第一次中華統一戦争
第一次中華統一戦争
1980年7月
国民中華政府は、1950年代から続いた来たが、それの賞味期限が過ぎそうになっていた。
国民中華政府内には急進改革派がおり、それを率いていたのは鄧小平であった。
国民中華は、蒋介石が殺されてから長らく、軍部傀儡政権が続いていたが、ナチスドイツがインドネシア戦争以降に、アジアへの関与を減らし、財政赤字をなくすため、中華支援を大幅に減らした結果として、軍の近代化は止まり、軍の影響力が落ちてきていた。
現在の中華情勢は、中華平原中央で絶大な軍事力を誇る国民中華政府と、北方で対中華、ロシア最前線の満州共和国、西側のチベット法王国、南の広州政府、英領香港、ポルトガル領マカオ、国連自治区海南島、広西共和国、雲南共和国である。
アメリカが利権確保のために維持していた広州政府は、中華的な要素によって腐敗が進んでおり、欧州の復活と、日本の影響圏であるEATO諸国の経済成長と、日満の高度経済成長によって、アメリカの経済政策の変更により、厳しい立場に陥っていた。
アメリカの経済政策はEATO、NATO諸国への投資と、それらの国々に製品を売り込み、さらには、内需拡大をするという政策に変更していた。
そもそも、広州政府は、賄賂ばかり求めてくる割に、実りが少ないのが、アメリカには不満であったのだ。
当然、アメリカ企業の撤退も相次いでおり、広州共和国の経済状態は悪く、国民は不満がたまっていた。
そこに、目をつけたのが、国民中華政府であった。
国民中華政府は、国内の経済に対する不満から来る危機感から外敵を求めて、戦争をすることによって支持率を回復しようとしたのだ。
そして、そもそもアメリカから見捨てられた広州政府には、どうすることもできなかった。
2月11日に国民中華政府は広州政府に対して、中華統一のために、我々に下れと宣言した。
広州政府は、下ってしまうと、自分たちの立場が危ういと、拒否。
こうして、戦争になってしまったのだ。
そもそも、中華に済む人々は誰が為政者になろうとも、生活が良くなれば良いという考えなので、広州政府は、今の生活が奪われると市民に宣伝した。
ようするに、市民を煽ったのだ。
しかし、そんな彼らの努力も虚しく、国民中華陸軍は、あっという間に広州を飲み込んでしまった。
アメリカ式軍隊を作っていた広州政府であったが、軍隊は外観だけであり、中身はスカスカの張りぼて軍隊であった。
そもそも、戦況が良くなくなると、兵士が逃げる等という、現代戦闘ではあり得ない状況も発生してしまった。
また、広州政府はアメリカ製の兵器を多数購入していたが、その多くが米国のお古か、体して強い物ではなかったのだ。
結果、広州共和国は、20日ほどで全土を制圧されてしまった。
国連はまったく動かず、米軍は言うことを聞いてくれる雲南、広西国境に軍隊を派遣しただけであった。
まぁとはいっても、アメリカは広州にいたたくさんの富裕層を掬い上げていたし、数々の中華の有名な絵画などの物品をアメリカ本土に取っていった。
広州は、東アジアの大都市であったが、少しの間、その感じは見えなくなる。
アメリカ政府は国民中華政府と交渉し、雲南、広西には手を出さないことを条件に国交を正常化した。
中華は初めて、世界の舞台に立ったのである。
しかしながら、中華の混乱は終わらなかった。
1980年7月に鄧小平が江沢民によって殺されたのだ。
彼は軍をバックにし、中央アジア諸国に覇を唱えようとしたのだ。
この考えはまぁ良くないものであるが、戦略的には正しいものであった。
太平洋方面は日本が蓋をしているし、フィリピンもアメリカの影響下にある。北に目を向けると満州共和国があり、日本製の最新鋭兵器によって防備を固めていた。
南は、せっかく和睦したアメリカ政府の影響力が強く、関係が悪化してしまう。
しかし、反対はロシアの勢力圏であり、比較的御しやすかった。
さらには、たかがインドの庇護下にあるチベットなど、落としやすいものであった。
ドイツは、生まれ変わり、アメリカの和睦したと聞いて、慌てて国民中華に対する援助を再開したので、中央アジアよりも我が国を優先するだろうと判断した。
こうして、江沢民率いる国民中華は、西進論を唱えていくことになる。
また、今回の件で海外植民地が危機的状況になった国がある。
英国である。
香港の安全が犯されかけたのだ。
英国の極東唯一の拠点であり、東洋の金融センターである香港は英国の世界プレゼンツを維持する上で必要不可欠であった。(既にそんなもの無いに等しいが)
フィジー地域の周辺の太平洋諸島は、たいして重要ではないが、香港はかなり重要であった。
しかし、それでも世界帝国であった英国である。
セイロン島(現在のスリランカ)から英国太平洋艦隊(既に二次大戦の頃の勢いはない)が、香港に急行したし、本土からも陸軍緊急派遣部隊が香港に展開した。
結局、英国領香港は侵略されなかったが、あの大部隊を前に香港に展開した部隊では圧倒的に戦力が足りないことは明白であった。
英国は香港の平和と安全と金融センターとしての地位を守るために日本にさらに、接近し、アメリカ政府に在比米軍をいざというときには貸して欲しいと言わなければならないことになった。




