極東紛争危機
極東紛争危機
1985年には南米で大きな戦争があったばっかりだが、再び世界では戦争の匂いがしてきた。
これには、冷戦を既に40年主導してきたヨーロッパの巨大軍事国家であるナチスドイツと、北米の西側諸国と呼ばれる集団を統率するアメリカの覇権が弱まってきたことが原因であった。
1985年にはアメリカの対日赤字が膨らみ、大きな対日本バッシングが行われた。
同年夏前にはフォークランド戦争が起こったが、アメリカができたのは軍隊の派遣ではなく、外交上での調停だけであった。
軍備の拡大のしすぎによる財政赤字や、国内の製造業が、スペインや、日本に負け始めていること。
そして、ラストベルトと呼ばれる五大湖沿岸の重工業地帯の荒廃がアメリカの力をそいでいた。
また、フィリピンや、西欧諸国へのアメリカ軍の派遣もアメリカの国益を得る上での費用対効果を疑問視されていた。
アメリカ国内の南北問題や、人種差別問題も大きく国内を乱していた。
1985年9月にはスペインや、日本の対米貿易に歯止めをかけ、アメリカの製造業を守るためにニューヨークのプラザホテルでプラザ合意が行われた。
これによって、米ドルのドル安が進み、ペセタ、円、ポンド、フラン高が進んでいた。
アメリカの製造業の不況はなんとか脱したが、ドル安により相対的にアメリカの力は弱まり、$の権威が下がってしまった。
また、アメリカの共和党政権は政府財政収支の改善のため1985年12月に1986年2月までに在比米軍を撤退させ、アメリカ中東軍を縮小、西欧派遣部隊の陸軍を主に削減することを決定した。
そして、アメリカ太平洋艦隊を含む、アメリカ海軍でも古くなった軍艦の多くが整理によってモスボールか、スクラップされ、艦隊整理が行われた。
こうして、アメリカの影響力は自ら行ってしまったプラザ合意と、軍縮で弱まってしまったのだ。
そして、ドイツの影響力の縮小も続いていた。
1970年後半頃から続いていたドイツ経済の停滞はドイツにとって深刻な経済不安をもたらしていた。
国家社会主義的な計画経済では民間企業の競争による新しいものの開発というのが行われず、企業が国家から命令を受けて作るため、なかなか経済が大きく発展していかなかった。
また、ドイツ人の間でもドイツは最強で東側のトップだという意識があり、なかなか改革の芽がでてこなかったのだ。
また、国内の軍需企業、重工業系企業が経済を引っ張っていたのに、公共事業が薄れてきたこと、経済成長の鈍化でそれらの需要が大きくならなかったことも原因であった。
ポルシェ、フォルクスワーゲン、ベンツといった自動車企業や、ハンブルグ、キールなどの造船企業、メッサーシュミット等の航空企業、クルップなどの軍需などの企業の停滞がドイツ経済に深刻な不安をもたらしていた。
さらには、米独冷戦による過剰な軍備拡大も政府財政を圧迫していた。
世界で一番多くの核ミサイルを保有しているためそれらの管理費用や、大量の潜水艦の運用費、陸軍費はバカにならなかったのだ。
さらに、ユダヤ政策はある程度緩和したが、ユダヤ人がアメリカや日本に逃げてしまったことも原因であった。
ユダヤ人はなんだかんだ優秀であり、彼らの頭脳が流出してしまったことは金融的にかなり打撃でもあった。
そして、資源国家ロシアが再び国家社会主義として、台頭してきたこともドイツにとって頭の痛い問題となっていた。
ロシアはソ連をナチスドイツが撃滅したことで、押さえ込んでいたと考えられていたが、そんなに甘くはなかった。
ロシアはゲルマンに自国が抑えられている現状を良くは思わず、勢力の拡大を進めていたからだ。
ロシアは国家社会主義の中でも国家資本主義を推し進めていた。
国営企業を強化し、ナチスドイツ経済圏での資源輸出と軍事物資輸出、耐久消費財の輸出を活発化させていた。
また、極東強化の方針を打ち出して、モンゴル、中央アジア諸国への影響力を大きく高めていた。
そして、満州を狙っていた。
日本が作った満州国は農業、石油において、優秀な国家であった。
人口は1985年に9000万人を突破し、東アジアで日本の次に強力な国家になっていた。
そして、ロシアはその果実を欲していた。
極東の不凍港を得るとともに、中華情勢に積極的に関与し、満州を自らのものとする。
そして、1904年の日露戦争の借りを日本に返し、日本海を我が物にし、新たなパクスロシアを築くのだと。
さて、財政が厳しくなってきているドイツとしては第3極である日本への刺激をすることはやめてほしいものであった。
日本の輸出入はアメリカ、満州、イギリス、スペイン、ドイツと第五位はドイツであり、ドイツにとって日本はドイツ製品をある程度買ってくれるお得意様であったのだ。
それなのに、日本と戦争なんてするわけない。
しかし、ロシアが自らの箍を外して極東へ足を伸ばそうとしていることは止められなかったのだ。
1986年末にロシア軍はモンゴルに軍事基地を作り、ウラジオストクに極東艦隊を復活させた。
カムチャツカ半島の強化を進め、満露国境に軍隊を派遣した。
明らかに戦争の構えをしてきたことに日本も対応し、再軍拡が始まった。
こうして、極東はホットスポットとなり、新たな戦争の舞台となってしまったのだ。
明日の朝も投稿します。




