世界最終戦争危機
世界最終戦争危機
1972年3月2日
アメリカ中央情報局CIAは、ドイツのキールを出港した貿易船を追尾していた。
CIAは、ドイツとキューバのきな臭い通信内容を傍受していたのだ。
駐ドイツアメリカ大使館ではドイツ外務省とキューバ外務省の暗号通信の解読にいそしんでいたし、ドイツ政府内にいるCIAのスパイはこの通信に関しての諜報活動を強化していた。
そして、1日にはドイツ軍がキューバに核武装させようとしている可能性があるということが判明しており、アメリカ軍の必死の捜索で二日前にキールを出た貿易船を発見したのだ。
ホワイトハウスでは、このことを聞いて大騒ぎである。
そもそもドイツの船がキューバに先月27日に3隻着いてたことが発覚したのだ。
どうやら、第三国のアルゼンチン経由でドイツ製のv5短距離ミサイルやvf3地対空ミサイルを持ち込んだ可能性があるということが分かったのだ。
さぁもちろん、ホワイトハウス、ペンタゴンは大騒ぎである。
これで、キールから届く予定のおそらくは、核ミサイル、核燃料棒がキューバに届いてしまうと、アメリカのすぐそばにアメリカ本土を狙うことができる核ミサイルを配備されてしまうのである。
アメリカ軍は、速やかにキューバを攻撃すべしと、訴えていたし、さすがのニクソン大統領も慌てた。
アメリカのプレゼンツが大幅に低下することは避けたかったのだ。
3日の午前1時には、国土安全保障会議がホワイトハウスで開かれた。
会議はかなり過激な言葉が飛びかう大乱戦となった。
国務省は、もちろん戦争なんてさせない、もちろん先制攻撃なんてあり得ないという立場であるし、
国防総省は、速やかにキューバを空爆するべきと主張していた。
国務省は、ドイツとキューバと交渉を行うから少しまでというのだ。
もちろん国防総省の参謀本部は、敵の準備ができる前に先制攻撃しなければならないといいはった。
さて、ニクソン大統領はここで、決断を迫られた。
仮にキューバに核が持ち込まれるまで国務省の案に乗り、交渉を続けるか、
キューバに核が持ち込まれる直前まで交渉し、だめなら攻撃するか、
すぐにでもキューバを攻撃するが、事前通告するか、
すぐにでも先制攻撃するか、
そもそも核運搬中のドイツ船を魚雷で撃沈するか、
等など、ニクソン大統領は、決断を迫られた。
そして、彼は決断を下した。
交渉は続けつつ、キューバへの核配備を中止させるためにキューバを海上封鎖すると。
そして、ドイツ船はキューバに入れないと決めたのだ。
3月6日
ドイツの核運搬船は、大西洋をそのままキューバに向けて進んでいた。
既にCIAは、その船が核を運んでいることを突き止めていた。
アメリカ政府は午前11時のホワイトハウスでの記者会見でキューバに対する海上封鎖を宣言した。
キューバ危機の開幕である。
ドイツ政府はこのことにすぐさま反応した。
航海の自由を守れと。
確かに、キューバに物資を運搬する船はドイツ軍の船ではなく、その多くがドイツや、トルコ船籍の民間船なのである。
ドイツ海軍はキール軍港からドイツ海軍第一艦隊を出撃させると言った。
そもそもドイツがキューバと繫がっていることは明白であった。
また、大西洋にいたドイツ潜水艦隊の原子力潜水艦がキューバに向かい始めた。
3月7日午前
アメリカ政府はドイツ政府に対してこのまま進めば、明日明朝にアメリカの封鎖ラインに到達する核運搬船を撤退させなければ攻撃すると発表した。
事実上の攻撃宣言である。
ホワイトハウスはアメリカ全土にデフコン2が発令した。
既にデフコン4は発令されていたが、二次大戦後初のデフコン2である。
世界最終戦争、第三次世界大戦勃発の可能性がかなり高まったのだ。
同じ頃にはドイツ軍も戦時体制を発令し、戦略核ミサイルと、戦略爆撃機の体制を整えた。
こうなると、アメリカ、ドイツから遅れること10分ほどで世界各国が臨戦態勢を整え始める。
米独以外で一番早く、戦時体制に入ったのは日本であった。
日本国防軍は、世界最終戦争の準備を完全に整えた。
既に全土にデフコン2を発令し、日本が誇る帝国海軍戦略潜水艦は全艦が日本近海に待機していた。
アメリカよりは少ないが核戦略爆撃機は上空に待機してローテーションを組んでいた。
スペインも現代の無敵艦隊と呼ばれる王室海軍を洋上展開し、核ミサイルの発射用意を整えた。
英国、フランスも最終戦争に向けた準備を完了させた。
世界の軍隊は第三次世界大戦、世界最終戦争への用意を整えた。
あとは、キューバに接近するドイツの核運搬船がアメリカによって攻撃された瞬間にドイツが核ミサイルをアメリカに発射し、それにアメリカが反撃して、世界最終戦争が開始のを待つだけであった。
しかし、人類は知能を持ち、分かりあえる生命である。
世界の外交官達は、最後まで諦めていなかった。
ホワイトハウスと、ドイツ総統府は両国の大使館を通じて、双方が納得できて、矛を収める方法を探っていたし、日英仏を含めたスペイン連合や、アラブ同盟なども双方講和の道を探っていた。
特に、スペインの無敵艦隊は、アメリカとドイツを戦争をさせないために双方の間に入ろうと、ビルバオから急行していた。
スイスのチューリヒでは、世界各国の外交官がアメリカとドイツに自制を求め、世界最終戦争を阻止するために動き回った。
日本、スペイン、フランス、イギリスは、速やかにドイツは、核運搬船を撤退させ、アメリカ軍は海上封鎖を解くように勧告した。
誰も世界最終戦争など望んではいないのだ。
さらに、アメリカ政府内でも世界最終戦争危機において、ドイツ総統府との交渉も段階が上がってきた。
午後11時頃
会敵まで5時間を切った頃には、ホワイトハウスと総統府の間で妥協が行われようとしていた。
終末時計が午前0時に迫る中、双方は妥協点を見つけることができるのだろうか。