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1970年代前半

    1970年代前半



 1969年はほぼ何も起こらずに年末を迎えた。

 東アジア、北米、欧州の各盟主達が何も動かず、独立運動も一段落し、中東もきなくさはありながらも静けさを保ち、東南アジアもとりあえず落ち着いた。

 中華は順調に経済を回復させつつあったが、それを先導していたのは上海と北京の大企業とそれに支援されている小粒な政治家達だった。

 軍も大企業とズブズブの利権関係にかんじがらめられてクーデター何もなく、その利益を享受していた。

 経済の回復にともなって中華中央は腐敗を始めていたのだ。

 しかし、まだ誰も気づかなかった。

 ヨーロッパでは、みそぎを済ませたイギリスが再び世界の強国に戻るべく、力を蓄えていた。

 国家社会主義諸国では、順調だった経済に暗雲が立ち込めていた。

 公共事業と、計画経済による経済では限界が訪れつつあった。

 しかし、核兵器ではない通常兵器競争が加熱するなか、ドイツは軍事品輸出に頼っていた。

 そして、それを独立したアフリカ諸国に売り付けていた。

 ロシアはロシア民族以外の民族に対しての迫害を強めていた。

 南米では、戦争の足音がスペイン連合のアルゼンチンとブラジルの間で起ころうとしていた。

 

 それでも世界は1970年を迎えた。

 さて、遂に1970年を迎えた世界は2月の第二次中東戦争からはじまった。

 ちなみに、第一次は戦争ではなく、紛争みたいなもので世界は気にしてなかった。

 この戦争で、世界各国が中東に注目したのはOPECが石油の値上げを実行したからだ。

 OPECの石油の値上げに、NATO諸国だけでなく、EATO諸国に、国家社会主義連盟までが中東情勢に関与を始めた。

 インドネシア戦争が終わってから順調に経済を復活させていたアメリカとドイツ(統制経済の緩和をした)にとってはかなり困ることだからだ。

 また、石油を中東からの輸入に頼る日本も他人事ではなかった。

 日本国内に入る石油の30%は、同盟国のイランからの輸入であり、それ以外は満州15%、ボルネオ5%、本土3%と、OPEC諸国に47%を依存していた。

 また、中東情勢緊迫につれ、日本はタンカーの心配を始めた。

 タンカーの安全確保は、日本の優先事項だった。

 こうして、パレスチナ、エルサレムが絡み合う、イスラエルと、アラブ諸国の戦争がはじまった。

 イスラエルは建国当初から中古武器市場で、第二次世界大戦終了とともに使われなくなった米国製や、日本製、ドイツ製の中古兵器を多数導入し、1960年代頃からはスウェーデン製のサーブの戦闘機や日本の四ツ星airsystems(中島、川西、川崎、日本重工の合併会社)のF-12光電のジェット戦闘機を購入していた。 

 反対にアラブ世界の戦闘機の多くは、国家社会主義連盟のドイツ製メッサーシュミットのm285型戦闘機とm287型戦闘爆撃機を運用していた。

 アラブ世界とイスラエルとの戦闘は終始イスラエル側の有利で進んだが、列強各国の介入によって、早期解決が図られることになった。

 誰も重要な石油地帯の混乱を望んでいないのだ。

 世界は別に聖都エルサレム問題も、パレスチナも、アラブ内部の問題にも興味はないのだ。

 とはいっても、列強が現地に介入する二週間の間にヨルダン川西岸地区や、ゴビ高原はイスラエルの占領下に入った。

 さらに、ヨルダンはヨルダン国内にイスラエル軍の空襲があったし、逆にサウジアラビア空軍がスペイン製の爆撃機でテルアビブに一発爆弾を落とした。(それ以外はことごとく撃墜された)

 ドイツ、アメリカ、日本、スペイン、イギリス等の国連諸国軍が介入するまでに戦争はほぼイスラエルの勝利であった。

 また、ドイツ、アメリカともに自分達が戦争するつもりはなかった。 

 しかし、スタンスが違うのはドイツは反ユダヤ、米国は親ユダヤであることだけだった。

 しかし、米国世論はガソリン代が上がるからユダヤのことより石油価格を下げろだった。

 そのため、米国使節団と米軍はドイツ使節団、ドイツ軍と交渉して、その他の国家と調整した結果、当事国に講和案を提示した。

 戦争をすぐに終結させること、イスラエルはエジプト側の奪った地域をエジプトに返すこと、ゴビ高原はイスラエル領でいいが、軍をおかないこと、ヨルダン川西岸はイスラエルの自治区とすること、エルサレムは、イスラエルのものとすること。イスラエルは、アラブ諸国と外交関係を結び、アラブ民がエルサレムを訪れられるようにすることだった。

 両方に不満はあったが、イスラエルはドイツ軍に、アラブ世界は西側世界に自らの地域を蹂躙されることを恐れて講和の条件を飲んだ。

 



 しかし、戦争の火は止まらない。

 10月のブラジル軍とアルゼンチン軍の小競り合いが国境線で起こったのだ。

 南米の盟主を自称し、NATO諸国との経済関係の強化によって経済発展と、強権的な権力によって徐々に経済を強化していたブラジルと、こちらも南米の盟主を自称し、スペイン連合のNo.2であり、軍部独裁のアルゼンチンは仲が悪かった。

 そして、境界にあるウルグアイ、パラグアイの主導権と国境線問題を争っていた。

 この小競り合いの原因はアルゼンチン側の兵士3人が大雨の視界不良で間違ってブラジル国内に足を踏み入れてしまったのだ。

 その事に気づかず、ブラジル国内でブラジル軍に遭遇。

 本人はアルゼンチン国内だと思って銃撃してしまったのだ。

 アルゼンチン側の攻撃でブラジル軍人2人が死亡した。

 ブラジル側はアルゼンチン軍による奇襲攻撃もしくは、ゲリラ攻勢と判断した。

 そのまま小隊火力で三人を撃ち殺した。

 ブラジル軍司令部は、これが全面戦争なのかを判断しかねていた。

 三人とはいえ、射殺したのは問題ないがこれで戦争を始めるのは別問題だからだ。

 既にブラジル全軍は、いつでもアルゼンチンを攻撃可能であった。

 また、アルゼンチン軍の現地司令部も勘違いしていた。

 国境に近かったので、その戦闘の音を聴いたのだ。

 そして、点呼によって警戒中の三人が行方不明になったことを知る。

 そのため、これはブラジル軍の攻撃ではないかと考えたのだ。

 それを確かめるため重武装の装甲車両付きの一個中隊を派遣したのだ。

 もちろん国境線ギリギリに接近していく。

 反対側のブラジル軍の前線部隊はアルゼンチン軍の攻撃が来ると後方司令部に連絡して応戦の準備を整えていた....

 

 

 

 

 



 

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