仏蛮戦争
仏蛮戦争
2月
北部国境で、共和国樹立派からの手引きを受けて、攻撃したフランス軍はスペインの共和国化に向けて、進撃していた。
既に、バスク地方では、フランス軍が押し寄せて、スペイン陸軍は撤退を開始していた。
スペイン内戦の影響で各地の部隊がバレンシアに気を取られており、すぐに対応ができなかったのだ。
当時のフランス政府はNATO諸国がアメリカの傘下に下り、アメリカのいいなりとなっている状況に不満を抱えていた。
そして、アメリカとドイツによって起きたキューバ危機によって、それはピークに達した。
フランスはNATOから脱退。
自国の核戦力によって自分たちの力で国を守るという方針に変えたのだ。
フランスは、欧州の中心という自負とイギリスやドイツの田舎者とは我々は違う、文化の最先端を行っており、私達が一番であるという自負を強く持っていた。
はっきりいって、自惚れにもほどがあるが、彼らは自分たちが中心であり、共和制こそが世界にとって良いものだという考えを持っていたのだ。
これは、世界各地である程度、世界で取り入れられているが、全面的には受け入れられていなかった。
しかし、フランスはそのように、考えていた。
ということなので、当然ながらフランスはスペインの共和国樹立派に協力したのだ。
しかし、欧州諸国からしたらまさか、フランスが軍隊を派遣するなど想定外であった。
スペインはもちろん、警戒はしていたが、まさか軍隊を派遣してきて、軍隊で国土を制圧するなんてびっくりといった感じであった。
バスク地方ビルバオや、北東部ジローナ、北中部ウエスカでは、激しい戦闘が行われていた。
フランス軍は首都マドリードに向けて進軍していたが、バレンシアを攻略し急いで戻ってきていたスペイン軍によって、各地の守備隊は活気を取り戻していた。
そもそも、共和派はスペインでは少数派であったので、支持も少なかったのだ。
また、スペイン軍は地の利があり、近代戦でありながら建物や自然的な地形を生かして戦った。
都市攻防戦では、一般市民もスペインの民兵としてフランスに抵抗した。
その多くは家族を逃がして都市に残った元軍人や警官やただの市民達であった。
彼らの抵抗は熾烈であり、さっさと開城する中華世界とは違い、街を守るために必死に戦った。
序盤はかなり、厳しい戦いであったが、空軍の主戦力が北部戦線に移動してくると、仏蛮の間で激しい空中戦が始まり、対地攻撃は少なくなった。
そうなると、ほぼ互角である。
また、フランスにとって良くない出来事も起こり始めた。
18日には地中海にインド洋で訓練中の日本海軍がイタリアからの要請を受けて到着。
19日にはアメリカ本土から空母2隻を含む空母機動艦隊が英本土に到着した。
ドイツも仏独国境に軍隊を派遣していたし、イタリア政府は伊仏国境に陸軍を展開した。
国連の安全保障理事会では、日本、アメリカ、スペイン、ドイツ、イギリスから激しい批判がフランスに飛んだ。
現代社会で先進国が先進国の内戦に関与した上、軍隊を使って侵略するなんて前代未聞である。
また、フランス国内でも保守層が激しい批判を繰り広げていた。
フランスはいわゆるリベラルが強い国柄であり、彼らが政治を主導していたためだ。
21日には、フランスにたいしてスペインからの撤退を求める決議が行われたが、フランスの拒否権発動に伴い、拒否された。
22日からスペイン軍が一気に攻勢に出始めた。
武器弾薬の心配がなくなったからだ。
もちろん、裏にはアメリカからの強力な支援が行われたからだ。
NATOのポルトガルから物資が大量に流れ込んだのだ。
フランス軍のダッソーミラージュ2000戦闘機対策のために当時のアメリカの最新鋭戦闘機であるF-15イーグルがスペインに緊急輸出された。
イーグルは当時としては日本の新しい戦闘機である閃光以上の高性能戦闘機であった。(なんなら、日本も買ってる)
それに対してそこそこ中流の軍事国家であるフランスが開発した程度の戦闘機が負けるのは当然である。
もちろん、フランス軍の中でも上手いパイロットはおり、イーグルが撃墜されることはあったが、圧倒的にイーグルが強かった。
28日にはフランス政府も事態がどんどん悪化していることに気づいていたが有効な対策を打てなかった。
ここで、撤退なんてしようもんなら、どうなるか想像がつかなかったからだ。
しかし、パリでは市民による大規模なデモが発生。
フランス政府は決断を迫られた。
そもそも軍部の不満も大きかった。
フランス軍司令部としてはスペイン内戦の介入自体に反対であった。
時既に遅しの状態であるフランスであるが、3月1日に国連安保理の要求をのんだ。
スペイン全土からフランス軍が撤退したのだ。
世界はスペインの味方である。
今後、スペインは順調?に復活の道をたどるであろう。
しかし、フランスはそうはいかない。
今回の件で3月4日に内閣が倒れて、新しい内閣が誕生したが、国民の不満は収まらなかった。
そもそもスペインからの賠償金の請求が届いていたし、フランス軍の戦死者に対しての補償も行われていなかった。
フランスの行く先は前途多難であり、国民の不満によって新たな革命の火が灯り始めていた。
パリではテロやリベラル派を狙った襲撃事件が多発し、軍内部では不満がくすぶった。
保守層は変わらないフランスの変革の準備を始めた。
フランスは内戦の道に突き進め始めてしまうのだろうか。
今後のフランスは混沌とした未来をこじあけるために動いていくことになる。
そして、スペインである。
スペインでは、今回の仏蛮戦争の勝利によって国民の間でナショナリズムが高まっていた。
王室万歳、マリア万歳である。
スペイン軍は終盤、陸空軍だけでなく、フランス海軍と戦闘を行った海軍への評価も向上した。
また、国内にいた国をむしばむゴミどもも掃討され、スペイン経済は復活の兆しを見せつつあった。
アメリカの軍事支援、日本の経済支援、ポルトガル、イタリアとの関係の改善など、ある意味で内戦によって国が持ち直し、成功した内戦と言われるようになるのである。
スペインの重工業は、国内の修復によって立て直すことになるし、地中海産の農作物の需要が今までのフランス、イタリアにスペインも加わりつつあった。
観光でもスペインの知名度がさらに上昇。
スペインはさらに飛躍を進めていくことになる。
しかし、内戦で失った命、街、そして、スペイン連合というスペイン基軸の連合は大きく、復興はまだこれからである。
そして、南米がドイツの勢力圏になったことは米独対立に影響を与えることになる。
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