中華の混乱
中華の混乱
1944年末の日本とアメリカの講和条約で日本軍は既にこりごりしていた中華中央から撤退した。
しかし、まだまだ争いは終わらない。
日本軍に対しての脅威から協力していた中華の二つの勢力である国民党と共産党は、日本の脅威が消えたことでまた元の勢力図に戻ろうとしていた。
さらには、日本が勝手に作っていた上海政府はいまさら国民党に戻るわけにもいかず勝手に独立を宣言していたし、この機をみて、チベットが独立していた。
さらには、日米の暗躍で米軍を中国情勢に介入させたい日本と、中国利権がほしいアメリカの利害の一致で海南島がアメリカ領に、なっていた上に英領香港の安全を守るためという理屈で1945年末に広州政府が作られた。
このように、混沌が続いていたがなんとか戦争一歩手前で外交が続けられていた中華であったがビルが崩れて落ちていくように一瞬で戦争が始まってしまった。
原因は1946年始に国家社会主義連盟のファシストどもが蒋介石を憎きソ連の亡霊(勝手にきめつけてるだけ)である中国共産党を倒すために支援を始めたのだ。
これにより、蒋介石は勢いづき、均衡を保っていた中華は戦乱に突き進んだ。
ドイツ製兵器によって強力な陸軍を作った国民党軍は旧ソ連製兵器で武装している共産党軍に襲いかかった。
共産党は助けを求めようにも、かつての自分達の親玉はドイツに倒され、日本は反共、米国は中華奥地のやつらなんて興味がなかった。
そのため、中華奥地の西安、蘭州、成都と落ち延びていた中国共産党は1948年には度重なる反抗作戦にも失敗し、支配領域を削られた結果として、壊滅した。
この瞬間、ロシア革命から始まった共産党は全世界から壊滅したのだった。
さて、これで中華は平和になりました。
な~んてことになったら14年間も戦争を続けていないわけである。
そして、1960年まで世界で戦争が起こらなかったのは主要国間、もしくわ、各陣営間で大きな戦争が起こらなかったのはこの戦争のお陰だといわれている。
中華12戦争の幕開けである。
1948年の7月に中国共産党を滅ぼした国民党は中華全土に大号令を出した。
次の中華の支配者は俺だと。
しかし、これには面白くないのがいる。
そう、米国である。
既に米国は上海共和国に大きな利権を持っていた。
しかし、国民党はファシスト化してしまったので経済は国家のものであり計画経済になってしまう。
米国は自由で中華で稼ぎたいのだ。
こうなると戦争である。
上海が従わないのなら戦争だと国民党中華は上海に兵を進めた。
こうなるともう後戻りはできない。
アメリカは自国利権保護のために米軍を介入させたので必然的にファシスト対自由主義の対決になってしまう。
さらには、米国とファシストの戦いになってしまったため上海と国民党を挟んだNATOと国家社会主義連盟の代理戦争になったのだ。
両国ともドイツは義勇軍、アメリカは正規軍を投入して、長江北部で激しい戦争になった。
戦いはかなり長引いたため1953年に一時的に戦闘は小康状態になったが、54年には国民党軍が南京を総攻撃し、上海政府と自由主義陣営はかなり追い詰められた。
米軍は国連を動かそうとしたがなかなか動かなかったので、アメリカ軍の司令官であるマッカーサー将軍は核兵器の使用を大統領に要請した。
大統領は核兵器の使用に慎重で、7月に南京が陥落しても慎重であった。
しかし、上海に軍勢が迫るにつれて、米国は核使用に舵を切り始めた。
米空軍はカルフォルニアにいた核爆弾を積んだ戦略爆撃機をハワイを経由してグアムに展開した。
そして、これを察知したのが日本中央情報局(JIA)だった。
「米軍が核兵器を東アジアに投入する可能性が高い」という緊急度が高い連絡が日本政府中央に入ったのは8月6日であった。
日本政府中央は当初、静観方針であったが帝国国防総省参謀本部は、米軍の国民党勢力への核兵器使用に伴い核戦争が起こる可能性を政府中央に提示し、早急に対応をするように迫った。
また、日本の総力戦研究所も世界最終戦争が始まる可能性があるとして日本政府に緊急事態が迫っていることを通告した。
さらに、上海にいた米国資本は撤退し始めていて、広州を国民党が独立国として認めることで米国も引き下がる可能性があるとして日本は世界最終戦争を回避するために動き出した。
さらに、動き出した国がある。
英国である。
英国は核兵器の使用によって中華戦争がさらに拡大することを恐れていた。
また、世界最終戦争になればドイツに近いイギリスは核の被害を被ることになる。
そのため調停に動き出した。
そのため、日本、英国、スペイン、イタリア、フランス、満州、インドが国連で緊急の国連軍を派遣し、停戦を実行させることを決めて、国連本部のあるスイスのチューリヒに各国の外交官が集まり、停戦を呼び掛けた。
さらに、米国に対して核の使用を自制させることを促し、ドイツには中華情勢への介入を控えるように通告した。
これには、ロシア、トルコ、イラン、カナダ、オーストラリア、ブラジル、デンマーク等も連名で署名し、世界各国が世界最終戦争を防ぐために動き出した。
そして、アメリカとドイツもこんな馬鹿馬鹿しい中華共のために白人同士が核を撃ち合うなんてデメリットがメリットを大きく上回るとして双方が核を引いた。
実はドイツもモンゴルに核を持ち込んでいたのだ。
こうして、世界最終戦争の危機は防がれた。
そして、当事者同士ではなく国連という場で大国の都合で中華における合意がなされた。
国民党政府は上海地域を制圧する代わりに、広州政府を正式に承認し、福建省、湖南省、江西省を広州政府領として認めること。
そして、双方が国境から50キロは軍事基地をおかないことが決められた。
こうして、中華内戦は終わったかのように見えた。
中華西部、中央部を持つ国民中華共和国、北の満州、南の広州、ヒマラヤのチベット。
しかし、国民中華共和国はこれから1960年まで戦争が続くことになる。
四川地域で反蒋介石派の軍人がクーデターを引き起こしたのだ。
この反乱は案外すぐ終わると考えられていたがなかなか終わらなかった。
さらに、国民党内部の腐敗もすごく、これに嫌気を差した若い軍人も賛同していたのでなかなか裏切りなども起こりなかなか決着がつかなかったのだ。
さらに、既にドイツは国民党相手に稼いでいたし、ウイグルを独立国として国家社会主義連盟にもらっていたのでまったく介入しなかった。
そのため備蓄物資が底をついてドイツから買おうとしたのだが高くなっていたのだ。
そのため軍事行動が制限されたのだ。
そして、これは思わぬ形で終息する。
1960年の1月7日に蒋介石が上海市内から南京に向かっているときに列車が爆破されたのだ。
蒋介石は違う車両に乗っていたのだがその混乱の中で何者かに銃で眉間を撃ち抜かれたのだ。
もちろん即死であり国民党は大混乱。
そして、そこでクーデターを起こした軍人と国民党No.2であった陽漕艇が手を取り合って講和したのだ。
形式上は確かに国民党側の勝利であったが四川の戦略的な勝利だとも言える。
ちなみな、蒋介石を暗殺したのはドイツのssだとも言われているし、CIAだとも言われている。
真偽は誰もわからないが、これが中華の内戦を終わらせたのだ。
しかし、戦争は世界に波及していった。