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イランイラク戦争

 イランイラク戦争



 


 イラクは1972年の中東戦争以降、当時作った軍備を持て余していた。

 そんな中で、EATO諸国との経済連携を強め、日本への石油売買などで、得た資金を経済、社会保障に回し、政治制度も宗教指導者を日本でいう天皇みたいな地位に位置づけて、安定していたイランは、イラクにとって目の上のたんこぶであった。

 イランの経済力は1979年にサウジアラビアを抜いて中東随一になった。

 そして、油田で得た資金で作られた欧米式、日本式の軍隊は脅威であったし、そもそも中東独特のイスラム教の対立が影響していた。

 中東ではイスラム教のスンナ派が主流である。

 サウジアラビア、クウェート、イラクなどの旧アラブ同盟諸国は基本的にスンナ派であった。

 そして、これと距離を取っていたのがシーア派である。

 これは主にイラン付近で勢力を持つ派閥であった。

 さらに、これにトルコなどのイスラム教であるが、独自性を持つ勢力もあるが、一般的にはスンナ派、シーア派であり、そこが対立していた。

 シーア派のイランは対ロシア、トルコ向けの軍備を配備しており、イラクにとっては国民に脅威を煽るには十分な存在であった。

 さらに、イラクはドイツと繫がっており、アメリカと繫がったサウジアラビアや、カタール、アラブ首長国連邦、クウェート等とは一線を画していた。

 イラク政府はドイツ製兵器を導入したことにより、強気になっていた。

 こうして、国境線を巡る対立から戦争が始まってしまったのである。


 イラン軍は日本製、アメリカ製の兵器で武装していた。

 日本の仲介でアメリカ製のF-14を導入していたし、日本勢のF-9黒鳥を多数導入していた。

 さらには、スペイン製のイスパーニャG2も導入していた。

 爆撃機もある程度保有するなど、中東随一の軍備であった。



 1981年12月

 イラク軍空軍部隊のメッサーシュミットm291と、ヒルメス爆撃機がイラン国境を越えて攻撃を開始した。

 イラン軍の部隊は北部国境、北西部国境、テヘラン警備に多くがさかれており、残った部隊は油田地帯に配備されていた。

 そのため、イラク国境にいる国境警備隊の規模は小さかった。

 しかし、イラン軍は精鋭であった。

 最初の航空攻撃で空軍基地や、レーダーサイトなどが、攻撃されたが、その被害は軽微であった。

 イランの空軍基地は基本的にバンカーに航空機を保管しているので、要撃機の一部が撃墜されたり、たまたま滑走路脇に置かれていた戦闘機が破壊されただけだった。

 そして、イラクの第二次航空攻撃は、臨戦態勢を整えていたイランの精鋭飛行部隊、ペシャワール航空団から反撃を受けて大失敗に終わっている。

 

 ペシャワール航空団とは、対ロシア、ドイツ、トルコ戦争時に敵の最新鋭戦闘機に対抗するために作られたイランのF-14,F-9による精鋭部隊である。

 航空優勢はある程度、すぐに失われたが、イラクは駒を進めた。


 地上部隊による侵攻であった。

 イラン陸軍でイラク国境の警備を行っていたのは国境警備隊と近辺の部隊1万人程度であった。

 対して、侵攻してくるイラク軍は30万人。

 さらには、ドイツ製戦車を配備した機甲部隊もいた。

 イランの国境警備隊では少し荷が重く、彼らは戦略的に撤退作戦を実施した。

 こうして、一時的に係争地域を含む周辺地域がイラクの支配下になってしまったのだ。


 しかし、世界の警官を自称するアメリカと、EATOの盟主である日本が動き始めた。

 アメリカはサウジアラビアに駐屯しているアメリカ中央軍をイランに派遣しようか?と聞いていたし、日本は別にイランと、軍事同盟は結んでいないが、EATOの同盟国ではないが、特別友好国であるイランを見捨てるつもりはなく、軍隊の派遣を決定していた。

 とりあえず、アラブ首長国連邦まで、派遣を決定したのだ。

 真っ先に日本軍としてイラン国内に入ったのは、特殊ユニットであった。

 帝国海軍特殊部隊海猫である。

 彼らは油田地帯を攻撃しようとするイラク軍の先遣隊と激しい戦闘を繰り広げた。

 さらには、開戦1か月程度で、日本軍の海外派遣担当部隊が展開を終えていたし、アメリカもイランから要請を受けて、イラク侵攻の準備を進めていた。

 二ヶ月も経つと、既に係争地にはイラン軍の旗が立ち、奪還を終えていた。

 イラクは戦争終結をしようとしなかったが、四ヶ月が経つ頃には日米は撤退し終えていたし、はんば、休戦状態であった。 

 さらには、イランは若干領土を拡張していた。

 このイランイラク戦争は、イラクの暴走であり、これはまだまだある程度先にさらに大きな問題を起こさせることになる。

 さらに、イラン軍は実戦経験を積み、さらに強くなっていくことになる。


 また、日米はイラク相手に新型戦闘機の実施試験ができて、良かったと考えていた。

 日本の新型戦闘機は1982年に完成、F-20閃光と呼ばれることになる。

アメリカはF-18の開発に今回の戦争の結果を組み込んでいくことになる。


 そして、中東が収まったと思ったら、ヨーロッパでは新たな火種ができていた。


 

 

 




 

評価とpvが増えてきてます。

ありがとうございます!

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あと、サッカー見ました??

このままじゃワールドカップに行かないかも

ヤバい

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