介入したのだ。
よって、アラブ同盟側は仮に列強が介入すれば、石油価格をつり上げると列強各国を脅したのだ。
マーケットは石油危機が発生する可能性を感じ、株価の下落が起こった。
さて、まぁいつもどうり、アラブ側からの先制攻撃がイスラエルに実施された。
イラク空軍のロシア製Mig-21戦闘機がエルサレムのイスラエル軍基地に空襲を仕掛けたのだ。
当然、攻撃されたイスラエルは、イラク国内の軍事基地に一斉にミサイル攻撃を実施した。
そして、アラブ同盟は、イラクに加勢して、次々イスラエルに対して宣戦布告をしていった。
サウジアラビアや、クウェート、ヨルダンやレバノンといった国々だ。
サウジアラビアを中心とするアラブ同盟がイラク側に立って参戦すると、戦況が一変する。
イスラエルは確かに強い国家だが、この時代のサウジアラビアは、スペイン連合や、国家社会主義連盟から多くの兵器を輸入していた。(現在はアメリカ製が多い。)
サウジアラビアは、ドイツ製兵器を石油とのバーター取引で多く得ていたのだ。
サウジアラビアの物量を前にイスラエル軍も押され始める。
はっきりいって、クウェートなんてただの金鶴だし、ヨルダンやレバノンは役に立たなかった。
はっきりいって、イラクを支援するサウジアラビアVSイスラエルの戦争なのである。
メッサーシュミットのm287とm291がイスラエルの空に舞った。
イスラエル軍はアメリカ製の兵器で対抗するが、何を言っても数が足りないのだ。
F-4戦闘機が必死に守るが、なかなか難しい状況であった。
5月の下旬には双方が息を切らし始めていた。
みるみるうちにサウジアラビア側の戦闘機の動きが鈍くなっていったからだ。
原因は簡単で、イスラエルに対して世界中のユダヤ資本が支援を開始したからだ。
世界各国はどこもイスラエルを支援をしてくれないが、アメリカや西欧、アジアのユダヤ資本はイスラエルに対して中古市場で買った兵器のプレゼントを開始したのだ。
さらには、スペイン連合が裏からスペイン製のイスパーニャG1戦闘機の輸出をイスラエルにしていた。
さらには、イスラエルの情報当局モサドが世界中でロビー活動を実施していた。
イラン、ロシア、エジプト、フランス等は非公式でイスラエルに兵器を横流ししていたのだ。
反対にモサドはサウジアラビア領内に破壊工作をかなり実施していた。
王室の打倒である。
アラブの王国に染まった前時代的な政権の打倒を開始したのだ。
まぁイスラエルも息は絶え絶えであったが、まだまだ耐えていた。
長年、流浪の民となったユダヤは一筋縄ではいかなかった。
イスラエルは6月上旬には、サウジアラビアから聖都エルサレムに近い、奪われた地域を奪還し、サウジアラビアに対して空爆を実施し始めた。
クウェートはさっさと戦線を離脱し、カタールはサウジアラビアをガン無視、ヨルダンやレバノンもさっさと講和をし始めた。
サウジアラビアでは、政変が起こりそうになり、政情が不安定になっていた。
そんななか、6月12日に、サウジアラビアの首都のリヤドで王弟を指揮官とする反乱軍が国王を殺害。
イスラエルと講和した。
こうして、第三次中東戦争は終結した。
サウジアラビアと、イスラエルが大きな血の犠牲を払うことによって。
しかし、中東は今後ある程度、平和になるが、再び戦乱に包まれることになる。
この地域に根ざす、問題は根深いのだ。
また、サウジアラビアは民主的に改革をしていくことになる。
そして、イラクの不満はさらにたまるのであった。




