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フォークランド戦争

   フォークランド戦争



 1985年1月

 

 アルゼンチンの大統領は国民にこう呼びかけた。

 「私達は欧米によって侵略された我らの領土を取り戻さなければならない!

 ここ四半世紀、我々はスペインを含む欧州諸国から搾取された。

 これをやつらに仕返してやろうではないか! 

 我々はフォークランド諸島をブリテンの奴らから取り戻そう!

 私達にはすばらしい兵器達がある。」と。

 

 


 アルゼンチンは1983年のスペイン内戦を機にスペイン連合を他の多くの南米諸国と共に離脱した。

 コロンビアやペルー、エクアドルなどだ。

 多くの国々はどこの陣営につくかの選択に迫られた。

 ペルー、エクアドルはアメリカに。

 コロンビアとアルゼンチンはドイツに。

 パラグアイや、ウルグアイや、ボリビアは、ブラジルについたのだ。

 そして、ドイツについたアルゼンチンは、ドイツから多数の軍事兵器を購入し、軍備強化を進めた。

 そもそもスペイン連合は、防衛力を一緒に高めようというものではなかったので、経済が優先であった。

 しかし、アルゼンチンのそもそもの目標は南米の盟主であり、ブラジルに挑戦するためには軍備の拡張をする必要があったのだ。

 しかし、そんなことはスペインは認めなかった。

 

 それが、ドイツになると変わった。

 ドイツは自分の友好国が南米を支配することを歓迎したのだ。

 そして、そのために必要な軍備を売ってくれたのだ。

 そして、そんなアルゼンチンの第一目標がフォークランド諸島であった。

 英国に取られた(主張する)フォークランド諸島をとりもどそうというのだ。

 そもそもフォークランド諸島は英国にとって重要な補給拠点であったし、英国の国際的な影響力を残す上で、領土の削減は受け入れられなかった。

 

 イギリス政府は1985年始の時点でその演説からフォークランド諸島の危険性を知っていたが、外交関係者や、政府関係者の間ではただのパフォーマンスだという論調が主流であったし、各メディアもはそもそもフォークランド諸島の事なんて蚊帳の外であった。

 当時はサッチャー首相による英国改革が行われていたときであり、多くの国民の目はそちらを向いていたのだ。

 イギリス国防総省は、アルゼンチンによる軍事侵攻の可能性を政府に警告していたが受け入れられなかった。

 

 また、アルゼンチンの狙っている領土がもう一つある。

 スペイン領フエゴ島である。

 人類最南端の都市であるリオグランデを含む、ウシュアイア等の都市がある。

 同島の人口は12万人でスペインとしては部隊を大して配備していなかった。



 アルゼンチン軍は、アルファ計画として、同時侵攻を行うことを決定していた。

 ドイツ政府が支援してくれていることと、そんな小さな島のためにイギリスが介入しないだろうと踏んでいたのだ。

 また、国内の政治で行き詰まりを感じていたことも原因の一つであった。

 そして、スペインは、内戦で混乱しており、まだまだ軍隊を外地に派遣できるほど整ってはいないことをにらんでいた。

 確かにスペイン海軍はフランス海軍との仏蛮戦争によって傷ついていたし、本土の復旧のために軍備を割いていた。

 まぁこのような見立ては甘かったとアルゼンチンは航海することになるのだが、最初は彼らが優勢であった。



 1985年 5月11日


 イギリス軍の現地にいる守備隊はアルゼンチンによる軍事侵攻がまもなく起こるという確信を持ち、警戒していた。

 本国はまだまだぬるかったが、サウズジョージア島への不法侵入から神経をとがらせていた。

 10日の21時頃にアルゼンチン海軍は本国を出発した。

 そして、綺麗にフォークランド諸島を制圧するつもりだった。

しかし、それはあっさり見破られることになる。

 イギリス本国の情報機関はアルゼンチン海軍が、フォークランド諸島に迫っていることを見抜き、フォークランド諸島の総督に警告したのだ。

 午前1時にフォークランド諸島では、一般市民に警報が発令された。

 さらには、駐屯している海兵隊50人程度も戦闘準備を整えたのだ。

 アルゼンチン海軍は、既に奇襲が失敗したことを悟ったが、作戦は実行された。

 アルゼンチン海兵隊の先遣部隊は午前3時にフォークランド諸島に上陸した。

 彼らの標的は総督公邸と、イギリス海兵隊基地であった。

 しかし、イギリス海兵隊は、既に基地の防衛を捨て、総督公邸で徹底抗戦の構えを見せていた。

 アルゼンチン海兵隊の先遣隊は、40人が基地に、15人が総督公邸に向かった。

 基地に向かった部隊はもぬけの殻である基地を見て、騙されたと悟った。

 反対に総督公邸に向かった部隊は散々な目に遭った。

 別働隊の隊長であったヒサチノ少佐は突入した際に重機関銃の掃射を受けて戦死、その他にも7人が死亡し、損耗率が50%を超えたアルゼンチン海兵隊別働隊は撤退した。

 しかし、イギリス側の善戦はこれまでであった。

 アルゼンチン空軍はスタンリー空港を空爆、その後、本隊が上陸してくると、イギリス海兵隊は、散発的な抵抗を続けたが、市街地が制圧された午前8時にイギリス海兵隊は市民の安全を守るために降伏した。

 近くのサウズジョージア島へも攻撃が実施された。

 サウズジョージア島には20人の海兵隊員が氷海警備艦を警備するためにおり、アルゼンチンによるフォークランド諸島攻撃の報を受けて、防衛体制を整えていた。

 アルゼンチン海軍のエデュアランスとそれに乗っている海兵隊は、誰もいないと思っているサウズジョージア島への上陸を敢行した。

 当然、反撃を受け、ヘリに乗った乗員全員がヘリ墜落による負傷した。

 また、対艦攻撃が実施され、エデュアランスを護衛していたフリゲート艦が損傷した。

 しかし、彼らが与えられたのはここまでで、フォークランド諸島総督の降伏によって彼らも降伏した。

 



 同時にスペイン領のフエゴ島には、アルゼンチン軍の輸送艦が殺到して、たった200人の陸軍の警備部隊を蹴散らし、街を占領した。

 こちらでは、機甲部隊が侵攻し、市民に対する攻撃も一部で行われた。

 また、ここでは、アメリカ人ジャーナリストと日本人ジャーナリストが現地取材中で戦闘に巻き込まれ、スペイン人のゲリラとして辱めを受けた上、殺されたのだ。

 これをカナダ人ジャーナリストが世界に発信したため、世界中が衝撃を受けることになる。

 当然、リオグランデや、ウシュアイアも占領された。

 また、洋上でスペインの沿岸警備艇が撃沈され、国家憲兵が不条理にも秘密書類を破棄したとして殺された。

 これらはスペイン国民の怒りを買い、戦闘を過激にさせることになる。




 

 


 

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