127 深淵狂騒曲 14
R国にC国にN国。
三つの軍隊がかつて深淵と呼ばれたでかい穴を中心に置いて睨みあっている。
ここを故郷にしている人たちには悪いが、こんな場所を取り合ってなにが楽しいんだろうか?
はるかな未来において自国が世界を統一しているとでも思っているのだろうか?
まぁ、そもそも領土的野心というものに対してさほど琴線に触れるわけでもない俺に理解できるわけもないのかもしれない。
俺の領土的野心はプライベートな空間を手に入れた時点で完結している。
「……………………!」
そんな俺だがいまはC国の陣営にいてうさんくさそうなおっさんに甲高いC国語でなにかを言われている。
目の前にはC国語で書かれた紙きれ。
「将軍はこの書類にサインするように求めています」
同じようにうさんくさい通訳はそれしか言わない。
「内容は?」
「我が国での勲章授与手続きのための書類です。さあ」
「こっちで通訳を手配できるようになるまではなにもしない。相手にそう伝えろ」
「…………それはだめだと将軍は言っております」
「じゃ、永遠にサインはしない。それよりもこちらは契約を果たした。支払いを早くしろと伝えろ」
「…………サインするまでそちらの話も停止だ。だそうです」
「やれやれ」
どうにもうさんくさい。
マイナスとマイナスの掛け算はプラスになるのだけれど、うさんくささ同士の掛け算はよりうさんくさくなるだけみたいだ。
仕方ないので自分で連絡して呼ぶしかない。
「現在、この区画は通信封鎖しております。スマートフォンの利用は不可能です」
「普通のはそうだろうな」
軍服姿の通訳の言葉を無視して霧に連絡を取る。
はい。問題なく通じた。
「織羽? 調子はどう?」
「不完全燃焼」
「あら、かわいそう」
「そう。かわいそうなの。だから帰ったら慰めて欲しい」
「はいはい。それで?」
「通訳を用意して欲しい。C国語の。できれば法律とか詳しかったり軍人に圧力かけられてもなんとも思わないようなタフなのがいいな。クランにいないかな?」
「そんな都合のいい人がいるわけ……あら?」
「どった?」
「いるみたいよ」
「そりゃナイス。いつ呼べそう」
「すぐにでも。目の前にいるから」
「そりゃなんともご都合展開だ。なら、ポータルストーンを持たせてくれ、こっちに呼ぶから」
「了解。番号は……」
霧がポータルストーンに振り分けられた番号を伝えてくる。へいへいと記憶して【転移】の準備をする。
【転移】を利用したクラン内での戦利品運搬技術を構築しているときにポータルストーンは量産した。
【転移】の際の起点座標となるポータルストーンを利用すれば、そちらに移動するだけではなく、向こうを引き寄せることも可能だ。
と、いうわけで、はい、ポンと出てくる。
「うわっ」
「うわっ、とはなんです?」
「なんでもありません」
俺の前に現れた白い女性はニースだった。
白魔法の師匠。
「どうしてこっちに?」
「少し野暮用があったのよ」
異世界から来たというのに彼女は当たり前のようにそんなことを言う。
かくいう俺もそこまで驚いてはいない。
なにしろ俺が帰ってから異世界タブレットを通して物品のやり取りはしていたのだ。
俺が使ったスマホにもその技術は流用してある。
C国軍の通信封鎖が通用しないのはそういう理由だ。
「ていうか、ニースがなんでC国語の通訳で来るんだ?」
「……あなたにも教えたはずなのだけどね」
「うん?」
「これは、もう一度授業をした方がいいのかしら?」
「座学は勘弁してください」
「まったく……」
呆れたため息を吐きかけられて俺が情けない顔になる。
そんな俺たちの空気についていけないC国軍の連中もようやくニースの存在にざわつき始めた。
「…………」
そんな連中にニースが声をかける。
なんか、C国語っぽいぞ。
うーん、どういう理屈だ?
座学は嫌だが言葉の壁を取り除けるならなら価値はあるんだが……素直に教えてくれるかな?
「あなたが素直になればいいだけよ」
「むむ、心を読んだな」
「顔を見ればわかるわ。できの悪いあなたに何年仕込んできたと思っているのかしら」
「申し訳ない」
「それで、彼らだけど……この契約書はあなたがこの国からの勲章を一千億円で買うという内容ね」
うはっ、えぐい。
「お断りだね。名誉なんてわざわざ形にしてもらわなくてもけっこうだと伝えてくれ」
「…………」
ニースの通訳で将軍は顔色を悪くする。
その後もなにやら言い募っているが彼女は涼しい顔でやり返し、将軍の顔色が生者から遠のくことは止められない。
そんじょそこらの脅し透かしがニースに通じるはずもない。
俺に報酬を払うのをなんとしてでも阻止しろとでも命令されたのかね?
でもまっ……連中の内部事情なんて知らないね。
こちらは仕事に見合う報酬を提示し、あちらは受けた。
踏み倒す気だっていうなら、新しい戦争が始まるだけだ。
泣き寝入りなんて前例だけは、なんとしてでも作るわけにはいかない。
†††††
三国のにらみ合いはそれぞれが陣が完成するまでの間はそれなりに銃弾のやり取りが行われた。
だが、威嚇以上のやり取りは行われていない。
その原因がどこにあるか……C国軍に所属する異世界帰還者、李勝はわかっている。
「リー将軍、お電話です」
下士官が特製の通信機を運んでくる。
この辺りは通信封鎖が行われている。
その中で外部と連絡が取れるのは電話線の存在するC国軍だけのはずだ。
「リーです」
「将軍、ご苦労」
「これは主席」
電話の向こうから聞こえて来た声に、リーは冷静な声で応えた。
「例の人物と交渉を任せている者から連絡が来てな。どうも旗色が悪いようだ」
「それは……」
言葉を濁したものの、それも仕方がないという思いだった。
いや、無駄なあがきなのだ。
封月織羽。
N国の金世音と戦っているときは、あの数の暴力を使えない場面にしてしまえば彼女に勝つ目もあるように思えた。
だが、そんなものは存在しないのだと、すぐに理解させられた。
ただの【鑑定】だ。
ただの【鑑定】に晒されただけでリーたち……リーと戦っていたイグナート灰帝や金世音が身動きができなくなった。
【鑑定】される際に不快感があるのは知っていたが、あんな身動きもできないようなレベルのものを感じさせられたのは初めてだった。
ひどい熱にうなされているような、ひどい船酔いに襲われているような……とにかくひどい有様だった。
身動きができなくなったリーたちを、あの少女は簡単に殺すことができたはずだ。平和ボケした日本人であろうとも異世界帰還者だ。敵と見定めた相手を殺さないなんてぬるい真似はしないはずだ。
だが、殺さなかった。
なぜか?
簡単だ。
彼女はリーたちのことを、直接拳をかわしていた金世音のことでさえも……敵だと思っていなかったのだ。
「君の感想を聞きたい、将軍」
「はい」
「彼女の件だが、どうするべきだと思うね」
「簡単な話です、閣下」
「うん?」
「報酬を支払って機嫌よく帰ってもらうか、報酬を出さずに彼女と争うか、ですよ。ちなみに小官は彼女と争えば報酬以上の被害を被ると断言いたします」
そして、彼女と争うのであればリーはまっさきに故郷の香港に帰るつもりだった。
負けるとわかっている戦をするほど馬鹿ではない。
いっそ、そういう選択肢を採ってくれないだろうか。
「……君がそういうのであれば、これ以上は無駄なあがきというものだな。意見をありがとう、将軍」
「いえ」
どうやら、これ以上の荒事は起きないようだ。
少し残念に思いながら、しかしそれを表情に見せることなく、リーは通信機を下士官に渡した。
よろしければ、励みになりますので評価・ブックマークでの応援をお願いします。
下の☆☆☆☆☆での評価が継続の力となります。
カクヨムで先行連載していますので、よろしければそちらの応援もお願いします。




